RaN314 地球人はどこにいるのか
(68)セントラル・サン、天使、人類の創造 @ マーリン文書「はるか昔に…」
Where is the earthian?
(68)The Central Sun, Angel, Creation of the Human
@ ”Before …” as Merlin Document

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 前回のRaN313では、「時を超える聖伝説」[1] という本の「目次」と「用語解説」についてまとめました。
 そのとき、まだ、半分くらいしか読んで(正確には再読して)いませんでした。
 ようやく、この本を最後まで読み終えて、いったい、これについて、どのように語ればよいのかと思い悩み、けっきょく、しばらく、時間をかけることにしました。
 目次や用語解説から推測されるように、この本の情報量は、とんでもなく大きなものです。たとえ、これらのことが、まったくの空想であったとしても、これまで、このようなSF小説は、どこにもなかったものと考えられます。
 現代科学の考え方で、こちこちになっている、思考回路に通してみようとすれば、あちこちで回路がデッドエンド(行きどまり)になってしまい、まるで、迷路の中にもぐりこんでしまったと感じることでしょう。
 あるいは、新しいカルト宗教の宣伝のように思われるかもしれません。
 タイミングというものがあるのです。
 以前私がこの本を読んで、「試験があったらきっと出る」ところに、黄色のマーカーでラインを引いていた痕跡があるのですが、その重要ポイントのところの印象や記憶が、まったくありません。
 私のこれまでの人生ドラマにおいては、カルロス・カスタネダの著作にある、ドン・ファンの教えのほうが、もっともっと強く影響してきました。小暴君、抽象の核、夢見の技法などなど、これらについての応用エピソードについては、数えきれないくらいあります。
 SF小説のなかでは、もっとも強く印象に残っているのが、オラフ・ステープルドンの「スターメイカー」でした。でも、これはSF小説です。空想の産物です。どこまでが本当のことかなぞ、知る由もありません。
 そんなことを言い出したら、マーリン文書としての「はるか昔に…」[1] も同じことです。
 私たちは、ちっぽけな断片の魂でしかなく、わずか百年弱の命(連続した意識)しかありません。いや、もっと短いこともあります。
 のんびりとしているわけにはいきません。

 日本に向けて贈る序章 ― マーリン

 マーリンは、この本 [1] が日本語に訳されて出版されることを知り、「日本に向けて贈る序章」というものを加えています。
 ここのところを要約するというのは、至難の業だと思ってしまいます。
 ひとつひとつの文章に込められた意味の広がりが、とほうもないもののように感じ取れ、ここからいったい何を削ればよいのかと、迷ってしまうことになるのです。
 しかたがありません。「試験があったらきっと出る」というところを、ひっぱりだしてゆくことにします。何年か前の黄色いマーカー部分ではなく、今回記した赤い色鉛筆のサイドラインのところだけに注目し、のこりの部分は無視することにします。

 昔、すべての生命体はセントラル・サンに存在した。([1] p10 )

 この「セントラル・サン」がどこにあって、どのようなものとなっているのかということは、あまり詳しく説明されていません。おそらくそれは、私たちの物理科学の用語でうまく表現できないからではないかと思われます。
 このあと、マーリンは「セントラル・サン」について、次のように言い換えています。

 つまりあなたがたが神と呼ぶところの核をなすところだ。([1] p10)

 「あなたがたが神と呼ぶところ」というものが、そもそも、私たちにとっては、どのような科学用語によっても説明できないものなのですから、このような表現でまとめておくしか仕方がないということなのでしょう。

 神の宇宙の種子は、あらゆるところに飛び散り、神の無限なる意識の土壌に植え込まれた。そしてそれらは、成長していった! 銀河と星と惑星を形作り、そこに生命を宿した。([1] p10)

 このあたりの説明から、私は、オラフ・ステープルドンの「スターメイカー」のことを思い浮かべてしまうわけです。英文の本はあるのですが、せっせと目印ラインを引きながら読んだ、日本語訳の「スターメイカー」は、決して捨てたはずはないのですが、現在行方不明なので、具体的な表現を引用することができませんが、どこかにきっと、ここのところと強く結びつくところがあったはずです。
 オラフ・ステープルドンの「スターメイカー」は、正真正銘のSF小説なのですが、そのアイディアの中に、おそらくはテレパシーか何かで、マーリンたちが語っている情報が送られたものと考えられます。

 だが神の計画には一つの瑕疵(きず)があった。([1] p11)

 宇宙人が地球人を支配しているときに化けた「神」ではなく、もっと以前からあった、ほんとうの神も、何かミスをすることがあるということが、ここでは語られています。
 評論家マーリンの分析が続けられていますが、ここのところはむつかしいところです。
 間違っているかもしれませんが、おおよそ、次のようなことかもしれません。
 それは、神が生み出した「すべての生命体」について(善悪などの)判断を下さないという、「一つの条件」が、うまく適用されなかったということです。
 すでに「すべての生命体」のなかでも、特別なものとして(宇宙人も含めてのことと思われますが)「人類」あるいは「人間」が生み出されていたわけですが、その結果が思ったようにはいかなかったということのようです。

 神が一つの解決策を決定した。([1] p12)

 このプランはどうやら、「神」と「人間」の間に、それらの「中間管理職」となるべき存在を生み出すというもののようです。それが「天使」たちであり、「守護者」と呼ばれるものだったようです。

 そこで神は守護者たちを送り込んだ。([1] p12)

 どこに?
 宇宙のすべてなのかもしませんが、マーリンの語りでは、もっと具体的な場所として、この地球について想定されているようにも受け取れます。
 その「守護者」の一人が、どうやら(かの全能なる魔法使い)マーリンであり、他の一人が(かの最高評議会の長である)サトナ・クマラだったようです。

 そこは、二百五十万年前、サトナ・クマラが金星からやって来たのと同じ場所だ。([1] p14)

 このあとの表現で魔法の山であるクラマヤマ(鞍馬山)([1] p14)というところがあります。
 京都市の北部にある鞍馬山には、看板が立っていて、たしか、「鞍馬山の天狗たちは金星からやってきた」うんぬんの表記があったように記憶しています。
 ウェブを調べたところ、金星からやって来たのは、天狗ということではなく、尊天の中の「護法魔王尊」ということのようです。年代は650万年前となっていて、マーリンの言う年代とは異なっていますが、これらについて議論できるような知識は、私たちにはないと考えられます。
 おそらくクマラが日本語的になまってクラマになったのでしょう。
 私が鞍馬山を訪れたのは、大学生になる前のころだと思われます。予備校生だったかもしません。京都駅から予備校まで通うための自転車をもっていたので、気分転換にと、北のほうを探索したのだと思います。それからもう40年も経ちました。
 もう一度訪れてみたい場所です。

 まえがき ― マーリン

 ここは、わずか2ページにまとめられた、マーリンによる「まえがき」です。
 ここに、少しばかり重要な情報が記されています。

 アカシック・レコードは、レムリア時代が終焉を迎えた後に一旦閉じられ、アトランティス時代の後にも再び閉じられた。([1] p16)

 これは不思議な出来事です。何故そのようなことが起こったのか、ここでは記されていませんが、そもそも、アカシック・レコードなるものが、どのようなもので、どのようにして、記録が記され、残されているのかさえ、私たちにはよく分かりません。
 しかし、「今」とマーリンが呼ぶとき、「秘密のベールが開かれ」て、それらの情報を知ることができるようになっているそうです。
 かくして、「マーリンのマジカルミステリー・ツアー」が始まります。

 序文 ― マーリン

 この序文は7ページあります。
 最初に、次のような、断り書きがあります。

 人類という生物は、人類学者や考古学者が語るより遥か以前からこの地球上に存在してきた。([1] p18)

 その証拠となるものの一つが「ギザのピラミッド」だとマーリンは語ります。
 ここから、マーリンは、地球の人類学者や考古学者が語ることのできない、古代の文明の在りかを、少し語ります。それについては、簡単な引用のラッシュで構成することができます。

 サハラ砂漠の砂中奥深くには、今なおエジプト以前の文明が埋もれている。([1] p19)

 インド北部国境の都市遺跡は、侵略者がシャンバラの古代遺跡を破壊した際の遺物なのだ。([1] p19)

 今では南アメリカのジャングルに埋もれてしまったかに見える大陸が存在し、またアンデス山脈高地にも、ある一つの文明(実際にはいくつかあったが)が繁栄を極めていた。… かつてはメルという名で知られていたこの優れた文明は、川や山に含まれている地球の強大なパワーを利用していた。([1] pp19-20)

 このあとのマーリンの説明は、人類が思いついた進化のメカニズムではなく、宗教的な人々が語る天地創造のメカニズムについてです。

 人類は神から創り出された! しかも間接的にではなく、神自らの手によって。… その始まりの時に、種子という形の中にあらゆる生命形態が存在していた。… しかも一時に紙はあらゆる生命を創造したのだ!([1] p22)

 これだけではありません。ここではのべませんが、マーリンの語りは、どんどんとふくらんでゆきます。
 この「序文」の最後のハイライトは、私たちの物理科学の知識からは想像もつかない、次のようなことがらです。

 時間と空間は、物質と同じように曲げたり変形させたり、変化させることができる!([1] p23)

 第1章 セントラル・サン、天使、人類の創造

 ここのところの、最初の一文を引用します。

 さあ、では物語を始めよう。創造と拡大の物語、魔法と夢の物語が今始まる。([1] p25)

 このあとのところも、まるで詩人のように、マーリンは豊かに語ってゆきます。詩人でもあり、魔法使いでもあり、ディレクターであったり、プロッターであったり、まったく、マーリンは何にでもなってゆきます。
 すべてのことを引用するわけにはいきませんので、れいによって、「試験があったらきっと出る(かもしれない)」という、ちょっとユニークで、人々の気を引き付けそうなところを取り上げてゆくことにします。
 はじまりは「神のきまぐれ」というキャッチフレーズのもとで、何もなかったところから、何かが生み出されてゆくところの描写がなされます。
 まったく、マーリンの表現は見事です。小説家を目指す人、舞台監督や映画監督などなど、ドラマチックな物語を表現してゆく人々にとって、すばらしいお手本となるものです。
 しかし、ここでは、それらの詳細なことがらには、あえて、触れないようにし、「試験があったらきっと出る」だろうというところに注目してゆきます。
 昔教師だった私のカンで、次のところが、とても気になりました。

 生きたエネルギーの流れが生ずると、光は知性を形成し始めた。([1] p27)

 「光」と「知性」の組み合わせなど、いったい、これまでのSF作家の誰が思いついたことでしょう。「光」とは何か、「知性」とは何か。こんなことも、私たちには説明できないことなのです。まったく想像以上のことが語られてゆきます。
 このように「知性」をもった「光」によって、「太陽のような球体」や「多くの太陽がひとつの巨大な太陽の内部に併合されていた」というものが生み出され、「宇宙」が「自由意志」のもとで形成されていったのだそうです。

 その次の段階となる出来事について、次のように説明されてゆきます。

 生命はさらに輝きを増し、ある力を要求できるまでになり、大いなる光の球体は独自の知性をもつに至る。そして神はその光の球体たちに、さらに生命を想像するように命じる。神はそれに満足し、そこから次の方向性が生まれた。([1] p28)

 「光る球体」の次に生まれたものについての説明へと続きます。

 神は知的存在を創造し、それらの存在に、すでに創造された、あるいは、これから創造されるであろうエネルギーの流れの、すべてを管理させた。これらが、天使と呼ばれた存在。最初に創造された生命体、それが天使。神は、すべての光の球体を護るために、天使を創造したのだ。大天使と小天使を。それら天使の中のいくつかは、あまりにも大きいので、人は、それらを、銀河と呼ばなければならないだろう。([1] p28)

 割愛できるところを探したのですが、けっきょく、ここのところは全文引用しました。
 「天使」の中には「銀河」と呼ばれるべきサイズのものもいるということが、ここでの、重要なポイントだと考えられます。「銀河サイズの天使」あるいは「銀河そのものである天使」ということになります。確かアフという存在の意識も、銀河の隅々まで広がっていると述べていました。ジャーメインも、それくらいの意識サイズではなかったでしょうか。

 「天使」の次に生まれたものについての説明へと続きます。

 神は、天使たちとは異なる、もっと独立した生命形態を加えたいと望んだ。([1] p30)

 神は、永続的で、しかも、自己繁殖力を有する生命形態を望んだ。([1] p30)

 神は、新たなエネルギーを創造することができる存在、あるいは創り出した新たなエネルギーで、古いエネルギーを変えていくことのできる存在としての、生命形態を望んだ。([1] p30)

 これらの条件を満たす生命体についての記述があります。

 これこそが人間という生命体!([1] p30)

 まるで、宗教的な教えのように思えるかもしれません。
 でも、私にとっては、マーリンが語ることは、宗教ではなく、(私たちの理解を超える)科学のように思えてきます。
 そのような判断は、どちらでもよいのかもしれません。なぜなら、それらを区別する力は、私たちにはないかもしれないからです。
 だから、これらは「ただの物語」、そう考えておいてよいものなのでしょう。

 このあと、少し変化があります。何かが生まれたということではなく、何かが変わっていったという物語です。

 生命はさらに進化していった。しかしその特性や方向性はねかなり変化してしまった。生命エネルギーは目的を果たすべく、新たな生命エネルギーに一斉に変わり始めたのだ。([1] p31)

 このあとの表現は、少し分かりにくいものでした。
 どうやら、神が考えていたことと、天使たちが考えたこととの間に、微妙なズレが生じて、神が望んだことに、そのまま天使が応じなかったということのようです。
 特別な用語として「ナーガ」というものが現われてきます。
 生命体が変化を起こしたいと望んで生まれたものが「ナーガ」と呼ばれるもののように読み取れます。
 次のような表現があります。

 天使と、生命体の破壊的な資質としてのナーガが融合して、新たな生命のスパークが創造された。生命体が方向性を変えるたびに、スパークが創造されるのだ。… このスパークが知性であり、生命の特質を有している。このスパークを人間の生命、人間の魂と呼ぶことができる。([1] pp31-32)

 「人間の魂」の始まりが、このように語られました。
 しかし、それから、今の私たちのような姿になるまでには、まだまだ、いろいろな変化が生じたようです。

 スパークは最初、大いなる光の球体とつながりを持っていた。そのスパークは球体と混ざり合い、光の大きなコロナとなって、その表面に浮上した。([1] p34)

 このスパークについての記述はどんどん続きますが、一部飛ばしてゆくことにします。

 この創造的生命形態は繁殖し、球体の中に、その数を増していった。([1] p34)

 これら光の球体の活動内部で、自己認識という意識が生じた。([1] p34)

 自己を認識した、これらのエネルギーの球体は、大いなる球体から分離していった。… 分離していったエネルギーの球体は、さらに小さな光の球体を形成した。([1] p)

 このあと、少し説明が戻って、人間となってゆくスパークのことではなく、太陽や惑星へと向かっていったエネルギーについて語られます。
 そのころの地球についての描写は、次のようなものです。

 地球の表面に地殻があるというよりはむしろ、密度の濃淡を持たないエネルギーの塊を見ているという感じだ。([1] p36)

 このあたりの描写は、ルドルフ・シュタイナーによる、初期の地球の様子と、よく対応しています。
 人間についての物語は、次の描写のところへと続きます。

 それは統一性の取れたものだった。時には内側だった部分が外側になったり、外側だった部分が内側になったりした。そして、この回転を繰り返す塊内部で、人間の生命が生じた。それは、太陽系のあらゆる惑星の内部で生じた。([1] p)

 人間は地球の殻の表面に発生した、バクテリアのコロニーのようなものではなかったということです。でも、このような表現から考えると、パンのための天然酵母を育てるための、水溶液の中にある酵母菌のようなものともみなせます。
 どちらでも、それほど違いはないのかもしれませんが。

 あとがき

 このあたりの、マーリンの説明は、やはりまだ、不思議な創造神話の、絵本バージョンといったところでしょうか。私たちの知らない時代のことでもあり、見てきたわけでもないので、ただたんに、そのような物語だったということを聞くしかありません。それに反論しようにも、あまりに私たちの知識と理解力は貧しいものです。
 でも、この物語も、現在へと近づくにつれ、かすかに残っている、古代文明の証拠との関係が明らかになってゆきます。たとえば、ギザのピラミッドやスフィンクス、インドの古代都市の廃墟、そして、身近なところでは、京都の鞍馬山の伝説! 
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, June 14, 2016)

 参照資料

[1] 「時を超える聖伝説」いま明かされる人類の魂の歴史/創世・レムリア・アトランティス 新しい次元へ、ボブ・フィックス(著)、下山恵里菜(訳)、株式会社 三雅(みつまさ)(刊)2002
(英文タイトル)Before…, as told by the Master Merlin recived by Bob Fickes

 

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