森下典子「前世への冒険」を読んで

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito)

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 (T)人の前世が見える人

 森下典子さんの「前世への冒険」という本[1][2]は、図書館の美術関係の書棚にあった。文庫本である。周囲にある図版だらけの本の中では、この小ささが、かえって目立った。というか、ゴシック文字で書かれた「前世への冒険」というタイトルが、あまりに異質だったのだ。ぱらぱらとめくって、普通の文庫本だと分かり、「まえがき」だけを書棚の前で読んだ。その最後に「これはフィクションではない。すべて事実だ」とあった。

 物語は「一本の電話」から始まる。「家庭画法」編集部から森下典子さんへ。内容は、「京都に、人の前世が見えるという人がいるので、森下さんの前世を見てもらい、その感想を体験記としてまとめてほしい」ということ。人の前世が見える人は「清水広子(仮名)」という名の主婦だそうだ。

 森下典子さんはエッセイストで、雑誌などにルポタージュを書いているという。小説家ではない。ところが、この「前世への冒険」は、まるで推理小説であるかのように展開してゆく。仮に推理小説だとしたら、その展開の進め方は見事なものと思えてくる。しかし、やけに内容が詳しすぎる。推理小説だとしたら、ここまで細部にまでこだわらないはず。なぜかというと、物語が難しくなりすぎて、分かりにくくなってしまうからだ。

 森下典子さんは、この仕事を引き受けたものの、「ニューエイジ本」などの著者とは違って、当初からまったく「前世」などというものを信じていず、清水広子さんの言動を、あらゆる角度から否定しようと考えている。ところが、調べてゆくにつれて、否定できないことが、どんどんと積み重なってゆくのだった。

 (U)鑑真和上の弟子としての前世

 清水さんによれば、森下典子さんの前世は「鑑真和上の弟子といっしょに、船で大陸から渡ってきている」誰かだそうだ。しかし、この前世についての検討は数ページで終わっている。これについて、あらためて調べるほどの情報が得られなかったからだろう。

 (V)ベネチアグラスの小さな瓶から分かること

 森下典子さんは、自分の前世の「数」を知りたくて、京都の清水広子さんに電話をかける。清水広子さんは森下典子さんの「別の前世」を感じ取るための「土産物」を要求する。それが、森下典子さんがイタリアを旅行したときに買ってきたベネチアグラスの小さな瓶である。森下典子さんは、これをもって京都へゆく。二人(と清水さんのご主人と)は、比叡山の山道を越え、滋賀県大津市の寺へと移り、「お護摩の火のそばで」前世の情報へと近づく。その方法がリアルに描写されてゆく。清水広子さんは、森下典子さんのイタリアにおける前世を「見て」、メモを書く。そこには、日本語やアルファベット文字が記される。このアルファベット文字は、イタリア語での名前などである。それらの中で、森下典子さんのイタリアでの前世の名前が分かる。その名は「デジデリオ」というもの。

 (W)デジデリオはルネッサンスの彫刻家

 清水広子さんがデジデリオについて語った知識が整理される。デジデリオは1430年、ポルトガルのポルトという町で生まれた。私生児だった。その後イタリアのフィレンツェへ連れてゆかれ、石工の家に預けられ、そこで育って、やがて彫刻家となり、美術の歴史に残るような活躍をした。

 あまりに優れた美貌や才能などが、現代の森下典子さんの自己評価とは大きく違うと、森下さんが「照れ隠しに」言ったとき、清水広子さんは、次のように答えている。

「あなた、前世では才能があったし、きれいだったし、男からも女からもちやほやされて愛されたんやけど、浴情にまみれて享楽的な人生を送ったから、今世で格が落ちたんや」

 これには、さすがに「苦笑い」するしかなかったようだ。このあと、森下典子さんはデジデリオについて、日本で調べてゆくのだが、美術史に記録されているとはいえ、細かなところまでは分からない。清水広子さんが述べたデジデリオの情報は、日本にある文献では語られていないような、さらに詳しいことが数多く含まれていた。

 (X)フィレンツェでの調査

 森下典子さんは仕事を調整して時間を生み出し、幾つかの準備を行って、イタリアとポルトガルへの調査旅行を決意する。イタリアでの通訳を兼ねた案内人として、日本人の滞在者を見出す。西山さんという男性で、京都府八幡市出身の27歳。彼の関西弁がリアルに記載されてゆく。

 ここからの物語が「推理小説」のような展開となってゆく。分からなった謎が解けてゆくこともあるが、解けないで残ってしまったということもあり、作為的な展開ではなく、まさに起こったままのことを分かりやすく記述してゆこうとしていることが読みとれる。

 デジデリオの「男の恋人」である「ルビー」についての謎解きでのこと。清水広子さんが「見えてるものを写しているだけ」として記録したメモの中にある「○を十字に切って、仕切りの中に鳩と鍵のような模様を入れた、意味の分からない印」というものが、どこかにありはしないかと、森下さんはメディチ家の別荘を訪ね、その大広間を調べていた。四方の壁を探したが、その模様はどこにもなかった。

 ところが、森下さんが「何気なく上を見上げた瞬間」、彼女は「氷の棒」になった。その天井一面が、その模様だったのである。この発見のシーンはドラマチックに描かれている。

 もうひとつの発見物語は「ミケランジェロの小部屋」に関するもの。清水広子さんは「馬の絵」のそばに「ルビー」の顔があると「見て」いた。森下さんらは、これを探したが、なかなか見つからなかった。ところが、この情報には、さらに重要なキーワードがついていたのだ。「これらの絵はミケランジェロによるものだ」ということである。この、忘れられていた情報を、「清水さんのメモ」を確認することによって、森下さんが西さんに伝えたところ、「ミケランジェロの小部屋」というルートへとつながり、「馬の絵」のそばに「ルビー」の顔があるという「清水さんの透視」が確認されることになる。

 エピソードはこれだけではない。まだまだあって、細かなところまで検証されてゆくのだが、あまりにマニアックな内容と進んでゆくので、本物の推理小説だったら、もっと簡略化され、切り詰められてしまうかもしれない。

 (Y)「生地ポルト」と「リスボンヘ」

 「生地ポルト」で分かったことは、「デジデリオ」という名前が、電話帳にも載っていて、ポルトガルでは実在する名前だということ。

 「リスボンヘ」行って森下さんが訪ねようとした「アタナジオ教授」は、「彫刻家のデジデリオ」についての研究をしていた人だったが、ホテルから電話をしてみると、すでに亡くなっていた。

 (Z)迷宮デジデリオ

 森下典子さんが日本に戻ってからの物語が、エピローグのように続いてゆく。いや、ここはまだ本筋の一つである。ここでは「ルビー」という名前の謎解きが進められてゆく。そのヒントとなるのが、当時の芸術家の名前の多くが、実は、本名ではなく、ニックネームや通称であったということ。ここから、「ルビー」という名も、本名からの変形だったのではないかと考えてゆき、候補となる人物を探しだしてゆく。ここのあたりの推論も、なかなかドラマチックである。そして、森下典子さんは、まるで伝記作家か歴史小説家であるかのような文体で、「デジデリオ」と「ルビー」の出会いのシーンを描いてゆく。ここのところは明らかにフィクションだが、もちろん、いかにも、ありそうな物語でもある。

 リスボンで確認しようとしていた「アタナジオ教授のデジデリオ研究」のコピー本を翻訳してもらった赤川夏子さんとの物語も、場面としては静かなものだが、その内容はドラチックなものである。テレビや映画で、ここのところのシーンを構成するのは難しいことだろう。この資料により、デジデリオと、ポルトガルの枢機卿との関係の証拠が明らかにされる。これは大阪でのこと。

 さらには、京都での清水広子さん母娘との会話が続く。京阪電車で大阪から京都へと移動してのこと。清水広子さんに「見えた」ものが、ほんとうのことであったという「証拠」が、森下さんの調査旅行と、その後の追跡研究によって示されたことになり、「証拠があったなんて、私って、すごいやん」と、清水さんは語ったそうだ。

 「あとがき」のところにエピローグが盛り込まれている。「デジデリオ」の生まれ変わりであるとされる森下さんと、「ルビー」の生まれ変わりと、清水さんが述べている誰かさんとが、実際に会って話をしたのだそうだ。それと、「デジデリオ」が「ルビー」に贈ったとされていた「ラピスラズリを使ったベルト」が実在していたというニュースのこと。

 ([)黒月樹人による感想

 一日で読み、その日のうちに、このページをまとめた。これは見事なルポタージュだ。自分自身の前世の情報を受けとり、それを調べにいって、いろいろな謎を明らかにしてゆく。それが、一気に何もかも分かって終わりになるというのではなく、分かったり分からなかったりという物語がつづき、じわりじわりと分かってゆく。こんなにめんどうなストーリーだては、プロの小説家なら決してしないことだろう。なぜかというと、物語が分かりづらくなるし、感動も分散してしまうからだ。しかし、現実のストーリーが、このように進んだというのであれば、これはしかたがない。ほんとうの物語は、このように、けっこう複雑なものなのだ。

 ここまで調べて、では森下典子さんは、自分の前世が「デルデリオという名の彫刻家」であったということを納得したのだろうか。いや、信じることができたのだろうか。読み進んでみても、森下さんは、最後まで、まるで他人事であるかのように、これらの物語を書き進んでいる。いや、そのようなことは問題とならないのかもしれない。

 ここで重要なのは、どのようなメカニズムなのかはまったく推論できないが、清水広子という仮名の人が、森下典子さんのイタリア旅行のお土産であったベネチアグラスの小さな瓶をそばにおき、日本にいては決して分からないはずの、イタリアのルネッサンス時代に生きた、デジデリオという名の彫刻家の人生について、詳細な情報を「見た」として残したメモの内容が、ほんとうであったということであり、その証拠を、森下典子さんが調べ上げたということである。

 この意味で、もちろん、この本は、「前世」や「生まれ変わり」の研究資料として、非常に優れたものである。

(2011.02.27 Written by KULOTSUKI Kinohito)
 参照資料
[1] 森下典子「前世への冒険」――ルネサンスの天才彫刻家を追って, 知恵の森文庫(光文社)2006
[2] 森下典子エッセイ ― おいしさ さ・え・ら

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