RaN113 芥川龍之介「河童」を読んで
RaN113 On Kappa by Ryunosuke AKUTAGAWA

黒月樹人(Kinohito KULOTSUKI)

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 「河童」についての読書感想文

 国内旅行業務取扱管理者試験の対策ノートとして、RaN100「文学作品の舞台」[1] をまとめた。ここに、芥川龍之介の「河童」[2] が含まれている。観光地としては、上高地の「河童橋」である。あまりに有名なので、いまさら、注釈じみたページをつくる必要もないのだが、芥川龍之介の「河童」については、個人的な思い出がある。

 この作品を最初に読んだのは、私が15歳のときだった。中学三年生のときのこと。その年のことだったか、前年のことだったか、川端康成がノーベル文学賞を受賞していたので、私たちの高校受験の国語の出題として、川端康成の作品が必ず出ると予想された。かくして、私は、それまで、ほとんど文学作品なぞ読まなかったにもかかわらず、川端作品をはじめとして、日本文学の何人かの作家の作品を、当時の主流だった旺文社文庫や、本屋で買った新潮文庫で、まるで、強迫観念に追い立てられるように読みあさった。

芥川龍之介の数々の短編は、変化にも富んでいて、次々と読み進むことができた。「河童」を読んだのは夏休みだったかもしれない。「河童」についての読書感想文を書いて出したら、当時の、郡部の文集に載ってしまった。この文集に載っていた、他校の文学少女や文学少年たちとは、その後、進学した高校で出会うことになる。

 「河童」についての読書感想文は、もう、私の手元には残っていない。もう40年も経過している。うっすらと残る記憶と比べながら、現在の私が、どのようなことに触れたくなるのか、このことを確かめるため、ここに、かんたんな読書感想文をまとめておこう。

 カテゴリー1

 15歳のときの私は、「序」で述べられている、物語の語り手が「怒鳴りつけるであろう」と示されているセリフに強い印象を受けた。それは、河童の世界を見てきた語り手が、入所していたS精神病院で、彼の話を聞こうとする作家にも述べたはずのもので、人間というものの、さまざまな難点や欠点を並べたものである。これらの言葉をならべるとき、語り手は、明らかに、自分自身も、その「人間」の一人であるということを、すっかり忘れている。

 芥川龍之介は「河童」という、架空の生物における文明を想定して、私たち人間の文明を、文学的に批判している。このことは、説明しなくても分かることだろう。ところが、このような設定を、少し置き換えた、小説ではない、ほんとうの物語というものが、幾つか現われてきている。「河童」ではなく、ヒューマノイドの「宇宙人」たちの世界を見てきて、再び地球にもどり、ドキュメンタリーの本を記したというものだ [3]。構成するのは、もう少し先のことになると思うが、RaN112のコードで、それについてまとめる予定をしている世界がある。それによると、ヒューマノイドが生息する惑星の「カテゴリー」という、文明の「基準」となる指標は、9段階に分類されていて、おとずれた「宇宙人」たちの世界は「カテゴリー9」であり、私たちの地球の文明は、現在の状態においても、「カテゴリー1」なのだそうだ。

 「河童」の世界は、どうなのだろうか。おそらく、「カテゴリー1」なのではないだろうか。芥川龍之介による「河童」の世界は、人間の世界の模写から始まっており、法令や習慣についての、わずかな変異は認められるものの、どちらが優れているかという、明確な判定ができるようなものは現われていないように思える。

もっとも、私たちには、これらの9分類の判断基準が、よく分かっていないので、ここの議論は意味のないものとなることだろう。

 河童橋

 「序」の次に「一」の章がある。ここは、語り手が河童の世界へと「まっ逆さまに転げ落ち」てゆくまでの物語が記されている。本職の小説家の文章なので、さすがに上手だ。

SF小説の大家スタニスワフ・レムの作品でも、晩年の作品(たとえば「大失敗」[4])では、よくも、こんなところまで細かく空想して描写できるものだと驚かされてしまう。

「河童」では、「上高地の温泉宿から穂高山へ」登ろうとして、霧に包まれ、道を見失って、「梓川の谷に下りることに」し、突然、一匹の河童と遭遇して、その河童が逃げるのを追いかけているうちに、河童の世界への「穴」へと転落するところまでが語られている。映画かテレビのシーンを見ているように読めてゆく。本職の文章というのは、このようなものなのだなあと、あらためて思い知らされた。

この「一」の章の最後は、「穴」の闇の中に落ちてゆくときの、語り手の記憶にある、「河童橋」のフラッシュバックでしめくくられている。見事な演出である。旅行の試験で、この「河童」という小説が、上高地の宣伝に大きな役目を負ってきたことが、ここの部分を読むと、よく分かる。これはまるで、テレビのコマーシャルのための短いドラマのようなものだ。このあと、「河童橋は長野県の上高地にあります」とテロップを流せば、観光客がさらに増えるのは間違いない。

精神病は遺伝するか

「河童」の章は「十七」まで続くので、このペースで記していると、このページを完成させるまで何日もかかってしまいそうだ。旅行の試験の一週間前なので、試験勉強にも時間を割かなければならない。自分の中で整理をして、感想を分類し、あと二つか三つくらいを記すことにしたい。

芥川龍之介は、他の作品でも、たびたび取り上げているが、私生活上の問題として、実の母親が精神病であったため、自分も、そのように「狂ってしまう」のではないかと考えていたようだ。

「てんかん」と呼ばれる症状については、これを多く発病している家系などが存在しているようでもあり、遺伝的な要因もあるのだろう。しかし、他の精神病や精神疾患については、どうなのだろうか。

この問題については、私も、たびたび考えた。私の両親は精神病や精神疾患ではないが、私自身については、明らかに精神疾患の一種である「躁鬱病」である。現在では、なんとか、「躁でも鬱でもない、まんなかの状態」を維持できていると思われるので、現在の私を診断してもらっても判定に苦しむことだろうが、これまでの、幾つもの症例としての物語を話せば、「躁鬱病であったこと」は、きっと診断されることだろう。

この「ランダムノート2010」のページのテーマのために、精神世界の分野における文献調査を行っていたとき、ルドルフ・シュタイナーの数多い著書のなかに、この問題についての切り口となるような情報が記されていることが分かった。私は、RaN31 ルドルフ・シュタイナーの「健康と食事」[5]に、そのことの要点をまとめた。

 ルドルフ・シュタイナーは、人間の生殖活動と飲酒の問題について、私たちが「あっ」と驚くような「仮説」を述べている。つまり、ある子供について、その子供となるはずの、精子と卵子が受精するとき、その父親や母親がアルコールを摂取していたとすると、それが、ある種の悪影響を及ぼすというものである。父親が飲酒していたときは、子供の呼吸器に障害が現れ、母親が飲酒していたときは、子供が「巨頭症」になるという。これらの障害や症例が、ドンぴしゃりと当たっていないとしても、何らかの悪影響があるかもしれないということは、じゅうぶんに考えられることである。

 父親や母親が仮に精神病や精神疾患であるとして、その苦しさをまぎらわすために、お酒におぼれていたということは、よくあることかもしない。「アル中」も、精神病や精神疾患の一種である。このような状況で生殖活動にとりくみ、生まれてきた子供としては、「精神病は遺伝する」と見なされても、何も反論できないかもしれない。

 精神病が遺伝するように見えているのは、「アルコールに対する耐性が遺伝する」ということの、副次的な現象だと、私には思える。統計的な調査をするのは難しいことかもしれないが、大学の理学部生物学科における遺伝学教室に所属する研究者なら、この問題に対して、科学的なメスを入れることができるかもしれない。

 このような議論をしても、芥川龍之介が、けっきょくは精神病になって自殺したではないかと反論され、それで終わってしまうかもしれない。しかし、この判断は早計だと思う。現代では、それほどはっきりと「精神病」のなかに含まれていない、「うつ病」になる人が、どんどん増えており、リストラされ、仕事を失って、それらの症状に苦しみつつ、自殺するしかないと考えてしまった人々が、ほんとうに、そうなってしまっている。そのうち誰かが、「自殺は遺伝する」とでもいいかねないくらいだ。

 心霊現象

 芥川龍之介の作品の中に「心霊現象」を取り扱ったものとして、他に、「藪の中」[6] がある。この中に「巫女の口を借りたる死霊の物語」とタイトルづけられた一章があり、15歳のとき、この短編を読んで、つい笑ってしまった。格調高い文学小説のなかに、このようなものがあるということに驚かされて。

 「河童」においても、河童の詩人トックが自殺するという事件の描写が「十三」章で語られたのち、「十五」章で、トックの住居が「写真師のステュディオ」になり、そこで撮影した写真に、トックの姿が写っているという現象が起こって、「死後の生命」や「霊魂」のことをしらべるため、「トックの幽霊に関する心霊学協会の報告」というものが紹介されている。このあたりの、語り口の転換のためのプロットだては、さすがに、プロ中のプロだと思えてくる。

 霊媒は「もと女優のホップ夫人」であり、質問者は心霊学協会員(年齢順に質問したとあるので複数)で、質問者が「問」、ホップ夫人の体を借りたトックの発言が「答」とされ、ドラマのシナリオのように記されてゆく。

 芥川龍之助の短編小説では、世の中にある、さまざまな表現スタイルが巧みに取り入れられ、「芥川龍之介独自の文体」というものを想定させない。おそらく、ある種の作家たちは、自分の文体を固定することを嫌い、どのように変化し続けられるのかということに挑戦しようとしていたのだろう。「河童」という短編小説に心霊現象についての文章を組み込むのは、幾分かは、作家としての、変化を求める性向にもとづくのであろう。現代では、漫才師や俳優たちが、競って、このことにチャレンジしている。

 「生活教」

 そのような目先の変化の影に隠れて、「宗教」についてのあれこれも、この「河童」には書きこまれている。

 河童の世界にも「基督教(キリストけう)」「仏教」「モハメット教」「拝火教」があるとしている。このあたりの名前づけについて、何の工夫もなされていないのは、これらが、単なる比較のベースになるものであるからのようだ。

「河童」の中では、人間の世界でも知られている、これらの宗教に対して、河童の世界独自のものとして、「近代教」もしくは「生活教」というものが、最も勢力をもっているとされている。このあと、これは「生活教」という用語で統一されて説明される。

 「生活教」のことを河童語で何と呼ぶのかということの説明が、少しばかり展開されていて、これがなかなかおもしろい。

「生活教」の原語はQuemoochaなのだそうだ。ここでchaは「英吉利(イギリス)語」のismという意味に相当すると論じている。もちろん作家の嘘に違いない。つづけて、quemooの原型quemalの訳が、「飯を食ったり、酒を飲んだり、交合を行ったり」することだと書いている。このような、まったくの嘘を、さも本当のことのように、自然な雰囲気の中で語ることができるのが、小説家や漫才師などの、磨き上げられた才能の一つである。

 芥川龍之介は「河童」の中で、この「生活教」を、河童の世界独自のもので、人間の世界には無いものとして書きこもうとしているように見える。私は、この「河童」を読み進み、15歳のときには、まったく無視していたようだが、そののちの40年にわたる、離散的な学習による知識を参照してみたとき、「これは、私たち人間の世界にも、古くから存在していたのではないか」と気がついた。

 芥川龍之介が皮肉ぎみに定義した「生活教」ほどではないかもしないが、「基督教(キリストけう)」「仏教」「モハメット教」「拝火教」に対して、人間のほんとうの姿や生き方を求めつつ、生きる意義の重みを、死後の世界にではなく、現在生きている世界での活動、つまり、現在の生活のところに置くべきだと主張している「宗教」もあるのだ。

 それは、地球での宗教としては「ゾクチェン」[7] と呼ばれているが、ゾクチェンの文献によれば、「ゾクチェンは地球(が所属する太陽系)以外の十三の太陽系でも教えられている」[8] そうだ。「宇宙においては地球人だけが単独に発生した」と考えている、深い重力井戸の底にいる、私たちのような「カテゴリー1」のヒューマノイドにとっては、容易に検証できることではない。しかし、色々な証拠となる情報を集めてゆくことによって、まったく頭から否定すべきことではないことが分かってくる。

 また、現在では、「宗教」としての要素から、かなりの部分が切り離されている、「ヨガ」の原典などを調べてゆくと、これも、ある種の「生活教」の一種であったことがうかがえる。

  あとがき

 「まとめ」とタイトルづけるほどのことを論じるつもりではなかったし、そのような時間もない。私にとっては、目の前にある「旅行の試験」のための学習に集中することこそが、「生活教」の教えにも沿うはず。とはいえ、せっかく育てた「treeman9621」のツリーページを生かしつづけるための「水」や「こやし」を与え、さらなるページの「植樹」を行ってゆく必要もある。そのことが、私を「まんなかの状態」にコントロールしておくコツの一つでもあるから。

 (2010.09.04 Written by Kinohito KULOTSUKI [@] KULOTSUKI ANALYSIS INSTITUTION)

 参照資料
[1] 「文学作品の舞台」
[2] 芥川龍之介「河童」、筑摩現代文学大系24 芥川龍之介集、筑摩書房1981

[3] 超巨大「宇宙文明」の真相、ミシェル・デマルク著、ケイ・ミズモリ訳、徳間書店1997

[4] スタニスワフ・レム「大失敗」、久山宏一訳、国書刊行会2007

[5] RaN31 ルドルフ・シュタイナーの「健康と食事」
[6] 芥川龍之介「藪の中」、筑摩現代文学大系24 芥川龍之介集、筑摩書房1981

[7] ゾクチェンの教えとハトホルからのメッセージ
[8] 「ゾクチェンは地球(が所属する太陽系)以外の十三の太陽系でも教えられている」
  存在の不思議は宇宙をかけめぐる?

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