アインシュタインは §3 のローレンツ変換へ進めない

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito)

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 はじめに

 アインシュタインの特殊相対性理論の原著の日本語訳 [1] [2] を読んでゆく過程で、これまで意味が分からなかったので飛ばしてしまっていた、「前書き」と「T. 運動学の部 の §1 と §2 」について、要点をまとめながら読み進めてゆくと、アインシュタインがこの部分で進めようとしていた論証に、欠陥があることが分かった。
 この欠陥により、§1 と §2 でアインシュタインが導こうとした、「長さの相対性」と「時間の相対性」という概念が消える。
 すると、運動する物体から派生する「運動系における長さについての座標」と「運動系における時間」について、それと対比されていた「定常系」の「座標」と「時間」に対して、何らかの変換を行う必要がなくなる。

 「長さの相対性」が無意味であること

 アインシュタインは §2 の「長さと時間の相対性」において、次のように記している[3]。ここで(§2-7)は、黒月樹人による整理記号である。

(§2-7) 静止系に対し動いている棒の長さ 動いている棒の長さを測る操作(b) 静止系に静座する観測者、静止系の調整された複数の時計、このような条件の下で、「あるひとつの定まった時刻tに、動いている棒の両端が、それぞれ、静止系の中のどの位置にあるかを見定め、これを静止系の物差で測る。

 この操作についての問題点は、どこにも述べられていない。
 「長さ」が変わるということは、§3 でローレンツ変換が組みあげられたあとの、§4 で言及されているが、この時点では、そのことを §3 のための前提条件として、「定常系」と「運動系」で「長さの相対性」が成り立つと主張することはできない。

 「時間の相対性」が無意味であること

 アインシュタインは「§1 同時刻の定義」において、A地点で起こった事件の時刻と、B地点で起こった事件の時刻との、時系列の情報を知るための手段として、光を信号として使う手続きを提案している。このとき、Aで起こった事件の時刻を確認する、Aにある時計が示すA時間と、同様に定めるB時間とが同調していることを確認するための手続きとして、「AからBへ光が進む時間」と「BからAに光が進む時間」とが等しいということを調べるべきだとしている。かくして、
     tB - tA = t’ A - tB       (1-1)
が成り立てば、AとBの時計が同調していると判断できるとしている(仮定S)[4]。
 このときの考察は、「定常系」におけるモデルに基づいて行われている。
 そして、アインシュタインは §1 の (1-1) の式について、次のように主張していた。

 (仮定Y) ここに述べた、”時計が合っている”という定義は、矛盾することなく成りたち、またいくらでも多くの異なる場所のそれぞれに置かれた時計に対しても適用できるものと仮定する。([2])

 §2 での状況では、「定常系」の世界の中に、動く棒を含んで座標ごと動く「運動系」があって、この運動系の中に、観測者と時計が、棒に伴走している。
 このような状況において、棒の両端をAとBとおいて、「AからBへ光が進む時間」と「BからAに光が進む時間」を求めている。その結果は、次のようになる。
     tB - tA = rAB/(c-v)       (2-1)
     t’A- tB = rAB/(c+v)      (2-2)

 このときの (2-1) と (2-2) と、(1-1) を見比べて、「定常系の時計」と、「運動系の時計」が「合っていない」と考えてゆくのである。
 アインシュタインは「定常系」で正しいとみなされることを仮定Sとおき、AからBに光が向かうということと、BからAに光が向かうということが、現象として「よく似ている」ので、運動系において異なる観測結果が出たからといって、「同時刻」や「同時性」という概念についての判断をしているが、このときの論理は、まるで、「水平思考」であり、論理的な思考とは呼べない。
 静止しているか運動しているかという、異なる状況にいて、何らかの観測を行い、異なる結果が得られたとしたら、このときの状況の違いが結果に影響していないかと考えるのが普通である。そして、説明のつく原因が分かって、異なる結果についての正しい理解がえられてゆくことだろう。
 (2-1) と (2-2) の観測結果が得られたとしよう。かんたんのため、
     t1 = tB - tA          (3-1)
     t2 = t’A- tB          (3-2)
とおくと、rABを消去して整理することにより、次式(3-3)がもとまる。

        (3-3)

 このようにvの値が決まるということは、(2-1) と (2-2) の式として表されたモデルに基づいて、このときの時間の測定値が (1-1) と異なるということの理由が明らかになったということである。
 これは上記の(仮定S)が成立しないということであり、そのあとの(仮定Y)も成立しない。
 このようなとき、通常の思考では、(仮定S)をすべての座標系について成立するものとして修正し、あらためて(仮定Y)を主張することになるだろう。
 このとき、「運動系」の時間をあらためて定義する必要はなく、「定常系」の時間をそのまま適用することができる。

 考察

 アインシュタインが §1 と §2 で主張したかった、「長さと時間の相対性」という概念は、「定常系」と「運動系」の間で成立するものではなく、「運動系」における棒の長さは、「定常系」で測ったものと同じであり、「運動系」と「定常系」の時間も共通している。
 このとき、棒の両端 A と B を光で計測して得られる時間の違いは、棒が速度 v を持っているということで説明できる。長さや時間の体系を変える必要性はどこにもない。
 アインシュタインの §1 と §2 の思考実験とその考察は、「長さと時間の相対性」という概念を論証するものではないので、その概念のもとに構成される §3 のタウ関数は、存在意義を失う。
 §3 のタウ関数は存在できないので、ここから始まり、これが無ければ進むことができない、§3(ローレンツ変換の導出)以降はまったく空想の理論である。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, July 21, 2018)

 補足

 上記の観測により、A→BとB→Aの時間が、tA (A→B) tB(B→A)t'Aとして得られたとしよう。かんたんのため、次のように定義し

   t1 = tB - tA         (4-1)
   t2 = t’A - tB        (4-2)

次のようにして vを求めたとする。

                (4-3)

 t1 = t2なら、(4-3)のvはゼロ(0)となる。
 このときは、観測したときの空間(座標系)が、静止していたということになる。t1の値に光速度cを掛けると、AB間の距離が求まる。
 (4-3)がゼロではない値のときは、運動している座標系で観測したということが分かり、(4-3)によって、vの値がもとまるから、次の(4-4)か(4-5)を利用して、AB間の距離rABを求めることができる。

   tB - tA = rAB/(c-v)       (4-4)
   tA’- tB = rAB/(c+v)       (4-5)

 観測時刻の「同時性」を求めたいのであれば、これらの関係に従って、測定時の時計が正しい時刻を出力していたかどうかを検査すればよい。
 現代の科学者というほどでもなく、一般の技術者レベルであれば、観測された結果を、このように解釈して、時空の変換というような、とんでもない概念を持ち出すことなぞ、考えもしないことだろう。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, July 25, 2018)

 参照資料

[1]「運動している物体の電気力学について」、アインシュタイン選集1、湯川秀樹(監修)、中村誠太郎・谷川安孝・井上健(訳編)、共立出版(刊)、昭和46年3月1日
[2] 「アインシュタイン 特殊相対性理論」、内山龍雄訳・解説、岩波文庫、井波書店刊 1988-11-16
[3] 運動する棒の長さを、なぜ3つの時間で測定するのか
[4] 長さと時間は相対的なものではない

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