アインシュタインが考えた「定常系」とは何か

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito)

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 「定常系の定義」のセクションは?

 アインシュタインの特殊相対性理論の原論文には「運動している物体の電気力学について」というタイトルがついている。この論文の構成は「(タイトルはついていないが)前書き」と「T.運動学の部」と「U.電気力学の部」となっている。これらの中で「特殊相対性理論」は「T.運動学の部」と対応している(ように思える)。
 「T.運動学の部」はさらに、いくつかのセクションに分けられている。それらを取り上げてみよう。

 §1. 同時性の定義
 §2. 長さと時間の相対性
 §3. 座標系と時間の変換理論. 
    一つの座標系からこれに対して一様な並進運動をしている他の座標系への変換
 §4. 運動する剛体と運動する時計についてえられた方程式の物理的意味
 §5. 速度の合成

 これらのセクションのどこかに「定常系の定義」というものが入っているべきだと思う。
 もうひとつ、「二つの要請」というセクションも必要なのではないだろうか。ちなみに、この「二つの要請」については、すでに「前書き」のところで触れられていて、それにもかかわらず、「T.運動学の部」の「§2. 長さと時間の相対性」のところで、ふたたび取り上げられ、ここで、不確かな定義のまま、「定常系」や「定常の物体」、「定常時計」など、「定常」がどんどん使われて説明されてゆく。これでは、何も分からない。
 「定常系の定義」というセクションが必要なのは、おそらく、「§1. 同時性の定義」より前でなればならないだろう。つまり、

 §0. 定常系の定義

というセクションがほしいのである。

 「定常系」とは「静止系」のことか

 アインシュタインの特殊相対性理論の原論文というのは、ほんとうはドイツ語である。これを直接読むのは困難であり、英語に翻訳されたものもあるが、日本語に翻訳されたものを読むことになる。
 私が日本語で、この論文を読んだのは、図書館で借りた「アインシュタイン選集1」[1] によってである。2008年の頃のこと。2018年になって、「幽霊変換」に誤りがあることに気づき、これについてのウェブページを削除したあと、もう一度図書館にに向かい、同じ本を借りだして、さらに詳しく、ゆっくりと読み進んでいった。
 日本語訳として、もうひとつ、広く読まれている本があることに気づき、これも図書館で借りてきた。岩波文庫として出版されている、内山龍雄(訳・解説)の「アインシュタイン 相対性理論」 [2] である。ここでは「相対性理論」となっているが、「特殊相対性理論」だけであり、「一般相対性理論」についての記述は何もない。
 おやっと思ったのは、先に読んだ「アインシュタイン選集1」[1] の初版の刊行年が昭和46年(西暦1971年)であり、内山龍雄(訳・解説)の「アインシュタイン 相対性理論」 [2] では1988年となっており、[2] のほうが17年も遅いことである。(文庫版になるのが遅かっただけで、ハードカバー版はもっと古かったのかもしない)
 これらの一部を読み比べて、もうひとつ、おやっと思ったことがある。
 [1] で「定常系」と翻訳されているところが、「静止系」となっているのだ。具体的に、その部分を引用してみよう。「T.運動学の部」の「§1. 同時性の定義」の文頭、第一段落である。

 いまニュートンの力学がよい近似で成り立つような一つの座標系を考える。表現を的確にし、かつこのような座標系をあとで導入する他の座標系とことばのうえではっきり区別するために、この座標系を定常系と呼ぶことにしよう。([1] p20)

 いま、ひとつの座標系があるとし、これを基準にとるとき、ニュートン力学の方程式が成り立つとしよう。この座標系を、後にでてくる他のいろいろな座標系と、呼び名の上で区別するために、これを”静止系”[3] と呼ぶことにする。([2] p16)

 [1] で「定常系」と翻訳されているところは、[2] で「静止系」となっている。
 もうひとつ、おやっと思うのは、この座標系を規定するものとなっている、「ニュートン力学」との関係が、微妙にずれていることである。
 [2] では、自然な表現で、「ニュートン力学の方程式が成り立つ」としているところを、[1] では、「ニュートンの力学がよい近似で成り立つ」としている。ここにある「よい近似で」というところの表現は、もとのドイツ語の原論文にあったのか、それとも、[1] の翻訳者が「意訳」したのか。
 [2] の「静止系」の後に [3] がある。これは内山龍雄による「訳者補注」の記号らしい。その部分を、次に引用しよう。

 3. (p.16) “静止系”の定義
 この論文では、どの座標系(慣性系)でも、1人の観測者および多数の観測協力者が、その座標系に静座しているものと考える。特に”私”が静座している慣性系をここでは”静止系”(das ruhende System)と名づける。それゆえ、他の観測者にとっては、その人が静座している系は、その人から見れば、勿論、静止しているが、それにもかかわらず、静止系とは呼ばない。
([2] p62)

 これは貴重な情報である。アインシュタインによるものではないのは残念だが、内山龍雄による「静止系」の視点(定義)のようなものがうかがえる。
 ここに記されている ruhende を ドイツ語として Google翻訳で日本語に変換したところ、「休眠」という単語が現れた。直訳すると「休眠系」となるが、これを「定常系」とするか、「静止系」とするか、やはり悩んでしまう。ちなみにdas ruhende SystemはGoogle翻訳では 「休止状態のシステム」となる。「システム」は「座標系」の意味としてよいだろう。「休止状態のシステム」に対立するのは「活動状態のシステム」となるのだろうか。
 ドイツ語の辞書で ruhen をひくと、これは動詞で「(1) 休む、休息する、眠る (2) 止まっている、停止している (3) …にある 」などと記されている。
 翻訳の妙について議論するのが目的ではないので、以後、「定常系」「静止系」「休眠状態のシステム」の代表として「定常系」を用いることにしたい。
 少し情報が得られたが、「定常系」という座標系が、物理学的な定義として、いったい、どのように記述すればよいのかということは、これだけでは、まだ分からない。

 二つの要請と座標系

 上記のような、言葉の意味を調べたいのではなく、「定常系」についての、物理学的な定義のようなものを、はっきりとさせたいのである。
 §3 より後になってしまうと、「定常系」と「運動系」の違いは、座標記号の体系で区別されてしまい、「定常系」では x, y, z, t で、「運動系」では ξ, η, ζ, τ となり、まるで、これらの二つの座標系には明らかな違いがあるかのように印象づけられてゆく。
 しかし、これらの二つの座標系の、いったい何が違うというのだろうか。
 このことは、アインシュタインが提案した「二つの要請」(二つの仮定)に示されている。
 この「二つの要請」は、「前書き」 のところと、「T. 運動学の部 §2. 長さと時間の相対性」 のところとで述べられている。それらをここに引用してみよう。

表1 アインシュタインの二つの要請と座標系に関する記述



 これらの「二つの要請」についての、2回にわたる表現を読み比べると、「座標系」については、微妙なところで表現が異なっていることが分かる。
 たとえば、(第一の要請)相対性原理において、[P] においては「すべての座標系に対して」であるのに対して、[R] においては「お互いに等速運動をしている二つの座標系」となっている。
 (第二の要請)光速度不変の原理についての [Q] と [S] では、[Q] では「光源の運動状態には無関係」とあり、[S] では「この光が定常の物体または運動物体から発しても同じである」とある。
 これらの表現は微妙に異なっている。抽象的に考えてゆくために、言葉の意味に影響されないよう、座標系 {A} と座標系 {B} の二つの座標系を考えよう。

 [P] では「すべての座標系に対して」なので、{A}と{B}についてとくに違いはない。
 [R] では「お互いに等速運動をしている二つの座標系」とあるので、{A}と{B} には「お互いに等速運動をしている」という条件が組み込まれる。

 [Q] では「光源の運動状態には無関係」なので、{A} と {B} の運動状態は問われていない。すると、ともに静止していても、互いに動いていても、無関係となる。
 [S] では「この光が定常の物体または運動物体から発しても同じである」ということなので、{A} {B} のどちらかが「定常の物体」で、他方が「運動物体」となろう。

表2 アインシュタインの二つの要請と座標系との関係



 これだけ多様な表現をされてしまったら、いったい {A} と {B} と名づけた座標系を、どのように定義すればよいのか分からなくなる。

 考察

 このような分析をした理由を明かしたい。
 アインシュタインは、それまでも知られていたローンツ変換を独自の方法で導き出した。
 ローレンツ変換というものは、ある種の条件を組み込めば、いろいろな導き方ができるようである。
 ローレンツは実験式のようなものとして考えた。ポアンカレはダランベルシアンというツールを使った。アインシュタインはτ(タウ)関数と微分積分の技法を使った。あまり有名ではないが、日本人の内山龍雄はτ(タウ)関数を1次の関数として未定係数法によって導いた。
 これらの技法の違いは、それほど重要なことではない。
 ローレンツ変換を生み出すための、重要なファクターは、この物理世界における座標系について、光についてのふるまいが異なる「定常系」と「運動系」とに区別するという視点をもつことである。そのような状況設定のもとで、「定常系」から「運動系」についての座標変換のルールが、ローレンツ変換ということになる。
 アインシュタインは「前書き」のところで、「特別の資格をもつ絶対静止の空間の存在は必要でなく」と記しているのに、いつのまにか、「定常系」として、「仮の静止空間」のようなものを生み出した。いったいどのような理由づけによって、「[R] お互いに等速運動をしている」二つの座標系の一方を「定常系」とするのだろうか。
 「定常系」と「運動系」の区別が、いったい、どのようにして生み出されたのか、その理由は分からない。とくに、このときの「定常系」をどのように定義するかという問題が、まったく問われていない。
 「理由」については分からないが、「分岐点」のようなものは見えてきた。
 上記の表2を見てほしい。[P] [Q] [R] のところまでは、{A} と {B} の区別はとくに考えられていない。しかし、[S] になると、どちらかが「定常系にある物体」で、他方が「運動系にある物体」となってしまう。
 [R] のところまでの視点を保っていたとしたら、おそらく、ローレンツ変換は生まれなかったかもしれない。しかし、アインシュタインは、ローレンツの論文もポアンカレの論文も読んでいた(らしい)ので、ローレンツ変換へと向かうことは、さいしょから目的としていたことだったに違いない。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, July 19, 2018)

 参照資料

[1]「運動している物体の電気力学について」、アインシュタイン選集1、湯川秀樹(監修)、中村誠太郎・谷川安孝・井上健(訳編)、共立出版(刊)、昭和46年3月1日
[2] 「アインシュタイン 特殊相対性理論」、内山龍雄訳・解説、岩波文庫、井波書店刊 1988-11-16

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