RaN245 昔お世話になった人へ

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 親族席

 先日突然母から電話があって、昔お世話になった人が亡くなられ、その葬儀が明日あると伝えられました。翌日の13時から式が始まるので、昼までに実家に戻ることを伝えました。
 翌日、その葬儀会場の横を通るとき、駐車場には、11時台であるにもかかわらず、すでに車がいっぱいでした。私は実家に戻って車を置き、歩いて式場へと向かいました。
 すでに式場の参列者席は、ほぼ埋まっていて、私は、比較的空いている右側の列に空席を見つけ、そこへ座りました。後から気がついたのですが、右側は親族のための席だそうです。出棺のときに、親族が先に出て見送るというので、周りが空っぽになって、私一人が残ってしまいました。このことを、家に戻ってから母に話すと、「知らなかったのか」と問われたのですが、よくよく考えれば、私は、血はつながっていないけれど、親族のはしくれでした。私の叔母さんの旦那さんと、その人が、兄弟か何かの関係だったはずです。その人がとりしきっていた会社に、私は、ほぼ「親戚枠」で入れてもらったようなものだったのです。田舎なので、そのような親族関係は、蜘蛛の巣のように、あちらこちらに伸びていました。

 思考言語

 その会社に入って働いているときも、ときどき、その人の家に遊びに行って、仕事のことや、その他いろいろなことをおしゃべりしました。喪主を務めておられた息子さんのことも、その人は私に話してくれました。同じくらいの年だったので、私だったらどう考えるかということを知りたかったのでしょう。でも、当時は一度も会ったことがありませんでした。
 その会社というか、工場で働いていたとき、休憩時間に村上春樹の「ノルウェイの森」を読み始め、家に帰ってからも、ずうっと読んで、2冊を2日かそこらで読み終えた記憶があります。
 その人とは、シャーリー・マクレーンの「アウトオンアリム」についておしゃべりしました。私の母もその本を読んだことを伝えたとき、ずいぶん驚かれたことを思い出します。
 その工場で働いていたとき、ロシアの数学者のガイドにより、アインシュタインの一般相対性理論を、テンソル解析の数式をたどりながら読みました。そのとき、この表現方式は分かりにくいから、何か違うスタイルとしたほうがよいと考えたこともありました。
 このころ、京都の大きな本屋で平積みされていた哲学書を買ってきて、その中の論説文の構造を調べるため、私のホームページに少し組み込んである、思考言語というものを考え始めました。
 やがて、ある程度まとまったものを作り上げ、これを本にして世の中に出したいと、その人に相談すると、出版関係のルートを紹介してくださいました。
 まずは京都にある小さな出版社へ行って、そこを経由して、東京の、もう少し大きな出版社へと行きました。
 そのアイディアは、それだけで出版ということにはなりませんでしたが、このようなことも影響して、そのころの私は、やりたいことがどんどんと現れてきて、このまま、この工場で働いている場合ではないと感じていました。

 保証人

 あるとき、この仕事を辞めたいと事務所に申し出たことがあったのですが、出張中の、その人が、車を飛ばして帰ってこられ、私は呼び出されて話し合うこととなり、そのときは説得されて、このままここで働かせてもらうということになりました。
 それから1年後、私は、いろいろとあって、その工場を辞めました。
 さらに1年経ったとき、私は、ある会社に勤めることとなりましたが、そのときに、自分の父親以外に、誰か保証人になってもらう必要がありました。その保証人として書類を書いてもらったのが、その人でした。辞めてきた会社のトップクラスの人に、次の会社への保証人になってもらったのです。若かったなあと思います。今の私には考えられないようなことです。

 抽象の核

 そのころ確か「バシャール」の本が世の中に出回っていて、私も強く影響されたようです。人からもらえる「コネ」はどんどん使うべきだと書かれていたと思います。それは、決して、はずかしいことではないと信じていました。
 それと、カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズの本も、出るたびに買って読んでいました。それらの中に記されていた、「小暴君」と「青写真」という言葉と、その意味について、よく考えたことを思い出します。
 私たちが体験している、この人生ドラマには「隠されたシナリオ」というものがあるということを、「青写真」という表現で、ドンファンはカルロス・カスタネダに説明していたように覚えています。「青写真」というのは、トレーシングペーパーに描いた設計図などを湿式コピーするシステムのことです。そのころはまだありました。
 人生ドラマに「隠されたシナリオ」があるという意味での「青写真」のことが理解できるようになったのは、かなり最近のことです。
 確か、このような、人生の中に隠されている「抽象の核」(*)のことも、その人に語っていたかもしません。
 その人のお葬式の場で、ただ座っているとき、これらのことがつぎつぎと思い出され、気がつくと、涙が出てきました。
 それから私は、いったい何をしてきたのでしょう。
 保証人になってもらって入った会社にリストラされ、故郷に戻って働いていたとき、ときどき町で出会うこともあったのに、何も話さずにすれちがってしまっていました。
 たとえば、今私はUFO画像の真偽について研究しています。このことについて、「どうです、面白いでしょう」と語りかければ、きっと、興味深く私の話を聞いてくれたと思います。そうしなかったのは、私のほうに問題があったのです。若いころのように、何も考えずに行動するということが、いつのまにかできなくなってしまっていました。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, Feb 23, 2016)

(*)ここで使っている「抽象の核」という言葉は、30年ほど前に、初期の著作を読んで、なんとなく覚えていたものです。ひょっとすると、正しい意味で理解していなかったかもしれません。
 1990年に出版された「沈黙の力」によると、この本の6章のタイトルは、六つの「抽象の核」であり、それらは、精霊の顕示、精霊のノック、精霊のトリック、精霊の来訪、意志の要求、そして意志の操作となっています。
 これらの内容は、まったく分かりません。「抽象の核」という言葉の定義が変わったか、その内容として新たに加えられたものかよく分かりません。
 初期の何冊かの本を調べる必要がありそうです。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, Feb 27, 2016)

 

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