RaN251 地球人はどこにいるのか(5)フェルミのパラドックス
Where is the earthian? (5)Fermi Paradox

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 フェルミのパラドックス

 「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」[1] の第二章に「フェルミとそのパラドックス」があります。
 この本は、ほんとうのことに迫ろうという展開ではなく、このような問題についての知識を、第三者的な立場で集めた、まるで、百科全書のようなものとなっています。
 「フェルミとそのパラドックス」では、「エンリコ・フェルミの略伝」がまとめられ、「パラドックス」についての一般的な講義のように語られ、ようやく、「フェルミ・パラドックス」についての説明が始まります。
 どうやら、「フェルミ・パラドックス」というのは、「発達した通信能力をもった地球外文明は銀河系にいくつあるか」という問題について、おおよその値を計算する式をドレイクが組み立てたというところから始まるようです。

 銀河系にある通信するETC(地球外文明)の数をNとします。
 このNを推定するために、次の値を考えてゆきます。◇は<>の代用です。
    R ◇ 銀河系で1年に星が生まれる率
    fp ◇ 惑星をもつ恒星の割合
    ne ◇ 惑星を伴う恒星のうち、生命が維持できる環境をもつ惑星の数
    fl ◇ 生命が維持できる惑星のうち、実際に生命が育つ割合
    fi ◇ その惑星のうち、生命が知的能力を発達させる割合
    fc ◇ そのうち恒星間通信ができる文化が発達する割合
    L ◇ そのような文化が通信を行う期間の長さ

 これらの値をすべて掛け合わせると、Nの推定値を求める式となります。
    N=R×fp×ne×fl×fi×fc×L     
 これは、正式にはフランク・ドレイクによって生み出されたものなので、ドレイクの公式と呼ばれています。

 フェルミは、このような推定式に、ある種の概算値をあてはめて計算したのだそうです。
 R=1, fp=0.5, ne=2, fl=1, fi=1, fc=0.1, L=1000000と見積もると、N=100000となります。Lを100万年として、Nが100万種類の宇宙人たち、という計算だということのようです。
 私たち地球人と恒星間の電波通信を行っている宇宙人の文明数が100万もあるはずなのに、そのような信号はどこからもやってきていない。
 これが「フェルミ・パラドックス」なのだそうです。

 この推定に使われた値の一つが、たぶん、大きく外れていると考えられます。それはおそらくLです。「そのような文化が通信を行う期間の長さ」です。地球人である私たちですら、きっと、「このような通信は無意味だ」と考えるのに100年もかけないだろうと思われます。

 ほかにも、この式を組み立てるときの確率として、現実的ではないものがあると考えられます。それは、もし、fcのような機能をもつ宇宙人の文明が生じたとき、この宇宙のどこへどれだけ進出してゆき、植民してゆくかという数です。1を超える値となるので、1以下の確率ではなく、数として見積もることとなります。

 「その惑星のうち、生命が知的能力を発達させる割合」のfiも、かんたんに見積もれる値ではありません。たとえば、上記の宇宙植民を積極的に進めている宇宙文明が、遺伝子操作をほどこすことによって、「生命が知的能力を発達させる割合」を大きく変えてしまう可能性があります。

 さらには、「その惑星のうち、生命が知的能力を発達させる割合」と「そのうち恒星間通信ができる文化が発達する割合」が単純に掛け算できないという可能性についての考察が欠落しています。
 つまり、「知的能力」と「恒星間通信という機械技術文明」とが必ずむすびついてゆくと考えるところに、私たち人間の狭い視野が反映しています。

 私たちの地球には、わたしたち人間と同等か、それを上回る知性体としての、イルカやクジラがいます。このような生き方を選択している知性体は、機械文明とは無縁な文化を発達させることとなります。
 人間に限定したとしても、この地球人の中で、機械文明へと進んでいったものがすべてであり、それが進化の道筋だと考えるのは、単なる「おごり(もしくは偏見)」にすぎないと思われます。
 たとえば、この宇宙に対する認識について、(横に本がありますので、名前を借りますが)リサ・ランドールに代表されるような物理学者と、実在したかどうかさえ確認できていないかもしれない、アメリカのヤキ・インディアンの、ドン・ファン・マトゥスの、どちらのほうが優れているのかを評価しようとしたとき、どのような基準をもってくるかということが問題となります。

 このような数々の考察ミスによって、このドレイクの公式は使えないものだということになり、フェルミのパラドックスは、意味のないものとなります。

 広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由

 フェルミのパラドックスについての第2章のあとに、3つの大分類のもとで、50の理由が説明されてゆきます。その大分類というのは「3 実は来ている」と「4 存在するがまだ連絡がない」と「5 存在しない」です。これらの数字は章のことです。
 50もある小分類のタイトルだけでも記しておこうかとも思いましたが、とにかく、10年ほど前に買って読んだとき、何のインパクトもなかったものなので、とくにお勧めする内容ではありません。が、何も触れないというのも、また、つまらないことですので、いくつか拾いだして考察しようと思います。

 「3 実は来ている」の「解2 彼らは来ていて人間のすることに干渉している」というところの内容を調べてみます。
 ここに、このようなコメントがあります。

 空飛ぶ円盤が本当なら、それが本当にエイリアンの乗った宇宙船なら、フェルミ・パラドックスは即座に解決である。

 とまあ、このように断言しているものの、「解2」で解決してしまったら、このような本を書いて出版しようという目的が達せられないので、著者は、このことに関する問題をどんどんと棚上げしてしまいます。
 空を飛んでいるUFOの画像があるとして、それが本物かどうかを判定するシステムや基準というものは、まだ存在していないと、この本が書かれたころに考えるのは間違っていないことかもしれません。
 現在ウェブに出回っているUFO画像の、写真やビデオの多くは、人工的に作られたものや、単なる暗闇の光や、風船などの浮遊物、打ち上げられた照明弾などの誤認などです。そうそう、レンズについたゴミの影というものもあります。画像をいろいろな方法で調べることにより、そのようなものと判定できるシステムを、私はようやく生み出すことができました。
 ただし、そのようにして除外できないものも、いくらかは残るのです。
 それらの何割かは、実際に空を飛んでいたものと考えられます。
 ただし、それらのうち、エイリアンが乗っているかどうかということは、かんたんには証明することはできません。
 エイリアンが乗っている宇宙船と考えるより、何らかの生命体ではないかとみなせるものも多くあります。
 このような解析システムの発達は、まだ、世界中に発信できていませんので、UFO画像の中には、少ない確率ながら、本物とみなせるものが存在しているということを認めてもらうことは無理なようです。

 「解2」の中で述べられていることとして、「エイリアンに誘拐され、体を調べられ、性行為を強要された」という申し出があることに関し、「この申し立てを支持するために必要な証拠は存在しない」と言い切っています。
 これは身勝手な言明です。著者が知らないだけで、実際に起こっていることかもしれないでしょう。「証拠は存在しない」とは言えないはずです。もし何か言うとしたら「証拠は確認できない」くらいでしょうか。
 具体的な証拠とはならないでしょうが、姿は知られていないものの、エササニ人の「バシャール」という存在が、多くの情報を、私たちの世界に伝えています。このエササニ人というのは、グレイと呼ばれている宇宙人の種族と、地球人によって生まれた、新しい種族なのだそうです。
 そのことが確かなことなら、「エイリアンに誘拐され…」という事件は、確かに起こっていたはずです。

 「4 存在するがまだ連絡がない」のところに「解16 向こうは信号を送っているが、その聴き方が分からない」というものがあります。
 ここで取り上げられている項目を挙げると、「電磁波信号」「重力信号」「粒子信号(ニュートリノ望遠鏡)」「タキオン信号」となっています。
 これらはすべて、私たちが知っている範囲の物理学での信号です。これ以外の信号があるのかどうかということを検討していません。

 このほかにも、いろいろな分類をして、こまかくケースを分けていますが、これですべてを尽くしているという思い込みが見えるだけで、これ以外の可能性があるのかどうかということが、まったく考慮されていません。
 だから、つまらなかったのです。

 「フェルミのパラドックスは解決した」のか

 この本の第6章は「6 結論」となっています。「解50 フェルミ・パラドックスは解決した」が一つだけ含まれています。
 ざっと読んで、ここでの論点の進め方はつかめました。
 これは著者のアイディアなのだそうですが、ここで著者は、ドレイクの公式のようなものを再構成して、そこに含まれる因子について考察し、それらの値を見積もって、N=1を導いたのです。
 条件をどんどんと厳しくしてゆき、考察するときの視野も狭くして、私たち地球人の基準に合わせてゆくことで、このような値へ導いたのでしょう。
 あるいは、これが正解なのかもしれません。
 このように限定された思考と視野と、それらの底部にあって、私たち地球人のふるまいを生み出している「意識」というものの理解における枠組みが、このような結論を生み出すというのは、ごく自然なことのようです。

 考察

 私の考えを述べておきます。
 ここで問われている「フェルミ・パラドックス」と、そのベースとなっている「ドレイクの公式」は、いろいろな状況についての考慮が明らかに欠けているものなので、ほとんど空論とみなされるものです。
 ですから、ここにはパラドックスのようなものはありません。

 もし、いろいろな面で私たちを超えるような宇宙人の文明があったとき、それらが、私たちと同じように考えて行動するという保証はどこにもありません。
 また、私たちの科学知識では理解できなかった、さらに多くのことがらが分かったとき、私たちは、これまでと同じ考え方をしてゆくでしょうか。
 私としては、このシリーズの(1)でふれた、スタニスワフ・レムの「新しい宇宙創造説」の中で述べられていた、この太陽系が生まれる以前の「最初の世代(の星で生まれた文明)」が、この物質的な宇宙の物理を生み出したという「解」のほうが気にいっています。もちろん、それがもっとも正しいと考えているわけではありませんが。

 ここまで読んでこられた人の中には「解51」(という仮説ですが)を組み立てられるかたもおられるかもしれません。
 でも、この問題についての考察は、ここまでとしておきます。
 まだまだ触れてゆくべきテーマが数多く残っていますから。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, March 1, 2016)

 ジョー・マクモニーグル「未来を透視する」

 ジョー・マクモニーグル「未来を透視する」[2] の「天文学」のところに、次のような透視があります。

 2018年までには、銀河系内の別の太陽系にある惑星から、整然とした信号が送られてきていることがわかる。信号の意味はさっぱり見当がつかないだろうが、人類が孤独ではないことの証拠の一つにはなるだろう。([2]のp94)

 参照資料

[1] 「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」フェルミのパラドックス、スティーヴン・ウェッブ(著)、松浦俊輔(訳)、青土社(刊)、2004
[2] ジョー・マクモニーグル「未来を透視する」、中島理彦(訳)、ソフトバンク クリエイティブ株式会社(刊)、2006

 

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