RaN308 地球人はどこにいるのか
(62)レムリア時代について(1)@ ルドルフ・シュタイナーの「地球年代記」
Where is the earthian?
(62)On Lemuria Era(1)@ ”The Earth Chronicle” by Rudolf Steiner

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

ランダムノート2016ブランチページへもどる

 はじめに

 RaN307 地球人は…(61)アヌンナキの遺伝子の「あとがき」で、バシャールが「古代レムリア人」について触れましたので、「RaN308では、このことについて、いくつかの別の資料を取りあげて調べてゆきたい」と記しました。
 昨日と今日の間に、ほかの家事などもいろいろとやっているのですが、森の図書館から借りてきた、ルドルフ・シュタイナーの「地球年代記」[1] と、自分で買って持っている、同じくシュタイナーの「アカシャ年代記より」[2] を読み返し、これらに紙の付箋を貼って、さらに、これも関係してくるかな、と思って、森の図書館から借りてきてあった、ゲリー・ボーネルと古川益三さんの「人類アカシャ全史」[3] を読み始めると、これがとまらなくなって、本を図書館に返すためにはがしておいた紙の付箋のストックをすっかり使い切ってしまい、新たな束を一つ使い、二つ目の色の束を途中まで使って、最後まで読んでしまいました。今朝は午前1時半に起きています。現在は4時半ごろ、昨日も半分ほど読んでいましたから、全部読むのに6時間くらいかかったことになりそうですが、時間の経過なぞ、すっかり忘れてしまっています。読み終えてしまうのが、もったいないとさえ思いました。森の図書館の本ですから、裏表紙をめくったところに返却日のスタンプページがあります。そこを見ると、14年前に誰かが2回借りただけで、書庫ゆきとなっています。
 同じく森の図書館で借りた「地球年代記」[1] は、まだカウンターにつながっている室内の一般書棚にありました。この本について私はRaN29 ルドルフ・シュタイナーの地球年代記というリーフページを作っています。この中で私は、図書館で借りた時、裏表紙の内側にある返却日のスタンプを押す白い紙に何も無かったので、「わあ、第一号だ」と、つぶやいてしまった、と記しています。ほんとうに真っ白だったのです。だから、その返却日のスタンプページの最初にある22.3.25が、私が借りたときの返却日です。22は平成の数字です。6年前のことになります。そして、今回借りたため押された28. 6. 4までの間に、他の人が借りて押された返却日が17個もありました。これって、ひょっとすると、私のリーフページの「効果」ということなのでしょうか。こんなに不思議で、理解できにくい内容の本を、こんなに多くの人にすすめてしまい、なんだか申し訳ない気もします。
 これに対して「人類アカシャ全史」[3] の返却日スタンプは、たった2個です。げんみつには二日かけていますが、時間の区切りを24時間で一日と見れば、わずか一日で読み終えてしまうほど夢中になれる本なのに、どうしてさっさと書庫ゆきになってしまったのでしょうか。バシャールで盛り上がったVOICEという出版社から出ていますし、「バシャール スドウゲンキ」[4] とほぼ同じころに出ています。
 やはり、「順番」かな。これを面白いと思ってどんどん読むための、基礎的な知識がそなわってからでないと、ひきつけられないのかもしれません。これは、私だけのことではなく、みなさんすべてにもあてはまるかもしれません。
 私はこのリーフページをまとめるため、この世界に潜む、「抽象的な知識体系のようなもの」を解きほぐそうとしてきました。だから、「準備」ができていたのだと思えます。「人類アカシャ全史」[3] の、これだけの「情報ラッシュの洪水」に耐えられたと言いますか、すんなりと、その「洪水」の中で立っていられたのだと思います。
 「アカシャ年代記より」[2] の情報量もすごいものなのですが、それは「洪水」ではなく、静かに流れる「せせらぎ」といったもので、なんだかよく分からないままに、「試験があったらきっと出る」という箇所に横線を引いていただけのように思えます。
 「地球年代記」[1] も、あらためて読んでみると、「すばらしいファンタジーだ」と思うほど、その表現の見事さ、イメージの組み立て方にほれぼれする、という状態に私は変化していて、以前これのリーフページをまとめたころの私とは、すっかり変わってしまっていることに気づきます。
 ストップ。「はじめに」だけで、どんどん書き記してゆくのでは、混乱さがどんどんスパイラルしてゆきます。きちんと章立てて、ひとつずつ語ってゆかねば。

 ルドルフ・シュタイナー「地球年代記」の「レムリア時代(T)」

 ルドルフ・シュタイナー「地球年代記」[1] の第1章が「レムリア時代(T)」で、第2章が「レムリア時代(U)」です。この後第9章までありますが、これらの章分けは時系列になっていません。レムリア文明のあとにくるというアトランティス文明に関するものは、第7章の「原始人とアトランティス人」、それと、第8章の「インド人・中国人・日本人」の最初の節に「アトランティス大陸」とあるぐらいです。内容をこまかく読み込めば、もっとあるのかもしれませんが、まったく、シュタイナー教授の講義内容は「気まぐれ」の一言に尽きます。
 第1章の「レムリア時代(T)」の内容も、「何年前ごろに始まって」というスタイルではなく、その時代の「様子」がどうだったのか、ということが中心的なテーマとなっています。
 バシャールが明らかにした(かどうかは証明できることでもありませんが)のは、アヌンナキによって、遺伝子操作により生み出されたレムリア人の肌の色が青い、ということでした。これに関する内容を探したのですが、この情報を裏づけるようなものは、見当たりませんでした。
 しかし、せっかく読んだ(げんみつには再読した)のですから、その内容について、かんたんにまとめておきます。

 骨と全身
 この章の導入部分です。化石の骨格標本などから、過去を推測することができるということについて語っています。ここではシュタイナーの超感覚的な知識は何も語られていません。

 泥と空気
 このころの地表の様子や、空気の様子について語っています。いくらか、その部分を抜粋して引用します。

 地表は今のように固くなく、泥のような状態でした。([1] p19)

 その地面の上には、今日のような空気はまだありませんでした。酸素と窒素だけを含む空気ではなく、さまざまな酸が気体状で含まれた空気がありました。硫酸・硝酸の蒸気が空気の中に含まれていました。(中略)もちろん、それらの蒸気はわずかでしたが、それでも空気のなかに含まれていました。([1] p20)

 上方には、さらに別の空気がありました。下方の空気よりも暑く、雲を形成していました。(中略)
 上方にあった空気は非常に暖かかったので、「火の空気」と名づけましょう。([1] pp21-22)

 竜鳥
 ここのところは、引用すると、あれもこれも、と煩雑になってしまいますので、私が読んで要約します。

 上方の火の空気のなかに、さまざまな生物がいました。それらのなかに、空を飛ぶ鳥の群れがいました。火の空気がもはや有害な蒸気を含まなくなったとき、空を飛びました。
 気候が穏やかになり、上方でわずかにパチパチと音がし、かすかに稲妻がきらめくとき、その稲光・稲妻のなかを飛ぶのを好みました。
 竜鳥です。
 彼らは飛び回り、小さな火の雲を自分のまわりに作るのが特に気に入っていました。
 この変わった鳥たちが、かつての地球の空気のなかに存在していました。
([1] pp22-24, 編集による構成)

 これで、もとの1/3くらいの文章量です。シュタイナーの原文は、もっとこまかなところまで描写しており、そのイメージを想像しながら読むと、まるでSF映画かファンタジーな漫画映画のシーンのように、いろいろなシーンが変化してゆくように感じ取れます(それって、私だけでしょうか)。もし、もっと時間があったら、映画とまではいかなくても、ここのところの描写を象徴する「さし絵」のようなものを描けるといいな、と思ってしまいます。30年ほど前の私だったら、ちょっと絵本の原稿のようなものも描いていたので、そうしたかもしれませんが、すっかり「腕」がなまってしまいましたので、やめておきます。

 魚竜
 このあと、(中略)などは、かんたんに「…」で示すことにします。
 こんどは、下方、地球がぬかるみになっているところです。ここには、ぬかるみのなかを泳ぐように歩く大きな動物が、地上に棲んでいます。…(※1)…魚竜です。

 (※1)のところには、この動物の化石を「科学博物館」で見ることができるということが記されています。あの、恐竜骨格などの化石標本のことだと思われますが、「魚竜」と言われると、それが「ぬかるみのなかを泳ぐように歩く」という表現のところで、あれっ、と思ってしまいます。
 このあと、シュタイナーは、この動物の外形や生態の様子を事細かく描写してゆきます。ここも「さし絵」として描けそうなところです。
 しかし、この「魚竜」が具体的にどのような外形となっていたかという点で、まず、四肢があったのかどうかということが問題となります。
 シュタイナーの説明の中には、次のような箇所があります。

 鰭で泥水のなかを泳ぎ、泥が固くなるとしばしば立ち上がりました。… 魚竜は立てました。魚竜の鰭は手に変わっていきました。そのように柔軟だったのです。([1] p25)

 ちょっとネットで調べてみましたが、化石として残っている「魚竜(イクチオサウルス)」の四肢はヒレのようになっていますが、腕や足の骨格が短めになっているだけで、これなら、泥の中で泳ぎ、固い地面の上では歩くことができたかもしれません。
 次の「首長竜」のところに、次のような表現がありました。

 魚竜は硬いものの上に来ると、鰭で体を支えました。([1] p26)

 この「魚竜」の節の最後には、魚竜とは違う生物のことが、少し付け加えられています。

 もっと深くには、べつの動物がいました。泥のなかを歩き、泳いでいました。緑色・茶色で、非常に汚く見えました。([1] p26)

 このような表現があって、もう少し説明されてゆきますが、こいつについての具体的な形状は、あまりはっきり説明されていません。生態的な様子について、次のように語られています。

 泥が固くなったとき、この動物は怠け者の豚のように、時間の大部分を横になって過ごしました。([1] p26)

 巨大なセイウチかアザラシのような生き物かもしれません。

 首長竜
 この首長竜については、先に述べた魚竜との違いが説明されています。
 その大きな違いについて、簡潔にまとめた表現がありますので、引用します。

 魚竜の巨大な目は前面に付いていましたが、首長竜の目は側面にありました。([1] p26)

 このような違いは、現在の地球における哺乳類の、肉食動物と草食動物において見られるものと対応しています。ライオンやピューマのような肉食動物では、二つの目は正面を向いていて、獲物をとらえるための立体視に適しています。シマウマやウサギのような草食動物では、顔の横側に二つの目がそれぞれ付いていて、自分の周囲を180度ずつ、合計して360度のすべてを視野にとらえ、敵である肉食動物などの危険をすばやく知ることができます。
 このようなことから、魚竜は活動的に獲物を追いかけていた肉食動物で、首長竜はのんびりと植物などを食べていたのかもしれません。
 首長竜についての、次のような記述もあります。

 首長竜には、すでに四本の脚がありました。不格好な脚でしたが、歩くことができました。([1] p26)

 ここで少しきみょうなところがあります。

 首長竜は怠け者でした。しかし、それには理由がありました。地球そのものが今日よりも怠け者だったのです。([1] p27)

 ここでは完全に擬人化していますが、その具体的な内容とは、次のようなことです。

 いま、地球は24時間で自転しています。昔は、もっと長時間を要しました。… 今日、空気が澄んでいるのは、地球が24時間で自転しているからです。([1] p27)

 この後半についてのメカニズムはよく分かりませんが、自転に要する時間が、このころと今とでは違うという「仮説」を検討してゆく必要がありそうです。
 ここまでのところで、地球の科学者たちが放射性元素の半減期などで時間を見積もっている、この地球における時間と、シュタイナーなどが述べている過去の時間とが、うまく合っていないことが、ちょっとした問題として浮かび上がります。
 魚竜は恐竜ではありませんが、首長竜は恐竜の一種です。そんな分類学上の違いはさておき、魚竜や恐竜は6000万年前あたりの激変で滅亡し、それを生き延びた哺乳類から、サルの仲間、類人猿、原始人へと進化し、あとで述べるかと思いますが、それをベースとして、人間としてすでに存在していた魂が入って体験する、人類という形ができ、それらが、レムリア人となり、文明と呼ばれるものを生み出していったという時間の流れになっていたのではないでしょうか。
 しかし、南米ペルーのイカでしたか、恐竜の土偶がたくさん出土したそうですから、ひょっとすると、私たちの科学における「時間」のとらえ方に、何らかの「誤り」(もしくは誤解)があるのかもしれません。

 竜鳥を食べる首長竜 
 ここのところは「首長竜」より「魚竜」のほうがふさわしいように思えます。
 まず、ここでの主人公は魚竜です。魚竜の輝く目が、上方の鳥たちを引き付け、催眠術にかけて、落としてしまいます。それを魚竜が食べるのです。
 このときの様子は巨大な生き物が、空中から飛んできた火を食べているように見えたそうです。とってもファンタジーです。
 このあと、首長竜も、おこぼれにあやかって、落ちてきた「火の鳥」を食べたと記されています。
 魚竜の描写に戻って、帯電する電気が光って火のように見える(らしい)鳥を、魚竜は食べていたのですが、それはけっこう負担のかかることらしく、このため、魚竜が変化していった、と次の節で語られます。

 魚竜の変化 
 ここのところには、短くまとめられた表現部分がありましたので、まず、それを引用します。

 魚竜と首長竜は、竜鳥を食べたことによって内部全体が改造され、べつの動物になりました。([1] p30)

 このあと、どのような動物になったのかという表現は、ここにはありません。
 このあと続くのは、空気や泥などについての、地球の地表についての変化です。

 空気はのちの状態において、濃い水蒸気・霧に浸透された一種の「水空気」になりました。([1] p30)

 う〜ん。いったい空気は「気体」なのか「液体」なのか、「水空気」ではよく分かりません。恐ろしく霧がかかりました。地上にはいつも霧があったのです。([1] p30)とありますから、濃霧状態で、まったく晴れなかったということのようです。
 地表についての説明が続きます。

 泥もだんだん濃くなり、石を結晶させはじめました。([1] p30)

 現代科学では、マグマから石が結晶するのではなかったでしょうか。堆積岩というプロセスもありますが、こちらは結晶するのではありません。
 まあ、あまり細かなところまで考えてゆくと、先に進まないので、このあたりで議論するのは止めます。

 羊歯 
 このあたりの描写は、(時間の見積もりは異なりますが)現代科学による推測とほぼ一致しています。少し引用します。

 泥がいくらか濃くなったところに、羊歯に似た植物が高く聳え、森を形成していました。…
 岩石は固くなりましたが、非常に固いのではなく、蝋のような状態でした。いたるところに泥があり、そこから巨大な羊歯、巨大な木が生えていました。
([1] p31)

 ここの「巨大な木」というところは、「裸子植物の何かの巨木」であるとすれば、何の問題もないかもしれません。
 このように地表が変化し、泥沼状態だったときに生息していた魚竜と首長竜は滅び、別の動物が現われたそうです。

 この動物は巨大な腹、巨大な胃をしており、今日の海豹(あざらし)よりもずっと不格好な頭をしていました。以前の動物たちの目が輝いていたのに対して、この動物の目はすでに黒ずんでいました。足は四つありましたが、不格好な足でした。この動物は非常に細かい毛に覆われていました。…
 動物は火を食べるものから、植物を食べるものになったのです。…
 彼らは巨大な森の多くを食べていました。この動物は今日、海牛(かいぎゅう)と呼ばれています。
([1] pp31-32)

 かなり削ってまとめました。原文ではもっと詳しく描写されています。「海牛」は「ウミウシ」ではなく「かいぎゅう」とフリガナが添えられています。
 「海牛」をウェブで検索すると、居酒屋の名前しか出てきません。カタカナで「カイギュウ」なら、ジュゴンかな。でも、ジュゴンの皮膚にはほとんど毛がないし、下肢はもう胴体に吸収されてしまったし。
 まあ、この問題は、単に適度な訳語が無かっただけということにすぎないのでしょう。シュタイナーのドイツでは、もう少し違う動物の意味なのかもしれません。

 海牛・オオナマケモノ 
 「オオナマケモノ」のところは、本文では漢字ですが、あまり使わない漢字が組み込まれていて分かりづらいのでカタカナ表示としておきます。
 この節の前半では、海牛(かいぎゅう)がどのような動物からどのようにして変わってきたのかが語られています。結論をまとめると、魚竜に類似した別の動物から、空気中を飛ぶ電気を帯びた鳥を食べて、その電気的な力をとおして体が改造されて行った、と説明されています。このような、不思議な進化論についての補足が、次のように語られています。

 かつては、地上のすべてが今日よりもずっと柔らかかったのです。これらの動物は、空気動物を食べて形態を形成しました。([1] p33)

 魚竜や首長竜に食べられていた「空気動物」としての竜鳥は空気のなかに以前のような物質がなくなったので、…地上ちかくに下り、だんだんとのちの鳥へと変わっていったのだそうです。
 下方の地表の様子も変わり、化石として残っている、オオナマケモノなどが現われてきました。
 地球全体として重要な変化について語られています。

 これらのことが起こったあと、空気は水蒸気から解放され、太陽が地上に作用できる時がやってきました。以前は、空気は海、希薄な海のようだったので、日光が阻まれていたのです。([1] p34)

 翼の感受性 
 ここのところは、まとめにくい、といいますか、理解しにくいところです。
 ここでは、空を飛んでいた竜鳥の性質について、いろいろなことが語られています。でも、とってもファンタステックです。科学的に説明できる手がかりがみつかりません。こんな感じです。

 この鳥は月と太陽に対して、私たちの目のように非常に精妙な感受性を持っていました。竜鳥は全身、特に翼で感受しました。…
 この動物は太陽と月を感じました。この動物は自分のまわりに電磁気の覆いを作りました。その覆いは輝いていました。月が火の空気の上に現れると、これらの動物も蛍のように空気のなかで輝き、きらめきました。…
 彼らは翼で、星空を非常に心地よく感じました。星が輝くと、翼がまだらになりました。
([1] pp34-35)

 白血球 
 ここの節では、地球と、そこに住む生物たちの関係を、人間と、そのなかをめぐる白血球との関係になぞらえて語っています。

 地球全体が巨大な魚、巨大な動物でした。そして、竜鳥が目であり、その目で地球は星空間・太陽空間・宇宙空間を眺めていました。…
 オオナマケモノ・海牛・首長竜・魚竜などは、今日わたしたちの体のなかを巡る白血球に非常に似ています。ただ、巨大です。竜鳥の様子は、私たちの目の働きと非常に似ています。ただ、私たちの目は飛び回りません。
([1] p36)

 ここでシュタイナーは、地球がかつては生きていたが、今は「死んだ動物」だと論じています。これは単なる「たとえ」かもしれませんが、意味深な視点でもあります。
 この節の、そして、この章の最後は、次のような文章でしめくくられます。

 今日の地理学者は地球の死体だけを研究しています。…
 しかし、なにかを認識しようとするなら、生きているものに戻らねばなりません。地球はかつて生きていました。巨大な動物として宇宙空間を飛んでいました。もちろん、非常にのろまな動きでした。そして、いたるところにある目、飛び回る小さな竜鳥をとおして、地球は宇宙空間を眺めていました。
([1] p37)

 あとがき

 「はじめに」で「レムリア時代」のことが記されている本を3冊選んで紹介したのに、その1冊目の、ルドルフ・シュタイナー「地球年代記」[1] にある、第1章「レムリア時代(T)」と第2章「レムリア時代(U)」のうちの、第1章についてしか、まとめることができませんでした。
 まるまる引用しているわけではなく、内容のエッセンスを失わないかぎりにおいて、大胆に割愛しながら、かんたんにまとめてきたつもりなのですが、それでも、ここまで記して、まだ第2章「レムリア時代(U)」がある、と気づき、ここで区切ることにしました。
 次回のことは予告しないようにしようと思ったのですが、この流れでは、そういうわけにもいきません。次回のRaN309はルドルフ・シュタイナー「地球年代記」[1]のと第2章「レムリア時代(U)」について、です。
 そのあとが「アカシャ年代記より」[2] に移り、そしてようやく「人類アカシャ全史」[3] へと入ってゆきます。おそらくこれも1回では片付かないことでしょう。
 あっ、そうか。「セスは語る」のセスも「レムリア」について何か言っていました。「ハトホルの書」のハトホルたちについてもチェックしておくべきだし、あと、ジャーメインの講義ノートもありました。
 やれやれ、これでは目標の(100)もきっと、途中経過の番号になってしまうかもしれません。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, May 17, 2016)

 参照資料

[1] 「地球年代記」、ルドルフ・シュタイナー(著)、西川隆範(編訳)、風濤社(刊)2009
[2] 「アカシャ年代記より」、ルドルフ・シュタイナー(著)、高橋 巌(訳)、国書刊行会(刊)1981
[3] 「人類アカシャ全史」、ゲリー・ボーネル+古川益三(著)、大野百合子(訳)、VOICE(刊)2002
[4] 「バシャール スドウゲンキ」、須藤元気 ダリル・アンカ(著)、大空夢湧子(通訳)、株式会社ヴォイス(刊)2007

 

ランダムノート2016ブランチページへもどる