思考言語の夢

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito)

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 土曜日の昼は外食することにしていた。その日は給食がなかったし、弁当を持ってゆく習慣もなかった。土曜の午後はクラブ活動の指導がある。車で行ける、近くの食堂へゆき、定食を注文して、自分で持ってきた本を読み始めた。SF小説だった。読みかけだったので、ここまで持ってきたのだ。そして、ボールペンを取り出して、その本の文章に横線を入れながら、読み進めた。数十年たった、今でも、その本は残してある。マーカーの色帯や、ボールペンの横線が、あちこちに入っていて、無残な状態だ。しかし、そのときのぼくは、そうでもしないと、どんなことが書かれているのかを、さっと読んだだけでは、理解することができなかったのだ。もちろん、図書館から借りた本ではない。自分で買った本だ。将来、それらの本を古本として転売するという発想は、まったくなかった。買って自分のものとした本からは、ありったけのものを吸収して、自分の人生に生かせばよいのだと、夏目漱石だったかの名言に感化されて、ボールペンやマーカーを使いまくっていた。もっとも、全ての本が、そうだったというわけではない。重要な箇所なぞ選びださなくてもよいような内容の本だったら、そのまま読み進んでゆく。だが、このときの本ばかりは、勝手が違うのだ。とびきり難しかった。哲学論文とか、数学の論証ではない。単なる小説で、ジャンルはSFだった。

 確か、その昼食で、それを読み終えて、ふうっと、ため息をついた覚えがある。

 「世の中には、こんなに難しい小説があるのだ」

と、一言つぶやいた。しかし、その内容については、ほとんど理解できなかった。ただ単に、今読んでいる段落で、もっとも重要だと思われる部分に、横線を書き込んでいただけなので、その小説の全体像については、何もイメージのようなものを構成するところまでゆかなかったのだ。だが、難しいと言うことだけは、分かった。

 スタニスワフ・レムの「新しい宇宙創造説」という作品だった。後に全国の図書館にも、ほとんど収録された、「完全な真空」(国書刊行会) という本の中のものではなく、アンソロジー集としてまとめられた「レムの宇宙カタログ」(大和書房)の中のものだった。この本には、「ピルクスの話」や「治水帝の御意見番」や「ムルダス王物語」も入っている。「ピルクスの話」が入っている「宇宙飛行士ピルクス物語」も、買って読んだ。今も残してある。あとの二つは「ロボット物語」という文庫本に入っていた。これも買ったはずだが、現在は行方不明だ。そのころ、レムの作品は、単行本や文庫本で、続々と出版されていて、地方の本屋の書棚を探しても、何か探すことができた。「ソラリス」については、タルコフスキーの映画を見てから、小説本を求めて読んだ。ストーリーとか結末とかが分かっていても、何も問題はなかった。レムの作品は、ストーリーやプロットの良し悪しということよりも、その物語を組み立てるための、詳細な表現や、どうしてこんなに詰め込めるのかと思うほど博識な知識から連想された、嘘だか本当だか分からないような、科学的だったり哲学的だったりする、独白気味の文章が、読み手の想像力を刺激するところにあるのだ。レムの遺作のようになってしまった「大失敗」という作品も、あらすじは分かってしまっているのだが、よくまあ、これだけ細かく描写して、膨らませてゆけるものだと、何十年かぶりに、ため息をついてしまう。「バーナムの森」で起こったことは、いったい何の意味があるのだろうか。二時間ほどにまとめなければならない映画の構成や、流行作家の淡々とした表現に慣れてしまっていると、レムの描写力の豊かさと、緻密さに、ほとんどあきれてしまうばかりだ。ああ、現実とは、そのように、本当は、豊かで緻密な内容をもったものであり、作家は、そこから、どうにかして表現できるものだけを抜き出してこなければ、やっていけないのだった。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」では、そこのところの妥協をうまくこなして、百年にもわたる物語を、わずか数百ページの物語にまとめている。レムの作品のことに戻ろう。

 その土曜日の昼食時に読み終えた「新しい宇宙創造説」を、もう一度読み返したのは、それから何年もたってからのことだった。ぼくは仕事を変えていた。ぼくにとって、大きな変革の時代だったように思う。なにしろ、地方では社会的地位もあり、生活も安定していられた、教師という職業を捨ててしまったのだ。いろいろな責任ある仕事を引き受けすぎて、ストレスがたまりたまって、耐えられなかったのかもしれない。そこでの迷いや、精神的な漂流のドラマは、ここでのテーマではないので、かるく飛ばしてしまおう。何年かして、ぼくは、地方の工場で働くようになった。ここでは、仕事が単調で、そのことに慣れるまでが大変だったが、やがて、この生活には、かつて教師だったときのような、雑多な責任が何もないという、ある種の精神的な自由に満たされていることに気がつくようになった。この時代に試みたことも、いろいろとあった。イラストを表現手段とした作品を生み出すことに集中したのも、この時代のことだ。エピソードは尽きないが、テーマに戻ろう。現実の全てを、同じように描写していたら、百年かけても、きっと語り尽くせはしまい。物語を組み上げるためには、適度な抽象化が必要なのだ。

 「レムの宇宙カタログ」を取り出し、読み残しておいた作品を読み終え、ちらっと、「新しい宇宙創造説」の、マーカーやボールペンで汚れたページを見て、

 「いったい、この作品は何が言いたかったのだろうか」

と問い直してしまったのだった。そこで、これまで習ってきたとおり、マーカーや横線で記してある、それぞれの段落の、主要な部分だけを、拾い読みしてみることにした。しかし、それでも、何をレムは、いや、この物語の中で、この作品そのものを語っている、架空のノーベル賞受賞者である、アルフレッド・テスタ教授が主張したかったことが、いったい何かということが、ぼくには分からなかった。正直に言うと、その程度の知能だったのだ。ぼくの知能のことである。書評などを書いている人だったら、横線を入れなくても、ただ読むだけで、テーマを読み取って、それについての解説をまとめることができるらしい。しかし、ぼくには無理だった。このギャップは、現実のものだ。ぼくには出来ない。でも、ぼくは数学の論文とかだったら、けっこう難しいものでも読める。アインシュタインの一般相対性理論の、テンソル解析による式の変形をたどったのは、このころのことだった。だから、得意分野ではなかったとはいっても、レムの作品に降参し続けるのは、くやしかったのだ。

 ぼくは、どうしたら「新しい宇宙創造説」の内容が理解できるか、ということを考えることにした。各段落の要点を読んでいっても、全体の意味は分からなかった。それだけの内容を記録しておくだけのスペースが、どうやら、ぼくの頭の中には無いのだということに、残念ながら、気がつかざるをえなかった。そこで、とるべき道は、二つある。その一つは、ぼくの頭の中の展示スペースを広くするということ。しかし、こんなことが、何の苦労もなく簡単にできるというのなら、SF小説の「アルジャーノンに花束を」のように、何か知能を高める薬品とか処置があるのだったら、そいつはきっと、一大産業になっていることだろう。そこで、二つ目の道は、頭の外に展示しようというものだ。以前は教師だったので、黒板に要点を書くような調子で、もちろん、黒板は無かったから、ノートに書き出そうとしたとき、ふと、閉じられたノートに書いてしまったら、その全体像を見ることが出来なくなるということに気がついて、ぼくは紙の端を糊づけして伸ばしてゆくことによって、畳の部屋に広げられるほどの、大きな紙面に、「新しい宇宙創造説」の要点ノートのようなものを書き始めたのだ。それは、本当に、畳の部屋に広げて見ないと、全体を眺めることができないものになってしまった。これでは、あまりに広範囲に広がりすぎて、それを遠くから眺めてみると、言葉の記号が、ただのプリント模様のように見えてしまった。そこで、ぼくは考えた。

 「もっと小さなところに、ひとつひとつの考えを、濃縮しよう」

と。これは、完全な正解ではなかったようだが、ともかく、現状よりは、答えのほうに近づいているような気がした。そして、ぼくは、これまで、世界のどこにもない記号言語を生み出すことに夢中になった。「世界のどこにもないもの」というキャッチフレーズが、ぼくの自尊心を刺激した。「地球上には無かったもの」というイメージから、それは「宇宙の言語」という発想へと飛び火して、そのような資料を探し求めたこともある。しかし、正式には、宇宙人はこの星にやってきていないし、電波などを使った文化だけの交流というものもない。ときどきSF映画に宇宙人の言語記号が現れるが、いずれも、映画を製作した地球人の発想だということが、バレバレのものだった。これについてのエピソードもたくさんあるが、無意味なので、やめておこう。そんなものよりも、現に地球上で発達した、さまざまな言語のための記号が、豊富にあって、それらの文字のデザインの多様さには、驚かされた。しかし、やがて、それらの文字記号を、たくさん集めて眺めていると、これらの共通点が見えてきた。地球で発達してきた、これらの文字記号には、共通の欠点がある。それは、ひとつの文字体系の中で、それらの文字のデザインが、逆に、あまりに似すぎているということだ。おっと、先を急ぎすぎている。ぼくが生み出そうとした、「世界のどこにもないもの」の構成法やデザインのことについて、まだ何も語っていない。

 「世界のどこにもないもの」を生み出すことが、まるでぼくの使命か義務であるかのように、この、まるで呪文のような言葉にとりつかれてしまったのだった。まず、最上位に「世界のどこにもない言語」があり、その下に、「世界のどこにもない文字」と、「世界のどこにもない文法」とがあった。しかし、それらの奥底にあった、枕言葉の「世界のどこにもない」が修飾する概念は、「機能」だったのかもしれない。そのことが「思考言語」というネーミングに現れている。本来、あらゆる言語は、意思の伝達だけではなく、思考のための道具としても使われている。しかし、このことを異なる視点から眺めると、この道具の良し悪しで、思考の良し悪しの、せめて可能性のようなものが決まってしまうと言えるのではないだろうか。このことに気がついたきっかけは、当時発達中だった、コンピュータ言語の変遷を、リアルタイムで追わなければならなかったことにある。市場に出回り始めたころの、パーソナルコンピュータは、まだ、機械語への変換コードをもっていた。MS_DOS で命令を打ち込んでいたような操作が、いつのまにか、マウスだけで済ませられるようになり、これらの命令語や、その文法が、どんどん奥の黒箱へと隠されていってしまった。こうして、コンピュータと人間は、話し言葉や書き言葉でコミュニケーションしていた時代から、手話のような身振り言語でコミュニケーションするようになったわけだ。いや、こんなことは、どうでもいい。もう少し戻ろう。機械語から、フォートランやコボルの時代から、ベイシックやパスカルを経由して、C言語が現れた。今でもフォートランやベイシックは生き延びているが、ほとんどは、C系言語になってしまったのではないだろうか。機械語の単純さ、ベイシックの親しみやすさ、パスカルの分かりやすさなどの、いろいろな利点を寄せ集め、独自の工夫も加えて、C言語が開発されてきたと、ぼくには見えた。こうして、たとえ、コンピュータと人間との間で交わされるものとはいえ、合理的で機能的な言語が進化しつつあるときを、まさにリアルタイムで生きてきて、それらの言語を学習しなければならない状況へも追い込まれていった。

 だが、これに比べて、人間どうしが使う言語の、冗長で、非合理で、覚えにくくて、混乱に満ちていることと言ったら。しかし、これが共通語なのだ。ここでイメージしている言語とは、日本語や英語や、日本人なら「漢文」でなじみがある中国語など、世界のあらゆるところで放散進化した、数々の「話し言葉」かつ「書き言葉」のことである。これらをまとめて「自然言語」と呼ぶことにしている。これらには幾つかの共通点がある。その一つの共通点は、これらのパターンが線形であるということである。数学や物理学で用いる言葉としての「線形」と、そんなに違わないかもしれない。「線形」という言葉を「一次元形」と呼び変えたほうが良いかもしれない。「自然言語」は、平面の中で記述されるときも、牛が畑を耕すように、少しずつ行ったり来たりして、線の並びを積み重ねてゆくことを、基本パターンとしてきた。これらのことの理由や歴史を議論していったら、これはただの論説文になってしまう。それでは、読むほうも、書くほうも、退屈だ。物語が進んでゆくため、もっといろいろなエピソードについても、語ってゆくことにしよう。

 数学や物理学の論文の中にも、この自然言語は用いられている。ここ何百年かの間に、数学の体系が進化して、合理的で豊かな内容の世界を作り上げている。いっとき、抽象性が、あちこちの尖塔で理想化されてゆき、この現実世界との接点を見出しにくい分野が発達していたが、ここ数十年の間に、これらの現実世界とのかかわりを強く意識した、非線形の方程式や、ウェーブレット、フラクタル、カオス、といった分野の研究が進み、現実世界の理解が進むようになった。

 それに対して、ずうっと変わらないままで、何か進化したことがあるのかどうかを探すことが難しいような、自然言語だけを説明のための言語としている研究分野が、数多くある。ここで、それらの名前を挙げると、きっと非難されることだろう。確かに、いろいろな人文科学の分野で、数学が利用されてきており、それらの先駆的な経済学も、「行動経済学」や「経済物理学」のような、新しい視点を生み出して、さらに合理的なものへと変化しようとしている。しかし、「哲学」は、どうだろうか。いったい、現在、哲学は、何を対象としているのだろうか。ほぼ自然言語だけで記述されている分野に、「法律」というものがある。これは、現実世界と強くつながっており、これだけで独自の世界へと羽ばたくことができない。そうはいっても、時々新聞の紙面の一部を独占する、新しく制定された法律の文章を読むと、これが表そうとしていることの、古典的なパターンに、ため息が出てしまう。最近の法律の中には、場合分けなどの分類のため、表の形式が利用されていたりして、少しは、工夫が見られるのだが、このようなケースは、ごく限られている。もっとあやふやなのは、「討論」である。政治とまでいかなくても、社会のあちらこちらで、意思の疎通のための「会議」が行われている。そこで演じられる「討論」というドラマの成り立ちは、よく分からない。もちろん、そこで取り上げられる問題が、まったく抽象化や分類という手法を寄せつけないほど、多岐にわたっていることが、主要な原因なのだろうが、物事の意思判断の基準というものは、問題の数と、それに関係する人間の数との積だけでなく、それ以外の要因による「社会定数」のようなものさえ、加えなければならないわけだ。こうして、その議論が膨張し続けるか、閉じたものとして、いずれは何らかの不動点へと収束してゆくかは、これらの背景状況の輻射熱と、そこでの言論ベクトルの合成法のいかんによって決まってしまう。ここで述べたようなアナロジーのパターンに沿うようなら、まだ、その構成員の意識は、よく進化したものだといえよう。多くの「討論」においては、彼らが枝をわたっていたころの、「警戒音」や「威嚇音」が飛び交うこともある。まさしく、そこは、生存の証を掛けたジャングルの世界なのである。

 また流れてしまった。たしか、「世界のどこにもない機能」のことについて考えようとしていたようだ。その「機能」というものは、言語が持っている、幾つかの機能のうち、「思考のための道具」というものを、意思の伝達や記録といった、他の機能よりも、強く意識したものにしようというものだった。そこで、ぼくは、これまでの自然言語がもっていた、言語の要素の一つである、「発音」という側面を、完全に無視することにした。これは、数学記号からの類推である。実は、数学記号のそれぞれには、インテグラルだとか、シグマとか、発音すべき言葉を持っているものもある。しかし、テンソル記号として用いられる、添え字について、確かにガンマとかデルタとか、記号そのものの名称は発音されることもあるが、その、小さな添え字が、上側についているのか、あるいは下側についているのか、それは添え字であるのか、ベクトルとしての太文字なのか、テンソルとしての大文字なのかというような、もっと厳密に、音による伝達を考えたときには、必要となるはずの識別表現が無いままであることが多く、それでも、それらは生きている。なぜか。音声によって表現することより、他に内容を伝えることより、もっと多くの機能を、それを使って思考を構築してゆく、まさに個人的な「思考」の内容を組み上げるための道具としての面に向けているからである。だから、「思考言語」という分野では、「発音」のことを忘れてしまっても、きっと、これは進化して行けると、ぼくは考えた。

 「発音」という要素を取り除くことによって、「思考言語」の機能を、「一次元」の束縛から解放することができる。実は、このような考え方のモデルとして、電気の配線図のようなものを考えていた。電池と抵抗とスイッチだけの、理科の問題を組み上げるような、ごく簡単な回路でも、これを「一次元」で図示することはできない。「回路」と呼ばれているように、電池や抵抗やスイッチをつなぐ電線を用いた、少なくとも一つのループを描かなければならない。抵抗が二つ以上あって、それらの中に並列になっているものがあれば、一つのループの配線だけでは表すことができない。これらの状況を表現しようとすると、少なくとも、「平面」が必要になる。あるいは、電気配線ではなくて、電車と道路の立体交差のような状況を表そうとすると、本質的には立体空間が必要となる。しかし、たいていの地図では、このような立体交差を、点線などを使って、想像にまかせるか、電気配線図では、電線部分をアーチ状に描いて、これと交差している線とは触れていないというルールを設けて、なんとか、それぞれを平面内におさめるように工夫している。コンピュータプログラムの言語内の表現では、もっと複雑な、厳密には立体空間でないと表現できない構造が含まれることがある。それに対して、コンピュータプログラムがとった手段は、プログラムの空間をジャンプするという方法である。ベイシックの用語での、go to

などである。C にあるwhile もジャンプ処理を想定している。

 思考言語では、このような技法を取り込むことを想定して、これまでの自然言語がとらわれていた、「一次元」の罠から抜け出していることを意識する言葉として、「高次元」という言葉をつけることがある。ぼくが、かつて「高次元思考言語」と名づけた小説の中では、何処か架空の世界の国会議員たちが、議論しているところの中継イメージが表現されていて、それは、議員たちが、「言葉の枝葉」を生み出して、何も無いところに、立体的な「議論の樹」を、まるで彫刻か建築物のように、組み立てているのである。そして、議員たちは、その「樹」のようなものの、構造の細部や全体像を眺めて、ここはどうのこうのと言って、議論しあうのだ。こうして、「議論」の内容が視覚化され、議論の結果が実体化されてゆく。もちろん、それらのイメージは、何かのホログラムのようなものだろう。その情報はデジタル化されて、保存したり再生したりすることが可能なものである。この小説を書いていたころには難しそうだったことも、それから何十年も経ってしまうと、まさに実現していてもおかしくないものである。だが、そんなことは、まだ、実現していない。それはコンピュータの技術のほうの問題ではない。そのような「立体的な思考言語」というものの記号や文法といったものが、まだ完全に規定されていないからなのだ。

 ひと飛びに、立体的な思考言語へとジャンプするのは、小説のためのテクニックに過ぎず、現実的な問題としては、平面の中で、それぞれの人間が共通して用いることのできる、一般的な思考のための言語が生み出されたら、小説の中の「夢物語」のようなものが、あっというまに現実化してしまうかもしれない。現在のぼくが語るとしたら、それはもう、何年もかからないことのように思えている。しかし、「世界のどこにもない機能」や「文字」や「文法」のことを考えていたころには、それはまだ、はるか未来のできごとのように思えていた。

 まだ、汎用の機能をもつコンピュータとは独立して、ワードプロセッサーという機械が、それだけの機能をもつ装置として、コンピュータに先行して存在していた。わずか二行を表す、小さなディスプレイだけでやってゆくという機械から始めた記憶がある。やがて、小さなブラウン管ディスプレイをもつものが現れた。言語編集のソフトを、3.5インチのフロッピーディスクから読み取らせ、編集して出来た文章を、別のフロッピーディスクに記録させるものだ。実は、これと同時に、16ビットのコンピュータも持ってはいたが、システム全体が大きなものだったし、まだ専用の言語編集のソフトが、よく発達してはいなかった。金額的な問題もあった。そのようなニッチを狙って、比較的廉価で小型のワードプロセッサーが進化放散したのである。この、小さなブラウン管ディスプレイをもつワープロは、独自の外字だけでなく、新しく外字を編集して登録し、もちろん、それをキーボードから手早く使えるような仕組みになっていた。こうして、ぼくは、思考言語のための、新しい外字をデザインするという迷路に入り込んでしまったのだ。

 この図は、当時作った記号の一例である。「新しい」の記号は、ミンコフスキーなどが広めた四次元時空のコーン図形をベースとして、開いたコーンのほうに点がある。このベース図形に対して、ちょうど真ん中の交点のところに点があるのが、「現在」で、閉じた三角形の中に点を入れて「過去」あるいは「古い」を表すことにした。「説」のデザインは、ロコスという記号言語からの発想で、三角形を「考え」のシンボルにしていたことから、すこし点でデザインして、このようにしたのである。「創造」のイメージは、円の内部から外部への誕生をイメージしている。「宇宙」のイメージは「星」そのものと「領域」を象徴する円の組み合わせである。このように、意味と記号が、何らかの関連を持つように、新しい記号をデザインしていったのである。これらの記号創造の病気は、何ヶ月も続き、これが、漢字や楔形文字がたどってきたプロセスを、同じレベルでたどっているだけだということに気づくまで続いた。

 新しい「記号」で、漢字や楔形文字が生み出さなかったものとして、領域を区分けする「半直線」を導入することを考えていたこともある。また、これらの、できるだけ濃縮された記号を、まるで、電気配線図の、抵抗や電池のように扱って、哲学の文章を例として、思考マップのようなものを描いたこともある。これらの、さまざまな試みは、まあ、表現の技術のための試作品のようなものである。

 このような技法を生み出して、これらが何も無かったときには、紙を貼りつないで、畳の部屋に広げなければならなかったものが、鳥獣戯画のような、シンボル記号の絵巻物のようになって、いかにも「世界のどこにもないもの」だと、うぬぼれていたものだ。

 このような新しい記号をデザインするのは、楽しい作業だった。これらを使って、難解に思えた、哲学や小説の内容を、思考の配線図のようなものに描き直すことで、ある程度は、これらの内容の核となるものを、理解することができた。しかし、これらには大きな問題があった。これまでの自然言語にあった、比較的長い表現を、短いという長所はもつものの、それらのほとんどを、まったく新しい記号へと置き換えるということは、これまでの自然言語と同じくらいの、大量の「記号単語」が必要になるということである。それらを生み出すだけでなく、記憶し続けて、さらに、これらを使って、他の人といっしょに、「議論の樹」を生み出そうというのは、はるか先のことのように思える。これらの問題の、最初に起こる矛盾は、このような記号を生み出した、ぼく自身が、それらの記号と、その意味を忘れてしまうということであった。こうして、思考言語は、方針を変えることを余儀なくされてしまう。

 この問題と、時を同じくして、ワードプロセッサーの状況がどんどん変化していって、外字機能が使いにくくなってきたという問題も降りかかってきた。思考言語は、数学の記号が、ほとんど手書きで進化してきたのと同じように、自分の思考を補助するためなのだから、手書きの記号でもよいと考えていたのだった。しかし、「思考」は、メモ書きするだけでなく、それを正式な表現スタイルに移し変えて、いずれは、他の誰かに見せなければならない。そのとき、いつまでも手書きの文字にこだわっていたら、このハードルを越えられなくなってしまう。だから、どこかで「手書き文字」というアイディアを切り捨てて、ワープロソフトをコントロールする、キーボード上の記号だけでやりくりするという考えへと向かう必要があった。そして、新しい単語を全て作り直すという「夢」も、泡のように壊してしまうべきだった。「世界のどこにもない文字」というキーワードを忘れてしまうことにした。

 ほとんど説明文で構成される「百年の孤独」でも、ところどころに、人の言葉が入っている。しかし、この「思考言語の夢」の物語では、まだまだ、他の人間とのかかわりが現れない。言葉を入れようとしても、ただの独白になってしまう。そんなに独白ばかりを続けている人間は、少し何かが変だと思われてしまうことだろう。実際、すこしどころか、かなり変である。これらのことは、あまり理解されてこなかった。しかし、これでは、この物語が、架空の世界で、抽象的な展開を繰り返しているだけということになってしまう。何か、現実世界とのかかわりについて述べることによう。

 外字機能の迷路にまぎれこんだままではあったが、ぼくは、思考言語に関する、いろいろなアイディアを何章かにわけて記述し、200ページくらいの原稿をまとめていた。これのタイトルは「思考言語のアイディア」ではなかっただろうか。初期のころのアイディアについて、これを応用して、人生の物語の中から、青写真のようなものを抽象化して、とりだすことができること、小説の骨組みのようなものを構成することができること、こんなことを、具体的な例を組み込みながら、一冊の本となるようなものへと、まとめたのである。そして、ぼくは、ある日曜日に、当時働いていた工場の、トップクラスの人のところへと行った。そんなことが簡単にできたのは、工場で生み出していた成果のこともある。ぼくは生産ラインの一部の工程を改善して、製品の良品率を、70パーセント台から90パーセント台へと、たった一ヶ月で引き上げたからだった。これに対する評価を、賃金や地位で認めてもらう代わりに、思考言語の本を世の中に出すための、道筋を見つけることに協力してほしいと、申し出たのだ。こうして、その翌日だったかに、その人の紹介で、ぼくは、地方都市の、ある出版社へと行き、そこを中継して、大都市にある、ある出版社へのルートを見出したのだった。そして、その週のうちに、ぼくは工場の仕事を休んで、思考言語の原稿をもって、大都市の出版社へと向かった。

 比較的小さなビルの、確か二階が、編集室だった。約束を取りつけていたので、すぐにお払い箱にはならず、編集者と話すことができた。しかし、この内容をアピールしたものの、あまり良い印象は得られなくて、自費出版する気持ちがあるかどうかを聞かれる。まあ、お払い箱になったということだ。一度、そのビルを出て、工場の支社のあるところへと向かったが、その支社が入っているビルの前で、かつて工場にいた人が、営業マンになっていて、仕事に出てゆくところに出会い、挨拶をして、ぼくはビル内の支社へは行かず、再び、出版社へと向かうことにした。何か、アピールする戦略を思いついたのだ。せっかく、ここまで来たのだから、もうすこし粘ってみようと考えていた。今度は編集長と対談することができた。出版の世界の現実というものを聞くことになった。遠まわしに、こんな本は売れないから、出版する意思はないということが感じ取れた。それらの話の中に、それより、小説の骨組みが簡単に出来るというのなら、そういうものを持ってくれば、出版してもよいのだが、と聞かされ、ああ、それはあります、と答えることになった。実は、極端に短い小説を、総ページにして200ページ以上分、作ってあったのだ。「クロッキー小説」と、ぼくが名づけているものだ。やがて、それらを出版社に送って、検討してもらうということで、そのときの話は、ひとつの結論を生み出すことになって、ぼくは、わずかながらも、満足感に浸って、そこを後にすることができたのだった。

 後日、そのクロッキー小説の束を送って、それからは、距離もあるので、電話で事情を聞くことにした。それに対する評価は悪くないらしく、工場で働かなくても、これからは小説を書くことが、きみの仕事になると、編集長は言った。そのときのぼくは、まだ若かったし、可能性はいくらでも広がっていると思っていた。

 そのあと、工場での工程で良品率を引き上げて、工場を立て直したことを、当時の工場長が自慢したとき、その上に立つ、ぼくに出版社への道をつけてくれた人が、それは一工員の成果であって、それまで何も成果をあげられなかった工場長が自慢することではないと反論したらしい。この屈辱の矛先が、ぼくへと向けられ、工場長はぼくに向かって、明日から、お前には仕事をさせてやらん、と言いきったのだ。そこでぼくは、そういうことなら、明日からは、もう、ここへきて仕事をする必要がないということですね、と言い、その工場から家へと戻った。こうして、この工場での仕事は、自分から辞めることになった。これからは「思考言語」を世の中に広めるために生きよう、と考えたのだった。とりあえずは貯金もあるし、出版の約束も出来ているのだから、小説を書き溜めればいいと、家も飛び出して、地方都市の片隅に潜み、思考言語の研究と、小説の制作に励むことにした。しかし、物語はここで急変し、実は、このあとバブルがはじけて、約束のあった出版社にも危機がおとずれ、その編集長が責任を取らされることになったのだ。ぼくは、その住処で一年を過ごした後、もう一度社会の歯車として組み込まれるために、仕事を探して、次の物語の舞台を得ることにした。このあと何年間かは、思考言語と小説のことは、引越しのダンボールの一つに、まとめて押し込んだままになった。

 次に得られた仕事は、地中を調べるという業務を中心にしていた。いろいろなものの建築現場の基盤となる地面を調べるというものだ。建築物はビルだけとは限らない。山の中に切り開く道路のこともあるし、山をくりぬくトンネルということもある。港湾施設のこともある。ぼくが多くの時間を使って担当したのは、地下発電所の地盤を調べるというものだった。これらの仕事へと、ぼくが向かってゆくことになったのには、いろいろなエピソードがかかわってくるが、ここでのテーマから外れてしまうので、適度に飛ばしてしまおう。ここでぼくは、しっかり勉強して、新しい技術を開発できるまでになり、その研究の成果を学会に発表するまでになった。これらの知識の学習というところで、思考言語の技法は、いくらか役立っていたのであるが、あくまで補助的なものであった。しかし、研究のためには、数多くの関連論文を読みこなさなければならない。日本語のものもあるが、次第に英語での論文を読む量が多くなっていった。このようなとき、現在の思考言語の技法へと結びつく、基礎がしっかりと固められたのだろう。何年も、こうして生きていたのだったが、この業界の、全体の様子が変わりだして、そこへ、この会社の経営陣のミスが重なり、会社が生き残るため、およそ1/3の人員がリストラされることになる。ぼくも、その中に入っていた。このあと、少し、都市での生活を続けられないかと、粘ったのだが、世の中全体がリストラブームで、ぼくの気力の源も次第に衰退していってしまった。

 田舎にもどったぼくは、以前とよく似た産業の仕事を得る。都市で往復三時間近く費やしていたのにたいして、ここでは30分ほどしか必要としない。ほとんど頭脳労働はやらないことになる。あまりの変化にとまどって、何か脳に刺激をと、数学の本を読み込んだりした。このような状況で、ぼくは、思考言語の資料がダンボール箱の中に眠っているのに気がついて、これらを取り出して、これについての研究を再開することにしたのだった。

 思考言語のアイディアのページにある、「思考言語のアイディア(1)~(8)」と「思考言語コアのスタニスワフ・レム作品への応用」にある資料は、この時代の産物である。しかし、まだ「黒月樹人のホームページ」は開設しておらず、これらの資料は、パンフレットのような形式でまとめられ、部屋の片隅にしまわれていただけだった。以前のように、これらの資料をまとめて、思考言語についての一冊の本へとまとめて、世の中に出そうとは思っていなかった。この時代に集中していたのは、むしろ「スポーツ解析」の研究のほうだった。しかし、これについて述べるのも、ここでのテーマから外れるので、これも略してしまおう。現在の思考言語の研究へとつながる物語の中に入ってくるのは、「天国にいちばん近い町」という名の小説であるが、これも、テーマから外れてしまう。まあ、物語の小道具としては、十分意味のあるものであるが、ぼくが、この小説のような世界から離れることになった、きっかけでもあり、目的でもあったものである。この小説を手がかりとして、なんだか、周囲の人間から見れば、明らかに失敗の部類に入るらしい、ぼくの生き方を変えてしまおうと思ったのだった。ぼくは独立して仕事を始めようとしたのだが、思うようには何も運ばなかった。すると、どんどん、活動のエネルギーが無くなってゆく。ぼくは何もすることがなくなって、仕方なく、ある工場で働くことになった。これまでで、もっとも単調な作業だった。また、毎日の身体的な負荷も大きく、拘束される時間も長かった。そして、収入も少ない。こんな生き方に、いったい何の意味があるのか。そう考えてしまわないように、ひたすら、目の前の作業に打ち込むことにした。

 朝礼のときに集まると、一人だけ目だって汚れた姿の男が目についた、なんとなく狐に似ている。靴や作業服に、銀色のペンキのようなものがついている。そして、時々は顔にも。どんな仕事をしているのかというと、製品をペンキのようなものへと浸し、そのしずくを振り落として、底や支持枝の部分を水で洗い落とすというものだった。この工場で、いちばん嫌われていそうな仕事だった。数日たった、朝礼のとき、その男の姿が見えなかった。そいつは昨日で辞めたらしい。そして、その仕事が、ぼくに回ってきたのだった。その作業を、どのように失敗したら、あのように銀色の汚れがつくのかということを、初日に身をもって学んでから、ぼくは、ほとんど失敗なく作業を続けることができるようになった。この仕事に慣れてゆくことで、自分が存在している意味というものを感じることができるようになってきた。作業は単純だが、わずかながら、職人技の入り込む余地があり、次の工程の人に喜ばれるように、限られた時間の中で、どのように工夫すれば、より良い作業となるのかということに集中した。この工場は、あまり機械化されておらず、作業の流れも、かなり混乱したままで、不良品も多く出るし、作業能率は上がらないし、これで、きちんと利益がでて、給料を支払ってもらえるのかと、心配しそうな状態だった。しかし、何かすることがあって、自分のしていることが、全体にとっても、後の工程にとっても、きちんと意味がある。これが、空っぽになっていた心の空洞を満たしてくれた。だが、この世界の仕事は、これまでにやってきた仕事とは、少し様子が違うようだった。何ヶ月か、ペンキのようなものに製品を浸す作業をやっていたが、ある日突然、違う作業へとまわされ、ぼくがやっていた仕事は、別の、言葉がほとんど通じない男がやることになった。そのときに、引継ぎのようなことはなく、ぼくが工夫してきた技術の数々は、まったく途絶えたままだった。ぼくのやってきたことは意味がないのだと、暗黙の言葉で言われたようなものだった。微妙な状況の日々が続いた。こんな状態になって、やっていることの充実感だけが支えだったのに、これがなくなってしまい、ぼくは、まさに、誰でもできるような作業を続けることになった。しかも、そのグループの中では、ぼくの仕事が、一番遅いのだ。やがて、ぼくは、こんな世界の、こんな状況で、自分自身の存在意義のようなものを、仕事に求めるなんて、意味がないと考えることにした。また、どんな仕事に回されようと、もう、この仕事をしなくてもよいと、相手から言われるまでは、粘って、ここに居座ってやろうと、考えることにした。やがて、仕事は毎日といっていいほど変わることになる。仕事の人員配置の、不足が生じたところに、ぼくがあてがわれるというパターンになっていたからだ。ぼくは、その状況を受け入れることにした。

 このような仕事が続いていた、あるとき、ぼくは、空っぽだったぼくの心が、あまり意味はないかもしれないが、何かで埋まりだしてきているということに気がついた。通勤の車の中、何ヶ月ぶりかで、CDの音楽を聴きたくなった。何か、ぼくにもできることがないか、この、最悪にも思える状況でも、これに何か働きかけて、することが、何かないのだろうか、と考え始めた。

 そして、ぼくは、インターネットの世界に飛び交っている「うわさ」の一つに注目することにした。それは、地球のマントルに「海」があるという、うわさだった。このうわさの出所を探しだして、そのオリジナル記事を詳しく読むことにした。ただし、それは英文だったので、辞書で単語をいくつも調べたが、慣れないので、これだけでは内容を読み違えてしまうかもしれないと考え、一文ずつ、日本語へと翻訳してみた。すると、マントルに空洞のようなものがあって、地中の「海」があるのではなく、地表での海の何倍かの水分が、固体のマントルの成分として含まれているということだった。空洞なんか無かったのだ。「うわさ」のウェブページは、これらの情報の、単語だけを読み取って、勝手に想像しているだけだと判断できた。そこで、ぼくに出来ることは何か。このようにして翻訳したニュース文を公開して、「うわさ」が根拠のないものだということを、判断できる情報を流すという戦略をとることにした。この戦略は、比較的穏便なもので、真っ向から、他のウェブページを攻撃したり、批判するメールを送ったりするのではなく、より多くの人々に、いずれの情報にも触れてもらい、その判断を仰ぐというものである。 ここから、黒月樹人のキメラミームのページが始まったのだった。

 これは純粋に、こんな戦略のもとに、ぼくが出来ることは何かと考えてやったことである。このようなページを公開してから、何日たったのかは忘れてしまったが、あるとき、「黒月樹人」の名前がグーグルで検索できることに気がついた。ぼくが「黒月樹人のホームページ」を立ち上げてから、半年以上は経過していた。何か手違いがあったのかもしないが、ホームページというものは、立ち上げたからといって、直ちに検索エンジンへと登録されるわけではないと、ぼくは、ずうっと思っていた。今でも、そう思っている。でも、それ以来、「黒月樹人のホームページ」の中の、幾つかのページが、少しずつ拾われるようになっていった。そして、ぼくが調子づいたのは、「天国にいちばん近い町」の中で、小説への異化操作のため、どこにもないような単語をたくさん造語してあったのが、検索用語としてチェックされていたことだった。このような造語は、他に類似する表現がない場合、これで検索したとき、直ちに黒月樹人の該当ページが現れる。ああ、こんなものでも、認められているのだ。誰もチェックしないかもしれないけれど、存在しているのだ。どちらも現実世界には違いなかったが、昼間の仕事では、ぼくの存在は、あってもなくても、どうでもいいようなものだった。ただ単に、自分の側で必要な生活費を得るために、その仕事を続けているに過ぎなかった。しかし、まったく、趣味とかボランティアのことではあるが、夜に開くコンピュータの、少しバーチャル気味の世界では、ぼくの作ったページが認められているし、生み出した造語の幾つかが、飛び跳ねているのだ。ぼくは、救われたような気がした。たとえ、他に読む人がいなくても、少なくともグーグルの担当者は、仕事上、チェックするために読んでくれるわけだ。そう考え、顔も姿も知らない相手を想定して、何か新しいページは作れないだろうか、と考えるようになった。

 仕事を終えて、帰りにコンビニに立ち寄らなくなった。これまではビールやウィスキーを買っていた。それだけが生活のうるおいのように思えていたのだ。だが、そんな必要はなくなり始めていた。仕事はあいかわらず空しくて疲れるものだったが、九時ごろの遅い夕飯でビールなどを飲んでしまい、そのまま眠ってしまうのが嫌になってきたのだ。昼の休憩時間以外は、ずうっと立ちっぱなしのため、夜にコンピュータを立ち上げても、足や腰が苦しいため、座っているのが苦痛になるような状態だった。それでもぼくは、翻訳して公開すれば、人々の誤解が解けたり、意識が変わったりするような、英文の記事を探しては翻訳して、かんたんなコメントを添え、新たなページを立ち上げた。やがて、これらのコメントを豊かにするため、ぼくは本を読むようになった。自分の蔵書だけでなく、図書館で探して借りてきた本からの知識を使って、ページをまとめたこともある。その次には、今問題としていることのテーマに関連していそうな本を、アマゾンなどでチェックして購入し、それを読むようになった。やりたいことが、どんどん増えてゆく。しかし、日常の仕事に長時間束縛される状態は続いた。睡眠時間を少し削って、午前1時まで粘ったり、さっさと眠ってしまい、早朝に起きて、これらの作業を行ったりもした。休日は日曜日だけだったが、土曜日の夜は、日曜の明け方まで起きていられることが、いかにも幸せだと思えた。少し中毒気味ではあったが、これらの活動のおかげで、もう何もすることがないとか、何のために生きているのかとか、こんな答えのない問いを、何度も何度も、いつまでも問い続けるというようなこととは、ほとんど無縁になってきた。

このころの状況が、「黒月樹人のホームページの案内」に書き足した部分に、簡潔にまとめられている。少し引用してみよう。

 

あるとき、私でもできることが何かないだろうかと思って、インターネットの世界に巣食う「迷いごと」の幾つかに注目することにした。その最初がMICHAEL WYSESSION 研究ニュースにおける誤解」の解説文だったと思う。それから、他の「迷いごと」を調べてゆくと、それらの源が英文プラウダの記事にあることが分かり、それらの幾つかを詳しく読むために、日本語へと翻訳して、これについての解説を加えるようにした。こんな流れで「英文プラウダをチェックしていたら... のページも加わったわけだ。しかし、ここに記された記事の内容はショックなもので、ああ、プラウダの記者たちは、このことがトラウマになって、いろいろな「迷いごと」の記事を書いていたのかもしれないなと思った。私も、これは大変だ、いつまでも「眠ったまま」生き続けていてはいられないぞ、 いったいどうしたらいいのだろうと考えてしまうことになる。そして、過去何回かの引越しの危機をくぐりぬけてきた書籍の何冊かを読み出し、それらをヒント にして、私にも何かできることがあるのではないかと思い、私なりの「なすべきこと」をページとしてまとめることにしたのである。それは謎解きであったり、 幻のような知識の編纂であったり、疑問のスパークであったりするのだが、まあ、このような成り行きで「キメラミームのページ」が生まれたのである。「キメラミーム」とは私の造語であるが、正確な定義はまだ書いていない。それは、このページがまだ変化中なので、決めようがないからだ。ここに書き加えたいペー ジについてのアイディアが、また湧いてきたぞ。さあ、そっちのほうの文書やイラストを生み出すことに、貴重な時間を振り向けることにしよう。

 

 そして、ぼくは「ハトホルの書」という本にめぐり合った。

この本を読んで、以前から持っていた「ゾクチェンの教え」と「ハトホルからのメッセージ」の関係に気がついた。ぼくは、これらの内容が、よく似ているはずだという仮説を検証しようと思い立ち、このような作業のために、以前開発してあった思考言語コアを利用すれば、うまくいくはずだ、と考えた。

これは五月の連休の少し前だった。工場での休みは、わずか三日ばかり。その前日、仕事に行くと、たいした仕事は準備されておらず、ぼくは、新しく作業する人に、手順を教えるという仕事をまかされた。人に何かを教えるというのは、得意なことの一つだった。ぼくは、ていねいに、それをやり遂げ、仕上げるべき製品もなくなってきたので、午前中で早退することにした。

 家に帰って、さっそく、「ハトホルの書」と「ゾクチェンの教え」の、重要だと思われる内容を、思考言語コアでまとめる作業にとりかかった。ぼくは、キーボードを打ち続けた。これらの作業にまるまる二日かかった。そして、これらの思考言語コアでまとめられた要点を眺めつつ、ぼくは「ゾクチェンの教えとハトホルからのメッセージ」を、最後の一日でまとめ、これを新しいページにして、黒月樹人のホームページに収録した。この日の作業は、丸々の一日を必要とはしなかった。

 この「ゾクチェンの教えとハトホルからのメッセージ」の最後に付けた、自分自身の感想のような記述部分で、ぼくは、このように感じていた。これも、引用しておこう。

 

 私が、ここの部分を読んで驚いたことがある。それは、ここに書かれている「いまだ問われざる問い」の内容のことなのだが、「この状況で少しでもよい結果をもたらすために、私にできることは何か」と私が考えたのは、このことが書かれている本を手に入れる、何ヶ月も前のことで、それは「黒月樹人のホームページの案内」に書いてあるように、「MICHAEL WYSESSION の研究ニュースにおける誤解」を書こうと思ったときだったのだ。

それから、私に、どんな「奇跡」が起こったのかは、まだ良く分からないが、少なくとも、永い「うつ状態」からは抜け出すことができ、こうして、生活のための仕事を続けながらも、何らかの創作活動にうちこむことができ、かなり、楽観的で、ポジティブで、おだやかな心をもって、こんなものも書いていられるわけだ。まだまだ技法はつたないけれど、これを読んでくれた人にも、「少しでも良い影響」がおよびますようにと思って。

ほんとうは、これらのことを、感覚的に感じ取れるような小説なり物語なりを書ければよいのだが、それには、まだまだ力不足だし、それでは、いろいろなことに間にあわないかもしれないし。

 

三日半の作業を終えて、ぼくは、満足感に満たされて、ゆっくりと眠った。

 連休明けの翌日、工場に行き、仕事を始めると、ぼくは異変に気づいた。

 右腕が動かしにくいのだ。この工場で、ぼくがまかされた仕事は、この右腕を酷使する。仕事の内容そのものよりも、単位時間あたりの作業数のほうが問われる仕事だった。あちこちにある、極端に単調な仕事だけを、やらされることになっていた。主となる作業者の負担を減らすための仕事だった。それを何ヶ月も続けたうえに、この三日半は、ほとんど右手でキーボードを打ち続けたのだ。右手は、力が出ないだけでなく、腕の自重にさからって、上のほうへと持ち上げられなくなっていた。何も問題がない左手で右手を支えて、肩より上へと持ち上げることはできて、痛みを伴わなかったので、肩の障害ではなかった。右肩の筋肉も硬くなっている。単なる筋肉痛かもしれないし、ひょっとしたら神経痛かもしれない。ともあれ、作業は、ほとんど左手だけでしか、できなかった。これでは、時給に見合った作業量はこなせない。そんなことを他の人から言われたわけではないが、右手を肩からぶらりと下げたままで作業し続けるのは、心苦しいし。何とか右手も使って作業するのは、苦痛だった。ぼくは、右手が動かせないことを告げて、早退することにした。

 この日はもう、帰ってから何もしなかった。ただ横たわって、この右腕を休ませることにした。翌日、ぼくは、右肩の筋肉の張りがなくなりかけていることに気がついた。これで筋肉痛はなくなっていそうだった。しかし、右腕は、やはり動かせないままだった。夕方、ぼくは、片手で車のハンドルを握り、工場へと出向いて、この腕の状況は、かなりおかしいので、おそらくリハビリの期間も必要となるかもしれないため、しばらく、この仕事を休みたいと、工場長に告げた。左手は動くのですが、ここで無理をして、左手も同じように動かなくなったら、大変ですから、と言って。

 右手をほとんど持ち上げることができず、食事も大変だったし、風呂で体を洗うのも、ひと苦労だった。田舎町の病院へと出かけて、診療してもらうが、整形外科の病院へと行くようにと言われてしまう。そして、いちばん近い整形外科の病院の、電話番号と所在地を教えてもらい、そちらへと、片手ハンドルの運転で向かう。何十人もの患者が、リハビリのためにうろうろしている。診察前にレントゲンをとるというが、それは断わる。骨に異常が無いことは、自分でも分かるからだ。しかし、結局、医者に診察してもらい、神経を骨が圧迫しているかもしれないというので、レントゲン写真を十数枚取られ、その画像をもとに判断が下された。首の骨のところに、間接の隙間の狭いところが一つあって、そこから出ている神経が圧迫されて、右肩の中の、小さな、名前も分からないような、一部の筋肉だけが、神経からの信号を受け取れなくなっているということらしい。やはり、神経痛だった。このあと、リハビリへとまわされ、首から肩へかけての部分を赤外線で暖めてから、電気を掛けてもらい、最後に、ゴムや軽いダンベルを使った補強運動を指導してもらう。わずか五百グラムのダンベルが、自由に持ち上げられない。ゴムを引っ張る運動をいろいろやって、簡単にできる動作と、まったくできない動作とがあり、この、できない運動を覚えて帰り、家でもトレーニングするようにと指導される。最後に料金を支払って、次の診察日を確認したら、痛みが続く間は、リハビリのために来ればよいという。歯医者のように、診察やリハビリの予約を入れておく必要はないらしい。

 これらの医者の診断を受けたとき、そんなに早く治らなくてもかまいません、もし、このまま右手が動かせないとしたら、それなりの仕事を探しますから、と言って、医者を笑わせた。実際、それはジョークではなく、半分以上は、本当の気持ちだったのだ。

 翌日からぼくは、ゆっくり体を休めながら、読めずに置いておいた本を取り出し、左手でページを繰りながら読み始めた。右手の指は、自由にうごかせたが、腕そのものの自重にさからって、それらの指をもっている手を、キーボードの上に浮かせるのは難しかったので、ぼくは左手でキーボードを打つことにした。ペースはあがらないが、ペースを上げる必要もなかった。こうして、ぼくは、読みたかった本を、十分な時間をかけて、ゆっくり読むことができるようになった。

 ぼくは、また、インターネットの世界にある、「うわさ」の幾つかに、メスを入れることにした。そのような、手ごろな「うわさ」を探すことにした。ぼくの能力を生かすためには、できれば、理科系の分野のものがよいと考えた。最初にとりくんだのは、「五時元時空なんて、どこにある?」のページだった。アマゾンで調べて、「リサ・ランドール 異次元は存在する」(NHK出版)を購入してあったので、これを読んだ感想のようなものをまとめた。これは100ページに満たない、まるでパンフレットのような本だった。そして、すぐに、地方都市にあるデパートに入っている本屋の書棚に「ワープする宇宙」(NHK出版)という、リサ・ランドールの本があり、これを購入した。600ページを超える本だった。使用されている紙も、こころもち薄い。これを読みきるのには五日を要した。そして、「五時元時空なんて、どこにある?」のページに追記を加えた。ここで取り上げた、次元についての疑問は、まだ、あまり展開していない。考えたいこともあるし、書きたいこともある。しかし、まだ、うまくまとめられないので、このテーマは、途中で止めたままになっている。この他にも、テーマだけ掲げて、途中のまま置いてあるものが幾つかある。少し創作ノートもできているのが、「意識は潜水服の中? それとも、宇宙服の中?」というもの。頭の中に、ぼんやりとした創作ノートの原型はあるものの、実際の創作ノートは、タイトルだけのもの。ちなみに、それらのタイトルは、「オクターブの宇宙」(これがまとまったら「五時元空間なんて、どこにある?」の後に並ぶことになる)、「光る銀河系のようにも見えるというエネルギー体としての人間」(これは「意識は潜水服の中?...」と競ってしまうかもしれない)、「人間は地球より古いのか?」、「星にも意識があるのか?」などである。これらは、きっと、興味をもって読めるものになるだろう。しかし、これに向ける時間は、まだ見出せそうにない。これらに優先するテーマを見出したからだった。

 最初に構成したページのタイトルは「エーテルとマイケルソン・モーリーの実験とアインシュタインの特殊相対性理論の謎」という、欲張ったものである。しかし、このページのテーマは、ほとんど「マイケルソン・モーリーの実験」であり、そのための導入として「エーテル」のことを語っている。タイトルにおける「アインシュタインの特殊相対性理論の謎」の部分に対応する内容は、「アインシュタインの特殊相対性理論の問題点」から始まる、一連のページで展開している。そして、今書いている、この文章のテーマである「思考言語」に強く結びつくのが、この「アインシュタインの特殊相対性理論の問題点」である。

 詳しい論点をここで述べるのは控えたいが、このページで述べようとしていることは、アインシュタインの特殊相対性理論の、原論文には、論理的に誤っているとしか考えられない部分があるということである。そして、それが何故間違っているかということが分かったのかというと、思考言語コアを使って、非常にゆっくりとしたペースで、アインシュタインの原論文を読み進めていくことにより、原論文の地の文だけでなく、組み込まれた式についての、奥に潜められた意味構造を確認していったからである。ぼくは、このような操作を一言で、「深読みすると」と記した。アインシュタインの原論文の、わずか数ページを読み進めるのに、このページの原稿では、A4用紙への構成で、二十数ページを費やしている。これは、思考言語コアをところどころで用いながらの、ほぼ自然言語での記述である。しかし、これに先行して、原論文の内容を分析した、創作ノートがあったのだ。ただし、それはボールペンを使って書いた、手書きのノートである。右腕が思うように動かせなかったので、キーボードを使いたくなかったのだ。文字は右手で書いたが、リハビリ過程の文字なので、まさしくミミズが這っているようなものだ。しかし、それでも効果は、きちんとあって、誤りについての本質的な構造を明らかにしている。ぼくは、思考言語コアの、このような能力について、これまで何も気がつかず、可能性についてのメモをページにまとめて、「思考言語のアイディア」のページに、放り込んでいただけだったのだ。このころの、心理的な感想を、ぼくは「黒月樹人のホームページの案内」に、追記として書き加えている。このような内容だ。

 

ここのところ、キメラミームのページに加えるテーマが幾つかあって、それを新しいページとしてまとめている。私なりに「なすべきこと」の樹木の何本かが、苗木として植えられたというところかな。その一本目は、「ゾクチェン」についての分析である。ひょっとしたら、いつか何処かで学んでいたのかもしれないとも思ってしまう。二本目は「アインシュタインの理論など」にかかわること。これについては、疑問を投げかける本が多数出されているが、それらでは見逃されていたかもしれないことに気がつくようになったので、幾つかまとめてみた。テーマも難しいし、分析のためのページ数も大きくなっている。また、これらの分析のために用いた「思考言語コア」の効果に、自分でも驚くことになった。この「思考言語コア」の発展と普及について、もう一度エネルギーを向けるということを三本目としたい。

 

 ところが、ちょうどこのころ、ぼくに新たな災難が降りかかった。右腕はまだ肩からぶら下がったままだというのに、右手にボールペンを握らせて、ぐちゃぐちゃと文字を書かせ続けたためか、肩の奥の神経の叫びが、別の神経へと飛び火して(それは、ひょっとすると、神経細胞どうしによるテレパシーかもしれない)、差し歯になっている上前歯の奥が、突然腫れて、一日か二日のうちに高熱も出て、ほとんど動けない状態になってしまったのだ。それは週末のことで、病院へと向かうわけにもいかず、やむなく氷で冷やして、横たわっていることぐらいしかできなかった。氷で冷やしすぎたためか、口の周りだけでなく、目の周囲まで腫れあがり、この顔に比べたら、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる妖怪のほうが、より知性のある、まともな顔に思えた。まったくむちゃくちゃな顔だった。こんなのは人間の顔ではない。とても、こんな顔では外出はできないと、思った。氷で冷やしすぎたのが悪かったのかと、氷を使わず、水を絞ったタオルを顔にかぶせて、その水の気化熱で、おだやかに熱をとることにした。平熱が三十五度台のぼくが、三十九度台の熱を出しているのだ。これは苦しい。なんとか数日で熱は下がりだしたものの、歯の根元は、まだ膿を蓄えたままだった。液体の歯磨き剤を買ってきて、これでこまめに消毒した。

 「アインシュタインの特殊相対性理論の問題点」というページは、このような状況で、かろうじて熱が三十七度くらいに下がって、起き上がることができたため、まとめられたものだった。べつに原稿として締め切りがあったわけではない。誰かにせかされていたわけでもない。それでも、何かやらなければ、と考えたのだった。ここまで本格的な病気になりたいと願ったわけではなかった。本も読めず、新しいページを生み出すこともできず、ただ、熱が引き、体の中の免疫系が何かの菌と戦って、戦況が好転するのを待つだけの日々を送らなければならないなんて、まったく無駄な時間だ。しかし、こうなってしまったのだからしかたがない。ぼくは苦笑いをした。こんなことが「奇跡」だというのだろうか。長いうつ状態から抜け出せたことで、「奇跡」の貯金は使い果たしたのではなかったのだろうか。そうも考えた。だが、ぼくの「奇跡」の貯金額は、ぼくが思っている以上に高額だったようだ。実際の、銀行に預けてある貯金額は、みじめなくらい少なくなってきているというのに。そして、生活を支えるための仕事には行けず、アルバイト扱いだったので、どこからも何の手当ても得られずにいる。本格的な病気として、入院とかして、日々の治療費が必要ではないという点ぐらいが、救いになっているだけだった。

 熱も顔の腫れも引いて、なんとか外出できるようになった、ある日のこと、ぼくは、「アインシュタインの特殊相対性理論の問題点」などの原稿をもって、工場で働いていた間、時間が取れなくて、おしゃべりしに行けなかった知人のところへと行き、この「問題点」の内容を説明した。すると、その知人は、じゃあ、どこかに投稿してみたらどうか、と言うではないか。ホームページで公開するということと、正式な書物なり雑誌なりの形式で出版するというのでは、まだまだ違いがある。せっかく、こんなことに気がついたのだから、何か、次の行動へと突き進むべきだというわけだ。ああ、もし、そんなことにチャレンジして、それが、かなったとしたら、どんなにすばらしいことだろうか。そんなことが起こったら、それこそ本当の「奇跡」だ。ぼくは、「奇跡」という言葉の意味が分かりかけてきた。そして、これは挑戦する価値のあることだと思えた。

 さっそくぼくは、次の行動へと移った。まず、投稿のための、正式な原稿のスタイルに修正した。しかし、これは、どうやら長すぎるようだ。狙った投稿先の、投稿に関する案内のパンフレットをインターネットで調べて、取り込み、印刷して、それを読んだ。これは日本語だったが、必要な情報は、ここには書いてなくて、その情報があるサイトのURLが載っているだけだった。しかし、これで道筋はつながっている。ぼくは、それらの情報にたどり着き、プリントアウトして、それを読み込んだ。それは英文だった。辞書を使って、単語をいくつも調べた。ようやく、投稿の条件となっているページ数や、その他の注意点の情報が得られ、ぼくは原稿を推敲しなおすことにした。日本語の原稿と、英語の原稿の両方について。およそ、半分くらいになって、論旨の流れが、かえって分かりやすくなった。ホームページでは手書きの図を使っていたが、それらもデジタルで描き直して、文字や数字も、ワードで作ってから、貼りこんだ。最後に、案内状と、著者についての情報をまとめたものを作り、これを投稿することにした。当方はオンライン投稿を強く勧めていたが、何故だかわからないが、そのためのサイトが、どうしても開けなかったので、古典的な、郵送による投稿という形式をとった。これは、まだ反応がない。すでに三週間経過しているので、最初の段階でボツにはなっていないだろう。まだ査読中なのかもしれないし、議論中なのかもしれない。とにかく、この、ぼくが書いた論文の内容を、正式に認めるということは、いろいろな面で大問題だからだ。ぼくは自信がある。論旨は間違っていないし、これまで見逃されていた理由も分かる。それが、ぼくにだけ分かったのは、ぼくが思考言語コアを開発していて、それを使ったからだ。そう思う。このあたりの状況について、「黒月樹人のホームページの案内」では、このように記している。

 

この一ヶ月は論文を書いていた。日本語でなら一日で書けるものでも、英語で表現しようとすると、一週間とか二週間とか必要になる。作っては印刷して、それを読み込み、削ったり書き加えたり、文法や用法の誤りの修正を何度も繰り返して、なんとかゴールへと向かおうとするのだが、ゴールははるかかなたに見えるままだった。少しぐらいのミスがあっても、本筋は間違っていないのだから、これくらいで決断しよう。それが一つ目。二つ目の論文は、作ったものの、まだ手元においてある。さらに、三つ目の論文の構想もあり、それの資料はなんとか手に入れたものの、分析や解析の作業には、まだ入っていない。少し息抜きにと、「ゾクチェンの教えとハトホルからのメッセージ」のページを英訳してホームページに加えた。かなり内容が難しくなってきたので、海外の読者層を開拓しようと考えているのだ。この流れで、「思考言語コアの創作効果について」というページの草案をまとめている。できれば、これも英訳したい。これらは私の「神変」なのだろうか。今年に入って順に書き上げてきた、キメラミームのページに収録されているものの内容が、どんどん変化してきている。もう、今では書きたいものがまったく違っている。これまでの読者のみなさん、あしからず。

 

 ひょっとしたら、「奇跡」の貯金は、投稿のための精神的なエネルギー代にあてがわれてなくなってしまうものではなく、その元本の多くは、「思考言語コア」が、この世界に及ぼす効果のために残されているのかもしれないと、ぼくは考えるようになった。

 ぼくは、これまでウェブページの形式でのみ作ってきた、「思考言語のアイディア」にある多くのページに、PDFページへのリンクをつけ始めた。

 そして、アインシュタインの特殊相対性理論の原論文に、根源的な誤りを見つけたことから派生する、これからの変化に備えて、このこととかかわる、当時の著名な論文の幾つかを、原論文か、その英訳の文章で読み、その内容を正確に判断するため、できるだけ正確に、つまり、意訳をさけて、もとの表現が理解できつつ、日本語でも理解できるような、逐語訳とも言われているような日本語へと翻訳することにしたのだった。アインシュタインはスイス人だったらしいが、原論文などは、ドイツ語で書いていたようだ。なるほど、スイスの公用語はドイツ語か。この時代の関連する科学者の中で、ローレンツは「オランダ人物理学者」らしいが、ミンコフスキーは「ロシア生まれのユダヤ系ドイツ人数学者」とある。しかし、ローレンツの原論文の中には、ドイツ語らしきものがある。ドイツ語から英語へと翻訳された文章のなかには、複雑に入り組んだものが多々ある。これと同じように、日本語で、長い文章を考えてから、それを英語へと翻訳すると、同じように複雑な文章が生まれる。これらの現象は、英語が、主語や動詞や目的語などの語順を守ろうとするのに対して、日本語やドイツ語は、単語の格としての機能が使いやすくなっていて、さほど語順にとらわれずに、文を組み上げることができるということから、生じたことのようだ。このような格の機能が、もっと分化しているのはロシア語かな。これらの格の変化は、学習するには労も多いが、ネイティブに使える人たちにとっては、便利な機能に違いない。なぜかというと、伝えたいことのイメージがあったとき、それらの全体像を把握してから、言葉や、その語順を決めなくても、細かい部分に注目しつつ、それに対応した、単語ごとの変化だけを考えて、文を作ってゆけるからだ。しかし、こうして、できあがった文というものは、時として、全体の意味が理解しにくいものになってしまう。

 「思考言語コア」と名づけた言語体系では、表現の複雑さや微妙さを追求しない。向かうべき目標は、これらとは逆のところにあって、表現の簡単さと、おおまかさである。このようにとらえることによって、思考の骨組みあるいは核(CORE)を見やすくしようと考えたからである。

 この思考言語のアイディアをスタートさせたころは、文字記号の濃縮性を追及しようとしたことがある。しかし、その点に関しては、中国語にはかなわない。何万種類とも何十万種類ともいわれる漢字の一つ一つは、原則として、全角一こまの中に、一文字ずつ書かれ、その一文字の中に、多様な意味が濃縮されている。日本語の中にも漢字がとりこまれており、この漢字の能力については、日本人は良く知っている。しかし、本家の中国語を眺めると、あまりに漢字ばかりが並んでおり、それらの漢字の意味に慣れているものでないと、単なる模様のように見えてしまう。かつて、一緒に仕事をしていた中国人のプログラマーが、中国語や英語よりも、日本語のほうが、情報を読みとりやすいからといって、日本の新聞をよく読んでいた。

 思考言語コアの語順については、英語や中国語の、SVOやSVOCをモデルとしている。主語や目的語、あるいは補語といった「対象語」の間に、動詞や接続詞や前置詞といった「関係語」を置いたほうが、より複雑で大きな構造の、電気配線図のような、意味の関係図を組み上げることができるからである。

 最近ぼくは、「思考言語のアイディア」のページに、現時点での、思考言語コアの文法的な知識をまとめたものや、思考言語コアの効果について論じたものを書き加えている。しかも、日本語でまとめてから英語へと翻訳する方法から、直接英語で論じてゆく方法に変えてきている。「思考言語コア」を、新たな発明品として、世界中で使ってほしいからである。おそらく、「思考言語コア」は、そのような能力が備わってきたと思えるし、そのことが理解できた人なら、駅前教育とか通信教育とかの、めんどうな手続きをやらなくても、膨大な辞書や、格変化の一覧表を、手元に置いておかなくても、少しずつ、例えば、接続詞について、[or]のように囲うだけでも、関係語のシンボルである、尻尾――と嘴や、斜線/を、それぞれの単語に書き加えるだけでも、思考言語コアの効果は実感できることだろう。

 今や、思考言語コアで用いる記号は、とても少なくなっている。それはまるで、自然言語を生物とみなしたときの、生物と無機物の境界で存在しつつ、いったん生物に寄生したときには、あたかも生物であるかのようにふるまう、ウィルスに、よく似ている。ウィルスは病気をもたらすだけではなく、ときとして、生物を進化させることがある。このことにも、よく似ている。思考言語コアは、尻尾や嘴や斜線、あるいは各種の括弧を持ってはいるが、それだけでは無機的な記号であるだけだ。しかし、ひとたび、それが自然言語に感染して、それぞれの位置にうまくおさまり、コア記号としての繁殖を続けると、まったく異なる言語が生まれるのである。ところが、思考のもとにあった、何らかのイメージに、どちらのほうが、より近いかというと、数々の自然言語ではなくて、おそらくは、思考言語コアの感染を許して、まったく新しい言語へと変化したもののほうであろう。

 そして、次なるステージは、自然言語だけで思考するのではなく、思考のイメージの原像を構成するときから、すでに思考言語コアを用いるということだ。それが、どれだけ使いやすいものであるかということは、この方法に慣れてみれば、すぐに分かるはずである。あらゆる思考で、そうすべきだと考える必要はない。ごく基本的なところや、逆に、あまりに複雑なところだけでよい。自然言語での記述に比べて、記述のためのスペースの少なさや、意味の分かりやすさが、やればやるほど、わかってくるだろう。

 これとは別の発展プロセスがある。それは、一つの思考を、より多くの、複数の人間で共有しながら、構成することができるようになるということである。それは、まるで、黒板に書かれた物理学や数学の理論式や、その計算過程について、何人かで議論をしているような物語にたとえることができる。思考言語コアを用いれば、一般的な思考の多くを、それが何かの公式であるかのように見なすことができて、意味としての、全体構造の、あちこちの要素を置き換えたり、構造そのものを組み立て直したりして、検討することができるようになるのだ。

 おまけに、思考言語コアにおける、コア記号の感染を許した言語は、ほぼ単語の単位か、少しばかりの単語の組み合わせを一単位として、コア記号によって分断されるから、これらの単位ごとに、他の言語へと変換するのが、驚くほど容易になる。それぞれの自然言語の中間に、変換媒体としての、あるいは、中継ステーションのような、思考言語コアによる表現を置くことによって、少なくとも地球上の、多くの言語は、たやすく、意味内容を交換し合える。このような変換ソフトをつくるのは、自然言語どうしの変換ソフトをつくることに比べたら、かなりたやすいことだろう。例えば、四種の自然言語があったとしよう。それらを四角形の四つの頂点に置く。これまでの、自然言語どうしの翻訳ということを考えると、四つの辺に対応するソフトだけでなく、対角線に対応するソフトも必要となる。合計すると6である。これに対して、各自然言語の中間媒体として、思考言語コアを置くときのイメージは、四つの点の中心に、中間媒体の点があり、四つの点から中心の点へ向けて、一本ずつの線を引くだけである。自然言語の数がnであるとき、この線に対応するソフトの数はnのままである。少し違うかもしれない。このモデルでは、単語の変換というソフトのことを無視している。この操作は、あまりに簡単なものであるからだ。

 このような状況が進んでゆくと、思考言語コアに感染された言語のまま、自然言語に代わって、いろいろな文が記述されるようになるだろう。そのほうが、思考のための精神的なエネルギーや、それを理解するときの、やはり精神的なエネルギーの、それぞれの経済性のために、大きな利得が生じるからである。

 こんな論文のような作品をつくるつもりではなかったのだが、ついつい、抽象的な議論へと進んでしまう。

最後に、この「思考言語の夢」が、どのようにかなってゆくのかというプロセスを象徴する文章をまとめておこう。それは、現時点における、思考言語コアの使用の手引きである。原文は、英語で直接書き進んでいったものであるが、これまでの文章の流れにより、主な解説文のところを日本語へと翻訳しておこう。

 

英語でのコア(CORE)の使い方 

                     黒月樹人 KINOHITO KULOTSUKI, treeman9621.com

 

 コアとは思考言語のシステムのことである。コア(CORE)は略語でも頭文字語でもなく、本来、私の古い友達のニックネームであって、それは、シリウスやネズミのアルジャーノンほどではないが、高い知能をもった、雌の雑種の犬の名前だった。

 仮に一人の人間がコアを使えば、たやすく思考をプログラムすることができるかもしれない。コアの形式は、使い古された自然言語とは異なる。コアは宇宙の言語のように見える。しかし、そのような形式の言語の文字をSF映画で見たことはない。コアはコンピュータ言語や数学の形式のほうに似ている。

 英語でのコアの使い方を話そうとしていたことを忘れていた。

 英語でのコアは、次のような記号をもったウィルスとして振舞う。

 “—>”, ”< >”, ”( ) ”, ”[ ]”, “/ /”, “->>”, “->  >  ”, “*”, “$”, “@”, “”, “X”, “L”, ….

 コアは主に自然言語から「対象語」や「関係語」を選び出す。さらにコアは、補助するために判断して「状況語」や「接続語」を選びだす。「状況語」とは「対象語」の一種で、「接続語」は「関係語」の一種である。

 H.ミンコフスキーの「空間と時間」からの、例文(次のゴシック文字)を使って説明することにしよう。

  We will try to visualize the state of things by the graphic method.

  コアの記号がこの文に侵入する。

We --will try> $--visualize> the state of things /by/ the graphic method []  

  この変態において、We the state of thingsは対象語である。コアでは「語」という言葉を「文節」や「句」や「文」に対しても用いることがある。--will try> --visualize>は関係語である。/by /the graphic methodが状況語である。ここで、/by /は「状況関係語」で the graphic methodは「状況対象語」である。仮にこの状況語が文の中ほどにあった場合は、 ……/by /the graphic method / …とする。$を「自由代名詞」と呼ぶ。$は幾つかの代名詞の代わりとして自由に使われる。ここでは $は、“we” の役目を果たしている。 [] はコアにおける文末記号である。

 次の例に移ろう。

  Let x, y, z be rectangular co-ordinates for space, and let t denote time.

この文はコアのウィルスに感染する。

  $-->> x, y, z <> rectangular co-ordinates /for/ space

[and] $-->> t --denote> time []

  この病変で、$-->> “let” を意味し、-->>とは、使役動詞としての「強い作用」を意味する。 <> <be>である。 <> は「双方向の関係語」で、「互いに」という意味を含んでいる。<>の古い形式は --<>--であるが、二つの対象語が離れているときには有効である。[and]は接続語である。実を言うと[,] [and] [and]に変わっている。仮に “and” がなくて、“,” だけのときは、[,]が残る。[,]は、はっきりした意味をもたない、弱い接続語である。これに対して、[and]は並接とか連言という、はっきりした意味をもつ。

 他の例を対象としよう。

  The objects of our perception invariably include places and times in combination.

  コアはこの甘みを味わう。

  The objects (our perception)

-- (invariably) include> places & times

 /in/ combination []

The objects (our perception)は数学の関数f(x)に由来する。他の形式の -- (invariably) include>も、ほぼ同じ考えである。

  関係語は次のような階層順位をもっている。A[&]B, A<&>B, A/&/B, A&B.

  コアの、この表現では、三行に分かれている。この形式はコンピュータのプログラミング言語の PASCAL C++ に由来している。理解しやすいからである。かつて、紙や羊皮紙は貴重で、粘土板はかさばり、レリーフのための岩面は限られていたが、今や、コンピュータの仮想用紙は、とても安く、かつ、使いやすいものになっている。かくして、コアは、自然言語からコンピュータプログラムの言語へと進化する。

 次の例を書こう。

  Nobody has ever noticed a place except at a time, or a time except at a place.

  これをコアで書く。を人の意味で用いることがある。

 X --has (ever) noticed> a place /X at/ a time

[or] a time /X at/ a place []

  私は否定の記号を Xではなくとするほうが好きであるが、これは否定的なイメージをもった、相撲の黒星である。

  --has (ever) noticed> a place / at/ a time

[or] a time / at/ a place []

  強い印象がある。しかし Xを使ってもよい。

  に関連して、肯定の記号は ”, “”, “G(good) Y(yes)である。

  コアでは @で場所を示し、☆で時間を示している。上のコア表現は、次の形式へと変わる。

  --has (ever) noticed> a place /

[or] a time /@ []

まだ説明していないのは “->  >  ”, “*”, “L” である。

  例がある。

  But I still respect the dogma that both space and time have independent significance.

  Lをこの例で使う。

  [But] I --still respect> the dogma

L both space and time

 --have> independent significance []

  L the dogma を関係づける。は抽象関係語であり “that”, “which”, “what” などの代わりをする。は文などを意味したり、その代わりをする。 $は単語の代わりをする。

他の例がある。

A point of space at a point of time, that is, a system of values x, y, z, t, I will call a world-point.

  * ->  >  をここで使う。

  A point of space /at/ a point of time

  [that is] a system of values *a

*a <> x, y, z, t

 I --will call> *a > a world-point []

  *はコアにおける注釈記号である。仮に文字に *が付いていると、その文字は何らかの意味を持っていることになる。*a の定義の方法にはいろいろある。

*a x, y, z, t  (日本語の形式)

*a { x, y, z, t }

  *a : x, y, z, t  

x, y, z, t (<>*a)

x, y, z, t ( : *a)

{ x, y, z, t } *a

  “A --do> B > C” が意味するのは “A do B to C”, “A do B for C”, “A do B as C” などである。

  最初の式 A --do> B > C “A mother takes a doll to a daughter” から来ていて A mother --take> a doll > a daughterと書かれる。コアでは、三人称現在形の “s” は無視されることが多い。コアにとっては意味がないからである。しかし、残っていてもかまわない。

 コアは縦書きにはなじみにくい。首が曲がってしまう。

 文法や記号の説明は、これだけである。あとは、これの、さまざまな応用があるばかりだ。

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