RaN355 手から何かが落ち出したらグルテン病を疑え

黒月樹人(◇田中タケシ)@黒月解析研究所

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 映画「湯を沸かすほどの熱い愛」の双葉さんの左手

 DVDで「湯を沸かすほどの熱い愛」を借りて、見ました。
 2016年の第40回日本アカデミー賞で、「優秀作品賞」「優秀監督賞(中野量太)」「優秀脚本賞(中野量太)」「最優秀主演女優賞(宮沢りえ)」「最優秀助演女優賞(杉咲花)」「新人俳優賞(杉咲花)」をとった作品です。
 一度見切ったあと、前半の途中から見始め、ふたたび最後まで見てしまいました。
 「泣ける映画」です。
 ただ、この映画のタイトルの由来となったエピソードについて、ふと思ったことがあります。

 こんな発想を私もしていたことがあり、そのときの私は「そう病」だった。
 この、最後のエピソードがなくてもよかったのではないか。

 もう「そう病」でも「うつ病」でもない私は、そう思ってしまいます。

 もうひとつ、これが映画のストーリーではなく、現実世界での物語だったら、「末期がんで余命2ヶ月」となったとき、もっと別の展開があったのではないか。

 つまり、徹底的な食事療法などで、「末期がん」と闘うという展開です。
 しかし、映画のストーリーとしては、それでは進んでゆかないので、残された時間をどのように生きてゆくかというところへと向かったのでしょう。

 昨年私は、「1ヶ月後の手術で死んでしまう可能性がある」ということを強く意識したことがあります。
 「確率1/2での余命1ヶ月」でした。
 このとき私は、残っている時間ですべきことをふるいにかけ、いくつかのことをやり遂げておこうとしました。
 脱線しそうなので戻します。

 この映画では、宮沢りえが演じる「幸野双葉」という女性が、パン屋で(パートもしくはアルバイトで)働いているときに倒れてしまいます。
 それと、家事をしているとき、左手でつかんでいたはずの、陶磁器の椀を落として、割ってしまいます。
 このような身体的な異常がきっかけとなって、双葉さんは医師に診断してもらうことになったようです。
 その結果が、「余命2ヶ月の末期がん」という診断につながってゆきます。
 左手が自由にならない、ということが、「がん」に由来する現象だというストーリー展開のようです。
 はたして、そうなのでしょうか。

 茶碗が落ちる、小銭が落ちる

 今から何年か前のことですが、私は運送業者の倉庫で、翌日配送する荷物の仕分け作業(ピッキング)を、夕方の6時から夜明け前まで行う仕事についていました。
 この仕事で私は、2度も「解雇される」という、めったにないことに巡り合わせました。
 1度目の「解雇」の宣告の後、もう1ヶ月働くことができるという法的なルールを利用し、そのまま1ヶ月働くことにしたところ、「解雇」が撤回され、これからも働いてほしいと言われたのです。
 私に「解雇宣告」をしたあと、そこの運送会社の課長は、私が所属していた派遣会社に、別の人間をよこせと要求を出し、ある日、何人かの人間が集められ、採用のためのフォークリフト技能の試験が行われました。私は、それを横目で見ながら、期限までの仕事をやり続けていました。そして、その面接の結果、若い男性が一人決まって、私が仕事を終える数日前から働き始めることとなっていました。しかし、その日、派遣会社の人が待っていても、その若者は現れません。どうやら、ここで働くということを、勝手にやめてしまったようです。
 こんなことがあるんだ、と、私は驚いていただけでしたが、そのあと、いよいよ今日でこの仕事も終わる、と思っていたら、これからも働いてほしい、と言われ、さらに驚いてしまいました。
 一度「解雇」と言い渡した人間を、これからも働いてもらうと言った課長と、私が所属していた派遣会社の担当者との「立場上の力関係」が逆転し、派遣会社の担当者は、もう一人どうですか、と、さらに一人を送り込んできました。
 新しい人材の人は、私と一緒に一日働いた後、翌日は現れませんでした。聞いてみると、自分には合わない、と言って、ここで働くことを辞めてしまったのだそうです。
 こんな人もいるんだ、と思った私は、ハローワークで、この仕事を探していたとき、もうここしかないんですね、と職員の人と確認して、面接の後、ぜひ、やらせてください、と言って働いた仕事でした。自分から仕事を選べる状況ではなかったのです。
 それが、突然「解雇」、そして、「解雇の取り消し」などなど、たくさんのドラマを体験しつつ、もう一度、働きつづけることができるようになったわけです。
 それから、1年近く働いていたわけですが、その仕事の中で、仕分ける荷物を、「うっかり」落としてしまう、ということが起こりました。かなり大きな段ボールの箱に入っているものです。
 たまたま落とした場所が悪く、下にあったものの影響で、その商品は破損してしまい、事務所は、それを卸すところに、詫びの連絡と損害の保証をしなればなりません。
 そのとき私は、「うっかり」していたという感覚はありませんでした。
 「腕が勝手に落としてしまった」という感覚でした。
 つまり、「自分が思っていたように腕が動かせていない」あるいは「腕をコントロールしていない時間がある」というような感覚でした。
 同じころ、家で食事をしているとき、自分が持っているはずの茶碗が、いつのまにか床に落ちていたことがあることを思いだしました。
 しかし、その運送会社の人は、「私が不注意だから箱を落とした」と考えていました。
 やがて、他の失敗も重なってしまい、その仕事は「解雇」されることとなりました。
 私は、派遣会社に登録していて、そこの所属として働いていました。
 私がやってしまった失敗の「損害補償」が派遣会社に請求されたので、私の担当者が、もうこんなところで働くのはやめましょう、別のところを手配します、と言ったのです。
 他の派遣会社の人間も働いていて、そちらがやった失敗に関しては、損害の補償は請求されなかったし、そちらの人間が辞めさせられることもありませんでした。
 そして、次の仕事を紹介してもらって働き始めました。
 次は大きな工場の中で、けっこう複雑な仕事につくことになりました。
 この仕事での失敗や、それにまつわる変化なども、あとから考えると意味深いものでしたが、ここでのストーリーに関わることとしては、社員食堂でお金を支払うとき、何度も小銭を床に落としたことがあるということがあげられます。
 財布から小銭を取り出して確認するとき、「腕が勝手に動いてしまう」からでした。
 この社員食堂では、カードですむ正式な社員と、現金払いの派遣社員とは、別のレジを通ることになっていました。しかし、正式な社員が後ろにいないとき、社員用のレジの人が、こちらにどうぞ、と声をかけてくれるので、すいている方へと回って支払いを済ませようとしたときに、小銭が床に落ちてしまい、それを追いかけて、拾い集めることになるわけです。その間に正式な社員が、食べ終えた食器を乗せたトレイを持って現れ、こちらにどうぞ、と言われていたはずの私は、もうひとつのレジへと追いやられてしまいます。
 それから私は、その社員食堂が「健康食」と名うって、ほんの数粒だけ発芽玄米が混じった白米のご飯を「玄米食」と呼んで提供しはじめたことに幻滅し、家で炊いてもらった完全な玄米食の弁当をもってゆくようになりました。

 これらのときから2年ほど経過しています。
 現在の私において「腕のコントロールが効かない」ということはありません。
 箱も茶碗も小銭も、めったなことでは落としません。
 この間に私の何が変わったのかというと、パンやうどんやスパゲッテイを食べなくなったということです。小麦の中のグルテンを摂らない生活を6ヶ月以上続けているということです。
 意識も変わったけれど、こうして思い起こしてみると、身体のことも、ずいぶん変わりました。

 グルテンは小脳で炎症をおこし、身体の機能に障害を起こす

 私が茶碗や小銭を落とさなくなったのは、グルテンを摂取しなくなって、小脳の機能が回復したためと考えられます。
 どこかで私は、母がそうめんをうまく鉢によそえないことを、グルテンによる機能性障害だと判断していましたが、よくよく思い出してみると、ほんの数年前の私も、腕が自由に使えないときがあったのです。

 「湯を沸かすほどの熱い愛」の「幸野家」のしきたりでは、何かお祝いすべきことがあったら、「しゃぶしゃぶ」を食べるそうです。
 この「しゃぶしゃぶシーン」が2度もありました。
 そして、朝食のシーンでは、目玉焼きやサラダなどもそえていそうでしたが、そのメインとなるものは、トーストです。
 現在の日本の一般的な家庭の状況なのでしょう。
 私は、この映画を見て、双葉さんはガンになる以前に、おそらく、グルテンによる障害をいくつも抱え込んでいたのではないか、と思いました。
 パンを食べ、白米を茶碗によそって、牛肉の「しゃぶしゃぶ」がご馳走だというわけです。
 それと、夫が突然蒸発してしまう、という心労も作用したことでしょう。
 「食生活」と「心労」と、その他もろもろのことが重なって、「末期がん」へと突き進んだのかもしれません。

 映画のストーリーとは離れて、もしそうだったとしたら、せめて、もっと早くから食生活を改善しておいて、「ガンの芽」や「心労(のもととなる問題)」を打ち消してしまえるように、「心」と「体」を変えてゆくべきではなかったかと、私は思います。
 ガンになってしまってからの生き方も大切でしょうが、そして、きっと映画のストーリーにはつながってゆかないことでしょうが、もっともっと前のところで、ガンにならないような生き方を目指しておくべきではないでしょうか。

 ああ、その前に、茶碗を落としたり、小銭を落としたり、溝に足を突っ込んで捻挫することがないようにしておくべきです。
 そのためには、(凶変グルテンが入っている現代小麦による)パンを食べない、白米ではなく玄米を食べる、「牛肉のしゃぶしゃぶ」ではない「ご馳走」を目指す…。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, May 31, 2017)

 参照資料

[1]「長生きしたけりゃ パンは食べるな」、フォーブス 弥生(著)、稲島 司(監修)、SBクリエイティブ株式会社(刊)2016-11-15
[2]「いつものパン」があなたを殺す、Grain Brain、デイビッド・パールマター&クリスティン・ロバーグ(著)、白澤卓二(訳)、三笠書房(刊)2015年1月
[3] 「小麦は食べるな!」 原題WHEAT BELLY(小麦腹)、Dr. ウイリアム・デイビス(著)、白澤卓二(訳)、日本文芸社(刊)2013-7-10
[4] 「白米中毒」、白澤卓二(著)、アスペクト(刊)2013年2月5日
[5] 「食べ物を変えれば脳が変わる」、生田 哲(著)、株式会社PHP研究所(刊)2008-10-29
[6] 「薬をやめれば病気は治る」、岡本 裕(著)、株式会社幻冬舎(刊)2013-3-30
[7] 「ガンを消す食事 完全レシピ166」、済陽高穂(監修)、主婦と生活社(刊), 2014-2-3
[8] 「日本人だけ なぜ、がんで命を落とす人が 増え続けるのか」、済陽高穂(著)、主婦と生活社(刊)、2007年12月31日
[9] 「がん患者は玄米を食べなさい」、伊藤悦男(著)、現代書林(刊)、2009年3月16日 [10] 「あなたの体は9割が細菌」 原タイトル10% HUMAN、アランナ・コリン(著)、矢野真知子(訳)、河出書房新社(刊)、2016-8-30
[11] 「植物は気づいている」、バクスター氏の不思議な実験、クリーヴ・バクスター(著)、穂積由利子(訳)、日本教文社(刊)、平成17(西暦2005年)年7月20日
[12] 「うつ」は食べ物が原因だった! 溝口 徹(著)、青春出版社(刊)、2009-6-15

 

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