RaN26 オーラやカー体の文献調査(1)概要
RaN26 Literature Search on Aura & Ka Body

黒月樹人(Kinohito KULOTSUKI)

 研究の手掛かり

 何らかの学会に提出するような正式な論文では、中心となる研究や調査の内容に対して、その前に、ある程度の概要をまとめ、それについての詳細な参照資料や参照文献のリストを末尾につけるというのが、一般のパターンである。今回私は、植物のカー体と思われるものを、デジタル撮影画像を解析するコンピュータソフトを発達させることによって確認できることを見出し、その中心的な結果を、順次、私のホームページ[1]で公開している。
 このとき、カー体についての文献調査については、わずかなものを引用しただけである。このような、これまでの科学分野において、まったく無視されてきたものについては、先駆的な研究について調べるのは、かなり困難な作業である。せめて、このようなものについての文献調査を充実し、このような対象についての、今後の研究の手掛かりを増やしておこうと思う。

[1] CPP179 葉のカー体
植物はどのように死ぬのか
「誰でも植物のカー体を見ることができる」
http://www.treeman9621.com/Everybody_Can_See_Plant_Ka_Body.html
杉の葉のオーラとカー体

 未知の存在

 オーラやカー体についての知識は、インドのヨガや、チベットのゾクチェンに残っているかもしれない。比較的近代で、体系的にまとまったものを残しているのは、神智学の分野である。現代の文献においては、未知の存在からの情報を地球人のチャネラーが受け取って資料化したものがある。このような未知の存在については、姿を見せてはいないものの、名前が知られている状況がある。
 有名なのは「バシャール」[2]であろうか。バシャールは宇宙船のパイロットだそうだ。SFの映画やテレビで、姿形が地球人と微妙に異なる宇宙人が描かれているが、それに近いものとして想像することができる。
 他にイメージを想像できそうな存在としては、「ハトホル」[3] たち」がいる。ハトホルたちは、この地球の古代エジプト文明のときに、地球にもやってきていて、当時はその姿を見ることができ、彫像が残されている。顔はまさしくヒューマノイドであるが、耳の形が、ヒトのものでなく、地球のネコのものに似ている。このほうが、より機能的な形なのかもしれない。耳たぶの形がロバのものに似ているからといって、そのことを恥ずかしいと思うのは、私たちだけの心理的な病気なのかもしれない。
 「アフ」や「ベドウィン」と呼ばれる存在[4]の姿形は、もう、ヒューマノイドのようなものではないかもしれない。ベドウィンは地球人として生きていたときの記憶も語っているが、アフのほうは、ほとんど「神」のようにも思えてしまう。
 「神との対話」[5]に現れる「神」と「アフ」の視点は、なんとなく似ている。視点の広さや、意識の広大さである。これまでの地球文明にかかわってきた「神」のなかには、アフと同一視できる状況のものが含まれているかもしれない。地球の歴史の中に現れる神についてのイメージに対して、アフの意識や視野は、あいかわず巨大で広大なものであるようだが、その語り口は、とても身近なものである。ひょっとすると、私たち地球人のほうが、少しは成長したので、宇宙文明の中での、「大人」のようなものと認められるようになってきたということなのだろうか。

[2] 「バシャール2006」ダリル・アンカー(Channel), バシャール(Entity), 大空夢湧子(Yuko Osora)・渡辺雅子(Masako Watanabe)(Interpreter), 喜多見龍一(Ryuichi Kitami)(Produce), VOICE 2006
[3] 「ハトホルの書」, トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著, 紫上はとる訳, ナチュラルスピリット2003
[4] アフとベドウィン, 「輪廻を越えて」, ジュディー・ラドン著, 片桐すみ子訳, 人文書院1996

[5] 「神との対話」, ニール・ドナルド・ウォルシュ著, 吉田利子訳, サンマーク出版1997


 神秘学概論

 神智学において、もっとも有名な人は「シュタイナー」であろう。シュタイナーは、これまで宗教で取り扱われてきたような知識を、ほとんど宗教的な色付けなしに説明している。「シュタイナー教育」と呼ばれる視点がシステム化されて、現代の教育分野で支持を受けているようだ。このシュタイナーの著書は、日本では、数多く出版されている。その中には、不思議な記述ではないものもあるが、「神秘学概論」[6]や「アカシャ年代記より」[7]では、現代科学の体系から逸脱するようなことが、数多く記されていて、まるで「おとぎ話」のようにも思えてくる。これらの中に、生命体をつつみこむ、オーラやカー体、あるいは、さらに精妙なボディがあるのだということが述べられている。これらを理解しようとするとき、空間や次元に関する現代科学の視点のままでは、大きな困難がある。ここの部分について、地球の現代科学は、どうしようもなく石頭になっており、物質についての定義を、暗黙のうちに定め、そこから飛び出すものについては、科学の範囲外だと決めつけ、それらを無視しようとしているかのように見える。

[6] 「神秘学概論」, ルドルフ・シュタイナー著, 石井 良(+)樋口純明訳, 人智学出版社1982
「神秘学概論」(文庫版), ルドルフ・シュタイナー著, 高橋 巌訳, 筑摩書房1998
[7] 「アカシャ年代記より」, ルドルフ・シュタイナー著, 高橋 巌訳, 国書刊行会1984



 生気論の歴史と理論

 あまり有名ではないようだが、大きな書店の本棚にあったので、「生気論の歴史と理論」[8]という本を、私は買って帰り、読み始めたが、退屈になってきたので、途中で放り出してあった。これには、アリストテレスから始まって、この著者が活躍していた20世紀前半までの、「生気」と名づけられている、生命の素のようなものについての文献調査の内容がまとめられている。現時点の私にとってはテキストのようなものとなるかもしれない。

[8] 「生気論の歴史と理論」, ハンス・ドリーシュ著, 米本昌平訳, 書籍工房早山


 神秘のカバラー, フラワー・オブ・ライフ

 神智学に分類されるのかどうか、よく分からないが、これが発達した時代に、「魔法」や「呪術」についての研究がおこなわれている。ダイアン・フォーチュンがまとめた「神秘のカバラー」[9]は、この分野における名著である。
 「カバラー」を現代流に言い表すと、この世界が創造されたときに、その創造者が参照した、コンピュータの世界での「フローチャート」ということであろう。「設計図」や「青写真」と見なすこともできるだろう。
 ドランヴァロ・メルキゼデクがまとめた「フラワー・オブ・ライフ」[10]も、どうやら、この世界に関する、何らかの基本デザインについて解説したもののようである。

[9] 「神秘のカバラー」, ダイアン・フォーチュン著, 大沼忠弘訳, 国書刊行会1988
[10] 「フラワー・オブ・ライフ」, ドランヴァロ・メルキゼデク著, 脇坂りん訳, ナチュラルスピリット 2001


 カルロス・カスタネダのシリーズ

 「呪術」については、調査から始まって、不思議な物語に発展したものとして、カルロス・カスタネダのシリーズ [11] がある。これも、世界的に有名なものである。この物語の中で、呪術師のドン・ファンは「抽象の核」というものを語っている。これは、私たちの人生のなかに潜んでいる、行動や、その結果についての「青写真」のようなものである。白黒やカラーのコピー技術が発達していなかったころには、建物の設計図などを、半透明の紙にトレースし、それを型紙として、湿式印刷していた。これが「青写真」である。ドン・ファンはトレースした型紙の方を考えていたのだろう。「抽象の核」を別の表現でたとえれば、演劇などの話における、「意味論的な構造パターン」ということになるかもしれない。私が「思考言語コア」[12]を発達させた理由の一つに、この「抽象の核」を表現するという目的もあった。

[11] カルロス・カスタネダのシリーズ
「呪術師と私」(ほとんど真崎義博訳1980)前後のあたりから〜
   「無限の本質」(結城山和夫訳2001), 二見書房
   「未知の次元」, カルロス・カスタネダ著, 名谷一郎訳, 講談社

[12] 思考言語コア 黒月樹人による、一般的な思考の骨組みを記述するための言語体系
思考言語のアイディア IDEA OF THINKING LANGUAGE

 セス

 姿がはっきりしない存在のなかに「セス」[13]がいる。これに関する文献も充実している。このセスが語ることの中に、「魔法」や「呪術」に関連する知識が含まれている。
 さらに、別の存在であるハトホルらの言及を調べてゆくと、これらの知識を縫い合わせてゆく視点があることが分かってきた。

[13] 「セスは語る」, ジェーン・ロバーツ著, ロバート・F・バッツ記録, 紫上はとる訳, ナチュラルスピリット1999


 ここまでを「概要」としておく

 これらの知識を、ばらばらに見てゆくと、ただの不思議な世界となって現れるだけであるが、これらの知識の中に潜んでいる、流れや骨組みのようなものを見いだして、より大きな体系のもとで見ることができれば、それらが、ただの空想世界で述べられてきたことではないということが明らかになるだろう。
 考えられることを書きだして行くと、これらの全体像が、非常に大きなものであるということが予想できる。このようなものを、すべて、まとめてゆこうとするだけの、時間も資力も、私には、ありそうもない。あまりに広がりすぎたようだ。このページのテーマに戻ろう。ここからは、タイトルどおりの「オーラやカー体の文献調査」に絞ってゆきたい。
 (長文になりそうなので、ここまでを「概要」としておく, 2010. 03.03)