「若者はなぜ3年で辞めるのか?(城繁幸)」批判

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito>)

月のMURAブランチページへもどる

 これまで多くの本を読んできて、ほとんど無批判で知識を吸収してきた。例外的な批判本のひとつはW.パウリの「相対性理論」であった。これが「特殊相対性理論」を100年間も権威づけたものと考えられる。もちろん、彼だけに責任を負わせる必要はない。そもそもの原因はアインシュタインやポアンカレにあったのだし、その後の科学者の大部分が、頭から信じ込んで、これが空論である可能性を真っ向から否定してきたのだ。科学というものですら、全てが正しいというわけではないし、偉大な科学者がやってきたことが、全て完璧に正しいというわけではない。

 「若者はなぜ3年で辞めるのか?」[1] はすんなりと読める。この問題に対しての、いろいろな局面をレポートしている。2000年ごろからの日本社会の変化について詳しく分析している。たしかに「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という疑問に対しては、「年功序列」社会が破綻したという「答え」を見出すことができるかもしれない。しかし、そのような価値観は、2000年を待たずとも、もっと前から崩れていたのだし、人生の生きる意味は、けっして人生の後半に獲得できる「お金」や「地位」にあるわけではない、ということに気づいていた若者や中年、あるいは老人たちも、けっこう、いたのである。おそらく、この著者は、そのころ、まだ成人には達しておらず、社会の変化がすでに始まっているということを強く感じる世界に飛び込んではいなかったのだろう。

 この本の出だしは、「実は会社を辞めようと思う」と母親に手紙を書いて送った、その返事としての母親からの電話の声で始まっている。

 「絶対にダメよ! なんのためにあんたをいままで育ててきたんかね!」

 このエピソードから著者は「昭和的価値観」という単語を定義づけてゆく。

 私が中学校の教師を辞めたときは、まだまだ昭和の年号だった。私の母親もヒステリックに反論した。教師の年金は万全だと言っていた。田舎での教師の地位は高かったし、老後も安泰なのだそうだ。私は若かったので年金や地位のことなぞ、どうでもよかった。私は、私自身の「誇り」のために教師を辞めた。もちろん、あとから思うと、べつに辞めなくてもよかった。そのように考えられるようになるまで、かなりの苦しみを味わう舞台が必要だった。

正式採用の教員を辞めたあとに、臨時講師をやることになった。ふつうは、そんなプロセスはたどらない。私立高校の寮を管理する仕事をやっていたので、自分の意志なぞ何も出せなかったのだ。それをこなせていたら、私立高校で教師として認められるはず。しかし、私は「教師はもういい」と決意し、自分でデザイン関係の仕事を始めた。

1年頑張ったが、気力が失せて、工場務めをすることになった。それからも、いろいろな舞台とドラマにめぐりあい、工場を4年で辞めた。このとき、少し平成になっていたが、今度は兄が反論してきた。家業を継ぐ生き方を選ばざるをえなかった兄にとって、教師も辞め、(バブル前で景気のよかった)工場も辞めてしまう弟の考えていることなぞ理解できないというわけだ。そうだと思う。しかし、ちょうどそのころから、社会の中で、人々の考え方が変化していったということを、私は実体験として感じてきた。私たちの全てが「昭和的価値観」で生きてきたわけではない。

 あるいは、社会全体が老化してきた原因を「年功序列」で残り続けた老人グループに結びつけるという論法も、まったく単純化しすぎている。私が観察してきた、幾つかの世界での証拠を合わせてみると、おそらく、今の社会の色々な組織がおかしくなり、うまく機能していないように見えるのは、会社組織など(政治組織も含まれる)を個人的な家系で相続してきたことが原因の一つとしてあげられるのではないかと思う。

戦争という過酷な現実を体験してきた、私たちの父親世代が築き上げた社会は、いろいろなインフラも整備されておらず、やるべきことがいっぱいあった。そのおかげで、私たちが子供のころから幾らかのころ、日本全体が中流社会のようにも見えていた。もちろん、そこから外れる人たちもいたのだろうが、あまり目立たなかった。

ところが、色々な世界で働いてみると、創始者たちが築き上げたものを、血の通った継承者たちや、肉親ではなくても、目にかけられた後継者たちが、あれよあれよと崩してゆくのだ。その結果としての責任を自分たちでとらずに、下で働くものたちに押しつける。リストラによる「構造改革」という図式が広まった。「年功序列」なんて、どこにもなかった。「成果主義」なんてものも、プロ野球や相撲界だけでのこと。私たちの多くは、もっともっと複雑な図式のジャングルの中で、ほとんど何ももたされずに放りだされてきたのだ。

一度でもリストラをやった会社で、「幸い」というか(「不幸」というか)、残った人々が、いったいどのようにして仕事をしてゆくことだろう。おそらく、「冷めた意識」になるに違いない。新しく社会に飛び出してきた若者だけが意欲満々ということには決してならないだろう。

 私は老人ではないようだが、仕事を探すという局面に立ったとき、若者や壮年ではなく、老人のグループに入れられてしまう。まあ、就職活動においては、運命共同体としての老人のようなもの。年金の支給まで、まだまだある。そんな私たちが仕事にしがみついているから、若者の働く場所がないと考えるくらいのことしか思いつかないのだろうか。若者たちは、老人や壮年の人々の、孫や息子や娘だったりする。私たちは、敵と味方に分かれるような存在ではないのだ。

 日本の雇用問題は、非常に複雑になっている。何が悪いのかと、図式を単純化してゆくとしたら、ゆきつくところは「政治」だと思える。しかし、「現在の政治」であれ「過去の政治」であれ、それらのシステムを選択してきたのは、私たち有権者なのである。ここにも、問題を解きほぐしてゆく糸口があるかもしれない。

これまでの政治システムは、遠い過去のものに比べたら、ずいぶんと良くなってきたのだろう。しかし、それでも、やっぱり、問題をうまく解決できないのだ。まず、私たちの意識が、もっと高まる必要がある。それと、もうひとつは、私たちの意志が「政治の意志決定」に反映されるシステムが、これまでのものでは役にたたなくなってきているのだ。

 高いところへと登ってしまった。「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という疑問にもどろう。かつて会社などで求められていた人材と、現在求められている人材とが異なるようになったという著者の指摘は、幾らか当たっているかもしれない。しかし、この社会は、平均的な会社のような組織だけで成り立っているのではない。まったく当たっていないと言ってよい仕事は、いっぱいある。そもそも、大学生などの若者が、初めて飛びこむ社会の仕事について、いったい何が分かっているというのか。

 私は大学を卒業して地方公務員の教師になった。教師の仕事なんて、子供の時から見て知っている。かんたんなもの。心の奥底で、そのように思っていたかもしれない。ところが、実際に何十人もの生徒の担任として、あるいは、クラブ活動の顧問として、生活指導を任されたものとして働いた。登校拒否や、非行、校則と生徒との対立、父兄との対応などなど、さまざまな問題に取り囲まれ、責任を負わされて働いてみると、こんなにたいへんな仕事だったのかと思ったものだ。

教師の口癖として、「どうしてこんな仕事を選んでしまったのだろう」というものがある。何度も聞いた。私もついに心のバランスを崩して、「もうやってられない」と思って辞めたのだった。それは、上記の問題によるものではなく、教師の間での問題がこじれたためだった。教師を理想化しすぎていたのだ。しかし、若かったので、このような視点には立てなかった。

 私は教師を辞めてから、いろいろな社会で働いて、大学を卒業してすぐに教師をやるのは問題が多すぎるということに気がついた。世の中のことを知らなすぎて、父兄にも生徒にも、本質的なところを外して対応してしまっていたのだ。このようなことは、教師をやらなければ分からなかったし、教師を辞めなければ、また分からなかったことである。

 若者がなぜ仕事を続けられないのか。なぜミスマッチとなるのか。そのようなことを問うことじたいがおかしい。若者は、ほとんど、社会や仕事のことを知らないからだ。心に描いた理想と現実とのギャップを味わっていないからだ。現代では、大部分の若者が大学に進み、3年生ごろから就職活動だといってスーツを着こなし、面接の数々をこなしてゆく。しかし、そんなもので、いったい、その若者の何が分かるというのだろうか。

 実際はほとんど何も分からないのだ。それでも、これまでなんとかやってこられたのは、何も知らない状態からでも、仕事をするというプロセスの中で学んで成長してゆけるようになっていたからなのだろう。それは、かつての先輩たちが、かなりしっかりした生き方をしていたからだと思う。戦後の廃墟から立ちあがってきた人々は、色々な問題に取り組んでこなければならなかった。そして、社会を作り上げてきた。ところが、それらの後に現れてきた私たちは、比較的問題の少ない状況で生きてきた。

外からはあまり良く分からない会社組織のことより、政治家の世界を考えた方がよいかもしれない。この国では、選挙地盤を継承してきた家系つながりの人々が、そのような利権とは縁遠い人々の問題を考えているのだ。中央だけではなく、地方の政治家や公務員も、ほとんどは挫折のない人生を歩んでいそうだ。そのような人に、リストラされ、世の中からもういらないとでも宣告されたかのように、「老人は職場から去れ」と言われる者の気持ちなんて分かりっこないではないか。

 若者に近い者が、若者の立場を代弁するのは、自然な流れかもしない。しかし、そのよう人間も、若者たちも、いつかは壮年になり、老人に成ってゆくのである。問題は、そんな単純なところにはない。もっと複雑なものであり、それを解決してゆくためには、どのようなことを目指してゆくべきなのか。私は、そのように、みんなで考えることが大切なことだと思う。


(2011.01.15 Written by Kinohito KULOTSUKI [@] KULOTSUKI ANALYSIS INSTITUTION)

 参照資料

[1] 若者はなぜ3年で辞めるのか?」城繁幸,  光文社, 2006

月のMURAブランチページへもどる