RaN235 宇宙人はどこにいるのか Where is the alien?

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 スタートレック・ボイジャー

 DVDレンタル店に行ってSF映画の棚を眺める。
 タルコフスキー監督の古典的な「ソラリス」や、チャールストン・ヘストンが宇宙パイロットとして降り立った世界を支配していたのがサル(英語でApeなので類人猿)であったという、古いシリーズの「猿の惑星」が並んでいる。もう、それらのストーリーの細部も忘れてしまっている。35年か45年ほど前に映画館のスクリーンで見たものだ。
 次に見ようと選びたいものが、なかなか見つからない。
 海外テレビのシリーズで、スタートレックのカーク船長や、バルカン星人と地球人との混血として生まれたスポック副長などが活躍するシリーズは、「宇宙大作戦」という名前で、深夜テレビで放映されていたころに見たし、それらの映画シリーズも見たはず。これはクジラを地球の支配的な知性体とみなしている異星人に関するストーリーで、エンタープライズ号が地球の周りをワープして、クジラがまだ海に生きていたころの過去に戻るという、何の根拠でそのようなことが可能なのかさっぱり分からないものだった。これは何百歳という年齢の人たちが、のどかな農村生活を送っている世界の物語だったはず。いろいろなことを思い出す。
 スタートレックのテレビシリーズでは、ボイジャーやエンタープライズという、ごく最近のものが制作されているようで、それらのいくつかがまとめられている。これはきっと見ていない。
 スタートレックのボイジャーのほうは24世紀の設定で、キャプテン(船長)が女性で、かつてボーグだった地球人女性のセブン、クリンゴン星人との混血の女性など、重要な役割の多くが女性によって占められている。
 クリンゴン星人の特徴は、額のところに、魚の鱗のような凹凸があることかな。魚から進化したヒューマノイドが、宇宙のどこかにいるのだろうか。「第五惑星」に現われた宇宙人のデザインも、なんとなく魚を連想させた。シュメール文明が生まれたのは、ある種の知性体がいろいろなことを教えたという説があって、その知性体は海から現われたという。日本のどこかの仏さまの手には水かきがあるそうだ。それは、まことしめやかに、人々を救うためのものだと説明されているという。そんなことは、ただの後付けの説明にすぎない。手に水かきがあるのなら、水の中を泳ぐためのものだったと、なぜ考えないのだろうか。そのほうが科学的だ。水辺で進化したヒューマノイドがいて、私たちは、そのようなものたちの子孫だという仮説もある。
 ずいぶん回り道をした。
 このボイジャーシリーズのエピソードの中に、不思議な構成のものがある。
 そのストーリーでは、主だったクルーのミニドラマがオムニバスに組み上げられてゆくが、そこに一つの共通点がある。さいごに(どこかで、だったかもしれないが)異質な、これまでに見たこともない宇宙人が現われるのだ。その宇宙人のデザインは魚からのものではないようだった。いや、どことなく、口元が魚類のものに似ている。
 やがてストーリーがひとつにつながりだし、それらのオムニバスのストーリーは、それぞれのクルーが見た夢だったということが分かる。不思議な夢を見たせいでクルーたちが混乱しているらしいということが分かり、それらの夢の内容を突き合わせてみる。すると、それぞれが見た夢の中の宇宙人の姿が一致するという。これは変だ。みんなが同じイメージの夢を見るはずがない。
 左の眉毛の上に入れ墨を入れた、副長を務める男性(チャコティ)はインディアン出身の地球人らしい。彼は明晰夢を見ることができて、この夢から目覚めるための儀式を試みることができるという。一方の手の甲を、もう一方の手の指でこんこんとたたくのだ。いよいよ危ないというときには、それを使って目覚めることができるから、その宇宙人が現われる夢へと向かい、まるでリアルな戦闘シーンをくぐりぬけながら、その宇宙人について調査するというところが、このエピソードの「起承転結」の意味での「転」となっている。
 このエピソードでは、この宇宙人は実際に存在していて、クルーの夢の中に現われ、それぞれに攻撃をしかけていたということが、ここでの骨子となってゆく。夢の中でだけ現われて、その世界で戦ってゆくというのだ。
 女性の船長は、この戦いが夢にすぎないと、夢の中で意識することができるようになり、このエピソードはめでたく完結する。
 コマーシャルの時間分も含めて、30分以内でまとめなければならないので、いろいろなエピソードが、あまりしっくりいなかい展開でも、何らかの「まとめ」を添えて終わらなければならないのだろう。でも、このエピソードの結末は、これでよかったのだろうか。

 ちなみにこのエピソードは、このシリーズ172話の82番目(81番目となっていることもある)、「夢を呼ぶ夢 WAKING MOMENTS」です。次のサイトに詳しいストーリーがまとめられています。
 http://www.usskyushu.com/ds9/voy81.html

 夢見の方法(※)

 若いころ私は、自分自身の実世界での問題に立ち向かう必要があった。
 私は教師だった。隣の町の中学校へジーゼルで通っていた。
 現実世界での問題というのは、次のようなことだった。
 帰りの便で4人掛けの座席に座っていると、目の前に座った高校生が、ぷかぷかとタバコを吸うのだ。私は教師だったから注意しなければならない。でも、できなかった。そんなことがかんたんにできるほど、私は強くなかったのだ。
 ふつうなら、同僚の教師に相談するとか、同じ車両に乗り合わせている大人の誰かを味方につけるとか、そのようにするのかもしない。しかし、なんとなく、そのような手順は踏めないと感じたのだ。大人は私だけではなかった。しかし、誰も何も言わなかったし、何もしようとはしなかった。その高校生は、その車両では、他の誰をも寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。彼がそこではボスだったのだ。
 私は、あまりに私自身が弱い存在だということを感じざるをえなかった。私も、そこでは、他の大人と同じように、何も言えないし、何もできないのだ。しかし、私は職業上、地方公務員の一人としての教師だった。中学校で教えていたので、中学生が相手だったら、いろいろと指導することができた。しかし、まったくかかわったことのない、高校生に対して、どのように向かえばよいのか、まだよく分からなかった。
 家に帰って私は、そのころ読んでいたカルロス・カスタネダの本をとりあげ、その中でドンファンと名づけられたインディアンが伝えていた、夢見の方法をなぞろうとした。
 自分自身の心と精神を強くするには、自分自身をとくべつな存在だと思い込む必要があったからだと思う。私は普通の人間ではないのだと思い込むには、これが役に立つはずだ。そのような考え方へと突き進むことが、そもそも変といえば変だった。

 夜眠る前に、強い意志をもって、ある儀式のようなイメージを思い浮かべ、自己暗示をかけておく。
 すると、見ている夢の中で、自分自身の意識がしっかりとして、周囲に見える世界が、まるで現実の世界であるかのように、リアルなものとして認識される。その儀式の一つは、夢の中で自分自身の手を見るという行為を実行すること。これはドンファンの教えにあったことの一つだった。
 私は、布団に入って眠る前に、まず「腕が温かい」と念じ、「腕が重い」へと移って、それらが効果的に感じられるようになったら、それらを脚へと移し、全身へと行き渡らせたのち、いよいよ、目的としていた呪文を無言で唱える。「自分の手を見る」と。
 すると、夢の中で、私は、これは夢だ、夢に違いないと気がつく。そして、ああそうだ、自分の手を見るのだった。自分の手の感覚はある。自分の手はどこにあるのだろう。このようにたどってゆき、自分の手のありかを見出し、その手の平を見ようする。
 しかし、それは現実世界のドラマのようには安定しておらず、やがて、何らかの不思議な展開へと進んでゆき、何ものかに支配されるかのように、流されてゆくのだった。
 私の夢のケースでは、こんなことが起こった。
 上にかぶっていた掛け布団が、まるで風にたなびく旗のように、天井に向かってはためいてしまったのだ。そのような風が、横たわっていた私の背中のほうから、私の体の横を通って、強く吹いているのが分かった。
 私はというと、この掛け蒲団が飛んでいってしまわないように、首の近くのところで、両方の手でつかんでいる。体は横たわったままで、自由に動かすことはできない。
 このまま掛け布団が吹き飛ばされてしまったら、そのあと、私はどうなるのだろう。これだけの風が吹いているのだ。この布団が飛んで行ってしまったら、その次には私が吹き飛ばされるのかもしれない。なぜだかわからないが、もちろん、論理的に考えることはできなかった。
 体の自由が利かない。どうすればよいのだろう。自由になるのは、何を意識して、どのように考えるかという、夢の中での自分の意識だけだ。
 恐れてじたばたするのをやめ、意志の力で立ち向かうことにした。
 私は、掛け布団が静かになるところをイメージする。まるで漫画かSFドラマで、念力を使っているように。そうするしか方法はないのだと思った。体は自由に動かせないのだから、今私が使えるのは念力しかない。私ができることはイメージすることだけだ。
 すると、ばたばたと風のようなもので暴れていた掛け布団が静かになってゆく。私はイメージすることを続けた。それは静かに降りてきて、私は再びそれらに覆われて静かに横たわることができた。
 ふと気づくと、天井が見えており、布団の端をつかんでいたはずの両手は、腰のあたりまでのばされていた。私は布団なぞ握ってはいなかったのだ。
 このことに気がつき、これは夢だったのだと、ようやく考えることができた。
 それは深夜での出来事だった。そのあと、朝がくるまで一睡もすることができなかった。

 何日か何か月か過ぎてから、私はドンファンの教えを、そのことに関する最後まで読んでいなかったことに気がついた。
 ドンファンによれば、意志の力を使って、夢の中で自分の手を見続けていると、何かがその夢を流そうとするので、手を少し見たら、周囲へと視点を変え、しばらく観察して、また手へと意識を向け、そして周囲を見るようにすべきだという。そのような教えのところを読んでいなかったのだ。これは大失敗だった。
 正しい夢見の方法は分かったけれど、それから一度も、それを試すことはなかった。夢の中で自分の手を見るというのは、遊び心でやれるようなものではなかった。おおげさかもしないけれど、(精神的にとはいえ)生きるか死ぬかのような、強い決断を必要としていたのだ。

 おそらく私の出方を待っていたのだろう。ある日、再び私の目の前に座って、その高校生は、ゆっくりとタバコを取り出して吸い始めた。
 私は今日こそは何か言おうと決意した。あの夢の恐怖に比べたら、こんなことは何でもないと思ったのだ。
 「タバコを吸うのは君の勝手もしれないが、私の目の前で吸ってもらったら、私が困ることになる。」
 それから、丁寧に自己紹介をして、自分が教師であることを伝えた。
 「もし、タバコを吸いたいのなら、別のところへ移動してくれないか」
 未成年者がタバコを吸うのは法律で禁じられているから、という、世間一般の論理では通じないだろうと思ったのだ。ただ単に、私の立場上、私が困ってしまうという、とても身勝手な言い分を述べることにしたのだった。
 もちろん、その間私は、しっかりと相手の目を見続けた。
 やがて、その提案は受け入れられ、「分かった」とその高校生は言って、タバコを吸いたいときは、私から見えないところへと向かうようになった。
 2両編成の連結部分とか、隣の車両へ行ってタバコを吸って、そのあと、私の目の前の座席に戻ってくるのだ。私たちはそれから、いろいろなことを話し合うようになった。
 それからしばらくして、私は体調を崩し、熱を出して寝込むことになったのだった。そのとき兄が車を買う手配を進めてくれた。
 こうして私は、ジーゼルで通うことにともなうドラマから離れることができた。

 (※)ここに「夢見の技法」と記していましたが、このページを書いてから、思い立って森の図書館へ行き、カルロス・カスタネダの著書を検索して借りました。実はカルロス・カスタネダの本は、それらが日本語に翻訳されて出版されたころ、ほぼ欠かさず買って読んでいたのですが、何回かの引っ越しの間になくしてしまっていました。それらの中には無かったものですが、まだ私が買って読んでいなかった本の中に「夢見の技法」というタイトルのものがあることを知りました。その目次にざっと目を通してみると、ここに記されている多様な知識と、私がまとめた上記の文章とは、あまりにかけ離れています。よって、混乱を呼ばないため、私の文章についてのタイトルのほうを「夢見の方法」へと変更することにしました。

 リサ・ロイヤル・ホルトの「コンタクト」(#)

 この本を手にして、中をぱらぱらとめくって読み、これは買って読もうと思ったのは、そこに「ビリー・マイヤー」というフレーズが見つかったからです。
 ビリー・マイヤーはスイスに住んでいるコンタクティー(宇宙人とコンタクトした人)として世界的に有名な人です。
 2014年の冬あたりから私は、画像解析の対象をUFO画像にほぼ限定して、それらのUFO画像の中に写っているUFOが本物かどうかを調べることに、生活のためにしなければならない仕事以外の時間をほとんど向けていました。
 ウェブのあちこちを探せば、調べるべき対象はいくらでも見つかります。UFO画像は写真だけではなく、ビデオでも氾濫するようになっていました。
 やがて、ビリー・マイヤーが撮影したという、有名なUFO画像を調べました。むつかしいものもありましたが、簡単に偽物と判定することができるものもあって。それらの多くを調べあげてゆくうちに、これらはすべて偽物なのだと判断できるようになりました。
 ところが、ビリー・マイヤーのことを詳しく調べてゆくと、宇宙人のプレアデス人と実際にコンタクトしたかどうかは信じるか信じないかということになってしまいますが、何らかの方法で情報は受け取ったのではないかと考えることになります。そのための、いろいろな証拠が存在しています。
 たとえば、スプレー缶で振りまいていたフロンがオゾン層を破壊するという問題についての警告があります。これはビリー・マイヤーがプレアデス人から受け取った知識に基づいて、世界中に向けて(警告のための手紙などを書いて)行動したと考えるしかありません。このような知識を、ただの民間人が、NASAのような機関で働いているわけでもなく、平凡な生活をしながら知るというのは、ほぼありえないことです。
 このようなことを事実として認めると、解析して分かった、ビリー・マイヤーが撮影したとされるUFO画像が、ほとんどすべて偽物だということとの整合性がつかなくなってしまいます。
 困りました。ここには何らかの謎があります。そのように思っていたときに、手にした本がリサ・ロイヤル・ホルトの「コンタクト」でした。
 さっそく買って読みました。あまりに驚くべきことがたくさん書かれています。

 リサ・ロイヤル・ホルトはチャネラーです。チャネラーというのは、他の存在からの言葉を語る人です。私たちの地球世界では、そのようにして得られた情報が、ときとして、預言書のようなものとして伝わっています。
 他の存在として有名なのはバシャールでしょう。バシャールからのメッセージは1980年ごろ日本でも翻訳されて出版され、大きな影響を与えました。
 バシャールは「肉体をもったエササニ人の男性」だということです。しかし、「コンタクト」でのバシャールの情報は、あまり多くありません。
 「コンタクト」という本で多くの情報は「肉体を持ったプレアデス人女性」のサーシャによって語られます。
 もう一人、と言ってよいのかどうかためらわれる存在がジャーメインで、「肉体をもたないグループ意識」だそうです。ジャーメインからの情報は、とても一般的なものとなっていて、人間とかヒューマノイドとかだったときのことは、もうすっかり忘れてしまったという雰囲気があります($)。
 私たちのような、意識をもって生きているものが、それからどのようになってゆくのかということは、ここではあまりふれないようにします。

 (#)「コンタクト」(リサ・ロイヤル・ホルト著、キース・プリースト共著、訳 鏡見沙椰、VOICE刊 2014)リサ・ロイヤル・ホルトの名前を誤って記していました。訂正してお詫びします。
 ($)ここのところも訂正しておかなければなりません。森の図書館で借りてきた「ギャラクティックファミリーと地球のめざめ」(ジャーメイン&サーシャ(チャネル リサ・ロイヤル・ホルト)訳 鏡見沙椰 VOICE刊 2013)によれば、ジャーメインはいろいろなことを、私たちが分かりやすいたとえで説明しています。まるで一人のヒューマノイドであるかのように、とてもおしゃべりです。

 ビリー・マイヤーの事例

 プレアデス人のサーシャが、ビリー・マイヤーについて説明している箇所を抜き出します。

 コンタクトを肉体レベルで体験しているマイヤーのような人は、人間としては特異な存在です。彼は他の人間に比べて、脳の「配線」が違います。マイヤーはアルファ波とシータ波の2つの現実を同時に認識することができたため、物質世界で肉体のアイデンティティーを保ちながら、地球外の存在とも交流できたのです。(「コンタクト」pp131-132)
 マイヤーは自分のコンタクト体験が物質世界で起きたかのように記述していますが、そうでない場合もよくありました。しかし、彼はそんな形でしか体験を言葉にできなかったのです。みなさんの多くも体験しているような、夢の中や瞑想中、変性意識状態でのコンタクトもありました。(「コンタクト」p132)


 地球で知られている4種類の脳波

 この後の知識は、リサ・ロイヤル・ホルトの「コンタクト」の中で、プレアデス人女性のサーシャによって語られたことです。
 まず、プレアデス人の脳波が人間とは少し違うと、ことわられています。それから、人間の脳波について語られてゆきます。その順番どおりに並べると、ベータ波、アルファ波、デルタ波、シータ波の4種です。
 ベータ波は、私たち人間が日常生活で活動しているときや、会話を交わしているときに現われる脳波です。私たちの自我の働きと強く結びついており、このベータ波によって、私たちは物質的な現実にしっかり固定されるのだそうです。
 アルファ波は「マインドを使わずに自動的に何かをしているときの脳波」であると説明されています。具体的には「物思いにふける」「軽い瞑想をする」「車の運転をする」とあります。「何かに意識を集中していないとき」という表現もあります。
 この2つが、私たち人間が目覚めているときの脳波だそうです。何か問題ごとがあるとき、私は、それについていろいろと考えようとしますが、うまく答えが得られないときがたくさんあります。そのようなとき、意図的に、このような意識の集中をやめるため、メモ用紙とボールペンをポケットに入れて、散歩に出かけます。歩く散歩だけでなく、自転車に乗って出かけることもあります。さらには、ガソリン車に乗って買い物などに出るときもあり、そのようなときに、ついつい軽く考えごとをしてしまいます。それまでに考えていたことのヒントが浮かんでくるのは、たいてい、このようなときです。あるいは、眠ってしまうのではなく、畳の上にあおむけに寝転んで、頭の中でだけ、私が思いついて作り上げた、思考言語コアの記号をつかって、複雑になりすぎた問題の骨組みのようなものを描いてみようとします。頭の中のスクリーンにですから、そんなに細かなところまで記すことができません。それがかえってよいらしく、細かなことがどんどんと落ちてゆき、大切と思えそうなものが、ぼんやりと残ってゆきます。この方法がいちばん安全です。そのまま眠ってしまっても、風邪をひきそうになって、目覚めてしまうくらいのものだからです。
 サーシャの説明へと戻ります。
 デルタ波は「深い睡眠中に現われる脳波です。
 シータ波は「深い瞑想に入っているとき」や「睡眠と目覚めのはざま」に現われます。
 このシータ波が「夢とも現実ともつかない明晰夢」に関係しているようです。
 そして、宇宙人とのコンタクト体験にもっとも入りやすいのが、このシータ波のときであると語られています。
 なるほどなあと思いました。私は自己催眠について少し独学し、明晰夢を見ようと強く思って、それを試みたことがありますが、「あさい瞑想」も「深い瞑想」というものにも無縁で、ひたすら、ベータ波で科学に関する本を読み、プログラムを組み上げ、ホームページを膨らませ、もちろん、生活のための仕事もこなしてきました。それらの中で、ときどきアルファ波の状態を意図的に生み出して、ぼんやりとするときはありましたが、シータ波のことからは、すっかり縁遠くなっていました。
 ビリー・マイヤーは「アルファ波とシータ波の2つの現実を同時に認識することができた」のだそうです。
 つまり、散歩をしているときのような、ぼんやりとしているときに、あの、夢か現実なのか区別がつかない、明晰夢と同じものを見ることができたということです。これでは、ちょっとあやしい人のように分類されるのもしかたがないのかもしれません。ビリー・マイヤーにとっては、どちらの意識のときのことも、ほんとうのことだったのです。
 この地球で暮らしている多くの人間の側からいうと、アルファ波にもシータ波にも縁遠いのが普通のことで、もっぱらベータ波で認識できることだけが、すなわち、この物質世界で起こっていることだけが本物で、それ以外の世界のことは、すべて偽物だと考えるわけです。
 でも、このようなことは、ひょっとすると、私たち地球人だけの、ごくごく狭いもののとらえ方なのかもしれません。

 宇宙人はどこにいるのか

 リサ・ロイヤル・ホルトの「コンタクト」という本の中で生き生きと表現されているプレアデス人女性のサーシャが「スタートレック」についてコメントしている部分があります。

 「スタートレック」のエンタープライズ号は、宇宙空間に浮かぶホテルのように描かれていますが、実際の宇宙旅行は、船旅のようなものではありません。いったん地球の重力場(正確に言うと太陽系)を離れると、人間の意識はよりどころを失います。時空の認識や、自己との関係そのものが変わってしまうのです。そのための準備なくして宇宙に出ることはできません。(「コンタクト」p38)

 もうひとつ別の個所のサーシャによるコメントを引用します。

 私たち宇宙人は、波動の違いから人間の現実に入ることができません。みなさんのいるベータ波の現実は凝縮したエネルギービームに似ていて、その中で肉体を保つには大量のエネルギーが必要です。(中略)プレアデス人の現実には人間のベータ波に相当する脳波がありません。(「コンタクト」pp184-185)

 この後に記されていることですが、宇宙人と地球人との「共通の場」は、「アルファ波またはシータ波の現実」なのだそうです。

 ここまでの知識をまとめると、「現実」というものにはいろいろな種類があって、「ベータ波の現実」「アルファ波の現実」「シータ波の現実」などの違いがあるということになります。それらは、私たち地球人や、宇宙人の中のプレアデス人の、それぞれの脳波が得意とする波の種類に対応しているようです。
 すると、私たち地球人の中で、アメリカのインディアンや、オーストラリアのアボリジニは、明晰夢という世界で起こることも、ある種の現実であると理解していることや、世界中のあちらこちらで宗教家とされている人々が「深い瞑想」に入って、私たちの「もっと幅広い現実」のことを知ろうとしてきたことが、けっして無意味なことではなかったということが分かります。

 このページの最初のところで、スタートレックのボイジャーシリーズのエピソードの一つを取り上げました。「夢を呼ぶ夢 WAKING MOMENTS」というタイトルのエピソードです。
 皮肉なものです。私たち地球人が、いったい何の意味があるのかと、このエピソードについての解釈を、てんでばらばらにやっているのに対して、サーシャによれば、他の宇宙ホテル(宇宙船のエンタープライズやヴォイジャー)での生活のようなドラマのほうが、まったくありえないことだというわけです。
 宇宙人たちは、私たちが夢としか思えないような、ベータ波とは異なる脳波が認識する「現実」にいて、私たちは私たちで、宇宙人たちがチャンネルを合わせられない、特別に狭い「周波数の放送局」が提供する(かのような)「物理的な現実」というところにいるということになります。
 私たち地球人は、ベータ波がぴったりと合う、この「物理的な現実」の世界に生まれてきて、この世界だけがすべてだと思い込んで生きてゆき、そして、何も知らないまま、この世界から離れてゆきます。
 このページのタイトルは「宇宙人はどこにいるのか」でしたが、どうやらこれはミスだったようです。もっとけんきょに、このようなタイトルにすべきでした。
 「私たち地球人はどこにいるのか
と。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, Jan 30, 2016)

 

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