RaN115 存在意義のあるホームページの構成法(復刻・加筆)
RaN115 How to Make HP with Its Being Sense

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 概要

 ホームページにおける存在意義についての要素を取り上げ、それらについての、ホームページの構成法について考察する。

 存在意義のあるホームページについての「視点」

 視点
 私はRaN111 SEOに沿うホームページの構成法[1]の「(3)内容(@存在意義 A興味・関心 B利用価値)」において@〜Bの要素を並べたが、それらのAとBについては触れずに、もっぱら@の「存在意義」についてのみコメントした。「@存在意義」という要素は、「A興味・関心」や「B利用価値」をも含む、抽象的な、より上位のものであると考えたからである。「ホームページにおける存在意義」の中を詳しく見ると、そこには、「A興味・関心」や「B利用価値」も含まれている。他にも色々あるかと思う。それらを列挙していても、キリがない。
 このような要素について考えてゆくときに大切なのは「どのような視点に立つか」ということである。

 SEO対策
  「ホームページの存在意義」について考えるきっかけとなったのは、「SEO対策」という問題であった。ここには、広告や商業活動というファクターが入ってくることが多い。ホームページに広告をあっせんする中間業者のコメント文を読むと、上記の「A興味・関心」や「B利用価値」が目立って多く現れる。私たちは、いつのまにか、このようなシステムの中で、ホームページの中心的な価値を「経済活動における評価単位」へと誘導されてゆく。
 私たちの多くが、自分たちのホームページを立ち上げようと思ったときの「原点」に立ち戻って考えてみよう。おそらく、最初から「経済活動」を意識していた人は少ないことだろう。会社などの法人では、この逆のはずだ。この時点で、これらの対象を分けておく必要がある。ここから先の議論では、前者を対象としてゆく。

 ホームページへの期待
 多くの個人がホームページやブログを立ち上げるとき、それらに何を期待していたのだろうか。おそらく、私たちの意見や考えや、体験したことの、色々なことを、他の人々にも知ってもらいたいということではなかっただろうか。
 私自身のことを振り返ると、もうひとつの要素があることに気がつく。それは、自分自身を満足させるということだ。もっとリアルに言うと、自分の自尊心を満たすということにある。もうすこしきれいに表現するなら、自分自身の可能性にチャレンジしたいと思うことかな。何かみんなが驚くようなことをやりたい。みんなが「スゴイ」と言ってくれるようなものを生み出したい。このように考えて、ホームページの新たなニッチを見出し、メガヒットとなるようなものを生み出した人もいるはずだ。このようなことを否定する理由は、とくに無いように思える。

 二つの視点
 これらの考察をまとめて、次のような、二つの視点を、私は提案する。

 (A)自分のためのホームページ
 (B)みんなのためのホームページ

 「自分のためのホームページ」における存在意義

 リンク
 「旅行の資格試験」の勉強のために、「国内地理」で出題される項目についてのノートを作り、ここで参照すべきページにリンクを張らせてもらうことにした。コピペはモラルに反するし、画像の無断使用は法に触れるおそれもある。これらの問題は、解説ページへとリンクを張ることによって解決する。他からのリンクは、SEO対策のための、ロボット検索エンジンの評価点が高まることになるので、「どうぞご自由に」と記しているケースが多い。これらの参照リンクページを選んでいると、ページの構成法にいろいろあって、コメントしたくなる問題点が見えてくることになる。
 「寺社」についての参照ページを探していると、何人かの方が、眺めやすく読みやすいものを公開していることに気づいた[2] 。観光地となるところでもあるので、写真も何枚か組み込んで、それらの解説コメントを書き込んでいる。撮影できない仏像などについては、作者の手によるスケッチ。熱心さが伝わってきて、温かい気持ちになる。解説文においても、自分自身が疑問に思ったことについて調べて、ホームページに「深み」を加えている。明らかに義務的なものではないと感じ取れるホームページの大部分は、このような、個人によって生みだされている。公共の組織が作るものや、明らかにプロの業者に依頼して作ったものにはない、人の心がこもったホームページのほうを、私は、じっくり読みたいと思う。

 回遊魚のように
 私自身が私のホームページに、まるで、泳ぎ続けていないと死んでしまう回遊魚のように、ほとんど途切れることなく新たなリーフページを増やそうとするのは、私を構成している何らかの「体」が、「ホームページにまつわる創造活動」の中に、まるで肉体が要求する食物のような、「未知のエネルギーにかかわる代謝現象のようなもの」を感じとっているからだろう。
 若いころ夢中になっていたスポーツの活動とも、よく似ている。体内に蓄えた化学エネルギーは損するし、筋肉線維が壊れて動きにくくなってしまう。どう考えても、損ばかりしている。しかし、それらの損する期間のあと、それまでの自分とは違った状態に変化することがある。このことを積み重ねていったら、思ってもみなかったような自分に変わることができる。このことのために、私たちはスポーツの魔力に取りつかれてしまう。

 スポーツと同じように
 自分にいったい何が生み出せるのか。自分がいったい、どのように変わってゆけるのか。これらのことを試すプロセスの一つとして、スポーツと同じように、ホームページの制作にのめりこんでゆくというケースがある。このことによって、生活のベースを失ってしまわないように心がけておくべきではあるが、ホームページの制作に、このような意義を見出すことは、決して間違ったことではない。このような視点にあるとき、ホームページのテーマとなるものには、法やモラルに反するものでなければ、何だってかまわないだろう。

 検索ランキング
 このとき、生みだしたホームページの一つが、あるキーワードの検索ランキングにおいて、上位にあろうが下位にあろうが、そんなことはどうでもよいと考えることもできる。しかし、スポーツのことを考えてみれば分かるように、ある基準のもとで競争するという目標や動機づけのようなものがあったほうが、自分自身の変化を呼ぶためには、より効果的であろう。これによく似た意味で、ホームページの一つが、あるキーワードの検索ランキングにおいて、しかるべき評価として認められる位置を占めるようにと、工夫や努力を重ねてゆくことは、この視点での「ホームページの存在意義」と結びつくことになるだろう。
 だから、ここでも、可能なかぎりSEO対策を講じて、自分の可能性にチャレンジしようと思うわけだ。

 「みんなのためのホームページ」における存在意義

 コンテンツ
 ホームページに広告をあっせんする業者の案内書に、「コンテンツ(内容)による影響が最も大きい」というようなことが記されていた。それらの説明を読んでゆくと、なんとなく、ホームページへの「A興味・関心」や「B利用価値」という要素が意識されていることが分かる。
 ホームページを制作している人だけでなく、そのホームページを訪れる人のことを考えてゆくことになる。しかも、「広告」のことを考えれば、訪れる人のタイプや数のことが問題となってゆく。ここでは「広告」のことはメインではない。訪れる人のタイプは、コンテンツに従って自然に決まってくるだろう。残った要素は「数」である。もうすこしまるく言いあらわすとしたら、「みんなが訪れたくなるホームページというものは、どのようなものなのか」ということ。
 抽象的な議論をさけるため、具体例をあげてゆこう。かってに他の人のホームページについてあれこれ言うと問題も生じるので、私のホームページをサンプルとする。

 スポーツ解析
 「黒月樹人のホームページ」は「スポーツ解析」[3] から始まった。スポーツといっても、まったく、陸上競技だけのことである。陸上競技については、自分でもやっていたし、教師時代には生徒を選手として指導していた。教師を辞めてからも、自分自身の健康やストレス発散のため、ときどきオールウェザートラックで走り、なんとかして棒高跳の試合に出ようとか考えて、あれこれとトレーニングを続けていた。同じグラウンドでトレーニングしている高校生や大学生とおしゃべりすると、トレーニングのコツなどを聞かれたりするようになり、こちらも、いっしょにトレーニングする仲間がいたほうが「楽」なので、ボランティアでのコーチを引き受けることになる。そのような流れで、コーチとしての指導者をもたない若者たちに、私が獲得してきたノウハウを伝えるということに、ある種の喜びや意義を見出し、このことを動機として、私は、陸上競技の種目における力学的なメカニズムを解き明かそうとしていった。棒高跳やハードルを教えるのはたやすかった。このように複雑な動きの種目については、どこをどうすればどうなるのかということが、比較的よく分かる。指導に困ったのは、走幅跳の踏切や、短距離から中長距離までのランニングフォームのような、誰でもできそうな、シンプルな動きのものだった。
 話しだすとキリがない。「黒月樹人のホームページ」を立ち上げて「スポーツ解析」をメインとしていたとき、私は、この内容を手掛かりとして、経済的に自立できないだろうかと考えていた。しかし、陸上競技の指導でプロのようにやってゆけるのは、一部の長距離コーチだけであった。それ以外の種目についての指導者は、ほとんど「教育」の世界に所属しており、そうではない場合はボランティアである。

 キメラミーム
 「黒月樹人のホームページ」のメインテーマは「キメラミーム」[4] へと移ってゆき、私はハローワークを経由して仕事を探すことにした。これによる単調で過酷な仕事を終え、くたくたになりつつも、わずかばかりの自由な時間を使って、何かウェブの世界で、「私にもできること」を探すことにした。私は、ウェブの世界で問題とされていることの中で、私の学習能力や職業経験に照らし合わせて、考察することができると思われるものにチャレンジすることにした。このとき制作したページが、初めてグーグルの検索ロボットの「目」に止まり、「黒月樹人のホームページ」をウェブの世界で探し出すことができるようになった。
 過酷な仕事が続いたため、私の右手の神経が悲鳴をあげ(実際は静かに進行していった)、突然、右腕が自由に動かせなくなった。アルバイトだった仕事は続けられなくなった。少しばかりの貯金をたよりに、治療に専念することとなる。ただし、このまま何もしないでいると、何度も陥ってきた「うつ状態」へと向かうかもしれない。このことを恐れた私は、左手だけでハンドルを操作し、図書館に向かった。何か、私にでもチャレンジできる問題に取り組もうとした。

 CPP
 右腕もなんとか動かせるようになって、仕事を探さなければと思ったころ、リーマンショックが起こった。私は何度も仕事を探してトライしたが、うまくいかなかった。このとき、コンピュータ関係の仕事に応募するとき、面接までの時間が二週間以上あったので、C言語の学習をすることにしたところ、どんどんと学習が進み、セミプロの一歩手前くらいの力がついた。このコンピュータ関係の仕事も、年齢か交通費か何が問題だったのか分からないまま、消えてしまった。私は、これまでにない、ユニークなコンピュータソフトを制作して売ればよいと考えた。
 C言語を使ってチャレンジしたのは、新しい機能をもつ画像解析プログラムであった[6] 。私は、この、新しい機能に「ゴブリンアイ」という名をつけ、次々と機能を充実させていった。このような取り組みによって、これまで無視されていた、科学分野の画像の、極小領域の、ほとんどデジタルモザイクパターンの中から、あるていど認識可能な、リアルなイメージに近いものを再構成することができるようになった。私は、これらの技術を使って、宇宙の観測画像を調べた。すると、水星や、土星や木星の衛星の画像の中に、自然物とは思えないものや、あまりにも巨大な生物のイメージが見つかった。私は、これらの画像を、解説文を添えて、「心の多面体」にある「クール・ペッパー・ページ(CPP)」のシリーズ[7] として公開した。
  (2010.09.10 Written by Kinohito KULOTSUKI)

 馬鹿なこと
 ここのところで、私は「幽霊変換」について語っている。
 2010年の段階では、この「幽霊変換」もまた、空論であるということが分からなかった。
 2018年になってようやく、この解析ページをゆっくりと読み直す、精神的な余裕のようなものが生まれていた。あとひとつ、現代の遺伝子操作によって変えられてしまった小麦粉のグルテンによる、中枢神経系へのダメージを避けることを心がけたことが、強く影響したかもしない。
 これまでになく冷静な態度でふるまうことができるようになってきた。
 ある日、「幽霊変換」をもっと分かりやすく書き直すべきだと考えた。そして、ゆっくりと読み直して、これがまったくの空論であることに気がついた。
 少しだけ時間をおいて、これまでに書き記して公表していた、「幽霊変換」や、それに関連する、「アインシュタインの特殊相対性理論の批判ページ」を、片っ端から削除していった。
 これらをまとめていた「キメラミーム」というブランチページが、空っぽのようになった。
 この世界の物理学という伽藍(がらん)の、太い柱の一本ともなっていた、「アインシュタインの特殊相対性理論の不思議な世界」にケチをつけようなんて、とんでもなく「馬鹿なこと」をやろうとして、まるで、そんなことをなしとげることができたかのように、まるで幽霊のように希薄で不確かなものを、紙の飾りを絡ませただけで、見せびらかせていたのだ。
 しかも、10年間も。
 恥ずかしいと思った。
 やはり私は「正気ではなかった」のだろうか。
 それでは私がやってきたこと、生きてきたことの意味がなくなる。
 私は、空っぽになってしまった「キメラミーム」のブランチページを眺めながら、手作りの板張りベッドに横たわり、ぐるぐると、頭の中の黒板に、思い浮かぶかぎりの落書きを描いた。
 そうしているうちに、ふと、これを調べてみようと、考えがまとまることがあった。
 それを調べるためには、何時間もかかる計算に取り組む必要がある。以前なら、そこであきらめたかもしれないが、2018年の私には、時間はたっぷりと用意されていた。
 ふたたび、「馬鹿なこと」であるはずの、「アインシュタインの特殊相対性理論の不思議な世界」について、原著から読み直し、細かく分析して、どこかに何かおかしなところがあるはずだ、と思い続けることに取り組んだ。
 2018年の、一度空っぽになった「キメラミーム」に、以前の解析ページとは比較にならないような、シンプルでありながら、ずうっと力強いものが生まれだした。
 はたして「正気でなかったのは」どちらなのか。
 私はそのことを証明するために、私のこのあとの人生をかけてゆきたいと思う。
 (ちょっと大げさかも)
  (2018.09.04 Written by KULOTSUKI Kinohito)

 参照資料

[1] RaN111 SEOに沿うホームページの構成法
  http://www.treeman9621.com/RaN_2010/RaN111/How_toMakeHomePage_forSEO.html
[2] 「寺社」についての参照ページ
  http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/toudaiji.htm
  http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/tousyoudaiji.htm
  http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/yakusiji.htm
[3] スポーツ解析
  http://www.treeman9621.com/treeman9621_sport_analysis_center.html
[4] キメラミーム
  http://www.treeman9621.com/CHIMERA_MEAM_TOP.html
[5] 「幽霊変換」という論文ページ(削除)
[6] C言語での、新しい機能をもつ画像解析プログラム
  http://www.treeman9621.com/C_Program_of_KAI_Main_Page.html
[7] クール・ペッパー・ページ(CPP)のシリーズ
  http://www.treeman9621.com/treeman9621_mind_polyhedron.html

 

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