RaN271 地球人はどこにいるのか(25)意志の操作「第三の点」
Where is the earthian? (25)Control of Will "Third Position"(※)

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 カルロス・カスタネダの「沈黙の力」[1] の第六章「意志の操作」は、「第三の点」と「二本の一方通行の橋」と「外見を意図する」の三つの節から成っています。
 ここでは「第三の点」について考えます。
 (※)意志の操作「第三の点」をControl of Will "Third Position"としましたが、原文で確認していないので、ほんとうは違う表現となっているかもしれません。

 準備

 ドン・ファンとカルロス・カスタネダは、薬草を集めるため、北メキシコのチワワ州ある高知の砂漠にいました。
 大きな丸石の上に腰を下ろして休憩しているとき、ドン・ファンは忍び寄りの術について話すと言い張りました。
 カスタネダは、そのことに必要な、高められた意識状態についての説明をしてほしいと要求しましたが、この要求は滑稽なものであり、彼はすでに知っているということが分かりました。
 そのことを聞いてもドン・ファンは無駄にはならないと説明を続けます。なぜなら沈黙の知に達するときに役立つからだと。
 そこでカスタネダは、沈黙の知についての説明を求めます。

 沈黙の知というのは集合点の普遍的な位置であり、ずっと昔にはそこが人間の通常の位置だったのだが、ある特定できない理由で人の集合点がその位置を去り、「理性」と呼ばれる新しい位置が採用されたのだ。(p245)

 集合点のもうひとつの位置である「憐みのない場所」が沈黙の知の先駆けであり、「関心の場所」と呼ばれる集合点のさらにもうひとつの位置は理性の先駆けなのだ。(p246)

 このような説明を聞いているとき、カスタネダは「巨大な黒いジャガー」が近くの丸石の上にいることに気づきます。

 黒いジャガー

 ここから、黒いジャガーと彼らとの追跡ゲームが始まります。追跡するのは黒いジャガーのほうで、二人はうまく逃げなければなりません。
 追跡ゲームというより、生き残りをかけた戦いといったほうがよいかもしれません。
 ここのところの物語も、ずいぶん詳しく記されています。それについて詳しくまとめるのは、やはりひかえておくことにします。
 ただ、この物語は、はらはらドキドキした臨場感を伝えるためのドラマではなく、呪術師の世界では重要なできごとについての、舞台背景のような位置づけなのです。ところどころに、この呪術師の世界についての、特殊な説明が組み込まれています。ここでは、これらについてのまとめは省略して、ジャガーとの戦いにつよくむすびつくことを取り上げます。

 少し理性を切り捨ててジャガーにわしらの行動を読ませないようにし、戦いに勝つようにするべきだ。(p248)
(中略)よりよい、そして理性的でない選択はジグザグに進むことだ。(p248)

 おまえの誤りは、物事を理解するという観点からジャガーの力を考えていることさ。やつは考えることができない。ただ知っているだけだ。(p257)

 ドン・ファンは低木の長い枝を折って、長いほうきのようなものを作るようにカスタネダに指示し、二人は走りながらそれを使って、乾いた砂をひっかいて砂煙を上げてゆきます。

 人間の感情というものは、暖かい、あるいは冷たい空気の流れのようなもので、野獣には簡単にかぎつけられる。(中略)砂ぼこりを巻き上げるこの作戦では、私たちがそれについて抱いていた感情がひじょうに常軌を逸していたため、受け手(ジャガー)の側には空白しかつくりださなかったのだ。(p257)

 これから、静かに歩いていくぞ。おまえは砂を高く蹴り上げろ、まるで身の丈十フィートの巨人みたいにな。(p257)

 藪の上の巨人

 低木の枝を折って作ったほうきで砂ぼこりを上げるという作戦から、今度は、巨人になって砂ぼこりを上げながら歩くということへと進み、これらの行動のなかでカスタネダの集合点が動いていったようです。
 カスタネダに驚くべきことが起こりました。理性を司る機能が停止したのだそうです。ここのところの表現も微にいっており、できれば、それらをいくらか引用したいところですが、2ページまるまる引用するわけにはいきませんので、かんたんに要点をまとめることにします。
 カスタネダは、まるで藪の上を歩く巨人のようにふるまい、ジャガーを怯えさせて、追い払ったのです。
 「思考のプロセスがふたたび機能しはじめた」とカスタネダが気づき、数フィートほど向こうにいたドン・ファンに「何が起こったんだ、ドン・ファン?」と訊くと、ドン・ファンは、このように言います。
 「何が起きたか、おまえが話せ」
と。
 カスタネダの語るところを聞き、ドン・ファンは、このときカスタネダに起こったことを説明します。

 カスタネダの集合点は憐みのない場所を越えて沈黙の知の場所にまで移動したが、まだそれを自分で操るエネルギーに掛けていた。
 呪術師が充分なエネルギーをもっていれば、あるいは充分なエネルギーをもっていなくても、生死がかかっている切迫した状況に直面すれば、理性と沈黙の知とのあいだを行ったり来たりすることができる。
(pp261-262)

 あいつ(ジャガー)はほんとうにいた。おまえは何マイルも移動して、疲れてもいない。疑うなら靴を見てみろ。サボテンのとげだらけだろう。つまりおまえは茂みの上にのしかかって移動したんだ。だが同時に、そうしていなかった。集合点が理性の場所にあるか、沈黙の知の場所にあるかによって見方が変わってくる。(p263)


 第三の参照基準

 カルロス・カスタネダに起こったことについての説明が続いてゆきます。
 ドン・ファンによれば、カスタネダは「沈黙の知の場所に達した」のだそうです。

 沈黙の知の場所で達成される知覚について語るひとつの方法は、それを「こちらとこちら」と呼ぶことなのだ。(p263)
 カスタネダの「地の文」に「同時にふたつの場所にいた」という表現があります。それが「こちらとこちら」の意味のようです。
 少しページが進んで、さらにカスタネダがドン・ファンに、起こったことの説明を求めるところがあります。

 日常の世界はふたつの参照基準から成り立っている。たとえば、こちらとあちら、内と外、上と下、善と悪、などという具合にな。つまり、正確に言えば、わしらの生活の知覚は二次元なのだ。わしらがしていることに対する近くには、どれも深さがないのさ。(p270)

 呪術師は自分の行動を深さで知覚する。彼の行動は本人にとって三次元なんだ。呪術師は三番目の参照基準をもっているんだよ。(p270)

 さらに何ページかの対話と説明が続きますが、これらについては割愛し、この節のさいごにある「まとめ」を引用しておきます。

 第三の参照基準とは、知覚の自由なのさ。それが意志だ。それが精霊なんだよ。思考がとんぼ返りをして、奇跡へと着地することだ。わしらの境界を越えて想像もおよばないものに手を伸ばして触れる行為なんだ。(p274)

 (Written by KLOTSUKI Kinohito, March 20, 2016)

 参照資料

[1] 「沈黙の力」意識の処女地、カルロス・カスタネダ(著)、真崎義博(訳)、二見書房(刊)、1990

 

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