RaN320 地球人はどこにいるのか(74)「木を食べる」本がある!
Where is the earthian? (74)There is a Book to Eat Trees!

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 「木を食べる」本がある!

 坂道の図書館へ行って、読み切れなかった本を5冊返し、新たな5冊の本を選んでいました。
 私が住んでいるところは、地方都市とはいえ、少し自転車で走れば、自然の山野があって、アザミやヨモギがたくさん採れます。そのような食材のレパートリーを増やそうと、「山菜」という言葉をキーワードとして書棚を眺めていました。
 すると、それらの本に並んで、「木を食べる」というタイトルの本 [1] があることに気づきました。これには驚きました。
 その本は、とりあえず、借りる5冊の本の一冊としてキープすることにしました。
 そして、家に帰り、おなかがすいていたので、玄米3合に黒豆と大豆で1合を合わせた、炊き込みご飯を圧力釜で炊きながら、家の古い隠し部屋の床下にあった、たくさんの古い陶器の皿や椀の泥を落とし、ホーミングとホウ酸で、使い込んでついてあった、醤油などの染みを、ごしごしと洗い続けました。
 ひょっとすると戦前あたりのものかもしれませんが、とくべつ高価なものというわけではなさそうです。それなのに、祖祖父の部屋の、上り口の履物を脱いでおく小さな土間の、その低い板壁の向こうに、小さな木の小部屋があって、そこにぎっしりと詰め込まれてあったのです。なぜなのかは分かりません。たいして高価でもないのに、そして、しまっておく倉庫のような場所はいくらでもあるのに、床下に隠してあったのです。葉の形をした小皿、周囲が丸くまくれあがった平行四辺形の皿、刺身の醤油を入れる小皿、吸い物などを入れる蓋つきの椀などです。
 玄米を炊いていた圧力鍋の時間がたったので、弱火にしてあったガスの火を消し、陶器類の洗浄を終えて、水切りしたあと乾かし、冷めて圧力が下がった鍋の蒸気を抜いてから、その蓋をあけて、ようやく、黒豆によって色づいた玄米をドンブリ鉢によそって、漬物、生イカの切り身など添え、たっぷり二杯食べました。
 それから、離れの自室にゆき、畳に寝転んで、借りてきた本を眺めることにしました。
 いえ、その中の一冊を読み始めることにしました。「木を食べる」本 [1] です。
 あっという間に読み切ってしまいました。ただし、冗長だなあと感じた、第1章「木に惚れる」を、ざっと速読してのことです。売れる本を目指すとしたら、正直なところ、失礼かとおもいますが、この第1章は、いらないと思います。もし、どうしても本に入れたいというのなら、最後の章として、付録のように組み込むべきです。
 私が編集者なら、きっと、そうします。
 本のタイトルにひかれて、この本を読もうと思った私としては、「木を食べる」というのは、いったいどのようなことなのか、それを早く知りたいのです。だから、読みたいところは、第2章「木は食べられる」というところからでした。
 このあと、この本の第2章からの内容について、かんたんにまとめてゆきます。
 これは、たいへんな本だと私は思います。「抗がん弁当」などの本 [2] を上回る影響があるかもしれません。

 著者について

 この本の著者、志村史夫さんは、「まえがき」に記されている履歴を読むと、この生涯にわたる「本職」として「半導体の研究」に従事していたそうです。ところが、そのような、仕事を引退してからの、「道楽」とご本人がけんそんして語られている研究分野の広がりが、すごい! と思わざるをえません。
 「まえがき」にある、1993年〜(日本)の研究テーマは、次のように記されています。

 文明と人間、ギリシャ・インド哲学、科学・技術史、基礎物理学・現代物理学、新炭素材料、水、古代鉄、日本刀、古代瓦、オカリナ、生物機能([1] p4)

 そして、「現在は」というところで、次のように記されています。

 主として「生物の超技術、特に「木」に関心を持ち、その流れの中で「木を食べる」ことになった次第である。([1] p5)

 もちろんのことでしょうが、志村史夫さんの「魂の役割」は「学者」であると考えられます。しかも、かなり「高齢の魂」のように見受けられます。

 第2章「木は食べられる」@「木を食べる」

 いかにもこれは科学者の本だなあ、と思ってしまいます。
 このあたりの記述のスタイルは、まるで、大学の教養部で行われている「木を食べる」講座のテキストのようです。この本は、きっと、さいしょの入門書となるものですから、このようなスタイルになるのもしかたがないかもしれませんが、一般的な普及を志すのなら、もっと大胆に編集してゆく必要がありそうです。
 次の記述で、「A ◇ B」は「AとBの内容が等しい」、「A <-> B」は「AとBが対応している」という意味の、思考言語コアの記号です。

 木の細胞
 木の細胞を構成している要素は、次の3種です。
 セルロース ◇ ブドウ糖が直鎖状につながった高分子多糖の長い繊維。束になって、木の強さとしなやかさを生み出すベースの素材。
 リグニン ◇ セルロースの隙間を埋める、プラスチックのような物質。
 ヘミセルロース ◇ 骨格材料のセルロースと充填剤のリグニンをまとめて補強する材質。

 著者は「鉄筋コンクリート」をたとえとしてとりあげていますが、日本の古い家屋で使われて来た「土壁」の、竹の骨組み(<->セルロース)、土(<->リグニン)、藁(<->ヘミセルロース)のほうが、うまく対応していると思われます。
 「鉄筋コンクリート」だと、鉄の支柱(<->セルロース)、セメントと砂利と水(<->リグニン)、網状に組み上げた細い鉄筋(<->ヘミセルロース)となるでしょうか。

 細胞壁の構造
 ここのところは、この本の大きなテーマから、少し外れたものです。
 第1章の「木に惚れる」に関連した内容なので、ここでは解説を略します。

 木の原料と形成過程
 ここも、かなり学術的な内容です。
 木が根から吸収するのは、水と無機物だけであり、木材の主要成分である炭水化物を構成するために必要な元素の炭素(C)は、空気中の二酸化炭素(CO2)から取り込んで、光合成によって、他の成分と組み合わせて、自分の体を作りあげているということです。

 木は食べられるか
 ここで述べられていることの結論は、「食べられる」というところに尽きます。
 ただし、次のような記述があります。

 食べても役に立たないから、一般的には食べないのである。([1] p98)

 もう一つ、重要な記述があります。

 ヒトの消化管は自力ではデンプンやグリコーゲン以外の多くの多糖類を消化できないが、大腸内の腸内細菌が嫌気発酵することにより、一部が酪酸やプロピオン酸のような短鎖脂肪酸に返還されてエネルギー源として吸収される。([1] p99)

 さらに、続いて、次のように語られています。

 食物繊維の大半はセルロースであり、ヒトのセルロース利用能力は意外に高く、粉末にしたセルロースであれば腸内細菌を介してほぼ100%分解利用されるともいわれている。([1] pp99-100)

 ここのところは意外な情報でした。
 牛や羊が草を食べるのは、胃袋に棲んでいる細菌がセルロースを分解するからだということは学んだことがあると思いますが、ヒトにはそのような能力がないということも、言われてきました。
 しかし、ヒトでも、腸内細菌が活躍して、セルロースを分解しているというのです。
 ここのところの後半の情報が、どれくらい確かなものかということを、もう少し詳しく調べて、述べてほしいと思います。
 ここのところは、あいまいにしておくところではないと考えられます。
 「ともいわれている」というところが、きっぱりと取り外せるとしたら、この「木を食べる」ということは、たいへんなことになってゆくと思われます。

 木を食べてみた
 ここのところは、とても重要なところですが、かんたんにまとめられています。
 ここは、もっと詳しく語り、この本のトップのところにもってくるべきです。
 ここのところは、次の章の導入ということになるのでしょうが、それなら、やはり、この本の最初にもってきて、読み手の関心を引き付けておくのがよいと思われます。
 かんたんにまとめると、著者は「おが屑」と「かんな屑」を食べてみたのだそうですが、「そのままではとても食べられるものではなく、”食料”とするには、それなりの加工が必要だと思った」のだそうです。

 第3章「木を食べる」@「木を食べる」

 「料理研究家」へのアプローチ
 ここのところの物語は、なかなかに興味深いものです。
 著者は「木を食べる」というとき、まず、「おが屑のパウダー」に可能性があると感じ、具体的にどのような調理法があるかを検討するため、自分が持っていた人脈を通じて、何人かの「料理研究家」や某有名料理学校の講師らにアプローチしたのだそうです。
 しかし、それらの誰からも相手にされなかったのです。
 ここに、ひとつの教訓が読み取れます。
 既存の権威の上にあぐらをかいている人は、新しいことにチャレンジする危険を冒したくない、ということでしようか。つまり、現在もっているものを、わずかでも失うようなことはしたくないわけです。

 灯台下暗し
 著者は、「料理研究家」の協力が得られなかったことで、少々意気消沈し、「木を食べる」ということを忘れようと心がけ、せめて、おが屑とかんな屑に関して、何か新たな用途がないかと、研究の方向を変えようとしていたそうです。
 著者が、おが屑やかんな屑を見て食べてみようと思った、天竜・水窪の製材所をおとずれていたとき、その天竜での知人である(らしい)榊原さんという人が、小麦粉とおが粉(おが屑)を半々に混ぜた粉から作ったタコ焼き大のドーナツを持ってきてくれた([1] p119)だそうです。
 これは、天竜・水窪で雑穀料理の農家レストラン「つぶ食・いしもと」を営む石本静子さんが作ってくれた([1] p119)ということです。
 このような事件の詳しい説明がなされてゆきます。
 ここは、もっとも感動的なシーンなので、もっと内容を膨らませて描写すべきところです。この物語が映画化されるときには、かなりしんちょうな構成と、展開が予想されるところです。
 著者がまとめたコメントとして、次のようなところがあります。

 石本さんは「木を食べる」に協力していただける最高の、理想的な料理研究家だった。まさに「灯台下暗し」とはこのことである。([1] p121)

 すでにあった「木を食べる」話
 著者は、ここで、すでにあった「木を食べる」話のエピソードをいくつか集めています。

 ニッキ(肉桂)◇シナモン、キハダ(黄檗、黄膚、黄柏)、秋田県の松皮餅、タラノメ、アブラナ、ウド、マルコ・ポーロが「東方見聞録」で記しているスマトラのサゴヤシのサゴ、アマゾン川流域のタヒボの木、日本や中国で食べられているタケノコ

 段落が変わっていないので、見落とす可能性がありますが、著者は、インターネットで「Edible Wood(食べられる木)」を検索して、すでに世界のあちこちで「成長した木そのものを食べることを紹介するWebページ」をたくさん見つけたのだそうです。

 おが屑からスーパーウッドパウダーまで
 ここのところも、もっと内容を膨らませてゆくべきところです。
 すでに、「木を食べる」ということの新技術は実用的な段階に入っていて、その手順やレシピが確立しているということを、もっと大々的に打ち出すべきです。

 マスコミ報道
 「中日新聞」「静岡新聞」「朝日新聞」で、著者の取り組みが紹介されて記事となったそうです。
 また、テレビの報道番組でも何度か取りあげられたそうです。

 第4章「食料革命」@「木を食べる」

 果てしなく拡がるスーパーウッドパウダー食品
 ここも、いわゆる料理本のようなスタイルで、手順とレシピを具体的にあげて、カラー写真をふんだんにつかって、眺めてわくわくするようにページ構成できるところです。
 著者は、かなりひかえめに、次のように述べています。

 これから、スーパーウッドパウダー食品は、世界的レベルで果てしなく拡がっていくのではないだろうか。([1] 145)

 私は、そうなると思います。これは、とんでもないことです。世界のいろいろなことが、ここから変わってゆくと思われます。

 健康食品のエース
 「木を食べる」ことにより、腸内細菌によって分解されるかどうかということに関係なく、自然なプロセスにより、いともかんたんに食物繊維をとることができることになります。
 食物繊維の「すぐれた生理作用」が、これまでにも数々報告されているとして、著者は、それを列挙しています。

 血清コレストロールを低下させる
 中性脂肪を吸着する
 大腸癌の発生率を低下させる
 インスリンの分泌を節約する
 血圧を低下させる
 腸の調子を整える

 この中で、とくに、「大腸癌の発生率を低下させる」ということは、れっきとした事実として認められてきています。

 ダイエット食品
 これはごくごく当然の成り行きです。

 花粉症に効果
 ここのところは、とても重要なところとなります。
 すでに「花粉症軽減効果」が認められた! と説明されていますが、できれば、単なる統計調査だけではなく、二重検盲法で、さらに確実な結果が得られれば、さらに強く主張することができるでしょう。
 でも、ここに記されているような「アンケート調査」でもよいかもしれません。
 薬物として考えてゆく必要はないと思われます。そのように考えてゆくと、医療法などにかかわってしまい、ものごとが複雑になってしまいます。
 「花粉症に効果」があるかどうかは、「付録」として見てもらうだけでもよいかと思われます。

 間伐材の有効利用
 日本の森林で生み出される間伐材を乾燥させ、スーパ―ウッドパウダー化して、食品として利用するという著者のアイディアは、なかなか優れたものと言えます。
 これにより、これまで用途があまりなかった間伐材が、有効な資源として利用できることになります。

 日本の林業の第六次産業化
 ここまで考えておられるということに、私はおそれいってしまいました。
 すごいところまで進みそうですね。
 まだ、試験的な段階なのかもしれませんが、このような「木を食べる」という文化が広まってゆけば、この日本だけではなく、世界中が大きく変化してゆくはずです。

 あとがき

 まったく、これから、どのように進んでゆくのか。
 これは、とんでもない本です。
 とんでもない可能性が、ここには潜んでいます。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, June 30, 2016)

 参照資料

[1] 「木を食べる」、志村史夫(著)、牧野出版(刊)2015
[2] 『済陽式「抗がん」弁当』、(西台クリニック院長)済陽高穂(わたようたかほ)(著)、講談社(刊)2016-1-14

 

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