RaN111 SEOに沿うホームページの構成法
RaN111 How to Make Home Page for SEO
黒月樹人(Kinohito KULOTSUKI

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要約

 SEOに沿うホームページの構成法について、幾つかの要素に分けて考察する。
(1)SEOとはグーグルのロボット検索エンジンに気にいってもらうこと
(2)SEOの判断アルゴリズムのモデルは「科学論文」
(3)内容(@存在意義 A興味・関心 B利用価値)
(4)内部タイトルに盛り込むキーワード
(5)ページ外タイトル
(6)「要約文」もしくは「導入文」の簡潔さ、構成力、内容度
(7)リンク(@文中 A文末などに参照資料Appendix)の質と量
(8)表現に用いる用語のユニークさ
   シンプルA [+] シンプルB [→] ユニークC
(9)段落タイトル
   内容についての、構成における「流れ」や「骨格」のようなものを意識
   一般的な物語の「起承転結」や、広告における「AIDMA」などを参照

 はじめに

 このような要素を抽出して分析したが、これについて詳しく説明するのは、しばらくやらないことにしたい。上記の9つの要素は、私が意識しているものである。おそらく、このような方法は、どれだけやってもスパムとは判定されないはずである。なぜなら、このような要素の多くは、グーグルのロボット検索エンジンの判断アルゴリズムがモデルとしている、多くの人々から評価されている「科学論文」についての、本質的なものだからである。

 ページタイトル

 これまで私は、上記の5)ページタイトル を指定しないでいた。ホームページを送るソフトの使い方がよく分からなかったからである。先に、ウェブファイルをメモ帳にドラッグする方法で、HTMLコードの修正が可能になることに気づいて、<title>ページ外タイトル</title> と書くのだということを知ってから、ホームページを送るソフトのタブやボタンを探して、使い始めて3年目にして、ようやく書きこむことができたのであった。

 存在意義

私が最も大切だと考えているのは、3)内容(@存在意義)である。いかに内容が難しくても、数式ばかりで読めなくても、何のイラストも図もなくても、その内容に存在意義がありさえすれば、このウェブの世界で読まれ続けてゆく[1]

仮に、他にも幾つもあるようなことについて、それでも、その中で目立ちたいと思うのなら、他との違いとなるような、何らかの内容を生み出す工夫をすることのほうが先だ。

ときとして私は、上記の8)表現に用いる用語のユニークさ に反するような、ごくごく平凡なキーワードのまま、その内容の存在意義を高めることによって、検索ランキングを登ることにチャレンジすることがある。意図的なものではなかったが、「黒月」がそうだった。あるいは、「ランダムノート」も、すでに先駆者が地位を固めているものだった。

ここの考え方はスポーツでの成果の求め方にも似ている。100mを速く走りたいのなら、合理的なフォームを極めるだけでは不十分であり、まず獲得すべきなのは、絶対的なパワーを生み出す筋肉や骨格や神経の、総合的に高度な運動能力なのである。これには、地道なトレーニングが必要となる。その上で、ランニングフォームが合理的なものであれば、より効率良く走れるだろうし、スピードの限界という要素を、遠くへと押しやることができる。

それでは、ウェブの世界における、総合的に高度な力というものは、いったい、どのようなことであるのだろうか。その答えは、まだ見つかっていないのかもしない。

表現に用いる用語のユニークさ

少し技巧的にはなるが、8)表現に用いる用語のユニークさ についても、工夫する余地が大きく広がっている[2]。かんたんで平凡な言葉Aと、かんたんで平凡な別の言葉Bとを組み合わせて、かんたんではあるが、決して平凡ではない、ユニークな言葉Cを生み出すこと。このようなことには、古くから小説家や詩人、あるいは、現代であればコピーライターや漫才師たちがチャレンジしている。

日本の俳句の中には、このような構成法の珠玉が埋もれている。最近幾つか読むことになった、芭蕉の句に、すぐれたサンプルが数多くある。ひとつあげるとすれば、「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」。五七五の、それぞれのパーツの中に、「荒海」「佐渡」「天の河」といった、平凡な言葉が用いられているのだが、あとほんの少し、ひらがなでの表現を組み合わせただけで、優れた絵画のような、名作映画のワンシーンのような、あざやかな風景としてのイメージが伝えられている。詩の技法における、直喩や暗喩といった特別の技法は何も使われていないにもかかわらず、それぞれの平凡な言葉が、互いに影響を及ぼし合っている。次の「/…」は、RaN110 松尾芭蕉の「おくのほそ道」と観光地[5] に記した私の感想。

/あまりひねっていない表現であるにもかかわらず、この句が生み 出すインパクトは強い。変化球ではなく直球で勝負したようなもの。描かれている情景の構成力が素晴らしい。とくべつな表現や、難解な用語を使わずに、ごく ごく平凡な要素をつかって、平凡とはいえないようなものを生み出すのが、芸術の一つの目標である。この句は、そのことを象徴している。(樹人)

現代のコマーシャリズムの商品名や、テレビの番組タイトルなどにも、さまざまなレベルの作品がある。たとえば、NHKの朝ドラでの「ゲゲゲの女房」のタイトルは、原作本のタイトルでもあったからだろうが、優れたサンプルである。これは「ゲゲゲの鬼太郎」という漫画のタイトルをベースとしており、「鬼太郎」のところに、さらに平凡な名称である「女房」を入れることにより、さまざまな意味を込めたものへとなっている。さすがに、一流の芸術家のそばで生きてこられただけのことはある。原作本を本屋で少し立ち読みしたが、文学作品のような「気取り」がまったくないにもかかわらず、奥深いエピソードが淡々と分かりやすく記されており、これそのものも、「平凡+平凡→非凡」の公式の、見事なサンプルとなっている。

段落タイトル

最近、できるだけ心掛けているのが、9)段落タイトル をつけるというものである[3]。箇条書きの記号として取り扱うなどという、こざかしい技法へと流れるのではなく、読み手にとっての理解がすすむように、段落ごとのテーマを決めて、それらの小さな、ある意味をもつブロックを組み合わせて、全体を組み上げるのだという、しっかりとした「骨組み」のようなものを、背後に描いておいたほうがよい。たとえ、グーグルのロボット検索エンジンが、このような構成の妙を理解せず、低い評価点しか判定しないとしても、それに合わせる必要はない。読み手にとって理解しやすく、内容のすぐれたものを、正当に評価できないアルゴリズムであるのなら、仮にライバルがいたとしたら、負けてしまうことだろう。まあ、グーグルのロボット検索エンジンには、それを負かすようなライバルがいないようなので、グーグルのロボット検索エンジンそのものの、「より向上したい」と思う自意識のようなものに期待するしかないかもしれないが。

構成における「流れ」や「骨格」

広告におけるAIDMA[4] については、このキーワードを使って調べてほしい。学んだばかりなので、私はまったく使っていない。「起承転結」についても、あまり意識したことはない。ただ、中学生のころ、国語の時間にならった、文頭と文末を関連付けるということや、全てを語りきらずに余韻を残すとか、テレビドラマや映画で必ず見られるように、最後に使う要素の「伏線」を張っておくなど、ときどき思いつくノウハウについて、あちらこちらで組み込んでいるはずである。

画像を多用した説明調のページでは、論理的な流れというものを強く意識するものの、散文調のページでは、書いていくうちに「骨組み」のようなものが「見えて」くるといった、まるで、石の塊から何かの像を彫りあげるかのような手法をとることもある。

さいきん他界された梅棹 忠夫(うめさお ただお)さんが京都大学で研究していたころに開発した「京大型カード」を利用した、情報整理のノウハウ[6] や、同じころに活躍された川喜田 二郎 (かわきたじろう)さんが提唱した「発想法」の、シンプルな技法[7] が、このような、構成の「流れ」や「骨格」を意識して組み込むことに役立つ。

同じころ、「水平思考」を表わしたエドワード・デボーノ(当時はデボノ)の、この基礎的な研究[8] も、私たちの思考のメカニズムを分かりやすく説明したものとしてお勧めしたいものである。

私ごとになるが、黒月樹人が開発した「思考言語コア」[9] も、難解な思考パズルの構造を読み解くための道具の一つとなる。「問題はやさしいところに隠れているかもしれない[10] は、アインシュタインの「特殊相対論」を論じたW.パウリ(W. Pauli)の、構成における「骨格」がボロボロであることを分析したもの。かつては、このような本が「名著」として通用していた。文化的な思考力においては、ノーベル賞を受賞するほどの科学者であっても、あまり論理的な構成力というものを持っていなかったようだ。その状況は、おそらく、現代においても、それほど大きく変わってはいない。

型を壊すことも大切

芥川龍之介の短編小説や、スタニスワフ・レムのSF小説のように、固定された表現スタイルを持たないというのも、ある種の魅力となるようだ。私は小説を書いているのではなく、単なるホームページメイカーにすぎないけれど、多くの芸術家たちに学ぶことがあるということを知っており、そのように心掛けて、あちこち眺め、いろいろと考え続けている。吸収すべき芸術家たちのノウハウというものは、いろいろな分野に散らばっているのだから、決して汲みつくしきれるものではない。まだまだ可能性は広がっているように思える。

 (2010.09.05 Written by Kinohito KULOTSUKI [@] KULOTSUKI ANALYSIS INSTITUTION)

 追記

 このリーフページをウェブで公開したのが、2010年の95日である。この2日後の97日に、グーグルの検索ロボットが、どのように判断したのかを見るため、「SEO」「ホームページ」「構成法」をキーワードとして検索してみた。トップだった。組み合わせを調べたところ、「ホームページ」と「構成法」だけでも1位に位置していた。わずか2日である。クリック数なぞ、わずかなものだ。「SEO」と「ホームページ」では、見つからなかった。この組み合わせの検索領域では、さらに、クリック数が条件として必要となるかもしれない。

 「ホームページ」と「構成法」などの検索リストで2位以下に並ぶページを、いくつか眺めてみた。私が問題点と見なす欠点がある。何が欠点かというと、意味のある内容(コンテンツ)そのものが、それらのページの、ずうっと奥にあって、さらに、それらが必要以上に分断されており、それらの全体像を理解しにくいということである。私のホームページ体系におる、ツリーページやブランチページのようなものが並んでいる。これらには、ホームページジャングルの案内板以上の意義は認めにくい。やはり、しっかりとした内容は、ひとつのリーフページに、ある程度の内容量と、簡潔な意味構造のもと、分かりやすさと掌握しやすさのバランスをとって構成されるべきなのである。

 このRaN111を読んだ人の中には、「存在意義のあるホームページを、どのようにつくればよいのか」ということが具体的に記されていないことに不満をもつ人がいるかもしれない。私が高校生の時、数学の先生から教わった言葉に、「数学に王道なし」というものがある。そのとき私は、あまり数学が「できる」生徒ではなかったのだが、他にも教わった、幾つかの地味なコツを、まじめに続けることによって、卒業までには、トップクラスの評価をもらえるようになった。ヒットページを生み出したわけではないので、あまり偉そうなことは言えないが、「存在意義のあるホームページを、どのようにつくればよいのか」という問いに対して、やはり、「王道のようなものはありません」と言いつつも、「努力をつづけるときの、ささやかなコツのようなものはあります」と言うことはできるかもしれない。これらのことについては、こことは別のRaNコードを設定して、あらためて、じっくり考察してゆこうと思う。

 (2010.09.07 Written by Kinohito KULOTSUKI [@] KULOTSUKI ANALYSIS INSTITUTION)

参照資料

[1] たとえば「幽霊変換」

[2] たとえば「天国にいちばん近い町」(このタイトルは失敗例)の中のキャラクター名

[3] たとえば「ターメリック星系の生態系概観」

[4] AIDMA

[5] RaN110 松尾芭蕉の「おくのほそ道」と観光地

[6] 梅棹 忠夫(うめさお ただお)「京大型カード」は「知的生産の技術」で紹介された

梅棹 忠夫「知的生産の技術」、岩波新書、岩波書店

[7] 川喜田 二郎(かわきた じろう)「発想法」、中公新書、中央公論社

「続・発想法」(KJ法についての具体的な手法が説明されている)、中公新書、中央公論社1970

[8] エドワード・デボーノ「水平思考の世界」、白井 實訳、講談社ブルーバックス1971

[9] 黒月樹人「思考言語コア」

[10] 問題はやさしいところに隠れているかもしれない

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