最後の決め手は、光の総振動数でした

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 「幽霊変換」を失って

 10年間も自慢げに掲げていた「幽霊変換」が間違っていたので、こっそり、この解析ページと、それに関連するページを削りました。
 それ以前から、いわゆる「老人性うつ病」とでも判定されそうな、孤独と無為の中で、いったい何をしてゆけばよいのかという悩みに終始襲われ、何もすることがない、何もできない、という日々の中にいました。
 このような状況から抜け出そうと、さいしょに試みたのが、図書館で借りてきた、数学の問題集を解くということでした。高校の数学の復習のようなレベルから始まって、大人の知能パズルとしても使えそうな、かなりむつかしいレベルへと進みます。とくに、数論の問題や、確率などのための、場合分けを考える、などが、これまでに得意としてきた、解析系の問題とは違って、発想力が試されます。
 これで少し、老人ボケ化していた頭脳のコンディションを、中年レベルへと戻せたかもしれません。
 大きな転機は、頼まれて引き受けていた、外部のホームページを壊してしまったことでした。お金ももらってやっている仕事でしたが、ワードプレスのバージョンを最新のものに更新したとたん、それまでのファイルがまったく改訂保存できなくなってしまったのです。
 この混乱の中で、うっかり、そのホームページを直すためのダッシュボードへ入れなくしてしまいました。
 これは、ある種の、絶望的な状況でした。
 しかし、どん底以下の、深いトラフのようなところにいながら、かすかな希望を信じて、復活する道筋を探しました。そして、技術的には専門的で複雑になるので、ここでは説明しませんが、奇跡のような回復のドラマを体験することができました。
 「幽霊変換」を失って、ほとんど空っぽになってしまった、キメラミームの中の、アインシュタインの特殊相対性理論批判のためのスペースを見て、あきらめないでやってみようと思い立つことができました。
 アインシュタインの特殊相対性理論の原著についての日本語訳 [1] [2] を図書館で借りて、何度も読み直し、それらの内容を分析することにしました。
 ローレンツ変換と特殊相対性理論の、完全無欠にも見える計算体系にはねかえされ、手書きで進めてきた、分析メモに、これは無効だったということを記す、大きなバッテンマークを書き続けました。
 あるとき、それらの中の一つである「三つの時間のパラドックス」が、これまで知られていなかった視点であることに気づき、それをさらに発展させることにより、「無数の時間のパラドックス」となることに気がつきました。
 ウェブで、「特殊相対性理論」「誤り」「パラドックス」などを検索ワードとして、何人かの人が、いわゆる、無謀な挑戦を続けていることを知りました [3]。
 これには勇気づけられました。
 「特殊相対性理論のパラドックス」をたくさん並べたとしても、それらのパラドックスは、特殊相対性理論による不思議な世界のエピソードの一つくらいに、かるく流されてしまいます。
 しかし、このように数多くのパラドックスが生まれるということは、どこかで何かがおかしいはずだと考える人間がいてもおかしくありません。

 光はすべての運動座標系で同じようにふるまう

 実は、キメラミームに、次のような解析ページを生み出してゆく、さいしょの段階で、これらの解析ページの背骨ともいえる、一つの解析を生み出していました。
 そのタイトルは「光はすべての運動座標系で同じようにふるまう」というものです。ここには2018-07-16というメモが記してあります。A4で12枚のものです。
 さいしょは、これを公開して「幽霊変換2018」と名づけようかと思ったのですが、これはまだメモのような形式で、その要点だけを記したものでした。
 そこで、このメモに従って、詳しく論じたページを、少しずつ構成してゆこうと考え、2018-07-17に「◆マイケルソン・モーリー実験のきっかけはマクスウェルよるアイディアから」を作って公開したのです。
◆マイケルソン・モーリー実験のきっかけはマクスウェルよるアイディアから
◆直角レバーのパラドックス
◆三つの時間のパラドックス
◆アインシュタインが考えた「定常系」とは何か
◆運動する棒の長さを、なぜ3つの時間で測定するのか
◆長さと時間は相対的なものではない
◆アインシュタインは§3のローレンツ変換へ進めない(補足を追加)
◆無数の時間のパラドックス
◆定常系と運動系は物理世界と幽霊の世界のように重なって存在するのか
◆同じ速度vの運動系どうしでタウ関数による変換は無意味
◆相対性原理と光速度不変の原理は万能ではない
◆光は座標系の動きを知らない
◆定常系はどこにある
◆空想のローレンツ変換が生み出されたわけ

 最後の決め手は、光の総振動数でした

 アインシュタインの特殊相対性理論の問題点は、§1と§2で「時間の同時性」や「長さや時間の相対性」について論じているとしているものの、これらのことが論理的に確かなものとして示されていないということにあります。
 「時間の同時性」や「長さや時間の相対性」は、決して確定されたことではないのに、このようなことが成立するという、「雰囲気」もしくは「トリック」のもとで、次の§3へと進んでいます。
 基礎が無いのに、ローレンツ変換という聖堂がそびえたっているわけです。
 §3において、ローレンツ変換のさいしょの柱が、一本、どのように建てられたのかということを調べてゆくと、運動系と定常系の問題のところに行き着きます。
 これまで、アインシュタインによる、さも当然のことであるかのような、短いコメントのもとに、推し進められていった、数式の定義や変換の、そのいちばんはじめのところに、問題点が凝縮されていました。
 その問題点をひとつずつ問い直してゆく過程で、運動系の光を、その外部からの速度とともに、定常系で描くという、定常系モデルにおいて、運動系の光と定常系の光とが、同じものとしてみなせないのではないかという疑問がわきました。
 アインシュタインは、もちろん、同じものとして、定常系モデルを打ち立て、それに従って、ローレンツ変換の導出を進めてゆきます。
 ここで、はっきりと違う点は、これらの光が走る、経過時間です。
 同じ光速度cで走る光の、経過時間が違うということは、いったい何が違うのだろうか。
 このように考えて、最後の決め手が、光の総振動数にある、ということに気がつきました。
 運動系で走る光と定常系で走る光は、それらの光についての総振動数が違うのです。すると、これらの光は、運動系から定常系へと、相対性原理にしたがって、同じ物理現象として移されたものとはみなすことができません。
 運動系の中の光と、外の速度を考慮しつつ、定常系の光として再構成するというモデルは、まったく意味を持たない、空想の産物だったのです。
 このことから、このときの定常系でのモデルから導かれたローレンツ変換は、その存在の根拠を失うことになるのです。
 ローレンツ変換のさいしょの柱の一本が、まったく空想の絵空事だったのです。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, July 31, 2018)

 参照資料

[1]「運動している物体の電気力学について」、アインシュタイン選集1、湯川秀樹(監修)、中村誠太郎・谷川安孝・井上健(訳編)、共立出版(刊)、昭和46年3月1日
[2] 「アインシュタイン 特殊相対性理論」、内山龍雄訳・解説、岩波文庫、井波書店刊 1988-11-16
[3] 相対性理論は間違っている など

 

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