RaN299 地球人はどこにいるのか
(53)「バシャール×坂本政道」から「アナスタシア」へ
Where is the earthian?
(53)From “BASHAR×SAKAMOTO Masamichi” to “Anastasia”

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 「バシャール×坂本政道」[1] の中から、ほんのすこし、この「情報の宝庫」から「宝」のひとつを取り出して、次のリーフページをまとめました。
 「RaN298 地球人はどこにいるのか(52)音の力で巨石が浮く?」
 この調子でリーフページを作ってゆくとしたら、きっと、目標の(100)をすぎても、ここから離れられなくなるかもしれません。

 少し悲しいこと

 このリーフページをまとめている間に、少し悲しいことがありました。
 せまい中庭に池を作って金魚とメダカ(それと、水草についていた巻貝)を飼っているのですが、初めに入れた水草が増えすぎるので、漬物のための大きなポリ容器へと移しておいたところ、ここにボウフラがわいてきたので、これを退治するため、新たにヒメダカと小赤金魚を買ってきて入れてありました。しかし、深い容器なので、あまり水面に現れず、私が覗き込むと、さっとばかりに水草の「雲」の中に隠れてしまいます。
 そこで、この問題をなんとかしようと、セメントをこねるための、プラスチックの、浅い、四角い容器があったので、ここに水をはり、砂を敷き詰め、木炭を浮かべ、水草も少し加えて、これらのヒメダカと小赤金魚を移しました。残りの水草群は、もともと近所の川から採ってきたものなので、わるさをする外来植物というわけではありませんから、ざっと水を切ってポリ袋へ入れ、川へと返してやりました。
 これらのことは、何日も前のことです。大きな手作りの池のほうには、昨年の夏に小赤金魚だった、6尾の冬越し金魚たちが、すっかり大きくなって、まるで小さなコイくのらいのサイズとなり、水草と藻のふとんの上に横たわって、のんびりと日向ぼっこをしています。セメント容器のほうの小赤金魚とヒメダカたちも、水面が明るく照らされてくると、底のほうから水面に上がって来て、すいすいと泳ぎ回っています。
 あるとき私は、ビールとつまみのお菓子を買ってきて、夕方あたりから、庭に置いてある市販のパイプと布で作られた椅子に座り、ぽりぽりとせんべいをかじりながらビールを飲んでいました。そして、うっかり、何枚かのせんべいを地面に落としてしまいました。これを拾い上げ、ほこりを払って食べるのは、ちょっとみじめな気がするので、そうだ、金魚たちにやろうと思い、バリバリと砕き、大小二つの人工池に浮かべてやったのです。
 一日経っても、これらのせんべいは不評だったようで、いつまでたってもなくなりそうにありません。メダカたちや金魚たちは、コイのようには、これらのごちそうに向かってゆきませんでした。
 ふと、セメント容器池を見ると、小赤金魚が一尾、他の群れとは離れ、水草と藻のマットレスの凹みの中でたたずんでいます。よく見ると、体の左右が白くなっています。
 カビが生えているのです。
 とっさに私は状況を判断し、少し取り分けてバケツにいれておいた水草のところから水をくんで、500mlほど入る広口瓶に入れ、この金魚をネットですくって入れました。それから少し塩を入れました。
 人工池にまだ浮かんでいた、ふわふわになったせんべいをネットでたんねんにすくって集め、畑の土のところへと捨てました。
 次に私はネットで調べ、このようになった金魚に有効な治療薬の名前を調べ、自転車で近所のホームセンターへ行き、それ(私が実際買ったのはメチレン・ブルー)を買い求め、広口瓶の中の水へと加えました。
 体にカビが生えた小赤金魚は、広口瓶に入れて室内へと運び、コンピュータを置いてある机の上に乗せ、その様子を観察しながら、リーフページのための資料としての英文の翻訳などを行いました。
 広口瓶の中の金魚は、そのガラス面を通してこちらのことが見えるのでしょう。でも、そこから先には行けない。どうしよう、とでも考えているのでしようか。じっとこちらを向いて、静かにホバリングしています。これでは落ち着いて休めないだろうと考え、この瓶の周りをタオルでおおって暗くすることにしました。こうして、この金魚は、底の方で静かに休めるようになりました。いつもの「夜」が来たことを思い出したのだと思います。
 やがて、そのカビをまとった金魚は、広口瓶の底でじっとしているのが飽きたのか、水面へと上がってきました。ひょっとすると、私が文章の入力のためキーボードを打つときの音や振動が気になって、外が見える水面近くまで上がってきたのかもしれません。ただ静かに泳ぐのではなく、キーボードを打つリズムに合わせて、まるで踊っているかのように、小刻みに震えながら泳いでいます。
 水面に上がってきたことから、このような容器では酸素が少なくなってしまうのかもしれないと考えた私は、古くなっていて台所では使わなくなった両手つき鍋に、ストックしてあった水草バケツの水をくみ入れ、塩とメチレン・ブルーで調整したところへと、このカビつき金魚を移しました。
 次の日、ウェブで調べた処理に従い、このカビつき金魚を布の網ですくい、それを裏側から手で支え、綿棒で胴体の左右に伸びていた白いカビをふき取りました。
 小赤金魚は、カビの毛皮を脱いだわけですが、表皮はまだ回復していないので、まるで、ちいさなヨロイ(鎧)をまとったような姿になりました。
 でも、体の線がすっきりしたので、両手つき鍋の専用治療池へと戻したあと、そのなかをすいすい、グルグルと泳ぎ回ります。
 やがて、その鍋の側面に近づくや、イルカのショーのように、水面から少しジャンプして飛び出し始めるようになりました。この鍋池は、机の横にあるに二重窓のテラスのようなところにおいてあります。もし、この金魚が鍋の外に飛び出して、この世界の外側の、木の板のところには、生きるために必要な水がないことに気づいても、もう手遅れです。私はその鍋池に、紙をはさんでおくバインダーで蓋をしておくことにしました。
 翌日、相変わらず、グルグルまわったりしながら、ときどき壁の近くでジャンプするので、これはきっと仲間がいるところに戻りたいのだろう、と考えた私は、庭のセメント容器池へと、このヨロイ金魚を移すことにしました。
 広いもとの世界へ戻してみると、ヨロイ金魚は少し元気をなくしたようでしたが、何かを思い出したように、あちらこちらと泳ぐようになりました。壁のところに近づいてジャンプする様子は見られません。
 しかし、もとの仲間だった小赤金魚たちは、まったく相手にせず、それらだけで群れをつくって動き回っていました。
 私はそれから部屋に戻り、「RaN298 地球人はどこにいるのか(52)音の力で巨石が浮く?」の制作に打ち込こみました。2時間ほど、このことに関わって、ようやく完成できたというところで、そうだ、あいつはどうなったのだろうかと、セメント容器池に戻したヨロイ金魚のことを思い出しました。
 庭に降りて、セメント容器池を覗き込むと、そいつは、一尾でぽつねんとたたずんでいます。とても弱まっていることが分かり、私は急いで両手鍋の治療用の水を用意し、そこへと移し、コンピュータ横のテラス窓へと運びました。
 やがて、そのヨロイ金魚は、ときどき、胸ビレをゆらゆらと動かしたり、全身をピクリとふるわせて、命のしるしを示していましたが、やがて、何も動かなくなってしまいました。それでも私は、そいつはただ意識を失って眠っているだけかもしれないと思い、しばらくそのままにしておきました。

 小さなランナー

 「RaN298 地球人はどこにいるのか(52)音の力で巨石が浮く?」のリーフページと、これをリストに加えた、ランダムノート2016のブランチページと、トップページ(treeman9621.comのindex.html)をFFFTPでウェブへと上げたあと、私は散歩にでかけることにしました。
 買い物に出かけるときのコースの近くに、ご先祖さまたちのお墓があります。先日そこへ訪れたとき、私がそなえておいたサカキなどの、緑の葉がたっぷりついた枝のたばの間に、下へとしなったオレンジ色の花が何本かありました。親戚の方によるのでしょう。それが、この日見ると、下へとしなっていた茎が少しだけ曲がって上へと向きを変え、オレンジ色の花を日の光に向かわせています。生き返っている、そう私はつぶやきました。
 さらに歩くと、大きな川にかかる橋のところで、ピストルの音がしました。これは本物のものではなく、陸上競技などのレースのスタート合図のためのピストルの音です。50年くらい聞いていますので、間違いありません。スポーツの森の陸上競技場で試合か、あるいはトレーニングをやっているのでしょう。私は、そちらの方へと向かいました。
 途中、橋の欄干から川を覗くと、流れに逆らって、ゆらゆらと大きな魚が泳いでいるのが見えます。今日は一尾だけでしたが、いつもの黒いやつではなく、なにやらまだらのようにも見えます。これほどのサイズなのだから、きっとコイなのでしょうが、いつもより色が明るいし、模様のようなものがあるかもしれません。買われていたコイかもしれません。
 陸上競技場のスタンドに人がたくさんいます。ということは、トレーニングではなく試合なのだと思われます。近づいて見ると、何の試合か分かりました。「ダッシュ選手権」というやつです。この日は最後に400mリレーが加えられていましたが、種目は50mだけです。午前に1回目のレースがあり、午後には1回目のレースによるタイムで組が振り分けられ、男女の区別もなく、大人と子供もわけへだてなく、ただタイムが同じくらいだという理由だけで、2回目が行われます。そうそう、年齢制限も確かなかったはずで、50mを走ることができれば、どれだけ若くても、逆に老いていてもかまいません。
 午前の1回目のレースでは、一応、おおよその区分けは行われています。幼児の組があったり、中学生だけの組があります。大人も、男女は別々です。それが、2回目には組み合わさって、めちゃくちゃな構成となります。女子でいちばん速かった人は、二回目は7人の男性と並んで走っていました。同じくらいの持ちタイムなので混戦ですが、この女の人が勝ったかもしれません。
 その1回目と2回目のレースの間の、いわゆるお昼休みには、何のレースも競技も行われていないので、私は、50mのスタートすぐのところを見ることができる、スタンドの通路にある、手すりの一等立ち見席から離れて、日当たりのよい、一階の入り口あたりから、この二階のスタンドへと登るための、四角く出っ張った階段のフロアーのところへ行きました。タバコを吸う人だったら、ここでいっぷくというところでしょうが、私は、タバコは吸いませんので、暖かい空気をいっぷくといったところです。
 階段つきのテラスのようになったところを囲う壁にもたれて、周囲の風景を眺めていました。
 ふと近くを見ると、小さな幼児がいます。出場選手のゼッケンをつけたままの姿です。まるでこのあたりの中学生が身に着けている体操服を、そのまま幼児のサイズにしたような身なりなので、とても決まっていました。
 私はそのゼッケンを見つめて、「選手なんだね」と、声をかけました。その子は女の子でしたが、いつもだったら、この近くにある滑り台などがたくさんある広場で、あちらこちらへと歩き回り、ときどき走りまわるというところのはず。
 その女の子は1回目のレースのことを振り返り、「はやかったのよ。2ちゃくだった」と言うではありませんか。
 「いくつ?」と聞くと「3さい」と答えました。
 「お父さんやお母さんは?」と聞くと、「お父さんは下にいて、お母さんは上で見てる」と言い、この階段テラスの内側につけてある、子供と大人用の、平行につけてある金属製の手すりを巧みに利用して、この壁をよじ登り、階段の外側の低い壁の上へと上がってしまいます。
 その壁の向こう側は、壁に接した土手の芝生なので、それほど危険なことではありませんが、私とのおしゃべりを続けている間も、まったくじっとしていません。この子はきっと、自分の体をつかってどんなことができるかを試したくてうずうずしているのでしょう。
 やがて、上から階段を下りてきて、この子を見つけた母親が、こんなところにいたの、と心の中でつぶやき、その子をしっかりと抱きしめてスタンドのほうに戻ってゆきました。
 その子の第2レースは1組でした。もっとも遅いタイムのクラスです。男女はもちろん混じっていますが、どうやら、背かっこうから、3歳前後の幼児たちのようでした。
 その子のすぐ後に、母親が(まるで犬を指導する)トレーナーのように控えていて、ドンとなったらまっすぐに走るのよ、とでも言っていそうです。そのような選手たちとトレーナーたちの8組が8つのレーンで準備をしていました。
 やがて、スタートのピストルが鳴って、8人の幼児たちが走り出しました。
 その子は5mほど走って、少しちゅうちょして、後ろを見ようとしました。きっと、お母さんはどうしているのかなと思ったのでしょう。
 お母さんが何か言ったのでしょうか、その子は再びスピードを上げて走り出しました。
 手前の8レーンあたりにも、しっかりと走る子がいて、その二人でトップを争っています。
 その子らがゴールして、このレースが終わったと思ったら、そうではありませんでした。
 1レーンの選手がまだ走っているのです。いえ、走っているのか歩いているのかという、ちょうどあいだの動きで進んでいます。
 ゴールの向こう側にお母さんらしい人がいて、こっち、こっちと、手をたたきながら呼びかけています。スタンドの観客たちも、それを見守っています。その子がゴールすると拍手がわきます。おそらく1歳か2歳なのでしょう。50mもの距離を走りきるなんて、すごいことです。
 「とちゅうでよそ見しなかったら、いちばんだったね」と、そのレースの感想を、階段の壁を登っていた女の子に言ってあげたかったのですが、そのあと会うことはありませんでした。
 きっと、何着だったとか、タイムがよかったとかわるかったとか、そんなことはどうでもいいのかもしれません。
 きっと、その子たちは、いったい自分たちに何ができるかということを確かめたかっただけなのだと思っていることでしょう。

 ツバメの巣

 家に戻り、もうぴくりともしない、両手鍋の中のヨロイ金魚を、庭でコケを集めてあるところへ埋めることにしました。
 コンピュータのところに座りましたが、このようなリーフページの編集や、そのための英文資料の編集などをする気になれません。
 この机の上に置いた瓶、あるいは、横のテラス窓に置いた鍋に、もう、カビが生えた、あの金魚はいないのです。
 私はその部屋を出て、中庭を通り、この家の、通りに面した、もと「店」だったところへと行きました。
 4枚のシャッターを降ろして閉じてあった、そのスペースの半分は自分の車の車庫にしていました。
 以前、もといた実家から通って、この家の片づけをしていたころは、夕方、その車を前の道路に出して、シャッターのための柱をはめ込み、ガラガラとシャッターを降ろして帰っていたのでしたが、いよいよこの家が私のものとなり、毎日住むようになってからは、車庫として使っている分のシャッターは開けたままにしてあります。お隣も、そのまたお隣も、道路に面したスペースに車を置いています。私だけが車を宝物のようにしまっておくという世界ではありません。
 4月になって、このことが、あるものを呼び寄せました。
 以前住んでいた実家から運んで来ておいた、ゴミとして捨てるための、古い、ほとんど風化すらしている、ソファーの残骸を、車庫ではない、もう半分の、シャッターの後ろに置いておいたのですが、それを細かくしてゴミ袋に詰める作業をしようとしたら、このスペースの天井につけてある蛍光灯の傘のところにツバメが止まっていて、二羽がチイチイピーピーと鳴いています。
 私は、何も聞いていない、何も見ていない、という態度をつらぬいて、置いてあったソファーの残骸を、そこに乗せていたブルーシートごと、これでくるんで引きずり、いったん外に出してから、シャッターの隣の玄関をくぐらせ、自転車を置いてある、隣の通路へと移しました。
 それから私は、ほんとうは蛍光灯の傘は困るんだ、と口に出したかったのですが、きっと分からないだろうから、車庫ではないほうのスペースの壁のあたりに、板を取りつけ、ここに巣をつくるんだよ、と、「思い」を何度か送りました。
 ツバメの一羽は、外で見つけてきたワラをくちばしに加えて、その板のところに乗ったので、しめしめ、うまくいきそうだと思ったのですが、もう一羽に何か問い合わせているという仕草が見えました。きっと、ここでいいの? とでも言っているかのようでした。
 私は奥の離れの、コンピュータを置いてあるところへ戻り、(収入に結びつかない)仕事にならない(ある種のエネルギーをつかう)仕事をしました。
 夕方になり、翌日になり、また夕方になるという、何日かが経過してゆくと、ツバメたちは、やはり、わずかな幅しかない蛍光灯の傘のところに、土くれとワラをこねあげ、巣の原器のようなものを生み出していました。板のところは「まっさら」です。
 私はあきらめて、その蛍光灯の下に新聞紙を何枚か敷き、重しを探してきて、風で飛ばないようにしました。
 この二羽のツバメは、私のことを、どう思っているのでしょうか。
 まだ、その巣が形をあらわし始めたころ、私が、近々あるお祭りのことに関して、玄関の前で、隣の人としゃべっていると、その声を聞き、何かいつもと違うことが起こっている、と感じたのか、ツバメが、すぐ近くの道路の上に降りてきて、こちらを向いて首をかしげています。
 言葉はきっと分からないだろうけれど、テレパシーで心の様子は分かるかもしれません。
 もう一羽も地面に降りて、何がおこったの? と聞いているように見えたので、私が、何でもないんだと、心の中で思ったら、ツバメたちはどこかに飛んで行き、やがて黙々と、いえ、ビーピーと鳴きながら、泥やワラを運び続けました。
 ツバメたちの巣はすっかり完成して、細長い蛍光灯のせまい傘の上に、まるでパンの生地を寝かすときの細長いバスケットのようなものが、ぴったりとくっつけられました。蛍光灯の傘に沿った前後は出入り口で、すこし低くなっていますが、横の土とワラの壁は少しせりあがっています。暗くなって二羽が戻って来ているのを見ると、一羽がその巣の中に入り、もう一羽は、その近くの傘のところにしがみついています。そのような使い方ができるという利点があったのかもしれません。
 おそらく、ツバメたちが考えているのは、ヘビやカラスといった天敵による危険から、卵やヒナを、どうやったら守れるかということなのでしょう。私が作った板の所より、この蛍光灯の傘のほうが、格段に高い価値があったということなのかもしれません。
 実は、カビが生えていた金魚が死んだのは5月4日のことでした。
 その日の、わが家のツバメたちは、すっかり巣をつくりあげ、産卵と育児のための体力づくりのため、ほとんど一日中、外に出ずっぱりで、日中は、あっ、あれかな、と近所の電線に乗っているところを見上げるだけです。顔がずいぶん赤いということは分かりましたが、それでも、他のツバメと区別できるほどの違いは分かりません。おそらくツバメたちは、姿や声によって、私と他の人との区別がついているのでしょうが、こちらのほうは、さっぱりです。
 でも、暗くなって、蛍光灯の傘に戻ってじっとしている二羽のツバメを見ると、いっしょに、ここに暮らしているんだと、なんだか勝手に思い込んで、何の心配事もない「ふり」をして生きてゆけそうです。
 5月4日の夕方、金魚の埋葬を終えた私は、わが家のツバメたちに会いたかったのですが、天気が良かったためか、まだ帰ってきていません。
 私は、単純ですが、ツバメつながりで、べつのところのツバメの巣がどうなったのかということを思い起こしました。
 5月3日の物語です。私は何か日用雑貨を買い求めるため、近所にある(古い表現かもしませんが)百貨店へ自転車で向かいました。この店の、とある入口付近は、とくに規定があるわけではないのですが、自転車が置かれる場所となっています。歩く人が入口へと向かう、自動ドアの前だけはタブーになっていますが、その他のスペースは、ほぼ自転車のためのものと考えられています。
 私がそこに自転車をとめて鍵をかけていたとき、ツバメの鳴き声が聞こえました。音程やリズムから、何か危機的な状況にあるということまで分かりました。
 自転車をとめたところの近くの地面を見ると、ツバメの糞がコロニーとなっています。その上を見上げると、この百貨店の建物の外の内壁に、ツバメがホリングしていて、まったく平らな横壁に、土くれのかけらをつけているところでした。
 その横壁には、確かに、ツバメの巣の形跡があるのですが、立体的には何もありません。
 下に落ちていた糞のコロニーの様子から、これは一年前の化石ではありません。ごく最近に落とされたものです。わが家の巣の下にある糞の様子とそっくりです。しかし、その上に巣はなくて、そこに巣があったという痕跡だけが残っています。
 私がこれらの様子を観察していると、ほんの1メートルも離れていないところの、その場所を外と区切るチェーンの上に乗って、もう一羽のツバメが、小さく鳴きながら、こちらのほうを、くちばしと顔を横に向け、片目で見ています。
 私は、ここはダメだよ、とテレパシーで送ったのですが、そいつは、さっと飛び立って、どこかへ行ってしまいました。
 私の失敗が重なって死んでしまった(死なせてしまった)金魚をみとった5月4日の夕方、ふと私は、百貨店の入り口付近のツバメがどうしたのかを確認したくなりました。自転車に乗って、そこまで行き、自転車を停めて、その暗い横壁を見上げました。
 巣は、小さなものですが、半分に割れたホーンのような形で、壁にくっついていました。もう薄暗くなっていましたが、ツバメたちの姿はありません。まだ飛び回って、材料を探しているのでしょう。

 「アナスタシア」

 この百貨店の近くにブックオフがあります。主に古本をリサイクルしている店です。村上春樹さんや村上龍さんの小説は、ここで手に入れて読んだものがたくさんあります。
 でも、小説はもういいやと思っていました。今やっていることにつながるものを探そうと、細かく分類された一般書の棚を眺めました。
 そして見つけた本が「アナスタシア」[2] です。
 5月4日に起こった(まだ終わっていませんが)、いろいろなことの「答え」のようなものが、ここに書いてあるように思えました。
 私たちは一人で生きているわけではありません。考え方や見方によっては、私は一人で生きているのかもしれませんが、広く定義を置き換えれば、金魚やツバメたちといっしょに生きようとしています。相手は何も思っていないかもしれませんが、私は勝手に一人じゃないと思っています。
 何の血のつながりもない、初めてあった、小さな女の子も、そうです。あいさつし、おしゃべりしたときから、いっしょの世界で生きていることが始まりました。
 私たちは、自分勝手に、自分のことだけを考えて生きてゆくわけにはいきません。どこかで、なにかが、つながってゆくのです。
 「アナスタシア」はまだ、ほとんど何も読んでいませんが、これはただの知識の「られつ」ではないようです。真実はほんの1パーセントしかないかもしれません。でも、その1パーセントが、とても重要なもののように感じられます。
 とてもたくさんの出来事が、わずかな間に起こりました。実は、ここに記したのは、ほんのわずかな断片です。でも、それらをすべて記そうとしたら、どんどん枝を伸ばしてしまい、どこまで伸びてゆくかわかりません。
 とりあえずは、ここのところまで。あとのことは、カルロス・カスタネダが何度もやっているように、その出来事の細かなところと、その意味とが浮かび上がってきたときに、あらためてまとめてみるかもしれません。

 あとがき

 次のRaN300は「バシャール×坂本政道」[1] とも「アナスタシア」[2] とも離れて、このリーフページともまったく異なるものとなります。かなり難解なものとなると考えられます。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, May 6, 2016)

 参照資料

[1] 「バシャール×坂本政道」、ダリル・アンカ、坂本政道(著)、大空夢湧子(通訳・翻訳)、VOICE(刊)2009
[2] 「アナスタシア」、ウラジミール・メグレ(著)、水木綾子(訳)、岩砂晶子(監修)、ナチュラルスピリット(刊)2012

 

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