RaN260 地球人はどこにいるのか(14)精霊のノック「抽象」
Where is the earthian? (14)Knock of Spirit “Abstract”

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 カルロス・カスタネダの「沈黙の力」[1] の第二章「精霊のノック」は、「抽象」と「ナワール・フリアンの最後の誘惑」と名づけられた、2つの節に分けられています。
 これらをまとめて記そうと思っていましたが、やはり無理なようなので、今回は、「抽象」のところだけです。

 「抽象」についての準備

 ここのところのタイトルが、なぜ「抽象」となったのかということは、いくつか付けてある紙の付箋のところを読んで、私なりに納得できました。

 カルロス・カスタネダはドン・ファンが勧めるままに、ドン・ファンとの体験談を軸として、ところどころ、それまでに教わったことの断片を組み込みながら、なんとか、ひとつのまとまりが感じ取れるようにしようとしているようです。
 だから、この物語のほんとうの語り手は、間違いなくドン・ファンなのであって、カルロス・カスタネダは、それを、カルロス・カスタネダからの視点からの再構成としてまとめているわけです。
 そのような構造が、私へと波及して、ここでのページが生まれているのです。これを、思考言語コアの「使役」(させる)記号の >>> を使って次のようにあらわすことができます。

 ドン・ファン >>> カルロス・カスタネダ >>> 私 説明>> 「抽象」;

 このようなわけですから、「抽象」についての私の説明は、ドン・ファンが理解している「抽象」から、大きく変化している可能性があります。
 「抽象」について、私の解釈をここでまとめる前に、ドン・ファンがカルロス・カスタネダに理解させようとしたときの、カルロス・カスタネダによる説明部分を、まず、取り出してゆこうと思います。
 資料が膨大なら、このような操作は、要点や骨子の意味と構造を、最小限の表現体系でまとめることができる、思考言語コアでノートを作るほうが、(慣れると)かんたんなのですが、ここのところは、そんなに長くないので、自然言語による引用で構成しますが、*D を「ドン・ファン」を意味するコードとします。「カルロス・カスタネダ」については *C を使うことにしましょう。

 「抽象」についての講義

 「抽象」についてカルロス・カスタネダが説明を求めましたが、ドン・ファンにとっては、「抽象」と「意志」とは同じものなので、次のような説明がなされてゆき<ます。

 ナワール・エリアスの物語は、人間についての物語のように思えるかもしれんが、ほんとうは意志についての物語なのさ。(*D1 p49)
 意志はわしらの前に大きな建築物を造りだし、なかに入るように誘いかけてくる。(*D2 p49)

 次の要点をまとめる前に少し説明しておく必要がありそうです。
 カルロス・カスタネダは、ドン・ファンの教えを「何もかも社会科学のすり替えようとする」から、ドン・ファンがカスタネダを批判するのだろうと、カルロス・カスタネダが分析している「地の文」があります。
 そのあとのドン・ファンのセリフがドンピシャリです。
 「おまえはまったく、ろくな考え方をせんな」(*D3 p49)

 このあと、ドン・ファンの説明において取り出しておくべきところは、次のようなものです。これは上記の*D2からの「つづき」だと考えれば、うまく理解が進むと思われます。

 わしにとっては、それにはふたつの意味がある。
まばたきをするほんの一瞬のあいだに意志が造りだして、わしらに入れと誘いかけてくる建築物
(*D4 p49)、
それからわしらがなかに入ってから迷わないようにと意志が示してくれるサイン(*D5 p49)、
その両方だ。

 「抽象の核」について

 少し飛んでp51へ進みます。カルロス・カスタネダは「抽象の核」について、「それについてはまだ、きちんと話されていないにちがいない」と考え、(このことは表現されていませんが)ドン・ファンに、その説明を求めました。
 「いいか、くりかえすぞ」というドン・ファンの語りだしのセリフがあって、「抽象の核」についての、ドン・ファン流の講義が始まります。その中から、次の部分を取り出しておきます。

 呪術師が抽象の核と理解しているものは、いまこの瞬間にもおまえの横をすりぬけていく何かなんだ。(*D6 p51)

 「その何か」は、呪術師による名称として、「意志の建築物」、「精霊の沈黙の声」、「抽象の秘められた序列」などとも呼ばれているのだそうです。  このような言葉の言い換えに、カルロス・カスタネダは満足できず、さらにドン・ファンに対して、いろいろと食い下がってゆくのですが、それに対するドン・ファンの反応は、「まだおまえには、わかっとらんな」というものでした。
 カルロス・カスタネダのピント外れの質問や関心ごとを、ピシャリと打ち切るような、ドン・ファンの発言があります。
 「それよりも、わしらの当面の関心事、つまり抽象の話をつづけようじゃないか。

 ナワール・エリアスの履歴にある謎

 それにもかかわらず、カルロス・カスタネダは「話題を変えようとして」ナワール・エリアスについて聞こうとします。
 これに対してドン・ファンは、比較のため、「祖父」ではなく「父親(恩人)」のナワール・フリアンについて、少しまとめたあと、淡々と、ナワール・エリアスについての、簡単な物語を話します。

 カルロス・カスタネダが要約した、ナワール・エリアスについての履歴を抜き出します。

 ナワール・エリアスは(中略)オアハカばかりでなく南メキシコ一帯で名の知れた治療師であり、呪術師であった。(*C1 p55)
ところがそんな職業をもち、しかも有名であるにもかかわらず、彼はこの国の反対側の北メキシコで、ひっそりと人を避けて暮らしていたらしい。(*C2 p55)

 ここのところで少しドラマがあります。
 このようにカルロス・カスタネダが要約したことの奥には(>>>の記号をイメージしてください)、ドン・ファンによる説明があったわけです。

 ドン・ファンは話すのをやめて、カルロス・カスタネダに、次のような皮肉を投げかけます。
 「質問が出て当然とわしが思うところで、おまえが訊いてきたためしがないな。
 このあと、ここに潜む問題と謎についてのドラマが進んでゆきます。

 夢見はいわば、呪術師のジェット機のようなものだ。(*D7 p56)
 ナワール・エリアスは夢見のからだ、あるいは「他者」という名で呪術師に知られているものを造り出して投影する能力があって、同時刻に、遠くはなれたふたつの場所にいることができたのさ。(*D8 p56)

 ここのところについて(他の資料にある、さまざまなことを織り込んでゆくことで)詳しく述べ始めると、このページが泥沼にはまってしまいますので、目をつぶって、ここのところは飛び越えたいと思います。

 「抽象」と「精霊」について

 このあと「抽象」についての説明の分岐があって、「夢見」と「性エネルギー」についての記述があります。ここのところも飛ばして、先に進みます。

 ドン・ファンのセリフですが、その内容は、ナワール・エリアスが言っていたことですので、次のような構造となります。

 ナワール・エリアス >>> ドン・ファン 語る>> 抽象 ;

 このことを意識するため、ナワール・エリアスのコードとして *E を使うことにします。

 人類は今、抽象から遠ざかってしまった。(*E1 p60)
 一度は、ひじょうに近いところまで行ったことがある。(*E2 p60)
 そのあと何かが起こり、わしらを抽象からひきはなしてしまった。(*E3 p60)

 ここのところの表現は、このあと、これとは異なる資料において、いろいろと関係してくるものです。いわば、「抽象のタペストリー」の経糸のようなものです。

 カルロス・カスタネダはドン・ファンの説明が分からないことを、ドン・ファンに向かって文句を言いつづけてゆきます。
 これに対してドン・ファンが応える言葉がとてもクールです。

 知と言語は、たがいに分離しているんだ。(*D9 p61)
 精霊について語る方法はない。(中略)精霊は体験するよりほかないんだ。(*D10 p61)
 精霊は、多くの点で野生の動物のようなものだ。(中略)あるとき、何かによって前方に誘いだされ、みずからの姿を現すのだ。(*D11 p61)

 このような説明があっても、カルロス・カスタネダはさらに問い続けてゆきます。その視点は、と考えてみると、私たちの科学文明に浸っているものに共通した、ある種のデバイス(偏り)があることが(私には)分かります。
 それでもドン・ファンは語り続けます。

 呪術師にとって精霊がひとつの抽象なのは、呪術師がことばや考えなしに精霊を知っているからだ。(*D12 p62)
 呪術師は抽象と出会うとき、それについて考えたり、それを見たりさわったり、その存在を感じたりはしないんだ。(*D13 p63)

 ようやく、この「抽象」という節も終わりに近づきました。
 ここまで語ってもらっても、カルロス・カスタネダの視点はほとんど何も変わっていません。
 ここの節は、次のような、カルロス・カスタネダの「地の文」で締めくくられています。

 ときどき、彼はわざと難解なことをいっているのではないかと思えることがある。だがドン・ファン自身は大いに楽しんでいるようだった。(*C4 p63)

 つづく

 次は「ナワール・フリアンの最後の誘惑」について、何かをまとめ、何かを取り上げてゆきたいと思っています。
 そうでした。「何か」ではなく、この「ナワール・フリアンの最後の誘惑」の物語において語られる、「精霊のノック」のことを、なんとかしてまとめなればなりません。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, March 15, 2016)

 参照資料

[1] 「沈黙の力」意識の処女地、カルロス・カスタネダ(著)、真崎義博(訳)、二見書房(刊)、1990

 

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