RaN284 地球人はどこにいるのか
(38)「無限の本質」大気中の震え「力の旅」
Where is the earthian?
(38)“THE ACTIVE SIDE OF INFINITY”
Trembling in the air ”THE TRAVEL OF POWER ”

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

ランダムノート2016ブランチページへもどる

 はじめに

 カルロス・カスタネダ「無限の本質」[1] の「第一章 大気中の震え」には「力の旅」「無限の意図」「ファン・マトゥスとは本当は何者だったのか」と名づけられた3つの節としての物語が含まれています。これまでは、このような物語の展開についての要約はできるだけ避けてきましたが、この本では、そのようにすると、何も語ることができなくなります。よって、ごくごくかんたんにではありますが、物語のあらすじを要約したうえで、これらの物語についての意味を考えたいと思います。もちろん、そのような意味は、私が感じたものであり、それが正解だと主張すべきものではありません。私がここでまとめようとしているのは、単なる「読書感想文」にすぎません。
 このリーフページのタイトルのところで「大気中の震え」を「Trembling in the air」としましたが、原著で確認していませんので、確かなものではありません。
 当初「力の旅」「無限の意図」「ファン・マトゥスとは本当は何者だったのか」の3つについてまとめようと思いましたが、やはり無理でした。このリーフページでは「力の旅」だけです。

 力の旅

 カルロス・カスタネダの(マイケルの教えによる)「魂の役割」は(典型的ともいえるくらいの)「学者」なので、「人類学の学生として」できるだけ多くの論文を書き「学問の世界の階段を登っていく」ため、「アメリカ合衆国南西部のインディアンが用いる薬用植物のデータを集めることにした」そうです。
 ところが、そのことを「その分野の研究をしているある人類学者の教授に」助言を求めると、薬用植物について研究するのではなく、人間を中心テーマとすべきだというのです。カスタネダがしようとしている「薬用植物のフィールドワーク」は「19世紀初めごろに盛んに行われたもの」であり、「流行おくれ」で「児戯に類するもの」で「単なる自慰行為にすぎん」と、まあ、コテンパンにけなされたのです。
 カスタネダは「最後の頼みの綱として」アリゾナ州へゆき、「そこで実際にフィールドワークをしている人類学者たちに相談することにした」そうです。そして、アリゾナ州のヤキ・インディアンやメキシコのソノラ州のインディアンについて多くの論文を発表している人類学者に会って、カスタネダの考えを述べました。
 その人類学者はカスタネダの試みを否定も肯定もせず、ただ単に、カスタネダが調査したいと思っている、南西部のインディアン社会が「極度に孤立主義的」であり、カルロス・カスタネダそのものである、「ヒスパニック系の人間」を信用しないし、毛嫌いさえしている、と言ったのです。
 さらに、その人類学者の「若い同僚」は、そのような薬用植物を使った伝統的な治療法をしているインディアンがいたとしても、「それをよそ者に漏らすようなことは絶対にない」と断言したということです。
 カスタネダは、ここで、あとあと意味をもつ、人類学者の友人(ビル)に出会います。彼は「過去に仕事をした土地を全部まわって、人類学の研究で情報提供者になってくれた人々と旧交を温める」ので、カルロスをその旅に誘ったのです。
 カスタネダは「意気消沈しきっていたので、その申し出を断った」のですが、彼は「戦うまえにあきらめちまおうってのかい」と、カスタネダを励まし、この旅に加わることを勧めます。
 カスタネダは「敗北感を振り払って、ビルと一緒に」旅を始めます。このあと、あとで印象深く思い出すことになるシーンの描写があります。「助手席に座ったビルは30年もののバランタインを瓶からちびちびすすっている」というところですが、別のところに「彼ひとりで飲む分として、車のトランクにスコッチの瓶24本入り一箱が積んであった」との描写もあります。これらの描写は、もっとずうっとあとのところで、この物語を聞かせてもらっていたドン・ファンによって、それに潜む意味が語られます。(ただし、ここでは述べません。)
 その、バランタインの描写のあと、「ビルが目録に載せなかった経験」を話してくれたことについて述べられてゆきます。
 それらは「シャーマンの幽霊」の話と、ビルがこの目で見たという、「異なる存在へと姿を変えるシャーマン」の出来事でした。これらの描写もリアルなもので、それを話すビルの様子が細かな描写で続けられます。でも、どうやら、これらの物語は中心的なものではなく、カスタネダが自分の経験の中から探してきた「出来事のアルバム」に収めるべき「回想」とは呼べません。
 その一つの「写真」を選ぶとしたら、一枚目は「30年もののバランタインを瓶からちびちびすすっている」シーンがよいかと思われます。もう一つ、もっと重要なシーンを提供する出来事が語られます。
 「旅が終わると」とありますから、ビルが情報提供者たちとの旧交を温めるということが片ついたのでしょう。カスタネダがバスでロサンゼルスまで帰るため、「アリゾナ州のノガレスのグレイハウンド・バス発着所」まで送ってくれました。そして、バスが到着するまで、待合室でカスタネダを慰め、励ましていたビルが、「むこうの隅っこに座っている老人」が「シャーマンの仲間か教師」ではないかと言い、カスタネダはかつてビルが「不思議な老インディアンの存在」について語ってくれたことを思い出し、ベンチから立ち上がって、その老人に近づいてゆきます。そして、「ずうずうしく」「たがいの話を交換すること」を申し出るのです。
 このあとのシーンが「出来事のアルバム」に加えられるべきものだと思われるものです。カスタネダによる本文を引用します。

 それまで老人はずっと視線を伏せっぱなしだったが、このとき初めて目を上げて私を見た。「わしはファン・マトゥスだ」そう言って、私の目をまともに見つめた。([1] p56)

 このシーンで終わるわけではありません。
 このあと、老人は自分が乗るバスがやってきたことを告げ、「家を探して訪ねてくるように」とカスタネダに言ったのだそうです。でも、その住所などの情報は何も添えられません。
 老人が行ってしまったので、カスタネダはビルが座っているベンチに戻り、ビルから何を話したのかと問い詰められます。ビルによると、「あの年寄りはろくでもない変人」で「誰とも話をしない」のに、「それがなんできみ(カスタネダ)なんかと話をするってんだ?」というわけです。
 ビルはかつて、その老人に話しかけたことがあるのだそうですが、そのとき「あの年寄りは」「邪険に拒み」ビルに次のように言ったそうです。

 わしがきみだったら、口を開いてエネルギーを無駄遣いするようなことはしない。大事にとっときたまえ。きみはエネルギーを必要としている。([1] p58)

 カスタネダはロサンゼルスへは帰らず、ビルの情報から、その老人のことを知っている人がいそうだというアリゾナ州のユマへと向かいます。

 あとがき

 このところの物語は、カルロス・カスタネダにとって「事態を変えて」「進むべき道を照らした」出来事に相当する、ビルには不可能だった、ドン・ファンとの会話に成功したというものです。人類学の教授たちから無理だと批判され、唯一理解的だったビルからも「ねたまれて」しまうくらいの、思いもかけない展開へとつながってゆくものでした。
 ここのところの物語の意味は、あとあと、何度もドン・ファンによって語られてゆきます。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, April 6, 2016)

 参照資料

[1] 「無限の本質」呪術師との決別、カルロス・カスタネダ(著)、結城山和夫(訳)、二見書房(刊)2002

 

ランダムノート2016ブランチページへもどる