RaN249 地球人はどこにいるのか(3)ドン・ファンのタマネギ宇宙
Where is the earthian? (3)ONION SPACES OF DON JUAN

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 「宇宙人はどこにいるのか」の続編として、タイトルを「地球人はどこにいるのか」と変えて、関連することがらを、あちらこちらから集めて語ってゆこうと考えました。そうすることが、私のこれまでの人生で行ってきた、いろいろなことがらの、ある種のタペストリー(壁掛け)となりそうに思えたからです。
 「RaN248 地球人はどこにいるのか(2)夢見の技法」[1] でテキストとした、カルロス・カスタネダの「夢見の技法」に示されていたことですが、ドン・ファンがカスタネダに要求した「反復」についての方法の一つに「特定の順番なしに人生のさまざまなできごとを反復することによって、ある種のジグソー・パズルを作り上げてゆく」というものがあります。
 ここのところをまとめていて、気がつきました。いま私が作ろうとしているのは、このような「反復」ジグソー・パズルとしてのタペストリーなのだということを。

 ターメリック星系の不思議

 私のホームページは2008年ごろに始まっています。そのころのテーマの一つは、NASAによる宇宙探査画像を詳しく調べるというものでした。
 そのためのツールとして使いだした、ゴブリンアイという画像解析プログラムの、拡大画像における「色のくすみ」を取るという機能を生み出すことが、先に織り込まれた「糸」でした。

 水星の画像は白黒でしたが、メッセンジャーという名の探査機が、太陽にとらえられた彗星のように、楕円形の軌道を描いて飛びながら、水星の表面を撮影したものでした。
 水星の画像は、小さなクレーターだらけで、それらを拡大して「色のかすみ」を取って見ても、これといって語れるようなものは見当たりませんでした。
 ただ一か所だけ、少し黒くなっている領域があります。その画像の向きを変えて眺めると、まるで「少女の顔」のように見えます。もちろん、それは、たんなる偶然でしょうが、その髪のように見える部分がどのようになっているのかを知りたいと思いました。
 調べてゆくと、斜めになっている壁のようなものが見えてきて、そこに倒れ込んでいる「街燈」のようなものがありました。これらは「少女の顔」の髪の毛あたりのところです。
 「少女の顔」のこめかみあたりのところに、小さな皿に乗せられた、ピンポン球のように丸い3つの卵のようなものがありました。
 「少女の顔」の右耳あたりのところに、私が「研究所」と名づけたものと、それにたどりつく「道」のようなものがありました。
 右顎のあたりにあったのが、貝のような形のものです。

 火星の衛星フォボスについては、かなり大きくとらえた画像がありましたので、それらの細部を観察しました。

 土星や木星そのものの画像についても調べましたし、それらの衛星についても、いろいろな画像を探し出して観察しました。
 それらの中で木星の衛星タイタンに探査機が着陸して撮影した、小さなサイズの風景写真についての解析のため、私の画像解析プログラムのアルゴリズは、飛躍的に進化してゆくこととなりました。
 これらの解析ページは、クールペッパーページとキメラミームの2つのブランチページに散らばっていましたので、それらを編集ブランチページとしての「ターメリック星系の不思議」という名でまとめることにしました。
 このときの「ターメリック星系」というのは、私が30歳台のころ働いていた工場時代に書いていた、(スケッチ小説よりもさらに短くて、あっというまに仕上げるという意味での)クロッキー小説のなかで、私たちの太陽系につけたニックネームです。
 ちなみに私は今、黒月樹人というハンドルネームを使っていますが、そのような日本語名とする前の、ペンネーム(もしくは、イラストなどを描いていたので、ドローイングネーム)は、キジン・クロッキーでした。

 三つの意識をもつ生物

 私たち人類のニックネームは「バチルス・サチルス・シナモン」でした。
 昨日図書館へ本を返しに行って新たに借りて戻るとき、大きな本屋に立ち寄ったのですが、そこの「精神世界」のコーナーに、「ベルゼバブの孫への話」があったので、本棚から取り出して、椅子に座って読みました。若いころ買って持っていた本なのですが。読みだしてすぐ関心がわかなくなって、何回かの引っ越しのどこかで手放してしまったものです。目次を見ると、どうやらベルゼバブは、正真正銘の地球人という設定ではなく、他の世界から地球へ訪れたということのようです。何十年も絶版にならず、大きくて分厚い、緑色の背表紙で、このようなコーナーに君臨してきた理由が分かるような気がします。
 私が書いていたクロッキーSF小説のいくつかは、この「ベルゼバブの孫への話」についてのパロディのようなものだったのかもしれません。
 この本の中で「ベルゼバブの孫」は、わたしたち人間のことを「ナメクジ」と呼んでいます。ベルゼバブはというと「三つの脳をもつ生物」と呼んでいるようです。
 私が「バチルス・サチルス・シナモン」と呼ぶことにしたのは、「ナメクジ」よりも、こちらのほうが適していると考えたからです。
 「三つの脳をもつ生物」という表現は、ひょっとすると、大脳を「右脳」と「左脳」に分け、それに「小脳」を加えて思いつかれたのかもしません。
 プレアデス人のサーシャによれば、私たち地球人は「三つの意識をもつ生物」なのだそうです。「顕在意識」「潜在意識」「無意識」という三つの意識が、それぞれ別の考え方をもっていて、宇宙人から見ると、まるで、私たちの世界での「精神分裂者」のようでもあるということらしいのです。

 幽霊変換

 「ターメリック星系の不思議」について調べていたころ、並行して、アインシュタインの「特殊相対性理論」の謎についても取り組んでいました。
 アインシュタインの「特殊相対性理論」については、それまでに、これを称賛する学者グループと、これについて批判する研究者たちの、たがいに論争しあう、というより、泥沼にもたとえられる、水掛け論のシャワーが、あちらこちらで、まるでどこかの水かけ祭のように、世界を水びたし状態にしていたのです。
 このような出来事について、関西にある国会図書館で調べてもらったとき、ウェブでかんたんに検索して、必要な資料を呼び出し、それらを印刷することができることを知りました。
 あるとき、アインシュタインの「特殊相対性理論」についての反論論文を英文でまとめて、アメリカの物理学会へと投稿したあと、すぐに、これが、(私の)単なる計算ミスから生まれたものだということに気づき、おおあわてで、そのことを説明したメールを追って、それを取り下げたのですが、そのときの相手側からのメールからは、カンカンに怒っていることが読み取れました。
 このあと、論文がまとまったからといって、すぐに投稿してはいけないというルールを設けることにしました。
 こんなドタバタ喜劇を体験しながら、何作目かの論文としてまとめた「幽霊変換」では、「ローレンツ変換についてのポアンカレによる証明のプロセスに潜む数学的な手続き上の誤り」とでも補題を添えられそうな、ある種の矛盾があるということに気づいたのでした。
 パリ大学で数学の教授だったポアンカレが、やってしまったミスを見つけたわけです。
 たとえば、tを通常の時間、Tを(物体の速度に関して変化する)新たな時間として、x=f(T, t) というスタイルの式があるとします。このときの、左辺のxをtで偏微分するとき、右辺のf(T, t)の中には、tという変数だけとなっているのが普通です。ところが、ポアンカレによるロ―レンツ変換を生み出す証明では、このところの変数が複雑になっていて、詳しい説明は割愛しますが、矛盾点だけをいうと、x=f(T, t)のTが、実はxの関数として定義されていたわけです。
 つまり、x=f(T(x), t)です。右辺にも左辺にもxがあっては、左辺のxについて偏微分することはできません。左辺のxを強引に偏微分するとしたら、右辺に隠れていたxについても、たしか陰関数の定理だったかを使って、複雑な処理をする必要があります。それは、かなりややこしい手続きだったとおもいます。そのようなことをするより、偏微分する前の、もとのx=f(T(x), t)をきちんと書き下し、右辺にあるxを左辺へと移行し、係数をうまく処理して、xが左辺にしかない式としてから、あらためて偏微分したほうが、間違いが生じないはずです。実際に、私は、そのような式の変形を行なってみました。すると、なんと、x=x しか残らなかったのです。
 「幽霊変換」というのは「ローレンツ変換」を言い換えたものです。
 アインシュタインの「特殊相対性理論」というのは、このローレンツ変換をアインシュタイン流の手続きで証明したと主張したものです。アインシュタインはポアンカレによるローレンツ変換の証明についての論文を読んでいたようです。そして、そのようなローレンツ変換を、別の考え方で証明することができると主張したのです。
 こうしてアインシュタインは、ただの公務員から、大学で教えることもできる地位へと変化していったのです。
 このあとも、アインシュタインのように、ローレンツ変換を証明する別の方法を見つけて、世界的に評価されようと思い込んだ人やグループがあらわれていました。
 それらのいくつかをウェブで見つけ、そこに潜んでいる、論理上の欠陥、つまり矛盾を解き明かし、「幽霊変換」の付録のようなものとして、私のホームページで公開しました。
 私たちが信奉している、この物理世界の科学は、まだまだ確かなものとは言えず、また、とてもわずかなことしか明らかにできていないということが、ここにとりあげたことによって示されます。
 「時間が空間を移動するときの速度によって変化する」という、ローレンツ変換から導かれた考えは、まったくの空論だったのです。

 ハトホルたち

 このあと引用する文章は、改正されて「新・ハトホルの書」[2] となる前の、「ハトホルの書」にあるものです。同じ内容のことは「新・ハトホルの書」にも記されていると思いますが、こちらではかなり要約されています。

 「わたしたちは集合意識ハトホルです」
 「わたしたちは次元を超えたエネルギー的存在で」
 「もともとは別の宇宙から、あなたがたの宇宙の入口であるシリウスを経由してやってきました。」
 「シリウスからあなたがたの太陽系へと入り、金星のエーテル界に落ち着くことになったのです。」(ここまでp17)
 「シリウスは、あなたがたの宇宙の一種の連結点で、あなたがたの何連もの時空間連続体が非物質的超空間と出会い交差するポイントなのです。」(p35)
 「非物質的超空間は、宇宙意識そのものの中にある一種の発生母体である」(p35)
 「意識が宇宙を創造するときには、空間における物理的位置となる連結点の中へとみずからを分極化させる方法をとります。すると今度はそこからあなたがたが時間と呼ぶプロセスが始まります。」(pp35-36)

 ほんのわずかな引用ですが、ここに記されているいくつかの言葉は、私たちの物理学の知識からは理解できないものです。
 たとえば、「集合意識」「次元を超えたエネルギー的存在」「あなたがたの宇宙の入口」「金星のエーテル界」「あなたがたの宇宙の一種の連結点」「あなたがたの何連もの時空間連続体」「非物質的超空間」などです。

 これらのことが、わたしたちにとってよく分からないのは、これらは空想によって生まれたものであり、SF小説か何かに組み込まれた嘘だからである、とみなされるかもしれません。そのような視点もあります。
 もうひとつの考え方は、わたしたちが理解できないのは、私たちの科学と、それにもとづく認識力が、まだ狭い領域に限定されているためであるというものです。

 タマネギ宇宙

 メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ファン・マトゥスは、ナワールと呼ばれる、呪術の指導者で、何人かの弟子に、この世界のほんとうの姿を、自分の力で見ることを伝えます。この方は、すでに亡くなられているようですし、弟子のひとりで、この呪術世界のいろいろなことを調査して本にまとめたカルロス・カスタネダも1998年に亡くなっています。
 このページでとりあげたエピソードのまとめとして、ドン・ファン・マトゥスが語った、いくつかの言葉を示します。

 ドン・ファン「可能性にすぎないことを現実と考えることがいかにむずかしいかはわかっている。だが、新たな世界は存在するんだ! ちょうどタマネギの皮のように、一方が他方を包みこんでいるんだ。わしらがいるこの世界はその皮の一枚にすぎん」(p102)

 ドン・ファン「世界はタマネギみたいなもので、皮がいく層にもなっているんだ。わしらが知っている世界は、その皮のひとつにすぎない。わしらは境界を越えて別の皮へ入っていく。それが別の世界だ。この世界とそっくりだが、同じじゃない。おまえは、独力でその世界へ入ったのだよ」(p208)

 もうひとつ、上記のハトホルたちが語ったことと強く関連している、ドン・ファンの弟子のひとりであるキャロル・ティッグスの、次の言葉も、何も知らないで生きている、私たちにはとうてい語れないものです。

 キャロル「宇宙には過去も未来もないのよ。あるのは今だけ」(p297)
 キャロル「宇宙にあるのはエネルギーだけよ。エネルギー体にはこの場所と今しかないの。永遠につづくこの場所と今しかね」(p297)
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, Feb 27, 2016)

 参照資料

[1]「夢見の技法」超意識への飛翔、カルロス・カスタネダ(著)、真崎義博(訳)、二見書房(刊)、1994
[2]「新・ハトホルの書」アセンションした文明からのメッセージ、トム・ケニオン(著)、紫上はとる(訳)、ナチュラルスピリット(刊)、2013

 

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