誰でも空気の精シルフを見ることができる
RaN33 Everybody Can See Sylph as Air Elemental

黒月樹人のランダムノート(Random Note by Kinohito KULOTSUKI)

RaN33 誰でも空気の精シルフを見ることができる
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 ルドルフ・シュタイナーの本の中に「天使たち 妖精たち」[1] というものがある。ここでは、まず「妖精」のことが述べられ、「天使」についての体系的なことが述べられている。前半の「妖精」についての物語を読むと、まるで、民話か童話のように思えてくる。後半の「天使」についての解説を読むと、宗教の説教のように思えてくる。どちらも、私たちの現実世界とは、遠く離れたことのように思えてしまう。

 ルドルフ・シュタイナーは、民話や童話を語ろうとしているわけではないし、宗教の知識についてコメントするときも、これらの世界について、「精神科学」の立場から、あたかも唯物論の視点にたつ現代科学者たちと同じような口調を保ってゆく。ルドルフ・シュタイナーの「精神科学」と、唯物論の現代科学者たちの「物質科学」とを比較するとき、この世界が、まったく物質的なものだけで成立していると考えるなら、「物質科学」での説明のほうが、より論理的なものと見えるだろう。しかし、この世界は、物質的なものだけで成立しているわけではないということの証拠を、私は、植物のカー体を、現代科学の手法で観察できるということを示すことによって明らかにした[2]

 植物のカー体は、植物の物質体を包み込むようにして存在している。まるで、カエルの卵をつつむ寒天体のように、植物の周囲を透明な何かが被っており、物質として、それに触れることはできないが、光を屈折させる、コンター解析における密度の大きな領域を生み出している。やや物質的でもあり、ほとんど非物質的なのである。光学的には、やや半透明であり、ほとんど透明なのである。

 私たちが存在している空間を、3次元と見なす視点がある。これに時間を加えて「4次元時空」というものを考えるもととなった、アインシュタインの特殊相対性理論は、まったくの空論であることが分かった。ミンコフスキー空間というものは、まったく、理論上での空想にすぎない。時間を空間と置き換えることができるとするアイディアは、ローレンツ変換の理論において採用されたのであったが、このローレンツ変換というものが、数学的な誤解から生まれたものであり、正しい数学的な論理からは、まったくの空論であったのである。これらのことについては、「幽霊変換」[3] へと収束する、私の、一連の論文によって明らかにしている。つまり、空間と時間を同一視するというアイディアは、単なる空想であり、現実的には、何の根拠ももたないものなのである。だから、私たちが存在している空間については、空間次元だけの3次元と考えたほうがよいだろう。

 ところが、カー体は、この3次元空間の物質として、とりあつかいにくい。これは、あたかも、私たちが感じている3次元の物質世界のなかに、ほんの少しだけ所属しているものであるかのように見えている。

 このような問題をすっきりと理解させてくれるのが、「オクターブ空間」というものである。このような用語は、まだ存在していないと考えられる。幾つかの文献で述べられている視点について、それを象徴する、かんたんな用語として、私が規定したものである。それでは、「オクターブ空間」というものは、どのような視点であるのか。

 このことについて詳しく述べているのは「ハトホルたち」である[4]。「ハトホルたち」は、金星の高次の空間に住んでいる存在たちのグループであり、3次元空間にすむ、私たち地球人の肉体を借り、チャネリングという現象によって、さまざまな知識を、私たちに伝えている。ハトホルたちによれば、私たちの物理学者が知っている宇宙というものは、ほんとうの姿の、ほんの一部にしかすぎないということである。私たちが物理空間としてとらえている世界は、原子や素粒子といった、物質の振動数に対応したものであり、この振動数が、もっと大きなところに、別の安定した「節」となるところがあって、その振動数に対応した世界があるのだそうだ。このような「振動数の節」と「空間」との対応は、「弦の振動数の節」と「音」というものと、非常によく似ている。「ハトホルたち」は、音や声についての不思議な知識も、いろいろと語っているが、これらについては、それほど理論的な説明はされておらず、神秘的な言明となっている。

 「ハトホルたち」の知識と、「アフ」の知識[5]、そして、地球での存在としては、「ルドルフ・シュタイナー」の知識が、おおきな矛盾なく、統一的な宇宙観を描いている。

「アフ」という存在によれば、この宇宙には7つの領域があるという[5]1つめの領域が、私たちの物質世界である。2つめの領域は、「怒りや苦しみや混乱に対処しようと試みる悩める者たちによって作りだされた、より暗い場所のこと」であると、簡潔にまとめられている。私たちの文化が生み出した「地獄」に対応しているかもしれないが、「アフ」は、私たちが地獄を熱いものとして考えていることを皮肉って、「これらの区域は熱くなく、不気味に冷たい」と、ある種のジョークで、まとめている。「領域3は光と美の諸世界のうちの最初の界層」で、私たちのほとんどが、死後におとずれる領域であるという。「天国」や「極楽」にあたるのだろう。単純には、領域2と領域3を合わせて、あるいは、それ以上の数次の領域をふくめて、一言で「霊界」と呼ばれることがあるようだ。シュタイナーによれば、「霊界」のさらに上に「神界」があるという。「アフ」によれば、領域4から領域7までは、意識の拡大に応じて、領域の数字が大きくなっていくということで、「アフ」は、その領域6に所属しているのだそうだ。「アフ」の意識は、多くの銀河系にわたっているということである。それでも、地球人のたった一人の肉体を利用して、チャネリングにより、具体的な話をするというのである。「アフ」のコメントの中に次のようなものがある。

「物質界や、みなさんが物質界について感知していることがらだけが宇宙のすべてなのではない。単にみなさんの宇宙と波動のレベルが異なるだけの、みなさんに知覚できない物理的な『別の』宇宙も無数に存在している。つまり、わたしはこの宇宙の女神であっても、最高位の神ではない、ということなのだ。」

この「最高位の神」は領域7に所属しているということらしい。

「ハトホルたち」は「金星のエーテル界」にいるという[4]。別の表現として、「あなたがたの兄であり姉であるわたしたちは、こことは別の、あなたがたが四次元と呼ぶ周波数の領域」にいると述べている。「アフ」における領域3なのかもしれない。ここで述べられているように、領域の違いは、周波数の違いに対応しているということである。それを「三次元」とか「四次元」と呼ぶのは、私たち地球人の考えにすぎない。数学的には、四次元は、座標軸が4つある空間ということになるが、どうやら、そのようなものではなさそうである。

 私たちが存在している世界においては、私たちが認識できている領域1と重なって、他の領域の世界も、同時に存在できるという。それは、単なる周波数の違いなので、すかすかの空間において、回転数の遅いプロペラと、回転数の速いプロペラとが、互いにぶつかり合うことなく、それぞれ半透明になって存在することができるようなものだそうだ。

 私は、この世界についての画像を、いろいろな手法で調べていて、この世界を物質として理解するだけでは説明がつかないものが、ときどき映っていることを見てきた。これまでの銀塩写真であったなら、光についての、撮影時における何らかの失敗か、現像時における何らかのゴミであると考えられて、まったく無視されてきたかもしれない。しかし、デジタル写真画像では、現像時におけるゴミという問題からは切り離される。レンズについたゴミの問題や、強すぎる光によるハレーションが、どのような幻像を生み出すかということについても、何度か繰り返してテストしてゆけば、理解することができる。このような「罠」をくぐりぬけ、それでも残ってしまう、不思議なものが幾つかある。

 ひとつめの画像は、ある日の夕暮れの空。図1である。


CPP117参照 あるいは画像をクリック

 この「ある日の夕暮れ」の空には、不思議なものが写っている。拡大して見ると分かるのだが、まるで、小さな羽虫のようなものが、無数に存在しているのである。しかし、撮影したときのことを思い出してみると、そのようなものは、肉眼では観察できなかったし、触感として感じることも無かった。これだけの密度で羽虫が飛んでいれば、かなり、うっとうしいものである。ところが、そのような感覚は、まったく無かった。空は晴れて澄んでいたし、季節は冬であり、生物の多くは眠っている状態であった。

 図1の解析領域Aについての、拡大なめらか補間画像が図2である。図1には、圧倒的に多数の黒っぽいものが写っているが、それらの中に白っぽいものが紛れている。この白っぽいものを一つ含んだ領域をした。

 図3は画像Bについてのコンター解析画像である。図2で、ぼんやりとした黒と白の斑紋のように見える部分が、ゆがんだ同心円状のパターンで表わされている。これらの陰影のグラデイションが、このような、ゆがんだ同心円状によって示されており、これらの斑紋が、立体的な構造をもっていることを意味している。あまり複雑な構造は認められないが、膨らんだ楕円体かボールのようなものが映っていることになる。小さな羽虫ではないことが分かる。虫や鳥のようなものであれば、それらの体形による差異が写っているはずである。ところが、これらの立体的な斑紋は、なめらかな外形をもっている。しかも、これらは肉眼では見えない。大きさとしては、小さな鳥よりよりは小さいが、花粉や浮遊ゴミよりは、はるかに大きなものである。このようなものが物質体として存在しているとは、どうも考えられない。しかし、デジタル画像としては、このように、確かに映っている。図4ではコンター間隔を広くして描いたものである。白と黒の斑紋が独立していることが示されている。



 次の図5では、画像Bの色加味解析を行った。黒っぽい斑紋は、周囲に一定の色による帯領域をもっている。これは、植物画像での「カー体」の状況に似ている。このことだけで、これらが何らかの生物であると判じることはできないだろうが、周囲の連続した配色の世界とは独立したものであると考えられるだろう。



 図6では、画像Bのゴブリンアイ解析画像(C)を示した。白っぽい斑紋の立体的な陰影が分かりやすくなっている。次の図7は、この画像Cについて、1A配色という、図5とは異なるもので色加味解析したものである。白っぽい斑紋の周囲に、水色での一定色の帯が描かれている。この白っぽい斑紋も、周囲から独立したものであることが分かる。

 ここまでの画像は2009年の2月ごろのもの。冬の夕暮れの空であった。次の図8は、同じ2009年ではあるが、10月のものである。撮影場所は、数十キロメートル離れている。地域性や季節性があるのかどうかは、まだ分からない。10月の画像では月が写っているが、この前に私は、夕暮れの車を撮影していた。図7までの画像と図8からの画像に共通するのは、いずれも夕方のものであるということであるが、ここに取り上げない画像で、日中のものについても、同様のものが写っていたことがある。

 図8の画像をピーチ解析したものが図9である。ピーチ解析は、光や色が偏った画像を、バランスのとれたものへと変換するものである。暗くなりすぎていた月夜の画像を、適度に明るいものへと移し変えたことになる。図8は肉眼で分かる明るさではなかったが、図1では、何らかの虫などがいたとしたら、肉眼でも分かったはずである。図8での状況でも、私は、虫などの大群が飛んでいるとは感じなかった。

 図9に示した、赤枠の解析領域Fについて、拡大なめらか補間を行ったものが図10である。図2と非常によく似ている。図10に対してコンター解析を行ったものが図11で、色加味解析を行ったものが図12である。白っぽい粒子と黒っぽい粒子が確認できる。いずれも、周囲の空間において、独立したものであると考えられる。






ルドルフ・シュタイナーの「天使たち 妖精たち」という本に「妖精」のことが述べられている。ここには、物質世界とは異なる、「エーテル界」に存在するという四種の精霊のことが示されている。これと全く一致する内容のものを、「ハトホルたち」は、「聖なる四元素」と呼んでいる。これらは、物質界ではなく、「意識そのものの精妙な領域」にあるそうだ。シュタイナーが「エーテル界」と呼ぶものと、「ハトホルたち」が「エーテル界」と呼ぶ領域は、ひょっとすると、異なるものであるかもしれないが、いずれも、物質界ではないようだ。物質世界にないものが、どうして、物質世界でつくられたデジタルカメラで記録できるのか。おそらく、これらの世界の違いが、単なる周波数の違いにすぎないのだが、有能なデジタルカメラの能力は、これらの周波数世界のいずれをもカバーしているのだろう。そうでなければ、ときとして、この世 (物質世界) のものではないはずの「幽霊」が写るはずがない。これらの、「領域2」もしくは「領域3」の存在は、「領域1」のデジタル画像でとらえることができるようだ。ただし、肉眼では識別できないし、通常の撮影モードでの画像では、うまく分離することができない。ピーチ解析やコンター解析、あるいは、ゴブリンアイや色加味の機能を使うことにより、これらの異次元世界のものを「見る」ことができるのである。植物の物質体の周囲にある「カー体」や「オーラ」も、通常の肉眼では識別しにくいものである。それが、実際に「見える」ようになった。こうして、私たちは、これまで、宗教や空想の世界のものであると思ってきたものの中に、ほんとうに存在しているものがあるということを知ることができるようになったのである。

「ハトホルたち」は、「聖なる四大元素」を「土(EL)」「火(KA)」「水(LEEM)」「空気(, OM)」と呼んでいる。これらの「四大元素」は、「意識そのものの精妙な領域」で、意識をもって生きているものであり、このことは、地球における、「多くの未開文明」や「先住民族文化」では合意事項であったという。私たちの現代文明においては、これらの「自然元素」と「人」とのつながりが失われてしまい、いろいろな問題が生じているのだそうだ。

シュタイナーの「天使たち 精霊たち」[1] での用語は、西洋文明の古代からの言い伝えに沿っており、「土の精霊グノーム(Gnomus)」「火の元素霊サラマンダー(Salamander)」「水の元素霊ウンディーネ(Undine)」「空気の精シルフ(Sylph)」となっている。他の3つの精霊について、何らかの画像で識別するのは難しそうであるが、今回解析対象としている、空気中にあるものなら、なんとかなりそうである。

私たちが知っている物理世界というものは、これの次にあるという、より精妙な世界と、ただの「周波数」が異なるだけで、それらは、同じところに重なって存在しているということのようである。たとえ「空気の精シルフ(Sylph)」が「幽霊の世界」に所属するものであっても、これがデジタル画像に撮影されていて、それなりの工夫をすれば、これらの映像を分離し識別できるのだろう。このようなことが起こっている可能性は、ひじょうに大きい。

 (2010.04.08 Written by Kinohito KULOTSUKI [@] KULOTSUKI ANALYSIS INSTITUTION)

 参照資料

[1] ルドルフ・シュタイナー「天使たち 妖精たち」西川隆範訳, 風濤社2000

[2] 植物のカー体

CPP179 葉のカー体
CPP181 杉の葉のオーラとカー体

CPP181 Aura & Ka Body of Japanese cedar Leaf

CPP182 デジタルカメラの画像による杉の葉のカー体

CPP182 Ka Body of Japanese Cedar Leaf by Digital Camera Image
CPP183 野生植物の葉のカー体
CPP184 NASAが 見つけた火星の植物像もカー体をもっている
CPP185 火星の砂漠 には樹木以外にまだ何か生物がいる
CPP186 火星の「塵 の星状堆積物」は群生植物かもしれない
CPP187 生きている 化石メタセコイアは巨大なカー体をもっている

CPP188 ハリモミは カー体の外側に光るオーラをもっている

誰でも植物のカー体を見ることができる
誰でも植物のカー体やオーラを見ることができる

[3] 黒月樹人「幽霊変換」

http://www.treeman9621.com/PHANTOM_TRANSFORMATIONS_Japanese.html

[4] 「ハトホルの書」, トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著, 紫上はとる訳, ナチュラルスピリット 2003

[5] 「輪廻を越えて」, ジュリー・ラドン◆著, 片桐 すみ子◆訳, 人文 書院, 1996.06.30

[6] ゴブリンクォーク2 (gqu)

http://www.treeman9621.com/C_Program_of_KAI_Main_Page.html

ベクターのgqu ページ http://www.vector.co.jp/soft/winnt/art/se481681.html

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