RaN353 精神疾患を本人のせいにしてはいけない

黒月樹人(◇田中タケシ)@黒月解析研究所

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 フォーリングスカイズのアンソニーがPTSDだとしても…

 フォーリングスカイズというアメリカのSFテレビドラマの中のことですが、その第6シーズン(これで完結)の第二巻(テレビ放映としては3回目)のところに、ずうっと仲間として活動してきた、(もと警官だったと思いますが)黒人のアンソニーが、「支配者」と呼ばれる、侵略者である宇宙人の捕虜の、見張りを代わった後、その宇宙人が土を手にして、赤く輝くものへと変えて握っているのを、武器だと思い込んで、射殺してしまいます。
 大佐と軍医のアンがやって来て、まだ情報を引き出せるかもしれない「支配者」を殺してしまった、アンソニーを問い詰めているとき、アンがアンソニーのことをPTSDと診断します。
 軍医としてのアンの診断を受けて、大佐はアンソニーから銃を取り上げます。
 こうして、アンソニーは戦士から一般人へと立場を換えることになるのですが、このような処置を、自覚症状のないアンソニーは納得できません。
 このときのアンの判断は、おそらく誤診なのですが、このような戦場では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)には、誰がなってもおかしくない状況です。地球人としての仲間が、戦闘のため、どんどん亡くなってゆきます。生活する場所も固定されていません。さらには、ときどきしかテーマとしてとりあげられていませんが、食糧難による栄養障害が起こっているのは明らかです。
 ドラマなので、何から何までリアリティを追求してゆくと、ドラマそのものが展開してゆけず、どこかでストップしてしまいます。だから、ざっと、無視されてゆくのでしょうが、このような状況では、精神を安定させておくのに必要な、さまざまな食材が確保できているとは、とても考えられません。
 アンソニーだけでなく、このような状況の、誰しもが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になってもおかしくないところです。アンソニーがPTSDというのなら、アンや大佐も、おそらくはPTSDのはずです。そういうときのシーンが何度もありました。
 アンや大佐が、アンソニーの行動を責める、というのは、このように考えてみれば、いきすぎたことだとみなせます。

 私の「引きこもり」は仮病の一種だったかも

 DVDを見て、PTSDって何だろうか、と思いました。そのまま字幕にPTSDとあるだけです。
 アンソニーが、どうもないから戦線に復帰させてほしい、と言っても、アンは、PTSDは本人に自覚症状がないものだ、と言って、聞こうとしません。
 ここのところのやり取りから、PTSDとは「躁状態」のことかと思いました。
 躁状態におちいっている人は、自分が「躁病」だということが自覚できません。
 躁鬱病で対極となる、うつ状態の人は、自分が「うつ病」だということは、かんたんに受け入れます。
 私はかつて躁うつ病だったので、激しい躁状態も、とんでもなく暗い鬱状態も、しっかり、かつ、何度も体験していますから、このあたりの実情が理解できます。
 うつ状態はつらいので、自分が病気だということは分かります。でも、そう状態のときは、ちっとも、つらくありません。
 これまで、できなかったことが、どんどんできるようになってゆきます。
 日本の作家で、北杜夫さんが躁うつ病で、数々の作品を生み出しています。
 たしか、ヘミングウェイも躁うつ病だったと思われます。
 私はまだ何の著作もありませんので作家ではありませんが、そう状態のときに、ちょっとおもしろい作品を生み出すことができるということを知っていました。
 ただし、この躁状態がひどくなると、家族など、周囲の人々にめいわくをかけることになってしまうので、そこまでひどくなってはいけないということが、いつしか分かって来て、でも、ちょっと躁であるほうが、生きる喜びもあるし、何より、いろいろな作品を生み出すことができるので、完全な「中庸」ではなく、「ちょっと躁」を目指して、そして、それを維持することを心がけてきたのです。
 そんな私でも、「ちょっと躁」ではなく、「なんとなく鬱」というときもあって、自分の家から「出たくない」という日々が何か月も続いたこともありました。
 ひょっとすると、私の「引きこもり」は、仮病の一種だったのかもしれません。
 そのとき私は、独学でC言語の学習を、部屋にこもってやっていて、そのときの学習が、現在の(まだ成果と呼ぶにはふさわしくないのでしょうが)人には真似ができない解析プログラムを生み出す、という(仮の)成果へと結びついているのです。

 食生活が変われば、心が強くなる

 仮病ではなくて、社会でこうむる、いろいろなストレスに耐性がなく、そういう世界から遠ざかっていたいと感じて、どこかに引きこもっているケースもあるかもしれません。
 ストレスとかんたんに言ってしまうかもしれませんが、その内容はいろいろです。
 自分を変えることでなんとかなることもあるかもしれませんが、仕事仲間のだれかが、とんでもなく傲慢(ごうまん)で、自分勝手で、わがもの顔で当たり散らしているとしたら、現在の私だったら、いかにして、そのような相手に近づかないか、という戦略しか思いつくことができません。
 これが「ちょっと躁」か「かなり躁」のときだったら、あとさきのことを考えず、きっと、何か行動するだろうと思われます。それがちょうど、入院していたころの私だったようです。
 ところが今は、まったく違う生き方を心がけようとしています。
 いったい何が違うのか。
 食生活です。
 食べているもので、もっとも違うことは、現代小麦が生み出した凶変グルテンが含まれている、パンやうどんやスパゲッティ、そして、お菓子を食べなくなったということです。
 次に玄米食と言ってもいいのですが、もっと本質的なこととしては、これまでになく食物繊維を摂っているということです。
 このように、(もちろん、もっと良くなるように)食事の体系を変えると、心(精神)の状態が変わり、もうすこしストレスを味わうような生活をしてもいいかもしれない、と思うようになります。
 最近ちょっと、リニューアル中のゴブリンアイズが売れるまで、あるいは、チラシなどを作るための活動資金を得るため、早朝からのアルバイトをし始めました。
 このとき、ああ、こんなとき、昔だったら、カチンと頭にきて、何らかのトラブルへと向かっていたかもしれない、と思うことがよくあります。
 あまり言いたくないことですが、そのようなことがきっかけになって、屈辱の解雇(クビ)につながったこともあります。
 でも、今は、そんなことにはなりそうもありません。
 まず、何があっても(というより、もともと、たいしたことは起こっていないのですが)、カチンときたリ、むかついたりすることが、ほとんど起こらないのです。
 キレるだなんて、まったく想像もできない状態です。
 昔は、こうじゃなかった。
 もっとピリピリしていたし、正しいことや間違っていることに敏感で、なんとかしなきゃと思っていました。
 でも今は、間違っていたとしても、そんなにたいしたことじゃない、とさえ思ってしまいます。
 仕事上の責任が軽く、ほとんどストレスらしきものがないという、今の仕事の影響もあるかもしれませんが、かつて、もっと若いときの、教師だったころや、地質調査のエンジニアだったときの、重い責任が両肩に乗っていて、数々の問題が目の前にあっても、ひょっとすると、今の状態だったら、もっとうまくやれたかもしれない、と思ってしまいます。
 このようなことは、歳を重ねてきたことの、経験からの学習だとみなす考え方もあるかもしれません。
 でも、私のケースでは、その考え方は否定できます。
 なぜかというと、ほんの昨年の入院時のとき、私はやっぱり、昔ながらの正義感に燃え、立ち現れる問題について、毅然として(あるいは、強情さもかみ合わせて)対処しようとしていたからです。歳を重ねているだけではだめだったのです。
 今なら、もっと違うやり方をしたかもしれません。
 そのような、昨年の入院ごろと、現在とで、何が違うのか。
 食生活です。
 現代の凶変グルテンが含まれている食品を摂らないということと、炒った玄米を炊いて食べるということ、そして、野菜をたっぷりとり、魚や肉も忘れない、このような食生活です。ここのところが、入院時と今では、はっきりと違っています。

 ようやく最近になって分かって来たこと

 私はかつて躁うつ病でした。
 初めての躁状態(と思われるとき)のころ、いくつかのストレス(としての問題)が、うまく解決できなくなって、教師を辞めてしまいました。
 それからの人生でも、何かが起こったときの対応のまずさのようなものがつきまとい、仕事や生活場所を変えることになってきました。
 そんなことばかりを繰り返してきたというわけでもありません。
 ひとつところに落ち着いて、仕事もきちんとこなして、比較的長く、あまり大きな変化もなく、ほぼ順調に暮らしていたこともあります。
 これらの、激変と安定の生活を、自分自身の歴史の中で、巻物のようにプロットして振り返ったとき、これらの変化と、食生活の内容が、きちんと相関していることに気がついたのですが、それは、とても残念なことに、ここ最近のことです。
 もっと早くから分かっていたら、もっと、食べることの大切さを知っていたら、まさに、食べているものと、心の状態が、つよく結びついている、ということを理解していたら、きっと、もっと上手に生きてこられたかもしれません。
 でも、そんなことは、無理な注文だったのかもしれません。
 このようなことが分かってきたのは、ほんの最近のことです。
 何が分かって来たのかというと、次のようなことです。

 (1) 遺伝子操作によって、生産性が向上するように、背が低く、病気にも強い小麦の品種が生み出されて、その経済効果のため、世界中に広まりました。この遺伝子操作により、小麦の成分である、タンパク質のグルテンの性質が変わりました。小麦は食べるものですから、本来なら、このようにして変わった小麦の成分が、何の危険もないということが調べられる必要性があったのですが、そのことは、まったく無視されてきたわけです。
 そして、微妙に性質が変わってしまったグルテンが、人間に摂取され、脳などにいろいろな炎症をおこし、老化や脱毛、精神疾患、機能障害などの、数多くの病気を起こしてきたらしいのです。これは、最近、このようなことに気がついた、一部の医師が、このような症状に対して、現代の凶変グルテンが入っている食品を徹底的に摂らない、という指示を患者に出して、その経過を観察することにより、実証的に分かってきたことです

 (2) 現代人はガンの影響を大きく受けるようになってきました。とくに日本では、2人に1人はガンになり、3人に1人はガンで亡くなるということだそうです。
 なぜ、こんなにも多くの人がガンになるようになってきたのでしょうか。
 この問題についての知識を学ぶと、いくつかの原因について説明されて、論点がぼやけてしまいますが、もっとも中心的な要因は、ガンを誘発する食品添加物にあると考えられます。私たちが食べるものについて、大量生産して大量消費するための、現代の流通システムの中に組み込まれるためには、防腐剤や発色剤などの、薬剤が添加されてしまうわけです。
 そんなものは、ごく微量だ、と考えられているようですが、ガンが最初に発生するときには、その微量のきっかけでじゅうぶんなのです。それから、それが増殖してゆく間に、いったい何がきっかけで、最初のガンが生まれたのかは、まったく分からなくなっています。
 ネズミなどで調べられている発ガン物質の量に比較して、ほんの微量だから、というのは、論理がすり替えられているのです。
 ネズミなどの実験では、対応をきちんと出すために、ある程度の量が必要とされていますが、ガンの発生に対しては閾値(これを超えれば何かが変わる)というものはない、とも言われています。

 (3) ある説によれば、私たちの身体のなかでは、ガン細胞がどんどん生まれていると言われています。しかし、私たちの全員がガンになるわけではありません。私たちの身体の中で、免疫システムが、そのような小さなガンの芽をつぶしているのだそうです。
 だから、ガンにならないための、もう一つの戦略は、私たちの身体が本来もっている免疫システムを強化しておくということです。
 このために、もっとも大きな効果をもつのが、何を食べるかということです。
 ガンの味方をするための食品をとらずに、身体の免疫システムの味方をする食べ物をきちんと摂ってゆくというのが、私たちが心がけるべきことです。

 (4) 腸内細菌と私たち人間の関係のことが、詳しく分かって来たのも、ここ最近のことです。どうやら私たちは、外から取り入れる栄養素だけで、自分の身体(と精神)を維持しているのではなく、私たちの腸に住んでいる、私たちの遺伝子とは異なっている、赤の他人のような、腸内細菌が、私たちが吸収した残りの成分を分解して生み出している成分も、私たちは吸収しているのだそうです。
 それらの腸内細菌にとっては、私たちが分解吸収できない、食物繊維が「餌」として利用されているのだそうです。
 植物の細胞壁をつくっているセルロースは、私たち人間には分解できません。でも、木をかじって食べている白アリは、腸の中に、セルロースを分解する細菌をもっているそうです。牛も、そのような細菌を胃袋にもっているそうです。熊の仲間であるパンダも、もともとは食物繊維なぞ分解できなったはずですが、どこかでそれが可能な細菌を取り込むこととなり、笹だけを食べて生きられるようになったそうです。
 腸内細菌は嫌気性なので、酸素だらけの大気の中では、普通にシャーレに入れて培養することができませんでした。ところが、外気を遮断した、管付きフラスコのような培養システム(ロボガットというそうです)で、研究室で調べることができるようになってきたのも、ここ最近のことのようです。[10]
 それで、ようやく、腸内細菌が、ただむやみに、ばい菌の一種として、腸内で繁殖して、きたない死骸(便のこと)となって排出(排便)されてきたのではなく、私たちが利用できなかった食物繊維などを分解して食べ、私たちが利用できる成分(体内酵素、ビタミンやホルモン [13])を生み出しているのだ、ということが分かってきました。
 さらに、腸内細菌には、私たちの身体にとって重要なはたらきをしているそうです。[13] の本に、そのことがまとめられていますので、少し引用します。

 腸内細菌は腸内だけではなく、体全体の免疫作用に関与しています。体内酵素の産生をはじめとして、健康維持や老化防止にさまざまな重要な働きを果たしているのです。腸内細菌の働きをまとめると、次の通りです。
 (1) 約3000種類の体内酵素を作り出す。
 (2) 体内に侵入してきた細菌や毒素を腸内で排除する。
 (3) 化学物質や発ガン物質を分解する。
 (4) 免疫系統を活発化し、自然治癒力や抵抗力を向上させる。
 (5) ビタミンやホルモンを作り出す。
 (6) 消化・吸収や代謝の働きに関わる。
 (7) 抗生物質の副作用を防ぐ。
([13] pp75-76)

 だから、パンや白米のような、(分解できない食物繊維などの)カスがないものを食べ、すっかり栄養を吸収しきって、最後は、便秘として騒ぎ立てるほどの、わずかな便だけが残るというのが、これまでの栄養学が唱えてきた「理想」だったようですが、これでは、ほんとうの栄養が満たされていないということになるのです。
 これまでは無意味で無駄だとされてきた、私たちが出す消化酵素で分解できない食物繊維なども、私たちの腸の中で「共生」している腸内細菌の「餌」として、そして、分解して、そこから生み出してもらう、私たちの身体にとって必要な微量成分の原料として、もっと積極的に食べるべきだったのです

 (5) 私たち日本人は、いつのまにか、玄米ではなく、白米として米を食べるのが、あたりまえとして生活しています。しかし、これは明らかに誤りです。ビタミンBが不足して脚気になるというだけではなく、食物繊維が不足して、腸内細菌の様子を変えてしまい、身体にとって必要なビタミン群などが不足することになります。
 中学校の給食で白米ではなく玄米を出すようにしたら、荒れていた生徒の態度が落ち着いたという報告があるそうです。[12]
 私自身も、完全な玄米食を続けて4ヶ月ほどになりますが、「荒れていた」かもしれない性格が、かなり落ち着いてきました。(それと、私のケースでは、玄米食にしたところ、ぜん息がぴたりと消えてしまったのが、これを続ける大きな動機づけとなっています。)
 このように、玄米食は、自分で食べるものとしても、腸内細菌が食べるものとしても、優れた食材です。
 しかも、沖縄の琉球大学で研究しておられた人が明らかにしたことですが、玄米を乾煎りしてから炊くことによって、皮に含まれていた、米ぬかA(原義ではRBA)と米ぬかF(RBF)が出てくるのだそうです。
 (書き忘れていましたが)これらの成分は、ガンを消すための効果があるものです。米ぬかF(RBF)はガン細胞のエネルギーを奪い取るもので、米ぬかA(RBA)は身体の免疫を高めるものです
 もう何度もやっているので、だんだんコツがつかめてきましたが、こうして、少し乾煎りしてから圧力釜で炊くと、ふんわりと柔らかい炊きあがりに、かんたんにできます。
 これまでの技術では、玄米を一晩水につけておくという手間がかかり、準備の時間がかなりかかりました。
 しかし、5分ほど乾煎りして、フライパンが熱いまま水を加えれば、けっこうな温水となり、それを圧力釜に入れて炊けば、最初の加熱時間が短縮できます。
 電気釜の玄米コースで炊くこともできますが、1時間半かかります。
 乾煎りと圧力釜でのガス炊きなら、25分から30分です(むらしの10分は除く)。何かほかの用事や調理をやっている間に、かんたんに片づけられます。

 精神疾患を本人のせいにしてはいけない

 世の中の多くの人は、「おいしい肉」と「おいしご飯(銀シャリ)」を食べていて、さらには、凶変グルテンまんさいのパンを、お菓子のように食べていて、それに応じた腸内細菌叢となっているのだと思われます。
 だから、私のような人間の味覚とは違うのでしょう。
 糖尿病を宣告されて、せっせと歩く運動を続けている知人に、玄米をすすめたところ、「へっ、あんなまずいものが食えるか」と言われたことがあります。
 「まずいものを食って生きながらえるくらいなら、おいしいものを食べて、さっさと死んでもいい」とまで。
 ところが、そんなかんたんにはいかないかもしれません。さっさと死ねずに、病気で苦しみながら、いつまでたっても死ねない、そんな可能性もあるわけです。
 私の腸内細菌と、その人の腸内細菌とが、おそらく違うので、それに影響されて、味覚が違うのだとおもわれますが、私にとっては、白米の銀シャリこそが、「あんな紙くずみたいなもの、食べても美味しくない」と思えるものなのです。
 かつて、都市生活していたころは、そんな銀シャリに、赤ワインで味付けして煮込んだ牛肉を乗せた牛丼を、あんなに美味しいとおもって食べていたものですが、今は、いくらお腹がすいていても、家に帰れば玄米が残っていたはずだから、と考えてしまうわけです。

 グルテンフリーの物語で、グルテン抜きの食生活を2週間試みてください、と語られています。そうすれば、まったく違う感覚の身体になる、というわけです。
 これはおそらく、人間の身体そのものの何かが変わる、というのではなく、腸内細菌叢が変わるのだと考えられます。最近の研究によれば [1]、ちょうどそのくらいの時間で、腸内細菌叢が変わってしまうのだそうです。
 そうして、私たちは、「共生」している腸内細菌とともに、変わるのです。
 かくして、アレルギー疾患としての21世紀病、グルテンが脳に起こす炎症からの精神疾患、脳と発生時に近いものであった皮膚の病気(しわ、染み、脱毛症)などなど、多くの現代病から遠ざかることになります。
 ガンに対する免疫力も強くなりそうです。

 それよりもまず、おそらく、現代医学が理解しないまま、投薬治療で、状況をさらに悪くしている、数々の精神疾患については、まずは、食生活がほんとうにこれでよかったのか、考え直してみるべきだと思われます。
 たとえば、お子さんが引きこもりで、社会にうまく適応できないとか、夫が突然うつになってしまったとか、そういうケース(映画やドラマのテーマにもなっています)がよくあります。
 そういうとき、その子や夫を責める前に、お母さんや奥さんが、これまで出してきた食事に問題がなかったのかどうかということを、一度振り返ってほしいと思います。
 責任がどちらにあるのか、ということより、どうやったら、この問題を解決できるのか、という方向へと進んでほしいと思われます。
 これまでのことは、しかたがありません。
 なにしろ、ここで説明したようなことが分かって来たのは、ほんのここ最近のことなのですから。
 しかも、それぞれの知識がばらばらで、本にして出されているのを読み込んでゆかなければ分かりません。
 それでも、分かりかけてきたことは、ほんのわずかです。
 でも、問題をかかえたまま、このままで生きてゆくのは愚かなことです。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, April 6, 2017)

 参照資料

[1]「長生きしたけりゃ パンは食べるな」、フォーブス 弥生(著)、稲島 司(監修)、SBクリエイティブ株式会社(刊)2016-11-15
[2]「いつものパン」があなたを殺す、Grain Brain、デイビッド・パールマター&クリスティン・ロバーグ(著)、白澤卓二(訳)、三笠書房(刊)2015年1月
[3] 「小麦は食べるな!」 原題WHEAT BELLY(小麦腹)、Dr. ウイリアム・デイビス(著)、白澤卓二(訳)、日本文芸社(刊)2013-7-10
[4] 「白米中毒」、白澤卓二(著)、アスペクト(刊)2013年2月5日
[5] 「食べ物を変えれば脳が変わる」、生田 哲(著)、株式会社PHP研究所(刊)2008-10-29
[6] 「薬をやめれば病気は治る」、岡本 裕(著)、株式会社幻冬舎(刊)2013-3-30
[7] 「ガンを消す食事 完全レシピ166」、済陽高穂(監修)、主婦と生活社(刊), 2014-2-3
[8] 「日本人だけ なぜ、がんで命を落とす人が 増え続けるのか」、済陽高穂(著)、主婦と生活社(刊)、2007年12月31日
[9] 「がん患者は玄米を食べなさい」、伊藤悦男(著)、現代書林(刊)、2009年3月16日
[10] 「あなたの体は9割が細菌」 原タイトル10% HUMAN、アランナ・コリン(著)、矢野真知子(訳)、河出書房新社(刊)、2016-8-30
[11] 「植物は気づいている」、バクスター氏の不思議な実験、クリーヴ・バクスター(著)、穂積由利子(訳)、日本教文社(刊)、平成17(西暦2005年)年7月20日
[12] 「うつ」は食べ物が原因だった! 溝口 徹(著)、青春出版社(刊)、2009-6-15
[13] 「健康の結論」◇「胃腸は語る」ゴールド篇、新谷弘実(著)、弘文堂(刊)、平成17年6月15日


 

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