RaN263 地球人はどこにいるのか
(17)精霊のトリック「精霊とつながる環の掃除」
Where is the earthian?
(17)Trick of Spirit “Cleaning The Ring to Spirit”

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 カルロス・カスタネダの「沈黙の力」[1] の第三章「精霊のトリック」は、「精霊とつながる環の掃除」と「忍び寄りの四つの心構え」の二つの節から成ります。その一つ目の「精霊とつながる環の掃除」について考えてゆきます。

 第三の抽象の核

 同じことを意味する記号 ◇ を使うと、かんたんなので、ドン・ファンのさいしょの言葉の意味を、思考言語コアで記します。

 第三の抽象の核 ◇ 精霊のトリック ◇ 抽象のトリック ◇ 自分への忍び寄り ◇ 環の掃除 ;

 カルロス・カスタネダは心の中で「またずいぶん名前があるものだ」と思ったそうです。でも、何も言わず、ドン・ファン教授の口述講義を、せっせとノートに記録したのでしょう。
 ドン・ファンの語ることを、さらに要約すれば、次のようになります。

 精霊はこの男(のちのナワール・フリアン)こそが、ナワール・エリアスの弟子なのだと示すために、ナワール・エリアスに対していくつもの精霊の顕示をあらわし、その男にも精霊のノックと呼ばれる、奇妙な体験をさせたのだが、それでも、この男は、精霊が組み立てた物語の中へ入ってこようとしない。
 そこで精霊は、次の手順として、精霊のトリックへと進み、まさに、その男に対して、ある種のトリックを仕組み、この男が、精霊のシナリオ(精霊の領域へとすすんでゆくこと)どおりに演じる(生きてゆく)ように仕向けた。

 このような「抽象の核」に沿った物語が、ナワール・フリアンのケースについてはかんたんにすませ、主にドン・ファンのケースにおいてどのように展開していったのかということが語られてゆきます。それはそれはドラマチックな物語で、テレビか映画のドラマにして、おもしろおかしく見せてゆくことができるものです。はっきり言って、それにはコメディの要素があります。なにしろ、恐怖の対象から逃げ出すために、(若いときの話ですが)ドン・ファンが女の服を着て、若い女とならなければならなかったのですから。
 ただし、そうなったとしても、そのドラマの中にある「抽象の核」のことが、うまく表現できるかどうかということを、きっと、そのときの監督やプロデューサーは悩むことでしょう。
 ここに潜む「第三の抽象の核」の要点が「環の掃除」にあることを知る必要があります。
 ドン・ファンはさいしょっから「女気」があったわけではありません。それまで男として生きてきて、心底男の心しかなかったのです。それでも、奴隷ではなく、自由に生きてゆくためには、若い娘を演じてゆくという方法しかなかったのです。
 そのようにドン・ファンを追いこむために、仕組まれた、いろいろなことが、「精霊のトリック」なのです。精霊は、監督として姿を現しませんが、ドン・ファンに、嫌がる演技を要求してゆくわけです。
 このようにして、やがて、ドン・ファンの「環」がきれいになってゆき、ドン・ファンの集合点は、容易に動かせるようになっていったのだそうです。

 あとがき

 私はこれまで、女性として振舞ったことはありませんし、そのように振舞わなければならない状況を体験したことはありません。
 でも、女性を演じなければならなかったドン・ファンが感じたように、決してそのようにはなりたくないと、ひそかに心の中で思っていたような状況へ、しかたなく陥ってしまったことが何度もあります。
 これらはほんとうのことなので、抽象的に語ることにしますが、さいしょは、とても耐えられなくて、出る杭は打たれるということわざを知っていながら、かまうもんか、と思って、必ず波乱のようなものが生じる方向へと進んでゆきました。そして、問題をさらに複雑にしてしまったり、ふりだしへと戻ってしまっていました。
 そんなことを何度も繰り返しているうちに、もう、ここ以外に、この迷路(のような人生)で進む道はない、と自分に言い聞かせることで、これまで自分を飾り立てていたものを、すっかり取り外して、まったく無色の(無名の)人間として演じることができるようになりました。それで何も力がなくなったかというと、そうではなく、目の前に現れる問題について、心を乱されることなく、淡々とそれに取り組んでゆくことができるようになりました。何かが変わったということは、よく分かります。しかし、何が変わったのかということは、よく分かりませんでした。
 今の状況は、また少し違うのですが、ここから振り返ると、あれは「環の掃除」だったのだと分かりました。そして、そのことに気がついたとたん、同じ状況へと戻る道が閉ざされ、これまで何もなかったように思っていたところに、(あいかわらず、こんなところにいるのですが)迷路の新しい道が見えてくるようになりました。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, March 17, 2016)

 参照資料

[1] 「沈黙の力」意識の処女地、カルロス・カスタネダ(著)、真崎義博(訳)、二見書房(刊)、1990

 

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