RaN288 地球人はどこにいるのか
(42)ルドルフ・シュタイナー「アーリマンとルシファー」
Where is the earthian? (42)Rudolf STEINER “Ahriman und Luzifer”

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 森の図書館の検索画面でタイトルのところに「シュタイナー」と「ルシファー」を打ち込んで1冊だけ現われたのが、この「悪の秘儀」[1] でした。これの副題が「アーリマンとルシファー」だったわけです。
 このリーフページのタイトルでは、本題の「悪の秘儀」ではなく、副題の「アーリマンとルシファー」のほうを採用します。なぜなら、このような世界では、何が「悪」で何が「善」なのかということは、かんたんに分けてしまえることではないからです。誰が名づけたのかは分かりませんが、この本のタイトルを「悪の秘儀」としたのは、明らかに誤りです。
 そもそもの目的は「ルシファー」という存在が、いったい何をしてきたのかを知りたいと思ったからでしたから、「アーリマン」は余計だったかもしれません。
 でも、この本を読んでみると、「ルシファー」と「アーリマン」は対極となるものらしく、その片方だけを取り上げて考察するというのは、片手落ちとみなされることになりそうです。さらに、シュタイナーによると、それらの2極の中間に「キリスト」が位置しているそうです。だから、「ルシファー」だけではものごとのほんの一部しか見ていないことになり、「アーリマン」との比較をすることでも、まだまだ平面的であり、これに「キリスト」を組み合わせることで、ようやく立体的な全体像が見えてくるのだそうです。
 ルドルフ・シュタイナーの難解な講演筆記記録による「悪の秘儀」について、私なりの観点で述べてゆく前に、このような、(キリストも含め)ほとんど神話的な存在についての、別の世界からの情報をひとつ取りあげます。

 オリオンのキリスト

 森の図書館から借りた「ギャラクティックフアミリーと地球のめざめ」[2] はもう返却して手元にありませんが、思考言語コアによるノートを作ってありますので、それを見ながら説明します。
 この本では、プレアデス人のサーシャという宇宙人からの情報のほか、肉体をもっていないそうなので、宇宙人というわけにはいかない、私たちの想像を超える存在の、ジャーメインからの情報がたくさん語られます。
 ジャーメインは銀河サイズの意識体らしく、この銀河系宇宙で起こったことを、記録に基づいて語るのではなく、記憶から選び抜いて、ほんとうのこととして語ります。
 しかし、そんなに広くも長くもない、私たちの意識では、そのことが確かなことかどうかを判定することはできません。
 ですから、これからまとめることは、ある種の「神話」とみなしてもらうのがよいかと思われます。

 ジャーメインが語るこの銀河系の、肉体をもつ知性体の物語は、およそ何十億年も前に、琴座で始まります。魂の「断片」が人間型生命体という肉体に入り、この物質世界で「輪廻転生」を始めたときのことだそうです。
 琴座人は何千もの星系に植民していったとあります。
 この琴座人の中から、ほんらいの琴座人の性質とは異なる存在として、内面の精神性を追い求めるようになったベガ人が分かれてゆきます。
 また、このベガ人の子孫として、やがて遺伝子工学の達人となってゆく、シリウス人が分かれてゆきます。
 そして、琴座人とベガ人の、両方の特徴を受け継ぐものとして、オリオン人が生まれてゆきます。

 ジャーメインが語るオリオンの歴史によると、その「第1期」では、支配的な「帝国」の力が強く、その支配者たちは、「オリオンの網」というものを生み出しました。
 この「オリオンの網」というのは、魂の生まれ変わりの「鎖国」のようなものだと説明されています。もし、このようなものがなければ、死んだあとの魂は、この宇宙のいろいろなところに生まれ変わることができるのだそうです。しかし、この「オリオンの網」のため、オリオン人たちが次に生まれる世界も、オリオンの帝国が支配しているところでしかないということです。いったいどのようなメカニズムで、そのようなことが起こるのか、私たちにはまったく想像もつきません。私たちは、死んだ後の魂が、どうなってゆくのかさえ、ほとんど知らないのですから。

 オリオンの「第2期」では、帝国の支配に抵抗する勢力が生まれました。この抵抗勢力は「ブラック(隠された)・リーグ」と呼ばれたそうです。ブラックの意味は「悪」ではなく「影に潜む」というものです。惑星の奥深くの洞窟で、電磁波のシールドを張って、そこで行われていることが帝国に探知されないようにしたそうです。
 ジャーメインによると、このあたりの物語が、私たちの世界の映画として、「スター・ウォーズ」や「デューン 砂の惑星」で再現されているそうです。
 ブラック・リーグの神官たちは、スピリチュアルな高いパワーをもつようにして、オリオンの網状のエネルギーに対抗し、これに穴を開けようとします。具体的には、瞑想などにより意識を高めた、そのような神官が、死んで身体を離れたあと、オリオンのエネルギーの網をくぐり抜けることに成功し、地球の輪廻転生のサイクルへと入っていったということです。
 これは、ほんの一部のオリオン人にのみ可能となったことでしたが、帝国側も、エージェントと呼ばれる魂が、死んだあと地球へと転生し、逃げ出した神官たちを追ったそうです。
 死んで身体から抜け出した魂になってからも、はっきりとした意識と強い意志をもって活動してゆくというのは、私たちのような凡人には理解しかねることですが、カルロス・カスタネダが記した、ドン・ファンら呪術師の最終的な目的は、これに対応しており、死んだ後も、連続した意識を維持し、みずからの意図から行動するようになるというものです。

 オリオンの「第3期」では、ブラック・リーグの神官たちの抵抗は続き、さらに「長い瞑想の儀式」に取り組み、オリオンの網に穴を開けることを続けるだけでなく、高次の波動をもつ意識の高い存在が、オリオンへと転生して、この状況を変える助けをしてほしい、と願ったのだそうです。
 まるで神話かおとぎ話のような展開ですが、このような願いが聞き入れられることになりました。ブラック・リーグの神官たちは、そのような存在が子供として生まれるための両親を選び、惑星の奥にある洞窟にかくまい、このような試みが帝国側に知られないように、瞑想による効果で、この両親の周囲にシールドを張り続けたそうです。
 このとき生まれた子供が「オリオンのキリスト」と呼ばれる存在です。
 このオリオンのキリストは、磁極を反転することができ(ここのところは、の文字どおりのことなのか、それとも何らかの象徴的なことなのか分かりませんが)、それにより、オリオン文明の帝国は崩壊したということです。その後、オリオン文明は「超越の状態」へと変化していったそうですから、すべてがなくなってしまったということではないようです。

 長くなってしまいましたが、この物語で記憶しておいてほしいのは、意識の段階が異なる存在が、ただの人間型生命体の肉体に宿って生まれ、その物理世界で成長してゆくことにより、その世界を大きく変えてしまうことがある、もしくは、できる、ということです。
 ルドルフ・シュタイナーが語る「ルシファー」と「アーリマン」と「キリスト」の物語においても、これと同じようなことが起こります。

 ルドルフ・シュタイナーの講義とその聴衆

 ルドルフ・シュタイナーの、このようなシリーズの本は、何人かの人々の前で語られた講演の記録として編集されています。
 よく似た生み出し方の本として、バグワン・シュリ・ラジニーシの初期の本があります。「存在の詩(うた)」や「TAO 永遠の大河」などを読むと、このときの聞き手のことがよく考えられているようで、短い表現で、何度も同じような表現のスタイルを繰り返し、そのようにして要点のようなものが繰り返されてゆきます。若いころは、それで、しっくりと心へ響いてきたと記憶していますが、ここまでくると、ちょっとくどいかな、とも思えてきます。できれば、もう少し、簡潔に、論文のような、整然とした構成で、内容を展開していってもらいたいとも思えてきます。
 これに対してルドルフ・シュタイナーの講演での聴取者は、いったいどんな認識力をもった人々だったのだろうかと思ってしまいます。ドイツ語で話すというのは、このようなものであり、何が語られているのかが分からなくても、その雰囲気さえつたわってくれば、みんな、それで満足するのでしょうか。
 記録された言葉が記されている、本としての内容をなんとか掌握しようとするのですが、この話の背後にある、シュタイナーの頭の中の、意味構造の図式が、なかなか見えてきません。

 人間との関係におけるキリスト、アーリマン、ルシファーの本質

 「1923年5月7日 ドルナッハ」での講演
 シュタイナーは、この講演のとき、理解を助けるため、黒板に図や表のようなものを描いています。それに従って、私たちが理解してゆくべきことが、少しずつ語られているようですが、ここでは、あるていど完成した表を示すことにします。
 それは「アーリマン的な力とルシファー的な力との対比」と私が名づけた、次の表1です。タイトルと罫線は私が加えました。

表1 アーリマン的な力とルシファー的な力との対比



 ルドルフ・シュタイナーによれば、私たち人間というものは、自然発生的に何の外部からの影響もなく、いろいろなことができるようになったのではなく、霊的な存在からの働きかけがあったということです。
 たとえば、この表1に整理したような、アーリマン的な力による働きかけと、ルシファー的な力による働きかけがあって、いわゆる、それらによる、各種のプログラミングのパターンを応用していくようにして生きているのだそうです。
 しかし、これらのプログラミングの強度が偏ってしまうと、人間は、それに応じた、おかしな行動や考えに走ってしまうようです。
 このような、相対立する要素が、はじめからバランスをとって、人間へと影響を及ぼしていればよかったのでしょうが、そのようにはなっておらず、そもそも、このような影響を及ぼす、アーリマンとルシファーは、高次元の存在であるものの、仲が悪く、(この表を見れば理解できることでしょうが)何かと意見を異にする存在だったようです。

 ルドルフ・シュタイナーの講演は、このような構図から生み出される、いろいろな現実世界での問題点について、あれやこれやと語っています。医療問題や教育問題においても、アーリマン化してゆくものとルシファー化してゆくものとの違いを見分け、そのプロセスが一方に傾かないようにと考え、それをこの物理世界での問題として翻訳してゆくわけです。これは、このような視点に慣れた人なら、なるほどと思えます。ところが、現代科学の医者や教育者たちは、きっと、それに異議を申し立て、そんなことはないと主張することでしょうが、それは、彼らの考え方がアーリマン化しているからだと、シュタイナーは説明しているのです。つまり、現代科学が唯物的であり、精神的な局面を無視してゆこうとしているということが、アーリマンの影響のほうが強くなっているということの現れなのです。

 実は、ルシファーの力の影響は、もっと古い時代において、いまよりずうっと強かったのだそうです。その伝統を現在でも受け継いでいるのが、ドン・ファンらアメリカ・インディアンの呪術師たちだと考えられます。シュタイナーらの神智学の体系で述べられる言葉と、ドン・ファンらの呪術師たちの体系で述べられる言葉は、一見すると何の関連も無いようにとれるかもしれませんが、それらが示すものを考えると、驚くほど類似していることが分かります。どちらも、この世界の、もう一つの側について述べようとしているからであり、ルシファーの力の影響というのは、そのような、目に見えない世界にも、何らかの生命活動や、それに伴う意志のようなものが存在するということとつながることだからです。

 もうひとつ、キリスト存在の意味について語られています。ここのところの記述を引用します。

 本来キリストという人物は、「アーリマン的なものとルシファー的なものの間に均衡、つまりバランスを保つことを可能にするような教義をすべての人間に伝える」という意図を持っていました。([1] p32)

 このあと、シュタイナーの講演は、これらの知識から派生するエピソードの紹介に移ってゆきます。
 たとえば、聖書には「マタイ福音書」「マルコ福音書」「ルカ福音書」「ヨハネ福音書」の四つの福音書がありますが、これらは「相互に矛盾し合っている」そうです。これは「四つの異なった側面から記述している」からであり、「だからこそ、福音書は相互に矛盾しあわなければならないのです」と、まとめられます。
 このようなエピソードが、ここの講演の話の中で、どのような位置づけとなるのかは、私にはよく分かりません。
 さらにこのあとも、人智学は十戒を知っているので、「キリスト」という言葉をあまり口にしないという話に流れてゆきます。
 ルドルフ・シュタイナーの講演は、おそらく、推敲されたメモや原稿のようなものはなく、おおよその中心課題があって、それを話し終えたら、ずるずると、関連するエピソードへと流れてゆくようです。私たちは、このような傾向があると認識して、ルドルフ・シュタイナーの講演本を読んでゆく必要がありそうです。

 キリストの行為と、キリストに敵対する霊的な力としての
 ルシファー、アーリマン、アスラについて

 「1909年3月22日 ベルリン」での講演
 この添え書きを見て、私は、おやっ、と思いました。上記の章が実は第一章で、ここのところが第二章です。しかし、時系列として、第二章のほうが先に語られています。このようなことは、全体的な視野や構成を、あらかじめ持っているのなら、別になんということもないのかもしれません。
 このところでシュタイナーは「アーリマン」や「ルシファー」に先行するものたちについての記述を組み込んでいます。次に引用します。

 宇宙において人間よりも高い段階にいる霊的な存在が、人間が地上で生きていく際に力を貸した。そのことによって人間は、感情生活、意志生活、そして知性に関して現在のような段階に到達し、また現在のような形態を獲得するに到った。([1] p57)

 このとき「どのような霊的な存在が関与したのか」についてもシュタイナーは述べていますが、具体的なイメージに結びつくようなものではなく、その働きに応じて、トローネ(意志の霊)、キュリオテテス(知恵の霊)、デュナミス(運動の霊)、エクスシアイ(形態の霊)、アルカイ(人格の霊)などと呼んでいます。
 これらは「人類を進化させようとする存在」としてまとめられていますが、これらに「敵対する霊的な存在」がいたということについて、シュタイナーは話を進めてゆきます。
 シュタイナーの透視によると、レムリア時代には、ルシファー存在たちが人類の進化に介入したそうです。さらにアトランティス時代には、アーリマンの霊たち、あるいはメフィストフェレスの霊たちが、人類を進化させようとする力に敵対したそうです。ここで、よく知られている「サタン」が、ルシファーのことではなく、アーリマンやメフィストフェレスのほうであることを、シュタイナーは述べています。
 具体的には、「レムリア時代にルシファー存在たちが形態の霊たちに対立した」とあり、さらに、「人間のアストラル体の中に巣食って、それを手中に収めた」のだそうです。本来そこは形態の霊が占有するところだったのですが、ルシファーたちも入り込んだというわけです。このときのイメージを私たちの考えでとらえるとしたら、形態の霊もルシファーも、ずいぶん小さいものとみなしてしまうかもしれませんが、どうやら、そのような分離を考えてしまうのは、私たち人間の性のようなもので、高次の存在というものは、物質としての私たちのように、ばらばらに独立してしまわないのかもしれません。
 このような二つの存在が人間のアストラル体に影響を及ぼしたことにより、人間がどのようになったのかということを、シュタイナーは、次のようにまとめています。

 人間を進化させようとする存在と、人間が無条件に進化するのを妨害し、その代わりに人間の自立性を内的に強固なものにした存在が、人間のアストラル体の中で活動することになったのです。([1] p61)

 おやっと思いませんか。ルシファーは「人間の自立性を内的に強固なものにした」というのです。これのどこが「悪」なのでしょうか。
 シュタイナーの解釈が続きます。
 もし、ルシファーがやってこなかったら、人間は絶えず(霊的な)故郷に憧れ続け、地上で受ける印象に興味がわかなかったということです。でも、ルシファーがかかわってきたため、人間が存在する、この物理的な世界についての関心や欲望を抱くようになったのだそうです。
 これで「すべてよし」とはなりません。人間は「このような感覚的な世界に無制限に落ち込む」危険があります。そこで「人間を進化させようとする霊たち」は「ある種の対抗手段」として、「感覚的な欲望や感覚的な関心には病気や苦しみが伴うように」しました。かくして「必要なバランスを回復させること」になったのだそうです。

 「アーリマンの霊の集団」はアトランティス時代の半ばから、人間に働きかけるようになったそうです。具体的には、人間が物質的なものを通して、その真の根拠である「霊的なものを洞察すことがなくなるように」人間を誘惑したとあります。
 このような力に対して、「人間を進化させようとする霊たち」は、「カルマを担い、それを作用させる可能性」を人間に与えたと記されています。もう一度、次のように繰り返されています。

 人間に「みずからのカルマによってあらゆるあやまちを再び取り除き、自分自身が世界の中に引き起こしたあらゆる悪を再び消し去る可能性」を与えたのです。([1] pp65-66)

 「話を先に進めましょう」とシュタイナーは語りだし、「ルシファーやアーリマンとは別の存在たちが人間に忍び寄ってくる時代を迎えつつある」ことについて述べてゆきます。その「別の存在たち」は「アスラ(Asura)」と呼ばれるそうです。その影響として、人間の何が変化してゆくのかということなど、いろいろと語られてゆきますが、このリーフページのテーマからどんどんはずれてしまうので、この件については、ここで止めておきます。

 ルシファーとアーリマンの受肉について

 「1919年10月27日 チューリッヒ」での講演
 これも「第一章 人間との関係におけるキリスト、アーリマン、ルシファーの本質」に先行しています。
 この第三章の本文に入る前に、本文の中に添えられた記号に対応する、この章末の注釈にふれることにします。

 注1 シュタイナーはアトランティス以降の時代を七つに分類した。@インド文化期、Aペルシャ文化期、Bエジプト・カルディア文化期、Cギリシャ・ラテン文化期、D第五文化期(現代)、Eロシア文化期、Fアメリカ文化期、の七つである。

 注2 ここの説明は省略しますが、ここに記されてある「年表」に重要な記述があります。
 シュタイナーの時代区分のBエジプト・カルディア文化期が、紀元前3000年から同8世紀までとなっており、この紀元前2700年ごろに「ルシファーの受肉」という事件が記されています。この期間に含まれる紀元前3000年から紀元前2001年までが「紀元前三千年紀」と呼ばれます。
 Cギリシャ・ラテン文化期は紀元前8世紀から西暦紀元15世紀半ばまでで、その西暦紀元1世紀のところで「キリストの出現」という事件が起こっています。
 さらにD第五文化期(現代)は西暦紀元15世紀半ば以降で、(目測で読んで)2200ごろでしょうか、「アーリマンの受肉」という事件が予測されています。この期間に含まれる紀元2001年から3000年までが「三千年紀」と呼ばれています。

 本文の中を探してゆくと、「ゴルゴダの秘儀によって、キリストという超感覚的な存在がナザレのイエスという人間の中に受肉したのと同じように、紀元前三千年紀初めに超感覚的な存在がある人間の中に受肉した」([1] p101)という記述が見つかりました。
 ルシファーは「人間の姿で中国に現われた」([1] p108)と記されています。
 イエス・キリストは「人間の姿で西南アジアに現れた」([1] p108)ということですが、これはよく知られていることです。
 そして「西暦三千年紀に、アーリマン存在は西洋に受肉することになるでしょう」([1] p107)と予知されています。

 この章の内容も複雑で、多岐にわたっていますので、こまかくていねいに論じてしまうと、終わりが見えなくなってしまいますので、目をつむって、重要だと思えそうなことを大胆に省略することにし、アーリマンについての知識だけを拾い上げます。

 ルシファーが呼び起こすものはすべて、人間に自分自身の限界を超えて上昇させようとし、(中略)一方アーリマンの力は人間を無味乾燥で、散文的で、俗物的な存在にします。(中略)人間を頑なにし、唯物論という迷信へと導きます。([1] p107)

 アーリマンは、人間に数学を教えることにこの上もなく大きな関心を抱いていますが、この際、「数学的かつ力学的見解は宇宙に関する幻影にすぎない」ということだけは人間に知らせないでおこうとしています。([1] p115)

 アーリマンが用いる第二の手段は、「あらゆるものを扇動することによって、現代の人間を互いに反目し合う小さなグループへと分裂させること」です。([1] p118)

 このような、ルシファーの力とアーリマンの力の影響のもとで、わたしたち人間はどのようにすべきなのかということを、シュタイナーは簡潔にまとめています。

 人間存在の本質は、ルシファー的な力とアーリマン的な力の間で均衡を保つための努力をするところにあるのです。このような均衡を作り出すことができるように、現代の人間に力を貸してくれるのがキリスト衝動です。([1] p107)

 アーリマンの学院と人類の未来に関する三つの予言

 「1918年10月12日 ドルナッハ」での講演
 これも「第一章 人間との関係におけるキリスト、アーリマン、ルシファーの本質」に先行したものです。
 この章の中心的な内容は、これまでに見てきたことと、ほとんど変わりません。
 ただ少し新しい知識としては、「529年、(東ローマ帝国、すなわちビザンティン帝国の皇帝)ユスティニアヌス帝がギリシャの哲学者たちの学院に、それ以降活動することを禁止する命令を出した」ことにより、「太古の学問を保持していた学者たちは」ペルシャに移住し、「ゴンディシャプール(Gondishapur)の学院を創設することになった」ということが取り上げられ、これにともなう、霊的な思考と、自然科学の思考との、いろいろな物語が述べられてゆきます。

 あとがき

 カメロス・カスタネダの「無限の本質」について、第二章の第一節まで進んでいましたが、このあとの節の数を数えると、まだ13もあります。また、この本は私が買って持っている本なので、このようなリーフページを作る期限をのばすことができます。
 これに対して、森の図書館や土の図書館で借りた本は、ある期限を切って返さなければなりません。
 このようなわけで、森の図書館から借りた、ルドルフ・シュタイナーの「悪の秘儀」(アーリマンとルシファー)を先行させることにしました。
 あと何冊か、先行してまとめておくべき本(と、そのテーマについて)のリストがあります。
 ですから、カメロス・カスタネダの「無限の本質」の「つづき」は、しばらくたってから再開することにします。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, April 11, 2016)

 参照資料

[1] 「悪の秘儀」アーリマンとルシファー、ルドルフ・シュタイナー(著)、松浦 賢(訳)、イザラ書房(刊)1995
[2] 「ギャラクテックファミリーと地球のめざめ」、ジャーメイン&サーシャ(著)、リサ・ロイヤル・ホルト(チャネル)、鏡見沙椰(訳)、VOICE(刊)、2013

 

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