RaN277 地球人はどこにいるのか
(31)イアン・スティーヴンソン「前世を記憶する子供たち2」
Where is the earthian?
(31)Ian Stevenson “EUROPEAN CASES OF THE REINCARNATION TYPE”

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 「前世を記憶する子供たち2」の直訳は Children memorizing previous existence 2となるかもしれませんが、この本の表紙に原本の名前がありました。EUROPEAN CASES OF THE REINCARNATION TYPE です。これを訳すと(少し意訳しましたが)「輪廻転生事例のヨーロッパ版」となるでしょうか。

 五右衛門風呂で

 私はごく普通の子供でした。母親に連れられて幼稚園へ初めて行って、母が帰って行ってしまうのを見て、SFテレビドラマのフォーリング・スカイズで父親のトムが独り立ちしてゆく息子に語ったように、私もそこで泣いたそうです(いえ、自分の記憶にあります)。でも、泣いたのは初日だけで、それから私は、幼稚園のすぐ隣にあった、まだ未整備の平らな土地(のちにテニスコートとなりました)が、雨に削られて、まるでミニチュアのグランドキャニオンのようになっていたので、仲間をつのって、その渓谷や台地でオニごっこをして遊びまわっていました。
 やがて、幼稚園での遊びがつまらなくなって、幼稚園に行くふりをして、勝手にさぼり、ひとりであちこちの野山を探検して遊ぶようになりました。
 一日遊びまわると汗だくになります。そのころ、私の家にあった風呂は、薪をくべて沸かす五右衛門風呂でした。薪と書きましたが、そのような本格的なものはなく、家の商売が魚屋だったので、魚を入れてあった薄い木の板で作ったトロ箱が、毎日空になります。それを砕いて燃やすのです。風呂を沸かすのは、私の得意な仕事でした。よく乾いた板でかまどの中に小屋のようなものをつくり、その中に、新聞紙などの紙くずを押し込み、小さな木切れをかぶせます。まだよく乾いていない板も、一度火が付いてしまえば、周囲に入れてしまい、中で乾かしながら燃やせばよいのです。
 五右衛門風呂は、入るのにちょっとしたコツがいります。木の板を組み合わせて作った底板が浮いているので、その真ん中をうまく踏んで、そのままの形で底まで沈めなければならないのです。失敗したら、熱くなっている側面や底に足がついて、軽いやけどになります。
 身体を温め、外で洗ったあと、足だけをお湯につけて、ぼんやりしているとき、わたしはいったいなんという存在なのだろうかと思うことがよくありました。存在というようなむつかしい言葉は、もちろん、まだ知りません。わたしとは何だろう。大人は死んだら(お)しまいだ、と言っているけれど、私が無くなってしまうとしたら、と考えると、そこで何もかもが止まってしまいます。わたしというものが消えてなくなってしまうとしたら、いまのわたしはなぜここにいるのだろう。
 なぜだか分かりませんが、そんなことを考えるのは、いつも、ひとりでお風呂に入っているときなのでした。これは、今考えると、脳波がアルファ波になっているのが、そのときだけだったからだと推定できます。
 もう少し大きくなって小学生のころ、こんな思いについて、遊び友達に語ったことがあります。すると、自分もそう考えることがあると言いました。それで私は、なあんだ、みんなそんなこと気づいているのか、と分かってから、くよくよと考えるのはやめて、漫画や遊びに心を向け、大人が知らんふりして生きてゆくのをまねることにしたのです。

 生きてゆくための「浮輪」

 20年か30年もの間、私は学校でいろいろなことを学ぶということや、スポーツなどの身体を使ってする、新しい体験に夢中となってゆきました。家も何度か直されて、五右衛門風呂ではなくなってしまいました。
 大学を卒業して、かなり安直な進路ですが、教師になって、授業やクラブ活動(はじめは科学クラブ、それから陸上競技部)の指導のことなどで、時間に追われるように日々を過ごしていたのですが、あるとき、これらの歯車が少し狂って、私の主特性と呼ばれる欠点が「頑固」なので、この狂いを修正することができず、とうとう、(自分でそうしたのですが)教師を辞めてしまいました。
 それからの何年間が、まるで何十年も体験したように思えるほど永く、何かに助けを求めるため、多くの本を読むようになってゆきました。教師時代に読んでいたのは、スタニスワフ・レムのSF小説くらいのものです。そんなことはないかもしれませんね。20歳代のころ、すでに蔵書数は千冊を超えていましたが、よく考えると、このあと30歳の中頃になって家を出るとき、50冊くらいを残して、あとは全部捨てたのですから、たいしたものはなかったようです。
 自分に合っていたはずの、教師の仕事を辞めて、私はまさに空っぽになってしまいました。教師のころの、数々の雑務のようなもの、生きがいのようなもの、陸上競技の指導者としてチャレンジできる状況など、いろいろなものを失って、空っぽになってしまった私は、この世界で生きてゆくための、何らかの「浮輪」のようなものを見つけなければなりませんでした。それを見つけるために、私は本屋へと向かったわけです。

 チベットでは

 ここで少し、いろいろな本に巡り合ってきたことについて語るべきかもしれませんが、このリーフページが迷路の中で出口なしの状態へとおちいってしまわないため、多くのことを省略することにします。
 フォーリング・スカイズの第4シーズンのドラマの中で、あるセリフに対して、「それはチベットだったら受け入れられるかもしれない」という意味の返答がありました(※)。
 この地球において、チベットというところ(国ではなく地方というしかありませんが)は、他の大部分と異なる雰囲気があります。直接行ったことはありませんが、どうやらチベットでは、あたりまえのように、人間は死んでもまた生まれ変わるのだということが、広く行き渡っているようです。
 信じているとか信じていないとかいうレベルではなく、それが本当のこととして、いろいろなことが行われます。もっとも有名なのは、チベットを指導する人間(ダライ・ラマ)が死んだあと、生まれ変わったかどうかを探し、みんながそれに従うというものです。
 チベットのゾクチェンにかかわる僧の履歴を調べると、それよりずうっと前に存在していた僧の生まれ変わりであることが「認定」されているという記述も見られます。

 (※)フォーリング・スカイズの第4シーズンのDVDをまだ返却していなかったので、もう一度見て、ここのところの発言を記録しました。
 もと小児科医であったアンは、第2連隊の軍医として、主人公のトム・メイスンを助け、やがて、互いに結ばれてゆき、女児を生んだアンと、その娘アレクシスが一度は離れ離れとなったのですが、再開して語るシーンでのことです。
 生まれてからまだ1年しかたっていないのに、21歳の大人の女性に成長しているアレクセイは、不思議な力をもち始め、エスフェニと(サカナ野郎とも)呼ばれる宇宙人たちと生き残った人類の戦闘が続く中で、そのエスティニが攻めてこない平和境(チャイナタウン)を生み出し、生き残った人々を集めています。
 母親のアンは、一部の戦闘部隊をまとめ、娘を探し、ようやく、そのチャイナタウンへとたどり着きます。
 その、つかの間の平和なときの一コマです。次のように語られます。

 アレクシス(娘)「私たちは敵意を示さず、非暴力を貫く
 アン(母)「平和主義のチベットなら、理解するわ
 アレククシス(娘)「茶化さないで

 ソギャル・リンポチェ「チベットの生と死の書」

 この本については、前回のRaN276 (30) 村上 龍「オールド・テロリスト」で、ほんのわずかの、最初から数ページのところを引用しました。ここでは、そのつづきのところを、やはり数ページだけ取り上げます。
 「第一部 生きるということ」の「第一章 死という鏡」の「現代社会における死」という節(pp23-29)です。

 世界中のすべての偉大な宗教的伝統(もちろんキリスト教もそうだ)が死は終わりではないと断言してきた。(中略)だが、こうした教えにもかかわらず、現代社会は総じて精神的砂漠となり果てている。たいていの人がこの生こそがすべてだと思い込んでいる。(中略)ほとんどの人が究極の意味を奪われた生を生きている。([1] p24)

 「世界中のすべての偉大な宗教的伝統」の一つとして、インドに伝わる「バラモン経典」に含まれる「バガヴァッド・ギーター」[2] に、次のような記述があります。

 いまだかつてこのわたし(聖バガヴァッド、クリシュナ)が存在しなかったことはないし、おまえもこれら王子たちもそうである。またわれわれはすべて、これからのちも、存在しなくなるということはない。
 個我は、現生の肉体を通じて少年期・壮年期・老年期を経験するように、(来世には)他の肉体を獲得する。
([2] p156)

 人が古びた衣服を捨てて、(別の)新しい衣服を着るように、個我は古びた肉体を捨てて、別の新しい肉体に入る。([2] p157)

 まだまだ、このことに関連する部分はありますが、これでじゅうぶんだと思われます。なんと分かりやすく、具体的な表現なのでしょうか。
 この「バガヴァッド・ギーター」の意味は「バガヴァッド(至福者)」と「ギーター(歌)」だそうです。古代版の「神との対話」のようなものです。ひょっとすると、「神との対話」の「神」は、「神にも階層がある」と言っていますので、集合的な精神の存在である、(宇宙人のサーシャと同じような立場で語る)ジャーメインのようなものが、「バガヴァッド(至福者)」と呼ばれるままに語ったものかもしれません。
 失礼な言い方をしてしまったかもしれません。「バガヴァッド・ギーター」の中での表現を見ると、ドン・ファンらが「抽象」もしくは「意志」と呼んでいるような、「究極の意識」(一なるもの、ワンネス)なのかもしれません。たとえば次のような表現があります。

 およそ神通力があり、栄光があり、力あるものはすべて、わたしの輝きの一部から生じたものと理解せよ。([2] p172)

 このような言い方は、少し階層の下がった(分離が進んだ)「神」にはあてはまらないことのように思えます。
 「チベットの生と死の書」に戻ります。
 [1] p24と添えた表現に続いてソギャル・リンポチェは、次のように語ります。

 死を否定することがもたらす破壊的な影響は個人にとどまらない。それはこの惑星全体を蝕(むしば)んでいる。この生が唯一のものと信じて、現代人は何ら長期的な展望を立ててこなかった。そうなると、即座に得られる結果だけを求めて地球からの収穫が起こる。(中略)そのような自己中心的な生き方は未来に破滅をもたらす。([1] p24)

 これに続いてソギャル・リンポチェが引用している、「アマゾンの熱帯雨林を守るべき立場にあったブラジルのかつての環境大臣」の言葉を、重ねて引用することにします。

 現代産業社会はひとつの狂信的宗教である。われわれは破壊し汚染している。この惑星のあらゆる生態系を台無しにしている。(中略)われわれはまるでこの惑星の最後の世代であるかのように振る舞っている。心に、精神に、ヴィジョンに、根本的な変化が起きないかぎり、地球は火星のようになってしまうだろう。黒く焼け焦げ、死ぬだろう。([1] p25)

 イアン・スティーヴンソン「前世を記憶する子供たち2」

 裏表紙のカバーに印刷されてある「著者紹介」によると、イアン・スティーヴンソンは1957年にヴァージニア大学精神科主任教授に就任。61年に、生まれ変わり型事例の実地調査を開始。68年、同大学に超心理学研究室(1987年に人格研究室と改称)を開設、とあります。
 2002年(84歳)に研究室の責任者を退いたあとも、精力的に研究をつづけているとありますが、2007年に亡くなられました。89歳だったようです。
 「前世を記憶する子供たち2」があるわけですから、「前世を記憶する子供たち」も出版されています。こちらは主に生まれ変わりの事象が多く伝えられているインドなどの調査がまとめられています。ところが、このような調査について、どこかから「ケチ」がついたのでしょう。このように、子供が前世のことを語るということを、インドなどの文化圏で暮らす大人たちの意識が生み出した「虚言」なのではないか、といったものと思われます。このような調査がチベットだけで行われたとしたら、もっと非難されたかもしれません。「生まれ変わり」の事象が集まるのは、「生まれ変わりの信仰」がはびこっているからであると決めつけられたら、それに対する反論をしても、きっと水掛け論になるに決まっています。そのような非難に対抗するには、「生まれ変わりの信仰」がほとんどないヨーロッパ人に対して、ここにもきちんとこのような「生まれ変わり」の事例があることを示すしかありません。
 この「前世を記憶する子供たち2」は、そのような動機で研究されたことをまとめたものです。ここには、ケースによって、その内容のレベルは異なりますが、目次で確認すると、およそ40人についての調査報告が並べられています。それらの中で、私の記憶に強く残った2人のケースについてまとめます。

 ゲデオン・ハイハー

 ゲデオン・ハイハーは1921年にハンガリーのブタペストで生まれました。生粋のハンガリー人です。両親はゲデオンが三歳半のころに離婚しています。そのような関係で、ゲデオンが一緒に暮らすことになった人は、複雑に変わってゆくのですが、母親との付き合いは断絶ということではなく、かなり長く、この母親はゲデオンのことを見る機会があったということです。
 ゲデオンの母親はエリザベット・ハイハーという名の人ですが、第二次世界大戦が終わった後、スイスのチューリッヒに移転し、ヨガ教室を開いてヨガを教えました。
 この母親は「秘法伝授」という名の自伝を表していて、そこに「ゲデオンの記憶」と「彼が描いた線画の解説」が記されているそうです。
 イアン・スティーヴンソンは、これらの資料を入手し、母親のエリザベットに手紙を書いて面接へとつなげ、こうして研究が始まってゆきます。
 この「彼が描いた線画」は、この本の表紙カバーにも使われており、彼の研究報告ページにも挿入されています。幼少のころのゲデオンが描いたものですが、それは、彼がハンガリー人として生まれる前の生活として、そのことを分かりやすく説明するために描いたのだそうです。
 このあと、研究者としてのイアン・スティーヴンソンの視点から、母親がゲデオンから聞いたことや、これらの線画のことが語られてゆきます。その物語は、確かに科学者が調査したことを、科学者としての判断基準で語られていますので、あまり断定的な言い方ではありません。
 これをなぞってゆくと、かなり回りくどい説明になってしまうので、この本のここのところを読んだ私の視点に置き換えて、かんたんに要約してゆくことにします。

 どうやらゲデオンは、ハンガリー人として生まれる前の人生では、どこか南方のほうで暮らしていたそうです。妻や子供たちもいたし、そのとき、みんなは(肌の色が)黒くて丸裸だったと述べています。
 ゲデオンが13歳のとき、20メートルほどもある高いポプラの樹の上の方まで登って、葉に隠れてしまっていたところを、近所の人が見つけて母親に知らせ、「どうしてそんな危険なことをしたのか」という母親の問いかけに対して、ギテオンは「ぼくがジャングルにいて、これよりずうっと高い木に登って動物を見はっていた」ころに、今のお母さんはどこにいたのか、と問い返します。
 その後しばらくして、学校から帰ってきたゲデオンが語った言葉が記録されています。これは引用しておきます。

 「ばかばかしいったらないよ。牧師が、人間の一生は一回しかないと言ったんだ。でも、ぼくは、人間が何度も生きることを知っている。知ってるんだ。でも、おとながいる前では、そういうことは言わないで、おとなしくしてるのが一番いいんだ。」([3] p252)

 ゲデオンは15歳のころ母親にドラムを買ってもらい、誰にならうでもなく、「このうえなく複雑なリズム」をドラムで叩き出したそうです。そして、ある時、次のように言いました。

 「ぼくたちは、こういうふうにして、すごく遠いところにいる相手と、信号や伝言をお互いに送り合うんだ」([3] p252)

 このあと、イアン・スティーヴンソンは、「ゲデオンが使った言葉と使わなかった言葉」、「ゲデオンが前世について話した状況や様子」、「ゲデオンが熱帯の生活に関する情報に接した可能性」などなど、この調査研究が論理的かつ正当なものであることを示すための、いくつもの項目についての説明を続けてゆきます。これらを紹介すると冗長になるので、ここでは省略します。

 テウヴォ・コイヴィスト

 テウヴォ・コイヴィストは1971年にフィンランドのヘルシンキで生まれています。両親ともにフィンランド人なので、テウヴォも生粋のフィンランド人です。それにも関わらず、イアン・スティーヴンソンは、両親の先祖について詳しく調べ、母親ルサの曾曾祖母のひとりがユダヤ人であったと言及しています。
 テウヴォは3歳のころに、「自分が強制収容所のようなところに入れられ、ガスで殺されたこと」をかなり詳しく話したのだということです。
 母親のルサ・コイヴィストが、おそらく夢見によって見たものについての物語も記されています。これもなかなか興味深いものです。
 「前世に関するテラヴォの発言」と名づけられたところに、かなり詳しい表現があります。
 テラヴォは母ルサに「前にも生きていたことがある」と話したことがあるそうです。そのとき母親が聞いたことを、少し要約して引用します。

 テラヴォはお風呂場に連れていかれた。浴室では、眼鏡や金歯などの私物が外された。それから、人々は衣服を脱がされ、炉の中に押し込まれた。ガスが、壁から噴き出してきた。息ができなくなった。テラヴォは(中略)他の人たちがそこに入れられるのを見た後に、今の母親のもとに来たと言った。([3] p333)

 このあとやはり、イアン・スティーヴンソンによる考察や検証のための文章が続きます。これらについての解説も省略します。

 あとがき

 イアン・スティーヴンソンによる「前世を記憶する子供たち2」には、このような調査研究の内容が、その対象者の名前のリストとして、40もの数で並べられ、それらの一つずつについて、調査のあらましと、その考察などが、淡々と述べられてゆきます。
 見事な研究成果だと思えます。
 裏表紙のカバーに印刷されてある「著者紹介」の末尾に「現代超常現象研究の最長老のひとり」とありますが、このような見方しかできないのかと、あきれかえってしまいます。これほどまでの正当な科学研究に対して添えられる言葉ではありません。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, March 27, 2016)

 考察

 イアン・スティーヴンソンは、このように、かなり詳しく、前世の記憶をもつヨーロッパの子供について、あるいは、それ以前に、インドやタイでの事象についても、人文科学者の手続きに基づいて、非情に科学的な調査と考察を行っています。それでも、「生まれ変わり」という現象についての、確かな証拠は得られていないと認識しているようです。これらはすべて状況証拠にすぎないという立場です。イアン・スティーヴンソンも、実は、子供たちが前世で生きていたときの人間が、確かに存在していたという証拠はいくつか集めてあるそうです。それ以上に何か決定的な証拠というのは、いったいどのようなものなのでしょうか。
 この「生まれ変わり」という現象は、前世療法という医療分野でも、詳しい調査が行われており、それによると、このような「生まれ変わり」の周期が、最近どんどん短くなるという傾向があるそうです。さらに調査が進めば、状況証拠以上の何かが見つかるかもしれません。
 このあと、この「生まれ変わり」がほんとうのことであるとしたときに、上記のケースから、どのようなことが言えるのかを、かんたんに考察します。

 ゲデオン・ハイハーのケースですが、ここでは、ゲデオンがハンガリー人の子供としてはありえないほど、木登りの才能が秀でているということと、誰も指導していないのに、ドラムの複雑なリズムを打ち鳴らしてしまうという、ある種の音楽的才能を見れば、ひとつの人生でマスターした、このような、運動や芸術に関する技能は、DNAの遺伝とはまったく独立に、次の人生へと引き継がれてゆくことができると考えられます。
 音楽家の生い立ちでよくエピソードとして取り上げられますが、あまりに若くして器楽の演奏や、作曲の才能を開花させた、いわゆる天才がたくさん産まれています。
 私ごとになりますが、私のケースではクロッキーでした。中学生のころ美術を習った先生たちが、私のクロッキーを見て、いずれも驚いていたようです。ゆっくりと描いてもよいスケッチではありません。対象をぱっと見て、音楽の指揮者がタクトを振り回すようなスピードで鉛筆を振り回し、人の顔やポーズについてのクロッキー画を生み出してしまうのです。このとき、比率などが正確に表現されていなくてもかまわないのがクロッキーです。あとから気がついたのですが、書道でも、このようなスピードで描くと、ある種のセンスがともなった作品になることがあります。これらは熟練しないと、よいものができません。ところが私は、何も熟練していないのに、中学一年生の美術で、やってみなさいと言われて、ただやってみると、かんたんにできました。
 中学3年生の国語の授業のとき、先生が私たちに人生の指針を教えてくださいました。ちょうど私のクラスには、ピアノの才能に優れた女子と、美術の才能に優れた男子(せんえつながら、私のことです)がいたので、学問では世の中にいっぱいすごい奴がいるが、芸術的な才能なら、きみらも負けてはいないぞ、だから、その才能を伸ばして生きていったらよい、とおっしゃられたのです。余談になるかもしれませんが、実は夏休みの宿題だったかで、自画像の水彩画を描くというものがありました。そのとき私が出した作品は「銀賞」でした。それでは「金賞」とはいうと、その、ピアノの才能に優れた女子でした。私の似顔絵はルネッサンス時代のリアルなものに近く、ピアノ女子の似顔絵は印象派時代のセザンヌかモネのような雰囲気がありました。私は「負けた」と思いました。その3年後、私は思い出したように美術系の芸大を受験するのですが、いろいろあって、いいや違う、と思い直し、科学の道を進もうと理学部を目指すことにしました。ピアノ女子は、音楽コースのある高校へ進み、音楽系の大学へと進みました。(このエピソードは、ここでストップしておきます。)
 クロッキーの才能にシンボライズされる私の美術の才能が、かなり突出したものだということは、進路を決めなくてはならないころに、よく認識していました。しかし、このように考えたのです。美術に関することは、もうじゅうぶんだ。せっかく、このように科学が発達する時代に生まれてきたのだから、今しかできないことにチャレンジしよう、と。
 ところが、科学、そのなかで才能が問題となる、数学について私は、天才と認められるほどのレベルではありませんでした。中学生時代は余裕でトップクラスでしたが、高校1年生の一学期の数学の評価は5でした。10段階の5です。このときのクラス担任が数学の先生で、帰りのホームルームで、数学に関わることわざを黒板に書いてコメントしてくれました。「数学には王道はない」ということわざの意味や由来を聞きました。翌日ならう数学の範囲を読んでおくというコツも教わって、私はそれからずうっと心がけて行いました。他の科目で予習をやったのは、あてられて答えられずに恥をかくのが嫌だからだという理由で、英単語の意味を調べておいただけです。数学での予習というのは、テキストのその部分に目を通しておくだけです。理解できなくてもよいのです。目を通しておいてから授業を聞けば、分かるところと分からないところがきちんと区別できるので、分からないところを質問すればよい、ということでした。私は2年生で8を、3年生で10をとるようになりました。大学の理学部へは生物学科で入ったのでしたが、途中から数学を学びたくなり、生物学科のまま、数学の単位を集めて卒業することができるということを、その大学のルールブックのようなものを読んで知り、そのようにしたいと、生物学科のいちばんえらい教授のところへ言いに行ったことを覚えています。
 このようなわけで、数学と美術のどちらのほうが才能に恵まれていたのかというと、明らかに美術のほうでした。しかし、美術はもういいや、と心の中で思って、数学を含めた科学の道へと進んでいったわけです。

 テウヴォ・コイヴィストのケースでは、ユダヤ人としてナチのガス室で殺されたあと、ユダヤ人の血はほとんど入っていないフィンランド人として生まれ変わっているのです。そのころドイツの狂気を先導したヒトラーは、優れたアーリア人種を残し、(おそらくその対抗勢力として脅威となる)ユダヤ人を消し去るという目的で、ユダヤ人狩りを行い、家畜用貨車に乗せて集め、ガス室送りにしました。
 ところがユダヤ人だった人間(の魂)は、アーリア系ではないかもしれませんが、フィンランド人として生まれ変わります。ゲデオン・ハイハーも、明らかに黒人から、白人のハンガリー人に生まれ変わっています。
 人間の魂にとって、人種の違いなんて、何の意味もないのです。どの人種が優れていて、どの人種が劣っているとかも、まったく無意味です。
 今地球上で争っている人々も、たとえば、自爆テロで死んでいったイスラム教徒が、次の人生でも、同じイスラム教の国で生まれるとは限らないのです。チベットなどではよく知られている「カルマ」のメカニズムによれば、今度は、殺した相手国の、何も知らない、無垢な幼児として生まれてくる可能性のほうが大きいのです。
 いったい私たち地球人は何をやっているのでしょうか。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, March 28, 2016)

 参照資料

[1] 「チベットの生と死の書」、ソギャル・リンポチェ(著)、大迫正弘・三浦順子(訳)、講談社(刊)1995
[2] 「バラモン経典 原始仏典」、長尾雅人(責任編集)、中央公論社(刊)、1979
  「バガヴァッド・ギーター」、宇野 惇(訳)
[3] 「前世を記憶する子供たち2」、イアン・スティーヴンソン(著)、笠原敏雄(訳)、日本教文社(刊)平成17年(2005)

 

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