「ぼくは死にたくないからカメになりたい」と言われたら

黒月樹人(Kinohito KULOTSUKI, Tree Man on Black Moon)

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子供がとつぜん「ぼくはカメになりたいなあ」と言ったので、不思議に思って聞き返した母親がいた。すると、その子は、「死にたくないから」と答えたそうだ。カメが死なないと思いこむのは、もちろん、誤解であるし、一万年も生きるというのも、誇張された値である。その後、その母親は、その子に何と答えたのだろうか。

 私も、子供のころ、同じことを考えた覚えがある。カメになりたいと考えたわけではなかった。まわりの大人たちが言うように、「死んで、何もかもなくなってしまうのだとしたら、ぼくはいったい何なのか。いつか、ぼくがどこにもいなくなってしまうのに、この世界は続いてゆく。」そんなことは考えたくなかった。私は、できるだけ、そのようなことを考えないでおこうとした。

 もう少し大きくなったとき、私は、ふと、「ぼくが死んでしまったら、ぼくは何もなくなってしまうのだろうかと考えたことがある」と友達にもらした。すると、その友達も同じことを考えたことがあると言った。みんな、同じことを考えているのだ。私は、「ぼくだけが変なやつじゃあないんだ」と分かって、少しだけ、ほっとした。やがて、毎日の生活で、やらなければならないことが、どんどんと増え、「自分自身が消えてしまうこと」を、すっかり忘れてしまえるようになった。

 私が28歳か29歳のころ、スポーツの試合に参加するため、少しばかり家を空けて戻ってきたとき、ほぼ同い年の従兄弟が亡くなったことを、突然知らされた。また、31歳のころだったと思うが、教師を辞めた私が、どうしているのかとたずねてくれた、幼稚園時代からの幼なじみが突然亡くなった。彼らは、いずれも一人息子だった。そして、いずれの親たちも、そのあと、私を養子にほしいと声をかけてきた。

 いとこや幼なじみは、どうして、そんなに早く死んでしまったのだろうか。もちろん、そのようなことは分からない。29歳や31歳で突然死んでしまうことだってあるのだ。両親より早く、そして、彼らの子孫も残さずに。私は、そのころから、「このまま何もやらないで、いつ死んでしまうかもしれない」という強迫観念を覚えるようになった。

 私は何か夢中になれることを探した。私がやるべきことを求めた。そのような、手さぐりのような生き方をしてゆくうちに、私は、いろいろなことを学ぶことができるようになった。このように抽象的な表現をするのは、具体的なことについて述べてゆくと、とても多くのことを語らなければならないからだ。ともあれ、「このまま何もやらないで死んでしまうかもしれない」と、あるいは、「このまま何もやらないで生きていってしまうかもしれない」と私は考えた。

私は、何か夢中になれることを探し、そして、それを行おうとしてきた。あるときは、高価な機械をもってゆき、洞窟のように掘られた穴の中で、地面の様子を調べた。また、あるときは、目に見えない放射線で、仲間たちの体を変化させてしまう、安物の米袋に入った石ころの塊を、こっそりと、別のところへと移動させるために、色々なことを仕組んだ。さらに、あるときは、ほとんど右腕だけを高スピードで動かす、単調な作業を、何時間も何日も、何週間も何カ月もやらなければならなかったのだけれど、突然、右腕が持ち上がらなくなって、その仕事を続けられなくなった。あっと言う間に失業。このまま何もしないでいると、何もすることがないと言って、家中の壁や天井を拭き掃除し始めるかもしれない。そのような逃げ道は、もうふさいでしまった。もう、ぴかぴかになっているところを、何度も磨きあげる必要はないからだ。そこで私は、この世界に残されていた、幾つかの疑問にチャレンジすることにした。最初のターゲットは「アインシュタイン」だった。あちこちの図書館で資料を探し、ウェブでの資料の探し方も学んだ。調べて、考えて、まとめたことを、雑誌に投稿した。何度も何度もボツになった。一度も掲載されたことはないのだが、あるとき、「これは出版できないが、これまでの疑問に、よく応えているので、それなりの専門的な公表場所へ、直ちに投稿して、それに応じた評価を求めなさい」という内容の返信メールを受け取った。それが「幽霊変換」という名の論文だった。「それなりの専門的な公表場所」が見当たらなかったので、私は、それを、私のホームページで公開することにした。

 「私ができること」のリストが、一つずつ増えていった。

 これまで、この世界には無かったはずの、新しい機能をもった画像解析のプログラムを生み出すことができるようになった。それで、宇宙の画像を調べてゆくと、太陽系のあちらこちらに、文明の証拠が散らばっていることが分かり出した。太陽系を越えたところにも、驚くほど巨大な生命体のパターンが、あちらこちらに見つかることが分かった。どうやら、「地球の科学」が示している、この宇宙の姿というものは、その全体像の、ほんのわずかな部分にすぎないということに、私は気づいた。

 それでは、宇宙の、あるいは、私たちが存在している、この世界の、ほんとうの姿とは、いったい、どのようなものなのだろうか。そのことのヒントを知りたくて、私は、「科学」だけでなく、「宗教」そのものでもなく、それらの間に分類されるような知識も、公平な目で、冷静な思考で、調べてゆくことにした。

 はっきりとした証拠の体系というようなものは、まだ完成していないけれど、河を渡るための「飛び石」や、海を渡るための「小島」のようなものが現れてきた。そうして、「ぼくはカメになりたいなあ。だって、死にたくないから」とつぶやく、小さな子供たちにでも、何らかのアドバイスをすることができるようになってきた。

 私なら、このように応えるかもしれない。

 「死んだら何ものこらないと、大人たちが言っているかもしないけれど、その人たちは、みんな忘れてしまっているだけなんだ。ここではみんな、昔のことを忘れて、何もかもさいしょからやり直すゲームをしているだけさ。だって、ずうっと昔に生きていたときは、もっときびしい世界だったから、たがいに憎しみ合っていたかもしれない。殺し合っていたかもしれない。でも、そんなことを、いつまでも覚えていたら、いつまでたっても、仲直りして、やっていけないだろ。だから、覚えていること、ぜぇーんぶ忘れて、何もなかったことにするわけ。みんな、友達にならなくちゃいけない。みんな、仲直りしなくちゃいけない。そのために、お互いに、悪かったことや、間違っていたことを、みんな、ちゃらにして、生まれてくるようになっているんだ。」

(2010.05.23 Written by Kinohito KULOTSUKI [@] KULOTSUKI ANALYSIS INSTITUTION)

 参照資料

 私が、このように言うことの根拠、あるいは、その手掛かりは、

RaN25 「前世」と イアン・スティーヴンソンの仕事

http://www.treeman9621.com/RaN25_Reincarnation_&IanStevenson_Work.html

に記してあります。

 あるいは、「ダム湖のほとり」という名の、ちいさなSFクロッキィ小説の中で触れている、「アフ」や「ベドゥイン」や、あちらこちらで紹介している、「ハトホル」や「ラー」の情報を参照してください。

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