RaN270 地球人はどこにいるのか(24)意志の要求「無欠性への切符」
Where is the earthian?
(24)Demand of Will " Ticket to No Privation"(※)

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 カルロス・カスタネダの「沈黙の力」[1] の第五章「意志の要求」は、「内省の鏡を壊す」と「無欠性への切符」の二つの節から成っています。
 ここでは「無欠性への切符」について考えます。
 (※)意志の要求「無欠性への切符」をDemand of Will " Ticket to No Privation" としましたが、原文で確認していないので、ほんとうは違う表現となっているかもしれません。

 無欠性への切符

 ここのところにも、紙の付箋を数多く貼りつけました。とりあえず、それらの箇所に記されていることを確認しようと思いますが、それらの多くの付箋は、はがして次に読む本のために、束にされてゆくことでしょう。

 「無欠性へとつながる呪術師の切符の話をしよう」とドン・ファンが言ってから、次の言葉までは30分ほどの沈黙があったそうです。そして、出てきた短い言葉は、「わしの死の話だ」というものです。
 ここのところも、あまり細かく要約しないようにしておきます。

 かんたんにまとめると、若きドン・ファンが、命を助けられた「恩人」のナワール・フリアンの家を出て、流れ流れて、やがて不思議な縁があって、家族をもって暮らすようになったのですが、ある理不尽な理由から、物質的にも精神的にも追い込まれ、ついには、ほんとうに死んでしまう物語です。

 でも、歳を重ねたドン・ファンは、カルロス・カスタネダの前にいますから、死んではいないはずなのですが、やはりドン・ファンは確かに死んで、土と石を上にかけられ埋められているのです。もし、きちんとした戸籍があったとしたら、その時点でドン・ファンの戸籍には斜線が引かれ(そういうスタイルなのかは不明ですが)、この世界から早々と抹消されていたことでしょう。
 そのあたりの表現は独特なものなので、少しだけ引用しておきます。

 わしはあの畑で死んだのさ。意識が流れ出して、イーグルへと向かうのを感じた。だがわしは人生を完全無欠に総括したから、イーグルはわしの意識を呑みこみはしなかった。それはわしを吐き出した。からだのほうは畑で死んでいたから、イーグルはわしを自由へと通してくれなかったんだ。まるでもどってやりなおせといわれているようだったよ。(p238)

 つまりドン・ファンは「臨死体験」を味わっているのです。
 次に、ドン・フアンの恩人(ナワール・フリアン)の言葉を引用しておきます。

 自由への呪術師の切符とは死なのだ。(p241)

 これだけではまとめになりません。
 ここのところのテーマである、タイトルの「無欠性への切符」についての説明を構成するため、ドン・ファンによる次の言葉を添えておきます。

 呪術師のすばらしいトリックは自分が死んでいることを意識することなんだ。無欠性への切符は意識につつまれていなくてはならない。そのなかで呪術者たちの切符は、未使用のまま保たれているのさ。(p242)

 あとがき

 これ以上の解説は冗長なものとなりそうなので、これでやめておきます。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, March 19, 2016)

 参照資料

[1] 「沈黙の力」意識の処女地、カルロス・カスタネダ(著)、真崎義博(訳)、二見書房(刊)、1990

 

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