RaN315 地球人はどこにいるのか
(69)ツバメ小屋
Where is the earthian?
The Swallow Hut

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

ランダムノート2016ブランチページへもどる

 青メダカ

 五月の終わりの頃の日曜日、私は、今月の町内会費を集める係だったので、何軒かの近所を回りました。
 その一軒の庭先に、小さな四角い水槽がおいてあり、中にメダカが泳いでいます。見れば、青い色をしています。
 町内会費を持ってきてくれた若い娘さんに、
 「これ、どうしたんですか」
と聞くと、
 「お母さんが買ってきた」
 「どこで?」
 「道の駅で」
 「高かったんじゃありませんか?」
 「うちのお母さん、高かったら買わない」
 それから私は、その「道の駅」の具体的な場所を聞きました。それは意外にも、何度も私も行ったことがある、実家の隣村にあるところでした。
 今住んでいる地方都市のホームセンターのペットコーナーでは、青メダカは一匹何百円もします。私も、「高かったら買わない」くちなので、安い黒メダカ(おそらく原産種に近いもの)とヒメダカしか買っていませんでした。
 世の中には、楊貴妃(ヨウキヒ)と呼ばれるオレンジ色のメダカや、背中の後部が青色がかった銀色に輝く、幹之(ミユキ)と呼ばれるメダカが存在するということは知っていました。ホームセンターでは、ヨウキヒは一匹680円で、ミユキは980円です。とても手が出ません。青メダカや白メダカは、280円だったか、400円だったか、まあ、そんなところです。黒メダカやヒメダカなら10匹は買える値段です。

 道の駅

 別の日に、私は、その道の駅に行ってみることにしました。
 その日の行動予定の一つ目は、田村神社の前にある道の駅に行って、キウィの雄株と雌株のセットを買うこと。二つ目に、そこから移動して、聴いてあった、青メダカをお母さんが買ったという、別の道の駅に行くこと。三つ目が、戻って来て、もう通れなくなっている山中の道へと歩いて入り、道路に広がっている自然の風化土をこそげとること。
 二つ目のポイントにたどりついたとき、私は、ちょっとばかり驚いてしまいました。そこは道の駅なのに、この日は「定休日」なのです。たいていの道の駅は年中無休ではなかったでしょうか。そういえば、このあたりの地域では、数々の温泉も、週のこの日は休みです。
 でも、その道の駅の「翼」を伸ばしたような錬に一軒だけ、弁当屋さんが店を開けていました。
 ちょうどお昼どきだったので、シャケ弁を注文しました。
 「メダカを買いに来たんですが、休みなんですね。」
 そんな、おしゃべりを店主のおじさんとかわして、店先のテーブルでシャケ弁を食べていると、隣のテーブルで牛丼弁当を食べていたお客さんの一人が、
 「メダカなら、高速道路のサービスエリアで売っていますよ。」
と語り掛けてくれました。
 そこまでのルートを説明してもらい、シャケ弁を食べ終えた私は、さっそく、そこへと向かうことにしました。
 田舎の道なので、周囲は緑のじゅうたんと、木々のカーテンと、田んぼのプールだらけです。
 空は青く澄み、空気は透明で、風はひんやりと肌をくすぐってくれます。
 やがて、その高速道路のインターの一つにたどり着き、そこから登って、来た方へと戻る車線を走り、すぐのところに、そのサービスエリアがありました。
 そこも、実は、道の駅のひとつでした。
 売店の前には、山野草のテーブルがあり、珍しいものとして、トクサの鉢が並べてあります。葉をもっていない、ミニチュアの竹のような植物です。シダ類の一種ですが、かなり古いタイプなので、どこにでも生えているものではありません。ほしいな、とも思いましたが、今日の目的はメダカなので、と、ぐっとこらえました。
 売店の中に入ると、その部屋の中央あたりのテーブルにしつらえた、低い棚に、小さなガラス瓶に入れて、いろいろなメダカが売られていました。
 すごい! ホームセンターで一匹680円のヨウキヒが6匹入って650円です。
 隣の瓶には、ブラックメダカと書かれたものが何匹も入っていて、こちらは1500円ですが、今まで見てきた黒メダカとは違います。少し細身で、完全に黒色です。
 それらの右端に、少し大きめの、カブトムシなどを飼育するプラスチック容器に入れて、タナゴ5匹が売られています。1900円です。あとでホームセンターに同じ容器が680円で売られていましたから、タナゴだけだと1220円となります。
 タナゴか。淡水魚の水族館でしか見たことがありません。横から見ると、とてもきれいです。フナやコイやモツ(ムツ)とは違った輝きがあります。
 メダカを買いにきたはずなのですが、私は、けっきょく、悩みに悩んで、このタナゴを買って帰ることにしました。ヨウキヒやブラックは、今度来た時に買えばいいと考えたのです。

 翌日

 翌日は木曜日です。週のこの日は、母が、私の実家の山奥の家から、母の実家の私が住む地方都市の、古い街道沿いの家へとやってくることになっています。
 地方のローカル鉄道に乗り、駅からバスに乗り、市役所前で降りて、その近くにある百貨店で買い物をしてから、歩いてここまでやってくるというときもありますし、鉄道の駅で電話を掛けてきて、私が車で迎えに行くというケースもあります。
 ところが、この日は、どちらのケースでもなさそうで、昼前になっても来ないし、何の連絡もありません。そこで、山奥の家に電話すると、まだ家にいるとのこと。
 「じゃあ、迎えにゆくよ。そこから行くとこがあるから。」
と私は電話で伝え、いくらか準備をして、表の車庫へとゆきました。
 車に乗る前、ふと、ガレージとなっているところの半分の天井にとりつけてある蛍光灯の傘を見ました。わが家のツバメの巣があるからです。行ってくるよ、と挨拶をするつもりだったのですが、ツバメたちはいません。見ると、何か黒いものが動いています。
 ヒナが孵ったのです。

 母と道の駅へ

 山奥の私の実家へと車で向かい、母を助手席に乗せて、昨日休みだった道の駅に向かいました。慣れた道です。かつて、その方面の小さな工場で働いていたことがあります。昔は、ささやかな峠のところの道幅が狭く、道路もまだ舗装されていませんでしたが、現在では、ほとんど高速道路状態となっています。
 あっというまに、その道の駅について、メダカを探したのですが、店の人に訊いても、今日はメダカ屋さん、来ていない、ということでした。
 お昼どきだったので、昨日食べておいしかった弁当屋さんに母をつれてゆき、私はシャケ弁、母はカラアゲ弁を注文し、店の前に置かれているテーブルでいただきました。
 母は、私が現在住んでいる、母の実家の物語を語り始めます。
 なんでも、母の父であるゴロウさんは、水産問屋の職員だったところから独立して、それを大きくし、その問屋を長女に養子をとって引き継がせ、実家の店は、二女の母に養子をとって継がせようとしたそうです。しかし、その間に、長男がいて、母は、その人を押しのけて家を継ぐのは嫌だと、ゴロウさんの申し出をことわり、私の父からたくさんの手紙をもらって、自由恋愛の末、山奥の魚屋さんに嫁いだのです。
 「なあんだ、オカンも、家のためになんか生きようとはしないで、自分の好きな道を貫いたんじゃないか。そうして、カルマってやつの支払いを済ませるために、父や兄や私のことで苦労して、こうして生きてきた。」
 その道の駅は休みではなかったものの、メダカ屋さんが休みだったので、私たちは、前日お客さんから教えられた、高速道路のドライブインにある、別の道の駅へと向かいました。
 そこで母は「色々」と名づけられてあるメダカが何匹も入っている瓶を650円で、私は「ミユキ」が5匹で1500円となっている瓶を買いました。
 前日あった、ヨウキヒの瓶とブラックメダカの瓶は、もうありませんでした。

 ツバメの巣が

 高速道路のドライブインを出て少しだけ走って、すぐに降り、そこからまっすぐ、私が住む、金魚とメダカとツバメたちのいる家へとドライブしました。
 「こんな道は、初めてや」
と母。
 「ここまでは自転車で来たことがある」
と私。
 やがて、見慣れた風景の地方都市にある、旧街道に沿って立っている、私の住み処へと戻ってきました。
 家の前の道路に車を止め、斜めにして車庫の端をバックミラーでねらって、この車を車庫入れしようとしたとき、ふと、隣のスペースの天井蛍光灯の傘のところを見ました。
 ツバメの巣がありません。
 車をきちんと奥まで入れ、車から降りて、その蛍光灯の傘を見上げました。
 下に、その巣の破片が散らばっています。
 ヒナの姿はどこにもありません。
 親鳥の姿も。

 夜になって

 猫が飛びつける高さではありません。
 きっとカラスだと思われます。
 ここは旧街道沿いの家。昔だったら、商店街の中にある魚屋でした。日中、人の流れは途絶えることもなく、朝から晩まで、にぎわっていました。
 しかし、今ではシャッター街です。
 この道を歩く人も、ほとんどいません。
 「カラスのやつ、車がないから、私がいないと見て、きっと襲ったんだ。」
 母に、そう語って、私は、なんとか、その日の夕暮れまで、ぼんやりとして過ごしました。ドライブしていたとき、新しくできた道の駅にゆこうと、母に言っていたのですが、それは取りやめ。
 私は少し昼寝をし、母は、まだ片付いていない、伯母さんが住んでいた部屋の片づけをやっていました。
 そして、夕方になって、母を山奥の家に送り届け、シャッター街の家に戻って食事をとり、シャワーで体を洗って、離れの自室に入り、コンピュータで何かをするわけでもなく、本を読む気もおこらず、布団を広げて、じっと目を閉じて、眠ろうとしましたが、眠れません。
 やがて夜がきて、暗くなり、じっと横たわったまま、私は時間が経つのを待ちました。
 正確な時間は忘れましたが、深夜だったと思います。
 私は懐中電灯を一つ持って、表に出、もとは店だった車庫へと行き、車の隣にある、空っぽのスペースを眺めました。
 蛍光灯の傘にはツバメの巣の痕跡しかありません。
 それは、手前側の蛍光灯です。
 実は、もうひとつ奥の蛍光灯があって、ツバメたちのうち、雄のほうが、いつもそちらで休んでいました。雌は手前の巣の中でした。夫婦別床です。
 その奥のほうの蛍光灯の傘のところに、黒い影が見えます。
 二羽のツバメが、そこに居ました。
 親ツバメは生きていたのです。

 ツバメ小屋

 親ツバメは戻って来ている。あいかわらず、壁に取り付けた板の上ではなく、天井の蛍光灯の傘のところに居る。手前の蛍光灯の傘の廃墟には近づかない。今度は、奥の蛍光灯の傘の上だ。
 もう一度、やり直すかもしれない。
 ツバメたちがもう一度巣作りをして、卵を産んで、それを孵したとき、もう一度カラスに襲われたら、もう駄目だ。
 どうしよう。
 今度ヒナが生まれたら、日中は、この下に居て、ここで、コンピュータで何かする。それは無理。ラジオを流しっぱなしにする。これも、どれだけ効果があるか分からない。
 そうだ。外の通りから見えなくなるように、こちらの半分のスペースを部屋にしてしまおう。
 もちろん、ツバメの通り道はつけておく。
 でも、ツバメ以外の野鳥は、きっと、家の中には入ってこないだろう。それは野鳥にとって危険なことだ。誰が居るのか分からない。

 実は、母屋の二階が、ほとんど隠し部屋のようになっていて、細長い台所スペースの一角の壁に、垂直に梯子が取り付けられてあり、そこの天井部分が引き戸となっていて、真っ暗な二階へと上がることができるということが分かっていました。
 頭をタオルで覆い、マスクをつけて、懐中電灯片手で、そこを探検したことがあります。
 何か、古い小判のようなものがあれば、と考えていたのですが、そのようなものは見つかりませんでした。
 もし、昔の人が小判や大判をため込んでいたとしても、きっと天井裏にではなく、床下に穴でも掘って隠すことでしょう。
 このころ、もう一度探検した私は、四角い箱に入れて、古い陶器の食器や、漆器の皿や重箱があることに気づきました。
 さらに、掘り炬燵の居間の上のところに、色々な材木や木の箱がしまわれていることが分かりました。木の箱というのは、昔の商売で利用していた、そうめんの箱や、干しシイタケの箱だと思われます。また、竹を使った底をもつ、トロ箱と私たちが呼んでいる、水産品を入れて、そのまま水で洗うことができる箱もありました。もうひとつ別のものとして、重箱と呼んでいる、平べったい箱があり、それらを下に降ろして水洗いしたとき、底の裏側に、墨で「文化二年」という文字が書かれてあることに気づきました。「文化」という年号は江戸時代のものです。ウェブで調べたところ、「文化元年」は1804年でした。すると「文化二年」なら1805年ということになります。211年前です。
 私の母は86歳ですが、子供のころ、ここに住んでいたけれど、母屋の二階に何かを上げたことは一度もなかったと言っています。
 だから、母屋の二階にあるものは、最低でも86年は経っていますし、211年以上経っている可能性もあります。ざっと見積もっても、100年以上そのままだったものが、たくさんあると考えてもいいでしょう。
 そこにあるのは、そんな木材です。
 荒縄で縛って横積みしてあるものは曲がっていませんが、斜めに立てかけてあった薄板は、見事なカーブを描いています。こんな材木は、現在、どこにも売っていません。
 もとは柱だった、太い木材もありました。これらも、歴史的な価値をつけないで、同じ寸法のものをホームセンターで求めるとしたら、一本何千円もするものです。
 それらの木材や箱の類が、ある程度降ろしてあり、洗って干してありました。
 私は、これらを使って、元は魚屋の店だった、空っぽのスペースの半分、ツバメたちが乗っている蛍光灯の傘があるほうの半分に、仮設の部屋を作ることにしました。
 ちょうど、店の、道路から少し奥まったところに柱があって、車を向かって左の、ガレージとして使っている半分へと入れるときに目印にしているのですが、そこを始点として、奥と横に壁を作ることにしました。
 降ろした角材の中には、ちょうど天井までの長さになっていて、そのまま柱として使えるものがありました。床にも置いて固定し、細長い板を組み合わせ、壁を作ってゆくのです。大きく曲がった板も、適度に配置して取り付けました。
 何に使っていたのか、長く広い板の真ん中に、丸い窓が開いたものがありましたので、ツバメの通路になるかと思い、それも貼りつけましたが、ツバメたちは、その板の上に開けておいた、四角い窓のほうを脱出口として利用しています。
 このとき、板のサイズをそろえるようなことはせず、ありのままのものを、そのまま組み合わせるという方法をとりました。そのほうが、早くできるし、味わいがあるからです。
 だから、そこは、ツバメの部屋というよりは、ツバメの小屋といったほうがよいものとなりました。

 その夜

 私が、そのツバメ小屋を組み立てている間、ツバメたちは、奥の蛍光灯の傘をベースとして、餌を採りに出かけ、また、戻ってきたりしていましたが、景色がどんどん変わってゆくので、開けておいた玄関のところから中に入って、ここは違うとばかり、もう一度外へ出て、ガレージ横のツバメ小屋へと飛び込んで、奥の蛍光灯の傘の上へと着陸していました。
 まだ巣作りのための泥やワラを運んでいるわけではなく、そこをベースとして、もう一度体力と気力を取り戻そうとしているかのように思えていました。
 その夜、ふと思い立って、懐中電灯をもって、私はツバメたちの様子を見に行きました。
 真夜中でした。
 ツバメたちは、暗すぎて、もう空を飛んだりせず、眠っている時間です。
 でも、蛍光灯の傘の上にはいません。
 傘の表側にも裏側にも。壁に取り付けた板の上にも。
 このツバメ小屋の、隅から隅まで、どこにもツバメたちはいませんでした。
 私は外に出て、道路の上に張り巡らされている電線を見ました。
 隣近所のどこかに泊っていないか探しました。
 いません。
 わずか一日で組み上げたツバメ小屋でした。
 「ここはダメだよ」とは、一度も思わなかったし、窓はたくさん取り付けたし、そこを通っていたじゃないか。

 次の日の朝

 空が白み始めたころ、私はツバメ小屋を見にゆきました。
 そこにツバメたちが帰って来てはいないかと。
 でも、ツバメたちは居ませんでした。
 私はあきらめて、奥の離れへと戻りました。でも、何もする気が起こりません。金魚とメダカに餌をやる。小鳥のための餌台に穀物とパン屑を置く。それは、ほぼ習慣化しているのでやりましたが、コンピュータを使って、新しいページのための下原稿をつくるという、かなり、意欲と意志がひつようなことには、どうしても取り組めません。
 私は、気力がないことから、眠気をもよおし、(昼寝に相当する)朝寝をしました。
 ふと、何かを感じて目覚めた私は、近所の小学生たちが学校に通う時間でもあり、その物音に気づいたのだと思いますが、なんの気なしに、表に出てゆきました。
 私は、道路に出て、空を見あげました。
 すると、どこからかツバメが飛んできて、道路の上を飛び交っています。
 まさか、と思いましたら、その、まさかでした。
 二羽のツバメは、開けておいた窓から、ツバメ小屋に飛び込み、少しホバリングしてから、奥の蛍光灯の傘に乗ったのです。
 そして、一羽は、そのまま乗り続けていたのですが、もう一羽は窓から飛び出し、くるっと回ってから道路の上に降り立ち、この建物の外観を眺めています。首をこりこりと回して、しっかりと景色を覚えようとしているようです。
 中で蛍光灯の傘の上に止まっている一羽も、首をくるくると動かしています。もう一羽がどうしたのかと、探しているようにも見えます。
 やがて、外の地面に降り立っていたツバメは飛び上がり、もう一羽がまつ奥の蛍光灯の傘へと戻ってきました。
 ありがとう、と私は心の中でつぶやきました。
 もういい。もし、ここが気にいらないのなら、どこへ行ってくれてもいい。ここに居たいのなら、ずうっといてもいい。
 私は、このツバメ小屋を、これ以上いじくって変えてしまわないようにしようと決めました。
 金魚とメダカの仲間となったタナゴたちの産卵に役立てる、ドブガイを探すため、車で外に出かけることにしました。
 もし、その間にツバメたちがいなくなっていても、ずうっといたとしても、どっちでもいい。それは、ツバメたちが決めることだ。
 ドライブしながら、私は、この世界のドラマに感謝しました。
 草花に、木々に、そして、金魚やメダカやタナゴ、そして、スズメやツバメたちにも。

 次の木曜日

 母はジーゼルとバスに乗り、市役所前で降りて、百貨店へと行き、薄いシャツブラウスや、いくらかの食材を買って、ようやく、昼を回った1時頃にやって来ました。
 待ちくたびれた私は、ありあわせのもので作っていたプランクトンネットを車に積み込み、母をさそって、プランクトンや川エビを採りに行くことにしました。
 出かけに、ガレージ横のツバメ小屋の中の、奥の蛍光灯の傘の上にできつつある、新しいツバメの巣を見せました。母は、ツバメ小屋にではなく、ツバメの巣に感動し、
 「もう、こんなにできたの。一週間しか経っていないのに」
と言います。
 「最初二日ほどは、いろいろあったから、正確には、わずか五日かな。」
と、私は答えます。
 「ひとつめの巣のときは、この何倍も時間をかけていたくせに、そして、ここにしようかどうか、迷っていたくせに、やるとなったら、あっという間だ。」
 私たちは、新しくできた道の駅へと出かけ、そこにあった、淡水魚の小さな水族館で感動し、床の間に置くものの下敷きとなる木の板について議論し、細い山道は嫌だという母の意見を取り入れて、広い道を遠回りしてゆくことにしたのですが、れっきとした国道が、途中、崖の崩落のため通行止めになっていることに気づかず、登坂を登り切ったところにある、向こう側へのトンネルのところの、バリケードのところでUターンするとき、ちょっとくやしいので、そばにあった谷川の石を二つばかり車に積み込んで、その道を下りました。
 「どうして石なんか拾ったの? 何かの記念?」
 「記念というわけじゃないさ。でも、ここで石を拾ったことにより、ここまで来たことが無駄にならないじゃないか。ガソリンをたくさん使って、エネルギーと時間を消費して、何の意味もなかったということになれば、人生の少しばかりをロスしたことになる。でも、石を拾ったことにより、ここまでの時間やガソリンが意味をもつ。拾う石がないのだったら、コケを採集する。木として生えている植物なんかを勝手にとったら、怒られるかもしれないけど、コケだったら、誰も文句は言わない。」
 実は、昨日も、一人でドライブし、川の上流で石を四個ばかり拾って帰ったのですが、それは、小さな漬物石の役目をするためのものでした。漬物の容器で使っていた、コンクリート製のレンガは、縦が長すぎて、うまく蓋ができなかったので、代わりのものを探したわけです。
 それで、漬物石の需要はなくなっていたので、本日採取した二つの石は、金魚やメダカの池の周囲で、ビニールシートを押さえつけるための「重し」となっています。
 ただの「重し」ではなく、景色の要素として、なかなかの存在感です。

 そして土曜日

 土曜のお昼ごろだったか、玄関に設置してあるチャイムが鳴りました。
 誰か来たようです。今月の町内会費の集金かな、と思って、玄関へ向かい、扉を開けると、近所のおばさんたちでした。隣のおばさん、向かいのおばさん、斜め向かいのおばさん、この三人です。
 何の用かとたずねると、玄関横の、昔は店だったところにこしらえたものが、きたないから、シャッターを降ろせと言い出します。
 何がきたないのか。不揃いな木をはりつけてあるのが、きたないと言います。
 これは、ツバメがもう一度カラスに襲われないために作った小屋だということは、すでに話してありました。
 ツバメの小屋だけではなく、この家と道路との間に設けた、古い木の扉などを利用した、すけすけの壁がよくないから、それをシャッターで隠せと言うわけです。

 私は反論しました。
 私は新しい材木を買うお金がありません。これらは、この母屋の二階に残っていたものです。
 これを使ってどこが悪いのですか。きちんと同じサイズにしなくて、何が悪いのですか。
 この家は私のものです。この家にあった、古い木材を使って、ツバメのための小屋を作って、いったい何が悪いのですか。

 ここは由緒ある街道沿いだから、道行く人が、いったいこれは何かと聞いてきても、これじゃあ答えようがないじゃないの。

 ツバメのための小屋だと言えばいいじゃないですか。それに、ここはもう、商店街でもなんでもありません。みんな、シャッターを降ろしっぱなしにして、みっともないでしょ。
 とにかく私はシャッターを降ろしたままにはしたくないのです。
 誰も生きていない、死んだような家で住みたくはないのです。

 あとがき

 いらだちを押さえつけるためもあり、私は、金魚やメダカたちの池のそばでディレクターチェアーに座り、昆布か干しシイタケの乾燥のためか、軽石がたくさん入れてあった木箱の上に乗せた板の上に足を投げ出し、しずかに午睡をとりました。
 そして、ひとつの妥協案を思いつきました。
 それは、中庭にある屋上テラスに上げてあった、昔お店が繁盛していたころ、夏の強い日差しを避けるため、店の前に立てかけてあった、背の高いすだれを、シャッターを降ろせと言っているところに持ってくるというものです。
 かんたんなことです。
 さっそく、そのようにして、風で飛んで倒れてしまわないように、両端をPPバンドで柱に固定しました。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, June 14, 2016)

 おことわり

 このリーフページを、このシリーズの一つとして加えることに違和感がある方もおられるかもしれません。
 実は、これが、このシリーズの一つとして意味をもつ理由が見つかっています。
 でも、それは、まだ読みかけの本の中でのことなので、ここではそれを示すことはしないことにしました。

 

ランダムノート2016ブランチページへもどる