RaN266 地球人はどこにいるのか(20)精霊の来訪「思考のとんぼ返り」
Where is the earthian?
(20)Visit of Spirit “Flip Flop of The Thought”(※)

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 カルロス・カスタネダの「沈黙の力」[1] の第四章「精霊の来訪」は、「精霊を見る」「思考のとんぼ返り」「集合点を移動させる」「憐みのない場所」の四つの節から成ります。
 ここでは「思考のとんぼ返り」について考えてゆきます。
 (※)精霊の来訪「思考のとんぼ返り」をVisit of Spirit “Flip Flop of The Thought”としましたが、原文で確認していないので、ほんとうは違う表現となっているかもしれません。

 忍び寄り

 カルロス・カスタネダが「抽象の核」についての説明をドン・ファンに求めたものの、カスタネダが分かるようなものは得られず、憂鬱な気分に襲われたとき、ドン・ファンは次のように語りだしました。

 呪術師は、たえず自分自身に忍び寄るんだ。(*D1 p143)

 ドン・ファンが忍び寄りというときの意味が理解できないので、さらにカスタネダは問い続けます。そして、ドン・ファンは次のように補足します。

 いいか、忍び寄りとは、ひとつのごく単純な手続きだ。あるいくつかの原則に従う特別なふるまいなのだ。このふるまいはこそこそと人目を忍ぶような詐欺的なもので、揺さぶりを与えるために企図される。つまり、おまえがみずからに忍び寄るとき、おまえは非情で狡猾なやり方で自分自身のふるまいを利用して、自分に揺さぶりをかけるのさ。(*D2 pp143-144)

 死の概念

 死の概念 ◇ 忍び寄りで揺さぶりをかけるために使うもの

 死を澄みきった目で見つめることがなくては、秩序も平静も、美もありえないんだ。(*D3 p144)

 死の概念こそ、呪術師に勇気を与える唯一のものなのだ。おかしいだろう? それが呪術師に、うぬぼれぬきで狡猾であるための勇気を、そして何より傲慢にならずに非情であるための勇気を与えるなんて。(*D4 p145)

 揺さぶりをかけるための詩

 自分に忍び寄る方法はたくさんある。死の概念を使いたくないのなら、お前自身に忍び寄るために詩を使えばいい。それをわしに読んで聞かせてな (*D5 p145)

 わしの場合、詩を使って自分に忍び寄る。つまり、自分自身に揺さぶりをかけるために、詩を使うのさ。お前が読み、わしが聞く、そうしてわしは自分の内部での対話をやめ、内なる沈黙にはずみを与えるんだ。すると、詩と沈黙とがたがいに結びつき、そが揺さぶりをもたらすのさ。(*D6 p145)

 ここのところに、ある種の構造が潜んでいます。
 これはまだむつかしいので、先にすすみます。
 このような流れのもとで、ドン・ファンが気に入っている詩がカスタネダによって読まれます。ホセ・ゴロスティサの詩集の中の一つだそうです。
 それをここに引用するのは割愛します。たしかに、ドン・ファンら呪術師がとらえようとしているものについて、詩人の感覚で表そうとしているもののようです。
 この詩に関連して、さらに、ドン・ファンが説明を加えます。

 この詩が何についての詩であっても、それはどうでもいい。わしが唯一気にするのは、詩人の憧れがわしにもたらす感覚だ。わしは詩人の憧れを借用し、それとともに美をも盗みとる。しかも驚くべきことに、詩人はほんとうの戦士と同じく、受けとる者には惜しみなくその美を与えるんだ。自分のためには憧れをとっておくだけでな。こうした揺さぶり、美のもたらす衝動が、つまり、忍び寄りなのさ。(*D7 p147)

 思考のとんぼ返り

 詩の話から、もう一度、死の概念へと戻ってゆきます。
 カスタネダが「死が敵なのか」とたずねると、ドン・ファンは「死は敵ではない」と答えます。「死は人間が考えているような破壊者ではないんだ」とも。
 ここのところは、ドン・ファンの説明を、うまくたどってゆくしかありません。

 死はわしらの行動や感情を調整し、わしらを打ち破り、勝負をものにするまで容赦なく押しまくるんだ。さもなくば、わしらがあらゆる可能性を越えて上昇し、死を打ち負かすか、ふたつにひとつさ。(*D8 p148)
 呪術師が死を打ち負かすと、死は、二度とふたたび挑みかかられることがないよう呪術師を解放して負けを認めるんだ。(*D9 p148)

 このあと、カスタネダが「呪術師が不死になる」ということかと聞くと、ドン・ファンは「死が彼らに挑みかかるのをやめる、ただそれだけだ」と答え、それでも分からないとカスタネダが問いかけたとき、次の説明が現われます。

 思考が想像を絶するものへとんぼ返りをうった、ということさ(*D10 p148)

 ここに示されていることばも分からないので、カルロス・カスタネダの問いかけはさらに続くように見えるのですが、ここでドン・ファンの対応が変わります。カルロス・カスタネダには、そのことがもう分かっているはずだというのです。
 カスタネダは「そんなことはないよ」と言うのですが、次の「地の文」で「だがそのとき、私はそれを理解した」と書き始めます。  このあたりの文学的な描写や、呪術学についての講義の流れは、あまり筋が通ったものではありません。かろうじて、ドン・ファンによる「まとめ」があって、ここでひとくぎりつけられます。

 想像を絶するものへの思考のとんぼ返りというのは、精霊の来訪のことさ(*D11 p149)
 つまり、わしらの知覚の障壁が破られることだ。(*D12 p149)

 もう少し文章が続いて、シーンは変わります。
 彼らが散歩に出かけ、カスタネダが「自分の無関心な状態について」質問をしてゆきます。
 ドン・ファンがそれは「エネルギーの移行だ」と説明し、さらに、「ある熟練のレヴェルが達成されてはじめて生じる瞬間的な移行の問題だ」と続けます。
 カスタネダが「熟練のレヴェルとは何か」と問うと、ドン・ファンは「純粋な理解のことさ」と答えます。
 カスタネダが「純粋な理解」についての説明を求めようと思ったとき、ドン・ファンは「笑いながらベンチに腰をおろし」、次のように述べます。

 よし、これから呪術師と呪術の行為の礎(いしずえ)になる話を聞かせてやろう。例の、想像を絶するものへのとんぼ返りについての話だ。(*D13 p150)

 ドン・ファンが持ち出してきた話は「カリフト・ニムの物語」でした。
 先にカスタネダによる、ウィキペディア調の説明をまとめておきます。
 カリフト・ニムはヤキ・インディアンで、カリブ海で海賊船に乗り込み、そこで戦術を学び、生まれ故郷のソノラに戻り、スペイン人に対する蜂起を組織して、独立のための戦いを宣言したが、裏切りにあって捕らえられ、処刑された。
 ドン・ファンの語る物語には、かなりリアルな表現があって、そのままここに記すのは抵抗があります。ここでは引用を控え、要点だけをまとめることにします。
 ドン・ファンによれば、ある呪術師がカリフト・ニムの物語の結末(裏切りと処刑)を変え、「叛乱に勝利し民を解放することに成功した英雄カリフト・ニムの物語を語っているとしたら、どう思うかと問いかけました。
 これに対してカスタネダは、「心理学の問題」とか「愛国者」という言葉で、いかにも正論のような説明を生み出します。
 このあとも少しばかり、二人の議論が続くのですが、それらはまったくかみあいません。ドン・ファンの次の言葉が印象的です。

 おまえの議論はもっともだし、たしかに筋も通っている。だが、お前の精神は死んでいるから、自分の議論のなかの欠陥が見えないんだ(*D14 p152)

 カスタネダには返す言葉が思い浮かびません。

 呪術師の物語る者が、「事実として」あったことを変えて話すのは、精霊の援助と支持のもとでなんだ。彼は自分と意志とのつながりをうまく操作して、現実に物事を変えてしまえるのさ。(*D15 p152)

 少し技巧的なことについての説明が加えられたあと、次のように続けられます。

 精霊の援助のもとでは、ただそれだけで彼は精霊そのもののなかに突入するんだ。そうして想像を絶するものへと、思考をとんぼ返りさせるわけだ。(*D16 p152)

 (Written by KLOTSUKI Kinohito, March 18, 2016)

 参照資料

[1] 「沈黙の力」意識の処女地、カルロス・カスタネダ(著)、真崎義博(訳)、二見書房(刊)、1990

 

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