クールペッパーページ11「エドワード・デ・ボーノの6つの思考帽子」/黒月樹人
Cool Pepper Page 11 “Six Thinking Hats by Edward de Bono”
By Tree man (on) BLACK MOON (Kinohito KULOTSUKI)

クールペッパーページ11「エドワード・デ・ボーノの6つの思考帽子」

「デボノ」ではなく「デ・ボーノ」なのだ。過去に出版されていた本では「デボノ」だったように思う。かつて、「水平思考」の本を読んだ。また、学生たちへの講義として、何も手を加えていないのに突然倒れる筒を見せて、その理由を考えさせ、説明させるという手続きで得られた解答を分析して、思考のレベルを分類した本も読んだ。それらの理由の中には「魔法で」というものもあったはずであるが、このような解答で、学生たちは合格点をもらえると思っていたのだろうか。

また、同じ本だったかどうか、少しあいまいだが、一般的な思考における「誤りのパターン」を分析したときの、一つのパターンに「村一番の美女」というタイトルがあったと思う[A]。これは、もっと学究的に名づけるとすると、「判断領域の誤り」となろうか。

これらの概念は、すこしあやしいが、当時、このような「誤りのパターン」を分析して、分類してあるものを学んだことにより、その後の実生活や研究活動で、自分自身の思考や、議論相手の思考についての間違いを判断するのに、とても役立った。

デ・ボーノの研究は、その後、どのように発展したのかということを知りたくなり、インターネットで調べ、英文での本 ”SIX THINKING HATS”[1] を一冊購入した。なんとなく読めそうだったのだが、アインシュタインの相対性理論やローレンツの変換式などの関連資料を読むことに時間をとられ、何か月も積読状態にしてしまった。少し時間の余裕ができて、さて読もうかなと思ったものの、既に日本語へと翻訳されて出版されていることを知っていたので、これを図書館で借りて読んだ[2]。やはり読むスピードが違う。何倍も速い。

6つの思考帽子」という翻訳は、自己流であって、出版された本では「6つの帽子」だ。ただし、本のタイトルとしては、さらに修飾語がついて、「会議が変わる6つの帽子」となっている。本の内容を巧みに象徴した、なかなかの名訳だと思える。しかし、この「帽子」は実体をもつものではなくて、6色の帽子を取り換えてかぶったとイメージして、それらの色が象徴する思考方法を用いようという意図で用いられた単語であるから、直訳の「思考帽子」も、捨てがたいように思える。もちろん、このような意図を理解したときは、詩で用いる「暗喩」の意味で、単に「赤い帽子」や「黒い帽子」という名を使ってゆくこともできる。

帽子の6つの色は、思考の6つのパターンを象徴している。色ではない「白」と「黒」も含めて、他には「赤」「黄」「緑」「青」がある。これ以後、「白」や「黒」も色の仲間としてゆこう。

本の中では、「白色の帽子」が象徴する思考のパターンから説明されている。「白色の帽子」と、それが象徴する思考のパターンを、そのまま連想するのは難しい。逆にデ・ボーノは、こちらの思考パターンのほうを先に想定して、これを象徴する色を探したはずである。私は、このようなことを考慮して、「白色の帽子」と「思考パターン」の間に、もうひとつ、具体的なイメージを入れることにしたい。その前に、デ・ボーノが想定した、「白色の帽子」に関連した「思考パターン」のことを知っておく必要がある。これは、「自己判断を交えないで、コンピュータが行うような、中立的かつ客観的な方法で明らかとなる事実を述べる」というものである。「事実として認められる情報を集める」という表現で説明されることもある。つまり、「色」のついていない「情報」というものに着目しようという思考パターンなのである。これらのキーワードを結びつけるために、私は、「白色の帽子」→「白紙」→「色なし情報」と連想するとよいのではないかと考えた。「帽子」は、全体に共通しているイメージであり、「思考パターン」を、どのように取り扱うかということを象徴しているので、「思考パターン」そのものの内容とは、ほとんどむすびつかないし、むしろ、むすびつけないほうがよいだろう。だから、「白」→「白紙」→「背景色なしの情報」と連想するようにして、逆の、「背景色なしの情報」→「白紙」→「白色の帽子」という記憶シナプス連鎖のルートを確立しておくとよいだろう。

「赤い帽子」が象徴する「思考パターン」は、「感情や情緒や直観にもとづいて考える」ということである。ここには、「確たる理由のない、単なる好みによる判断」も含まれる。このようなとき、冷静に、このような思考パターンを生み出すこともできるだろうが、時として冷静さを失ってしまうことがある。すると、「血の気が多い」と見なされることだろう。このような対応においては、「赤い帽子」⇔「血色」⇔「感情的な思考パターン」と連想しておくとよいだろう。

「黒い帽子で考える」とタイトルづけられた思考の内容は、私のホームページにおける主要なページに関係が深い。ここでのテーマは「問題点や矛盾点を見出す」ということかもしれない。デ・ボーノの本では、「警戒と注意」のテーマで、「難点や問題点を指摘する」という、具体的な思考パターンが示されている。「危険な点」「問題点」「障害となっている点」などを見つけ出そうとするという表現もある。ここでは、「黒い帽子」⇔「闇夜」⇔「警戒と注意」という連想をすればよいだろう。

これに対して、逆の極にあるのが、「黄色の帽子」が象徴する思考パターンである。「黒色の帽子」が「損失」を調べるというものであると考えることもできて、「消極的な思考パターン」であったことに対して、「黄色の帽子」では、「利益」について考え、より「積極的な思考パターン」へと変化する。黄色と黒色は、トラロープの二色でもあり、逆の意味をもつとイメージしやすい。私は、黄色のシンボルとして、「太陽」を思い浮かべた。私のクロッキー小説のなかでは、ターメリック星である。よく見ると、デ・ボーノのテキストにも、「黄色い帽子」についての、次のような説明文があった。「太陽の輝きと明るさを表わす黄色」「楽観主義」「利益にピントをあわせよ」「積極的な考え方」「建設的な考え方」などである。テキストでは、これらをまとめて、「理論的な積極性」とタイトルづけられている。よって、「黄色い帽子」⇔「太陽」⇔「利益・楽観主義」という連想を覚えておけばよいだろう。上記の各思考パターンは、慣れれば、「太陽」というキーワードから、思いつくようになるだろう。

「緑の帽子」が象徴する思考パターンは、「創造性」である。デ・ボーノの「緑色」についてのイメージは、一言でシンボライズすると「若葉」となろうか。何もないように見えた土の中から突然現れる、生まれたばかりの「若葉」や、春が来て、枝から現れる「若葉」をイメージするとよい。何もないところから何かが生まれるということが、ここでの思考パターンの根幹である。ここで、デ・ボーノの「水平思考」が活躍する。「新しいアイディア」を生み出すための発想法として、「水平思考」というパターンは有効なものである。漫才や落語あるいはユーモアコントなどでの、「ジョーク」や「笑い」の手法は、ほとんど、この「水平思考」のパターンに基づいている。まとめておこう。「緑の帽子」⇔「若葉」⇔「創造性」である。

6つ目の「青い帽子」が象徴する思考パターンは、これまでの思考パターンと、少し異なっている。何が異なっているかというと、数学での「次元」である。つまり、平面に対して立体は、次元が一つ多い。文科系の言葉では「メタ(meta)」という要素があてはまるだろう。これまでの、「白」から「緑」に対応した思考パターンを、思考という地図の中の、ルートに散在する、「図書館」や「会議室」や「事件現場」といった、問題解決に必要な要素だとしよう。このとき、これらの「要素」や「ルート」から構成される「思考地図」の全体像を眺めて、これらの構成について考えるというものが、「青い帽子」が象徴する思考パターンなのである。だから、「青い帽子」⇔「空」⇔「思考の流れ」という関係である。このとき「思考のルート」を「川」でシンボル化しておくとよいかもしれない。コンピュータのプログラムにおけるフローチャートやC言語で用いられるmain関数のことが、この思考パターンの基盤になっているかもしれない。C言語でのmain関数の考え方は、複雑な思考を整理するのに良い考えであったので、BASIC言語でプログラムを作っていた私たちも、BASIC言語でのプログラムの中でも、mainルーチンを構成し、その中に、いくつかのサブルーチンを含めることにして、プログラムを構造化していたものである。また、C言語以前に存在していたパスカル言語で始まったと思うが、処理のネスト構造を、記述位置を下げて書くという技法も、BASICでも導入していた。このようにして、プログラムそのものを構造化すると、いちいちフローチャートを描かなくても、大きくて複雑なプログラムも、直接書き込んでゆくことができるようになっていった。デ・ボーノの「6つの思考帽子」のアイディアは、実は、このような現象とよく似ているのである。

6つの思考帽子」のアイディアは、世界の、いろいろな国や、そこにある各組織に受け入れられて、会議や議論を、より効果的に進めることができ、さまざまな問題が、より簡単に解決するようになったと書かれている。とてもシンプルなアイディアなのだけれど、こんなことが、世界中で必要とされていたのである。これまで、会議や議論は、さまざまな思考方法での意見が乱立していて、何も決まらなかったり、何も生まれなかったりしてきたのだ。会社での企画会議や、学校での職員会議、あるいは、テレビで行っている深夜の会議を思い浮かべると、このことが分かるだろう。しかし、デ・ボーノが提案しているように、これらの6つの帽子をかぶって、思考パターンを変えるということを意識すれば、多くの参加者が、問題点についての考察を、うまく協力しておこなうことができるだろう。

デ・ボーノの著書では、これらの6つの色の帽子を、単語として直接使って議論するように提案している。たとえば、このような表現である。「あまりにも否定的に考えすぎています。それは黒い帽子の考え方ではありませんか? ここでは、緑の帽子をかぶって考える必要があります。」 しかし、会議の参加者全員に、このような「6つの思考帽子」に対応した思考パターンを理解してもらうというのは、簡単にできそうなことではない。もちろん、教育現場で、思考パターンを意識しつつ考えて、議論するとか、問題を考えるということを教えることは可能だろう。でも、大人相手だったら、どうだろうか。きっと、抵抗されるだろう。デ・ボーノの提案の問題点は、ここにある。

しかし、この問題は、次のようにすれば、簡単に解決するだろう。つまり、少なくとも一人だけでもよいから、誰かが、この「6つの思考帽子」が象徴する「6つの思考パターン」があるということを意識しておき、「青の帽子」から連想される「空」の位置に、意識を浮かべ、会議や議論や一人だけの思考を、鳥瞰的に眺め、次に取り組むべきなのは、どのような色に対応する思考パターンなのかということを考えてゆけばよいのである。そして、上記の「帽子の色」と、「思考パターン」をむすびつける、「白紙」「血」「闇夜」「太陽」「若葉」「空」のシンボルを、思考のサブルーチンのタグとして用い、目の前にある問題を解くための、次の、一つの思考パターンを選ぶ。そして、その思考パターンにおけるサブルーチンの深部に入り込み、この迷路の中を探索する。ある程度調べたところで、また「空」へと浮かび、全体的な思考の構造を調べて、ふたたび、思考の地図へと降りてゆくのである。このような行動の中で、かんたんには分からないような、複雑な思考が現れたとき、私が提案している「思考言語コア」のテクニックを使って、この複雑な思考にメスを入れればよいのである。

具体的な手法としては、「あまりにも否定的に考えすぎています。それは黒い帽子の考え方ではありませんか? ここでは、緑の帽子をかぶって考える必要があります」なとどと表現するのではなくて、この場合だったら、「黒」→「闇夜」→「問題点」、「緑」→「若葉」→「創造性」という中継要素を利用した連想で、「問題点」と「創造性」を意識しておき、「問題点についての指摘は、かなり出ましたから、考え方を変えて、次は、これらの問題点について、何か新しい視点を適用できないかということを、もう少し自由な発想で行って、次の展開へ進みましょう」と表現すればよい。まあ、このように発言すれば、同じ効果が得られるだろう。このような発言は、議長や司会者でなくても、誰から出てもよい。参加者の経験から出る知識や考え方を総合することができて、目の前にある問題についての、行動の指針やトリックの仕組みなどが分かったら、それでよいわけだ。よって、「6つの帽子」についての様々なことを学び、それを自分の頭の中に住まわせておいて、「帽子」という単語を使わずに、自分たちの表現で述べればよいのである。(2009.01.10)

 補足

[A] 「村一番の美女」という用語は、私の記憶によって変化していて、本来の用語は「村のビーナス効果」というものであった。これはデ・ボーノが「実用的思考」という本の中で創作した言葉で、テレビのない時代において、遠隔の村で生活している住民は、その村で一番とされている美女が、世界で一番美しいと思っており、村を出て、さらに美しい女性を見るまでは、より美しい女性がいるということを、決して考えないということを象徴して作られたものである。私が「判断領域の誤り」と書いたのは、誤ってはいなかったようだ。このような「村のビーナス効果」は、科学、工業、政治など、多くの世界で観測される。中でも分かりやすいのは、科学の分野であろう。このことに対して、デ・ボーノは、同じ著書で、「デボノの第二の法則」(このことを説明している本[3]では、まだデボノと書かれている)という、少しパロディぎみ(「ピーターの法則」あるいは「熱力学の第二法則」)の法則を提案している。ちなみに、この「デボノの第二法則」の内容は、「証明とは想像するものがないということに過ぎない」と説明されている。この説明についての、さらなる説明として、「われわれは、代わりの説明を想像できないので、しばしば、かんたんに仮定や証明を信じる」と書いている。デ・ボーノは、この例として「ダーウィンの進化論」を取り上げており、現代科学の知識により、遺伝子の変異や混合が、ウィルスによって媒介されることが分かりだし、当時否定されていた「ラマルクの進化論」が間違っていなかったということを示唆している。また、このことは、アインシュタインの特殊相対性理論のことや、そこへと流れていった、マイケルソン-モーリーの実験あたりから始まった、古典的な物理学の「説明」において、見事にあてはまる。残念ながら、現在においても、この時代の物理理論は完全に証明されており、理論の予測による実験で検証されていると信じている人が数多くいる。しかし、これらの検証実験のいくつかが、データのねつ造によって生み出されたということが、ごくごく最近になって見出されてきた。また、私が見出したことにもとづいて、「ローレンツ変換が理論的に証明されたことは一度もなかったし、今後証明される可能性もない」という視点が、「デボノの第二法則」の実例として、多くの人々に認識されるには、もう少し時間が必要になるかもしれない。

参照文献

[1] EDWARD DE BONO, SIX THINKING HATS, BACK BAY BOOKS, Little, Brown and Company, 1985.

[2] エドワード・デ・ボーノ, 会議が変わる6つの帽子, 翔泳社,2003.

[3] エドワード・デボノ, デボノの「思考術」講座, (de BONO’s THINKING COURSE, 1982 からの翻訳), 産業能率大学出版部, 1984.