RaN34 「ラー文書」について
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黒月樹人のランダムノート (Random Note by Kinohito KULOTSUKI)
RaN34 「ラー文書」について

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 その日は昼すぎに学生たちや生徒たちが街にあふれだしていた。すべての学校が午前中で終わっている。ああそうか、始業式だけなのだ。桜の花が咲き、中には、緑の葉をつけ始めているものもある。早いな。私がいつもいるところでは、日当たりのよいところでしか、まだ桜は咲き始めていない。車の後部から、マウンテンバイクを引きずり出し、ぎしぎし言っているペダルの接合部に、もってきておいた油をさした。森の図書館で本を五冊返し、代わりの五冊を借りていたのだが、重くなるので、それらを車の中へと取り出し、ほとんど空っぽのデイバッグを背負って、ペダルへと足をかけた。

 森の図書館の公園にもメタセコイアがあったのには驚いた。ほとんど葉をつけていないコナラの巨木も、薄青い背景の空の中で、カー体が屈折させる青い光を、ショールのようにまとっていた。ここに植えられている主な樹木には、ことごとくネームプレートが取り付けられている。植物園で撮影した針葉樹につづき、何種類かの広葉樹の画像を、この日記録することができた。あとは、イチョウの木を、どこかで撮影する必要がある。近くのどこかに、イチョウを植えている神社か寺がないか、少し考えてみたが、そんなことより、なんだか本屋に行きたくなった。森の図書館で、新しい五冊を借りたばかりだし、読み続けていて、すでに借りてある五冊が家でまっている。それなのに、行きたいところは、植物園でもイチョウのある神社や寺ではなく、本屋だというのだ。論理的には、まったく正反対の判断だった。こんなことなら、車に自転車を積んだまま、その車で向かってもよかったのになあと、自転車で風を受けながら思った。

 いつもは通らない高速道路のわき道へと逸れた。いつだったか、事件にかかわる身代金のようなものを、犯人が受け取るために利用したところだ。高速道路で警備していた車などが、すぐには追跡できない道路ということになる。ここを下ってゆくと、この道路の特殊な事情が、すぐに分かった。いつもの、本屋へゆく道路の下をくぐることになって、そこへはつながっていない。それでも、しばらく進むことにしたが、高速道路に後から設けられた防音フェンスの外側で、忘れ去られている樹木たちが、花を咲かせながら背伸びをしているのが見えるだけで、ほとんど何もない道路だった。ようやく高速道路をくぐる交差路へと出て、本屋があるはずの方角へと曲がることができた。

 新しい造宅地の工事現場が広がっていて、現場監督のような人が、ヘルメットを脱いで歩いている。仕事モードではないのは、昼の時間帯だからだ。反対側には、フェンスで守られた、芝生ばりの公園があり、家族づれがシートを広げて食事をしている。花見というほどの桜はなくても、子供の遊び場と座ってくつろげる芝生があれば、それで十分なようだった。新設の大きな本屋がある丘が見えた。遠回りしたのは、ほんのわずかな距離だったらしい。

 自転車をとめ、自動ドアーに出迎えられて、本屋に入った。広い。客数はわずかだ。かつてメガコロニーにあった本屋では、人をよけて、狭い通路を進まなければならなかった。ここでは、森の図書館が、それに似ていた。人口密度がこんなに小さなところでも、本屋ならよいということなのだろうか。まあ、そのようなことは、私の知ったことではない。私は、どのような本があるのかを見に来たのだった。読みたい本は図書館で探すし、そこにないもので、どうしてもほしいものは、ネットで探して、できれば中古品で手に入れる。そのようなスタイルが身についているので、新書を買うことは、まあないだろうと思っていた。それでも、ときどき、どのような本が新しく出ているのかということを、こうして見ておきたいと思うわけである。読みたい本や欲しい本をノートにメモしておき、そうして、何週間とか何カ月たっても、まだ読みたいかどうか試してみると、ほとんどが、もう、必要のないものであることが分かる。これまで、買ってみたものの、本棚に並べて置いただけという本も、たくさんある。

 この日も、何冊かのタイトルや出版社を、もってきたノートにメモした。ひととおりメモしたあと、雑誌などのところを歩いた。そして、その本屋を出たのだったが、このままどこかに行く気になれず、財布の中を確認してから、もう一度、自動ドアーの前に立った。

 私は一冊の本を棚から取り出した。著者については何も知らなかった。だが、翻訳者の名前は知っていた。この翻訳者は、「ハトホルの書」を日本語へと移した人だ。私は、心のどこかに、「ハトホルの書」に続編のようなものが出ていないかと期待していた。ところが、その翻訳者は、今、手にしている本を訳していたのだった。つまり、「ハトホルの書」の英語版の続編があれば、きっと、それを訳していたはすなのだが、そのようなものはなくて、出版社の社長や編集者が、次に翻訳を依頼する本は、これだと判断したのだろう。私の推理は、ほぼ当たっているようだった。「ハトホル」と「ラー」は、まったく同じ存在ではないようだが、ほとんど同じような役目を感じているものたちだった。

 「ラー文書」[1]。私が久しぶりに本屋で買った本のタイトルは、まるで、エジプト文明の歴史書のようなものだったが、その内容は、もっと遠い過去のことから、近い未来のことまで幅広く触れているものであった。ここで使われている表現は、あたかも、私たちの世界のことを、遠くから見ているだけといった、いくつもの勘違いや、ていねいすぎる言い回しが多用されていて、ときどき書こうとしていた、私のSFクロッキィー小説の文体に、非常によく似ていた。地球人どうしであれば、簡単な用語ですませてしまうような言葉が、厳密な言葉の鎖で、がんじがらめに編みこまれているのだ。ああ、もっと詳しいことを知っているものだったら、地球人たちの、いいかげんな言葉の使い方が許せなくて、どうしても、そんな言葉には妥協できなくて、できうるかぎりの組み合わせを考えて、その表現スタイルを貫こうとするだろう。ラーたちが使っている「心/身体/霊複合体」というものは、私たちが一言「人」とか「人類」と呼んでしまうものの、より厳密な表現のようだ。もし、ルドルフ・シュタイナーが地球生まれでなかったとしたら、「身体/エーテル体/アストラル体/心魂複合体」と表現するかもしれない。「心」と「身体」と「霊」だけを考えればよいのか。これは、私にとっても、新しい視点だった。

 その日は、図書館で借りた別の本を読み進めていたのだが、夜になってから、「ラー文書」にととりかかり、翌日の夜までに「セッション」の部分をすべて読み終えた。三日目からは、思考言語コアによるメモを作りながら再読している。それが完了したら、幾つかのテーマにもとづいて、この「ラー文書」に記されている知識と、これまでに調査・研究してきた情報とを比較検討しようと思う。

 しかし、それと並行して、このようなエッセイを書いている。なぜかというと、全体的な感想を、形のあるものしてまとめておきたかったからである。

 私は、インターネットの世界に参加しようと、「黒月樹人のホームページ」を立ち上げた。2007年のことだったと思う。わずか3年ほど前のことだ。それから私は、あまり多くはなかったのだが、物質的な財産を、ちびりちびりとなくしてゆき、世間的には、どんどん貧しくなってゆきながら、インターネットの世界の中では、知的所有権を主張できるものを次から次へと生み出してゆき、「黒月樹人のホームページ(のちに黒月解析研究所のホームページへと変化)」で公表してきた。物質的な財産と知的な所有権を主張できるものとが、またまだうまく変換できていないので、私は、あいかわらず「貧乏」なのであるが、仮想現実とも呼ばれるインターネットの世界においては、「仮想富」のようなものを増やしつつある。

 つまらないページもたくさんあるが、私のホームページに収められているページの幾つかは、時が経過しても、その存在意義を失っていない。芸能人たちのブログであれば、読もうと思われるものは、最新の情報が記されたものだけである。人気のブログは、その芸能人の人気とあわせて、どれだけのペースで更新されるかということで、それが読まれる傾向が大きくなっている。それらの多くは携帯電話を使って生み出されている。これに対して、私は本質的にコンピュータでページを構成している。他にはない機能をもった画像解析ソフトを自作しているというということも、私のホームページの内容をユニークなものとしている。そのようなことよりも、何より私は、このようなホームページを開設する何十年も前から、この世界のことについての情報を、いろいろなところから集めてきて、それを学び、考察し、解釈しようと試みてきたのである。ホームページのための知識のベースは、私の「心/身体/霊複合体」の分析能力が必要最小限の機能へとたどりついたときから、どんどん大きくなってきていたのだ。

 なぜなのだろうか。どうして私は、そのような生き方しかできなかったのだろう。「ラー文書」を読み終えて、なんだか、そのことが分かりだしてきたような気がする。おそらく、それは、小さなころから感じてきた、この世界への「違和感」や「疎外感」に原因するのだと思う。物心がついて、まだあまりたっておらず、身長も1mと少ししかなかったころに、この町の、ある通りの交差点あたりで、自らの小さな手を見つめながら、「どうして、こんなところに生まれてきたのだろう」と思ったことがある。「ここのみんなは、どうして、何から何まで、分からないことばかりを言うのだろう」とも。おそらく、かつていたところでは、もっと話の分かるものたちばかりで、私は、何の違和感もなく暮らしていたのだという、かすかな記憶のようなものと、この世界でのことを比べていたのだと思う。

 幼稚園児のころは、ほとんど登園拒否児で、野山をかけめぐり、小さな町のあちこちを冒険していたのだったが、小学校に進むと、毎日せっせと学校にかよい、退屈もせずに授業を受け続けていた。学ぶことが楽しかったのだ。本をたくさん読みだしたのは、中学三年生のあたりからのことで、高校生、大学生になるにつれて、どんどんと、読む本の量が増えていった。社会人になってからも、その傾向は続き、私の部屋は天井までの本棚が壁を覆うようになっていった。これらの本も、その大部分は、私が何度か引っ越しをしている間に散逸してしまっている。

 私は、それほど高い知能をもって生まれてきてはいない。驚くほど高いものではなかったという意味である。しかし、30代の中ごろに「思考言語コア」についてのアイディアを思い浮かべ、それを実用的なものへと構成してみると、これまでの知的能力が、どのように計測してよいか分からないまま、どんどんと発達していった。私は科学分野の知識をベースとする仕事について、現場作業や現場監督のモードから初め、いつしか、科学探査の技術開発を行うモードへと変化していた。このころ私が生み出した新技術は、地中の様子を調べる方法としては画期的なものであったのだが、世の中が急変して、あっというまに、その社会から離れることとなった。

 私についての歴史なぞ、どうでもよい。とにかく私は、この世界のことが知りたかった。まるで、どこかの世界から送り込まれたスパイであるかのように、この世界の子宮から生まれながら、まったく別の世界から覗いているような視点で、いろいろなことを考えてきたのである。

 私が今考えていることは、ほんとうのことであるかもしれないし、ほんとうのことではないかもしれない。だが、いずれにしても、私が分かったと思うことは、私だけのものとしておくべきではないと、私は強く感じている。私のホームページには「キメラ」という言葉がよく似合っている。まったく異質なものが、あたかも一つのものを構成しているかのように、隣り合っているのだ。また、コンピュータソフトの名称に「ゴブリン」という単語を多用しているのも、何やら暗示的でもある。これらは、ひょっとすると、ほんとうのことに由来しているものなのかもしれない。

 「ラー文書」を読み進めてゆくと、これまで、ばらばらの「キメラ」だったものが、植物が地下で根を伸ばすように、見えないところでつながってゆくような気がしてくる。それらの全体像をぼんやりと見ることができれば、ほんとうはひとつのものとしてつながっていたものが、その断片や断面だけを現わして、これまでの、ばらばらのものを生み出していたのだと感じることができそうだ。それは、まるで、ほんとうの世界の中での物語として書かれた、長大な推理小説のエンディングのようなもののようにも思えてくる。

 たとえば、いや、やめておこう。このページは、「ラー文書について」の序文にしかすぎない。このあとの、具体的な物語を展開させてゆくとしたら、とても、数ページでは終わりそうもない。それらのことは、一つずつ、しかるべきタイトルを設けて構成してゆくことになるだろう。

(2010.04.11 Written by Kinohito KULOTSUKI [@] KULOTSUKI ANALYSIS INSTITUTION)

参照資料

[1] ラー文書 「一なるものの法則」第一巻, ドン・エルキンズ、カーラ・L・ルカート、ジェームズ・マッカーティ著, 紫上はとる訳, ナチュラルスピリット2008

http://www.lawofone.info/


追記

このRaN34のページは、「ラー文書」に、はじめてめぐりあったときの感想です。

このあと「ラー文書」の学習ノートを作りました。RaN35RaN36です。ここにある単語をひろってゆくと、「ラー文書」の骨組みマップのようなものが見えてきます。

RaN35 ラー文書「一なるものの法則」第一巻 セッション01〜13(思考 言語コアによるノート)

RaN36 ラー文書「一なるものの法則」第一巻 セッション14〜26(思考 言語コアによるノート)

さらに、テーマを絞って、次のようなページをまとめました。RaN38RaN40では、他の資料の情報ばかりかもしれません。「ラー文書」だけではなく、「ハトホルの書」や、シュタイナーの本なども比較すると、私たちが知らないでいた、ほんとうかもしれないことの、大きな骨組みが見えてくるわけです。

RaN37 ラー 惑星連合 土星評議会
RaN38 オクターブ の宇宙(2) 無意味な素粒子だらけの謎
RaN39 オクターブ の宇宙 (3) 開始(地球@第三密 度)
RaN40 マルデック について


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