RaN310 地球人はどこにいるのか
(64)レムリア時代について(3)太陽・地球・月
@「地球年代記」の「最古の時代」
Where is the earthian?
(64)On Lemuria Era(3)Sun・Earth・Moon
@ “The Oldest Era” of ”The Earth Chronicle”

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 ルドルフ・シュタイナーの「地球年代記」[1] の第3章「最古の時代」について、その内容をかんたんにまとめます。
 この本については、黒月樹人のランダムノート2010 ブランチページ(Branch Page)RaN29 ルドルフ・シュタイナーの地球年代記/The Earth Chronicle by Rudolf Steinerで、6年前に、一度リーフページを作っています。A4でほぼ3枚くらいの文章量のものです。細かなタイトル分けなどしないで、単に段落を分けているだけのものです。でも、2010年のランダムノートのなかでは、これがよく読まれてきたようで、私のホームページのランキングでは上位に位置しています。
 今回改めてこの本を再読してみると、6年前には知らなかった、他の本などから得た数々の知識がバックボーンとなっていて、まったく異なった意識や視点で、この本の内容を見つめることができ、あらためて、この本は「すごい!」と思ってしまいます。
 この本だけを読むとしたら、絵本にすると面白いだろうな、と思うような、単なるファンタジー物語のように感じることでしょうが、このような知識のバックボーンがあると、この本はただのファンタジーなどではなく、きちんとした文献調査の一冊として見ることができる、私たちの科学を超えた、メタ科学の世界における貴重な歴史資料なのだということが分かってきます。
 ほんとうのことが、どのようなものであるのかということは、まだまだ何も確定していないのです。もちろん、この本 [1] に記されていることが、ほんとうのことかどうかということも、まだまだ何も確定していないのですけれども。
 ここでは、そのような「評価」を棚上げにして、この貴重な文献資料に何が記されているのかを見てゆくことにしましょう。

 ルドルフ・シュタイナー「地球年代記」の「最古の時代」

 第3章「最古の時代」の目次にある、節のタイトルは次のようなものです。

 地球内部の月/月と生殖/多産な生物/地中の熱/外からの作用と内部での作用/植物/太陽と色彩/月の力/太陽の真相/太陽・地球・月

 地球内部の月 
 ここのところで述べられていることの要点はシンプルです。それを言い表している表現部分がありますから、次に引用します。

 月は地球のなかにあったとき、中央ではなく、いくらか外側に寄っていました。([1] p60)

 なるほど、そうだったのか、と私は思ってしまいます。なぜ、このようなことになっているのかということは、さっぱり理解できませんが、月という異質な塊が、このように、中心になくて、外側に近いところにあったとして、地球がまだどろどろの状態で、確か、一日の時間も24時間ではなく、もっと長いもので、すべてがゆっくりしていたと、これまでのところで語られています。
 つまり、月という異質な塊を内部にかかえていた地球の自転は、まだそれほど速くなかったので、(慣性力としての)遠心力が小さな状態でしたが、このあと、一日の時間が24時間へと短くなったというのですから、このことから自転速度が高まったと推論できます。すると、地球の自転にともなう遠心力も大きくなって、それは、地球の半径に応じて、中心から表面に向けて大きくなるものですから、外側に寄っていた月の塊は、やがて、このどろどろとした地球から、すぽんと、飛び出すかもしれません。
 地球の自転が速くなったのはなぜか、これは、ゲル状態のようにどろどろで均質だった地球の内部が、月の塊は別として、重いものは中心に集まってゆき、軽いものは外のほうへ残って、重い核と軽いマントルへと分離すると、さいしょにもっていた角運動量が変わらないとしても、自然と回転速度は大きくなります。これは、フィギアスケートでスピンしている人が、伸ばしていた腕を体の軸の近くに折りたたむと、そのスピンの速さが変わるという現象と同じです。

 月と生殖 
 月がまだ地球のなかにあった時代のことです。
 地球の表面あたりのどろどろとしたあたりに生息していた巨大な牡蠣が、どのようにして卵をつくり、新しい生物を生み出していったのかということが語られています。
 ここに、次のような表現があります。

 巨大な牡蠣はフランス全土のような大きさでした。([1] p62)

 この一言で、これまでのファンタジーが、私には、とつぜんリアルなものへと変化しました。地球を外から見たとき、もし、フランス全土に色をつけることができたら、それは確かな領域として見ることができ、ただの模様の点のようなものとは言えないものであることでしょう。

 実は、さいしょに惑星の表面に貝のような形をしたものがあることに気づいたのは、水星の宇宙探査画像を調べたときでした。水星はクレーターだらけの表面ですが、その一部に、わずかながら、黒っぽい領域があります。まるで髪の長い少女の顔のように見える、黒く染まったところがあるのです。そこのところを拡大して、デジタル画像を拡大しながら補間する操作により、どうしてもぼんやりとしてしまうものなのですが、私が開発したゴブリンアイという解析アルゴリズムで、その「かすみ」のようなものを、あるていど取ることができます。そうして、いろいろと調べてゆくと、皿に卵が乗っているようなものや、斜めに立てかけられたフェンスのようなもの、そこに取り付けられた街燈のようなもの、道路のようなもの、建物のようなもの、そのようなものが現われだしたのですが、それらの近くに、貝のようなものがあったわけです。
 これらの解析結果は、黒月解析研究所の解析画像(KAI ANALYSIS IMAGE)006と009にあります。貝のようなものは、006のDの右上、009のE1です。

 惑星の表面に巨大な貝のようなものがあることに気づいた二つ目のものは、火星の観測画像からです。ヨーロッパの火星周回探査衛星による「高精度イメージング科学実験(HiRISE)」の画像の中に、自然な地形としては、あまりに形が滑らかすぎて、しかも、その丘のような地形には、周囲に境界のようなものがあって、その境界の形が、貝の形そのものなのです。
 この画像についての解析は、CPP191 火星と水星には巨大な貝類がいるのだろうか?にあります。
 ここでの図1のタイトルは「火星の奇妙なカキ(牡蠣)状クレーター」です。このような「地形」はほかにもあって、火星の北極平原(the north polar plains of Mars)にあるHeimdallクレーターが図2として示してあります。

 このようなことから、地球の表面に「フランス全土のサイズの巨大な牡蠣」がいたというシュタイナーの発言が、ただのファンタジーではなく、透視による、ある種の観測事実なのかもしれないと、私には思えてくるのです。

 この節「月と生殖」での重要なポイントは、このような牡蠣の生殖について、当時地球の内部にあった月が作用していたということです。その詳しいメカニズムはよく分かりませんが、そのような、生殖に影響する力を月はもっていて、地球の外に出て、衛星として周りを回っている今でも、かすかに、その影響を及ぼしているようです。

 多産な生物 
 シュタイナーは、ここのところで、地球の生物の子供(卵も含む)の数について述べています。
 象は一匹しか生みません。
 古代の巨大な牡蠣のことには触れていませんが、今日の地球にいる小さな牡蠣の場合、「一個の牡蠣が一年で百万個の牡蠣を生みます」と述べています。
 植物に取りつく昆虫のアリマキ(蟻巻)の場合では、「一匹の蟻巻が数週間で何十億匹の子どもを生みます」と述べています。
 さらに追い打ちをかけるように、顕微鏡で見なければならない、水中の生物であるツリガネムシ(釣鐘虫)のことを取り上げています。私は若いころ中学校の理科の先生でしたから、これは顕微鏡で見ています。ツリガネムシは、お寺の釣鐘を小さくして逆さにし、それをつるしている紐のような部分が、ばねのようにくるくると曲がっていて、オオカナダモのような水草の表面に、それでくっついているのです。ラッパムシもよく似た微生物が、ラッパムシでは、くっついている部分が紐のようにはなっていません。ツリガネムシなら紐でつながっています。
 さて、シュタイナーによれば、「小さな釣鐘虫一匹が、四日で140兆匹の子どもを産みます」ということです。
 このあと、シュタイナーは、劇作家の多作か寡作かという例をあげますが、これは聴衆の興味を引き付けるためのエピソードと考えられます。
 そして、ここでの本題へと進んでゆきます。
 かんたんにかたづけてしまって申しわけありませんが、結論のあたりを引用しておきます。

 象は厚皮動物です。厚皮動物だから、そんなに長い年月を必要とするのです。厚い皮は太陽の力をあまり浸透させません。蟻巻や柔らかい生物の場合は、いたるところに太陽の力が入ってきます。象の生殖能力が少ないのは、厚い皮に関連しているのです。([1] p66)

 なんとまとめればよいのでしょう。科学論文として提出するとしたときにつける表題なら「生殖サイクルにおよぼす太陽の影響についての仮説」といったところでしょうか。

 地中の熱 
 ここでシュタイナーは「巨大な牡蠣に戻ってみましょう」と語り始め、さらに次のように続けます。

 「この牡蠣は粘液を少し放出しました。まだ殻のない粘液だ。そこに太陽が差す。太陽が粘液を乾かしはじめると、新しい牡蠣が発生する。太陽は牡蠣を受精させる」と、私(シュタイナー)は言いました。もし日光が外から差したら、殻だけができたでしょう。どのようにして、太陽の力には受精作用があるのでしょう。([1] p66)

 ここからこの節の本論が始まります。
 とつぜんシュタイナーは馬鈴薯(ジャガイモ)のことを語りだします。
 農夫が馬鈴薯を収穫した後、地面に深い穴を掘って、そこに馬鈴薯を入れ、冬の間そのままにしておくと、春になって、そこから馬鈴薯を取り出しても、埋めたときのままです。よく保存されます。
 ところが、この同じ馬鈴薯を、地下室に貯蔵したとすると、(芽が出てきたり、腐ってきたりして)駄目になります。
 「どうして、そうなるのでしょう」と、シュタイナーは問いかけます。そして、シュタイナーによる答えは、次のようなものです。

 その(地中の穴の)なかには、夏の太陽の暖かさがとどまっているからです。([1] p67)

 ここで、現代の物理学者は猛反発するかもしれません。「シュタイナーは熱というもののメカニズムを知らない」と。でも、知らないのは(現代科学の知識に取り囲まれている)私たちのほうかもしれません。太陽は宇宙空間では強く光って見えない、ということが、最近ちょっと疑問に思われるようになってきました。シュタイナーかどうかは忘れましたが、「太陽の光は、地球の大気に入ってから光るのだ」と。思い出しました、ジョージ・アダムスキーが会ったという宇宙人たちだったと思います。
 でも、太陽の熱が地中に保存されるというのは、それほど異質な考えではないかもしれません。
 シュタイナーの説明を静かに「聞く」ことにしましょう。

 夏には、太陽は外にあります。太陽は外から地表を暖めます。冬には、太陽の力は地下に進み、下方に存在します。しかし、非常に深くには行けません。逆流してくるのです。([1] p67)

 そうか、ゆっくりと逆流してくるのか。知らなかった。
 シュタイナーの、この節の「まとめ」の表現もなにやら意味深です。次のようなものです。

 ここから、太陽は何かを照らすときにだけ作用するのではなく、その力が何かに捉えられて保存されるときにも作用しつづけるのが分かります。([1] p68)

 外からの作用と内部での作用 
 ここのところは、ここまでで述べられてきたことの、いわば、総まとめのようなところです。見事な展開です。
 太陽の作用こと、炭酸と人間の身体のこと、炭素のこと、日光と動物の外皮・殻・甲羅のこと、日光と動物の生殖能力のこと、馬鈴薯のこと、象の厚い皮膚のこと、蟻巻、牡蠣、釣鐘虫、とまあ、あらゆる要素が組み込まれてゆきます。
 すべて引用したいくらいですが、そうもいきません。
 しかたありません、シュタイナーがこの節の最後に語った一言を引用しておきます。

 「地球は今日、冬のあいだ太陽の力を自らのなかに保持かることによって、地上の存在に生殖能力を与えている」と言うことができます。([1] p69)

 植物 
 ここのところは、ごくごく平凡な内容です。ファンタジーさはほとんどありません。
 植物の繁殖力の源泉は、「種が冬のあいだ地中にある」ことにより、「植物の種子が、太陽から地球のなかに入ってくる力を受け取る」ことにあると語っています。これって、ちょっとファンタステックなことかも。
 ごくごくあたりまえのことかもしれませんが、シュタイナーは、次のことを興味深いことだとして取り上げています。

 花が咲き始めると、植物はもう上に伸びない。([1] p71)

 この節の最後のところも、なにやら意味深です。

 ついで、植物は枯れながら種を作ります。植物が枯れながら種を作らないと、太陽は実を結ばない花びらに全力を注ぐことになります。…植物は最後に、枯れながら種を作るために全力を使うのです。([1] p72)

 太陽と色彩 
 ここのところも、しっかり読まないと、ごくごくあたりまえのことなのに、どうして、こんなにグダグダと語るのかという印象しかのこらないかもしれません。
 シュタイナーは、次のところで、この節の要点についての「手がかり」を示します。

 種は今年の太陽から出来るのではありません。今年の太陽からは美しい花が咲きます。種は昨年の太陽の熱からできるのです。([1] p73)

 ここのところも、現代科学の植物生理学(私がもっとまじめに生物学科で学んでいたら、きっと専攻していた分野ですが、私は突然数学を勉強したいと言い出したのでした)の人は、きっと、ここのところで異議を申し立てるかもしれません。
 でも、この本 [1] は科学論文ではないので、このような議論は始めないことにします。

 この節の最後のあたりに、またまた、意味深な表現があります。

 地球が動物と植物に、地中から太陽の力を与えることができると、動物と植物は活気を得て、繁殖が刺激されます。……「内部は過去によって成長し、現在によって美しくなる」のです。([1] p74)

 なんだか、ここのところで泣けてきました。なぜなのでしょう?

 月の力 
 ここの節をあらためて読み返しましたが、ここでの「話の流れの骨組み」というものが、なかなか見えてきません。30年ほど前に、スタニスワフ・レムのSF作品「新しい宇宙創造説」を思考言語コアでまとめてゆくときに使った、より細分化した方法で、各段落ごとに、もっとも重要と思われるところだけを取り出すことにします。もちろん、ここでは思考言語コアへの変換は行いません。段落は5つあります。

 象は月の力を蓄えます。([1] p74)
 潮の満ち引きは今の月の作用のように見えますが、本当は、かつて潮の満ち引きが月に関連していたために今も月相が潮の満ち引きと関連しているのです。([1] p75)
 高等動物と人間は、その生殖力を自らの内部に保持します。太陽の力の一部が入ってきて、この力を常に補充します。([1] p75)
 植物は前年から繁殖力を得ます。([1] p75)
 象は何百万年も前から生殖力を得ます。([1] p75)

 またまた、「月と潮汐」のメカニズムに関しては、「重力の作用にすぎない」と、物理学者などから文句がつけられるかもしません。
 また、「象の精子」が遺伝によって受け継がれてきたというのなら、「植物の種子」もそうだろう、と反論されるかもしれません。
 ここのところの問題は、しばらく「保留」としておきます。

 太陽の真相 
 おおっ、ついにシュタイナーは、「月が地球から飛び出した」だけではなく、驚くべきことまで語りだします。そこのところを引用します。

 太陽全体が地球内部にあった時代が、かつてあったのです。([1] p76)

 これはいったいどのようなことなのでしょうか。地球と月の大小関係から、月が地球から飛び出したというのは、可能性のひとつとして、仮説のひとつとして考えられるものかもしれません。しかし、地球と太陽の大きさを考えると、このようなイメージはまったく無理なことです。
 シュタイナーは「アカシャ年代記より」[2] や「神秘学概論」[5] でも、地球や月や太陽や土星に関して、物理的な世界での成り立ちとはとても思えないことを述べています。ここのところで、かちんこちんの石頭の私たちは、わけが分からなくなってしまうのです。
 いったい、私たちが慣れ親しんでいる、この物理世界の太陽系の前には、何があったのかということを、もう少し分かりやすく説明してほしいと思ってしまいます。
 ここのところも、あまりこだわってしまうと、このリーフページの最後までゆけないことになってしまいます。こんにゃく頭に切り替えて読み進んでゆくことにしましょう。

 でも、まってください。
 シュタイナーは、上記の不思議な関係について語ったあと、現代科学の盲点のようなことを、さらりと述べています。ここのところの段落は短いので、すべて引用します。

 「太陽は恐ろしく熱くて、もし太陽が地球の中にあったら、すべてが燃えてしまうだろう、と科学者は言っている」と、みなさんはおっしゃるでしょう。みなさんは科学者から、そのように聞いているだけです。科学者は太陽が本当はどのようなものか知ったら、非常に驚くことでしょう。([1] ppp76-77)

 ここのところの真相は、NASAならきっと、つかんでいるはずでしょうが、そのことの情報は出てきません。
 地球の科学者たちは、核爆発や核融合という現象を見出し、太陽のような恒星が巨大な核融合炉だと説明しています。
 ところが、最近の科学探査画像の中に、この説明とは矛盾するものが見つかっています。
 CPP198 紫外線で見た太陽画像の不思議(4)紫外線で見る「雲」の隙間において私は、太陽紫外線画像において、白く光る「雲」のようなものの隙間に、黒い「隙間」が存在することに気づき、紫外線で光っているのは、大気より外側の領域だけであり、その下に関しては、紫外線で見て、「暗い」世界が存在している。これは、太陽が核融合炉であるという仮説に反するので、「太陽は核融合炉ではなかった」と判断しています。

 次の箇所も、現代の物理学者たち(やNASA)がきちんと説明していない問題です。

 気球に乗っていくと、太陽がそんなに熱くないのが分かるでしょう。太陽は生命力に満ちており、日光が空気などを通っていくことによって暑くなっていくのです。空気などを通っていくときに、日光は暑くなるのです。([1] p77)

 これに関連する情報は、私のホームページでは、次のところにあります。
 ChMd40月世界のほんとうの色は?(6)文献調査・考察
 「アダムスキー/第2惑星からの地球訪問者」[6] の中で、「土星人パイロット」(ズール)が述べたことの中に、次のようなものがあります。
 SP09 「宇宙空間のどんな天体でも、熱かろうが冷たかろうが、地球人のいう大気または寒暖を発生させるガス類を”持っていなければならない”のです。」

 この節の内容はまだ半分以上ありますが、ここから、次の2つの文章を引用しておきます。これらの説明は難しいので、まだ私には無理です。

 地球のなかに月と太陽があり、殻のない単なる粘液であった牡蠣がいた。([1] p77)

 当時の地球を見たら、「巨大な動物だ。そのなかに太陽の力と月の力とがある」というイメージが得られたでしょう。([1] p78)

 太陽・地球・月 
 ここでシュタイナーは、現代科学(ここでは、教授たちや教師という言葉で暗示されています)の、太陽・地球・月の生成理論をとりあげます。

 教授たちは「かつて太陽と地球と月は一体であった」と言います。「太陽は巨大な天体であった。太陽は回転し、地球を分離した。そして、地球が回転しつづけ、月を分離した」と、彼らは言います。([1] p80)

 ところが、シュタイナーが透視で見たことは、それとは違うと、あくまで、次のように主張します。

 地球は今日の種子のような存在で、太陽と月を内に有していました。太陽と月は地球から離れていきました。([1] p80)

 その後、太陽や月の影響は、地球の植物や動物に「力」として作用しているということです。
 このことはもちろん、そうなのだと言えますが、「最古の時代」に、ほんとうに「地球のなかに、月はよいとして、太陽が入っていた」のかどうかは、他に検討する情報がないので、よく分かりません。
 宇宙存在のバシャールかジャーメイン、あるいは、地球人のゲリー・ボーネルに訊いてみたいところです。

 あとがき

 「地球年代記」のさいしょの3章についての、あらすじについて、ようやくまとめることができました。このあとの6つの章の中にも、関連することがらがありそうなのですが、はじめに想定していた「アカシャ年代記より」[2] と「人類アカシャ全史」[3] についても、「レムリア時代」についてチェックするとしていましたので、あと何回かかるかは未定ですが、もうすこし、この路線で進んでゆくことにします。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, May 19, 2016)

 参照資料

[1] 「地球年代記」、ルドルフ・シュタイナー(著)、西川隆範(編訳)、風濤社(刊)2009
[2] 「アカシャ年代記より」、ルドルフ・シュタイナー(著)、高橋 巌(訳)、国書刊行会(刊)1981
[3] 「人類アカシャ全史」、ゲリー・ボーネル+古川益三(著)、大野百合子(訳)、VOICE(刊)2002
[4] 「バシャール スドウゲンキ」、須藤元気 ダリル・アンカ(著)、大空夢湧子(通訳)、株式会社ヴォイス(刊)2007
[5] 「神秘学概論」、ルドルフ・シュタイナー(著)、高橋 巌(訳)、筑摩書房 (刊)1998
[6] 「アダムスキー/第2惑星からの地球訪問者」、ジョージ・アダムスキー[著], 久保田八郎[訳], 中央アート出版社[刊] 1990

 

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