RaN309 地球人はどこにいるのか(63)レムリア時代について(2)巨大な牡蠣
@「地球年代記」の「レムリア時代(U)」
Where is the earthian?(63)On Lemuria Era(2)Huge Oyster
@ “Lemuria Era(U)” of ”The Earth Chronicle”

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 ルドルフ・シュタイナーが「地球年代記」の「レムリア時代(U)」の中で述べたことから、何か象徴的な言葉を選びだすとすれば、「牡蠣(カキ)」でしょうか。
 シュタイナーがここで述べようとしている「牡蠣(カキ)」は、フランス全土くらいの大きさがあるものだということです。そんなに大きな生物がいるということが、まず驚きの対象となります。
 生命体の大きさについての、私たちの固定観念は、一度どこかで、打ち壊しておかなければならないのかもしれません。
 NASAが観測した画像のなかには、私たちの太陽系をすっぽりと、その身体の中に含んでしまうようなサイズの生命体としか思えないようなものも観測されているのですから。

 ルドルフ・シュタイナー「地球年代記」の「レムリア時代(U)」

 RaN308のスタイルをここでも継承するかどうかについて、少し悩みましたが、せっかくこのような機会を作っているのですから、ここは本格的に解説しておこうと考え、同じレベルで考察し、これらの記録を残しておくことにしました。

 傷の治療 
 ルドルフ・シュタイナーの前回の講演「レムリア時代(T)」で述べた生物として、魚竜・首長竜・オオナマケモノ・海牛をあげ、それらの特徴として、@外部が固い鱗に包まれている、A太い前脚を持っている、の2点をとりあげ、それらの@にある鱗から発展したともみなせる、「角質の外皮」の由来について考察しようとしています。
 古代のそれらの動物の特徴をもって、今日生き残っているものとして、亀と鰐(ワニ)をとりあげています。
 それからとつぜん、犬へと視点を変え、犬が傷をおったときの治療過程において、「傷の上にできる皮質」のことへと展開しています。いわゆる「かさぶた」のことです。
 これらがどのようにつながってゆくのかは、よく分かりませんが。

 酸素と炭素 
 「傷の治療」に関する「もう一つ別の注目すべき現象」について考察しましょうと、話の流れをつなぎ、ここでは、酸素と二酸化炭素(文中では炭酸と表示)についての、動物と植物の作用について説明しています。
 いわゆる、生態学における、動物と植物に限定した、炭素サイクルの意味についての講義となります。

 内部と外部 
 ここでの中心的な対象は「酸素」です。
 でも、ここでシュタイナーが何を言おうとしているのかは、私にはよく分かりません。その、とってもよく分からない部分を引用します。

 内部で有害なものが、外からやってくると有益なのです。内部で有益なものは、外からやってくると有害です。内部では有益なものが外からくると有害であり、内部で有毒なものが外からくると有益だということを洞察するのは非常に重要です。これを洞察しないと、なにも理解できません。([1] p45)

 ここのところで、「内部で有害なもの」と「内部で有益なもの」は、おそらくこの順番で、「二酸化炭素」と「酸素」だと思われるのですが、はてさて、このような現象が、いったいどのような理解へとむすびついてゆくのかは、ここではまだ謎です。

 牡蠣(カキ) 
 ここの初めで「ふたたび古代に戻りましょう」と視点を変えます。そして、「その時代には、べつの時代が先行しています」と続けます。それは一言で「非常な昔に」と述べられています。

 非常な昔に、のちの動物よりも不器用な動物がいました。([1] p45)

 これは前述の「魚竜・首長竜・オオナマケモノ」あたりのことのようです。
 そして、シュタイナーは、それより前に存在していた動物は、もっと不器用だったと、話をつなげてゆきます。なかなかにファンタジックなところなので、かんたんに要約するのではなく、短く再構成する形で引用します。

 その動物は柔らかい胴体以外のものをあまりもっておらず、胴体のなかにすべてが一緒になっていました。前方はいくらか頭に似ており、後方はかなり長い尾でした。表面は巨大な鱗でした。…
 そのころ、地球は牛乳よりもずっとどろどろしていました。今日の山脈は、すべて溶けていました。…地球全体が宇宙のなかで非常に濃いソースのようでした。そのソースのなかを、巨大な牡蠣が泳いでしました。…この最古の動物は、地球が巨大だったので、非常に大きかったのです。
([1] p45)

 さあて、「巨大な牡蠣」が現われて、いったいどのようになってゆくのでしょうか。
 ところで、今この部分をまとめていて、少し気になったところがあります。それは「地球が巨大だったので」という表現です。これは文字どおり、現在の地球より、もっと大きかったということなのでしょうか。 

 牡蠣(カキ)・蛞蝓(ナメクジ)・蚯蚓(ミミズ) 
 ここで、( )とその内部のカタカナは、私が添えました。
 このような、けっこうむつかしい漢字でリストアップされた、3種類の動物について、これらと地球との関係が述べられてゆきます。
 このことの意味が、かんたんにまとめられた部分がありますので、引用します。

 昔は地球がまだ固くなく、これらの動物がどろどろしたスープのような地球のなかに粘液を残していき、その粘液はどろどろした「地球スープ」のなかに混ざりました。この動物は、濃い地球スープのなかで非常に有用でした。…
 巨大な牡蠣がスープのような地球のなかに、絶えず粘液を分泌しました。そして、地球スープは補充されました。
([1] p47)

 どうやらシュタイナーは、現在の、比較的固い、地球の大陸地殻などが、まるで、犬が傷をなめたあとできる「かさぶた」と同じようなメカニズムで、巨大な牡蠣などの、生物由来の成分によって、スープ状態のものから形成されてきた、ということを主張しているようにとれます。これは、なかなかに興味深い「仮説」です。

 受精 
 このあたりから、「生物地球」と(動物の)「牡蠣」との、ファンタジックな物語が始まってゆきます。これらを、現代科学の知識で「こちんこちん」にされた思考回路で解釈しようとすると、一歩も動けないということになってしまいます。とりあえず、そのような「判断」は無視して、シュタイナーが語ることを「無心で」聞くことにしましょう。

 巨大な牡蠣が地球スープのなかを泳ぎまわっていたころ、その粘液が地球のなかに入ると、地球から巨大な動物が発生しました。地球は絶えず、非常に不器用な巨大な動物を生み出しました。地球は、この動物が分泌したものによって受精しました。…
 上方でこれらの動物が粘液を分泌することによって、地球は生きていけたのです。
([1] p49)

 甲羅 
 ここでは、「地球」と「牡蠣」と「太陽」とが「甲羅」というキーワードによって結びつけられます。その象徴的な表現部分を取り出します。

 太陽が濃い地球の上に輝き、日が差すことによって、さまざまな場所が濃縮しました。犬の傷の場合と同じです。それが甲羅でした。その下は薄い粘液でした。こうして、巨大な牡蠣が発生しました。([1] p51)

 これ以外にも、これに関するさまざまなことが詳しく語られています。それらについては原文でお読みください。
 さて、もうひとつ、この「甲羅」と名づけられた節では、重要なテーマがあります。それもまた、短く引用することにします。

 地球は卵に似ていたにちがいありません。そうであることによって、地球は受精できたはずです。([1] p52)

 地球が卵のようだったという、ここの表現は、のちに語られることの「伏線」となっています。

 ファウスト 
 ここでは、ゲーテの「ファウスト」を読むことによって、「人間は健康になる」ということを唱えた、ある学者(ロシアの生物学者メチニコフ)の言葉を引用して、その理由をシュタイナーが説明しています。
 せっかくなので、シュタイナーの語りを部分的に引用して、ここのところの要旨をまとめたいと思います。まず「(落語の)まくら」が語られます。これは、のちのテーマの「伏線」のはたらきもしています。それから本論へと移ってゆきます。

 月光は人間のファンタジーを誘発します。([1] p52)

 「今日の人間は聡明で、悟性を刺激するだけだ。しかし、悟性は本来、人間を病気にする。人々が『ファウスト』を読んで、『ファウスト』に描かれたイメージの世界に入っていくと、健康になる」と、彼(ある学者、メチニコフ)は言いました。([1] p53)

 学問的な本を研究すると、胃を損ないます。ゲーテの「ファウスト」を研究すると、胃もその他の器官も健康になっていきます。どうしてでしょうか。([1] pp53-54)

 ゲーテの「ファウスト」は悟性ではなく、ファンタジーに由来するからです。([1] p54)

 月の作用 
 ここのところの「月の作用」というタイトルは、何重もの意味が込められたものとなっており、とてもしゃれたものです。
 それらの意味とは、次のようなことです。

 人間は月の作用を受けると、ファンタジーを刺激されます。([1] p54)

 しかし、月は人間界と動物界の女性・雌のみに作用します。([1] p55)

 今日、上空にある月は地球には何もできません。今日では、月は人体と動物の体のなかで何かをできるだけです。([1] p56)

 月の分離 
 ここにいたってシュタイナーは、科学的な知識で、かちんかちになった思考体系がしみ込んでいる私たちのような現代人にとって、とんでもないことを言い出します。

 月が地球を生命存在にできるためには、月はどこになくてはならなかったでしょうか。地球の外にあると、月は地球を生きものにできません。月は地球のなかになくてはなりませんでした。([1] p56)

 少し離れた記述部分から、次のように語り継がれてゆきます。

 月はまだ境界のない、どろどろとした球体でした。そのころ、月は地球全体を一個の卵にすることができました。いま天空にある月は、ファンタジーと母体のみに作用します。その月がかつて地球のなかにありました。([1] pp56-57)

 つづいて、このように語られています。

 月は地球から出ていかねばなりませんでした。「今日では外にある月が、かつては地球のなかににあった」というのは、地球進化における非常に重要な事実です。地球は月を分離し、月はいま地球のまわりを回っています。([1] p57)


 あとがき

 月が昔は地球のなかにあって、それらがまるで卵のようだったと、次の「最古の時代」という章で、さらにくわしく語られてゆきます。
 この「最古の時代」という章は、直接的に表現されていませんが、これまでの「レムリア時代」の内容をさらに発展させたものなので、ここまできたら、これを割愛するわけにはいかないものとなってきました。次回RaN310で取り上げます。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, May 18, 2016)

 参照資料

[1] 「地球年代記」、ルドルフ・シュタイナー(著)、西川隆範(編訳)、風濤社(刊)2009
[2] 「アカシャ年代記より」、ルドルフ・シュタイナー(著)、高橋 巌(訳)、国書刊行会(刊)1981
[3] 「人類アカシャ全史」、ゲリー・ボーネル+古川益三(著)、大野百合子(訳)、VOICE(刊)2002
[4] 「バシャール スドウゲンキ」、須藤元気 ダリル・アンカ(著)、大空夢湧子(通訳)、株式会社ヴォイス(刊)2007

 

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