RaN379 市役所では仕事をしないことが仕事なのですか

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 2019年5月30日(木)の会談

 午前4時半 2度目の起床。
 横断旗の写真と資料の整理。(〜5時30分)
 ホームページの新ページを書き進む。生ごみを捨てにゆく。自転車散歩。
 本日の午後1時から市役所で、市民なんとか課(ほんとうは、もっと長くて分かりにくい)の課長と、横断歩道の旗について話し合う予定だが、1時間ほどで終わるだろうから、そのあと信楽の実家の母の所へゆくつもりで、先に、手土産の干イモや果物などを買うため、バロー(食品スーパー)へ行く。11時頃のことだった。
 車を降りてスーパーに入り、買い物かごを持って歩き始めたものの、腹の中が痛い。どうやら、胆のうガン(正確には胆管がん)でたまっていた大量の胆汁が、一気に十二指腸に出たらしい。胃袋は空っぽだったので、強いアルカリの胆汁だけだと、何かが刺しているかのように痛いのである。
 普通の人の半分以下の歩幅で、ちびりちびりと歩きながら、買物を済ませ、車に戻った。このままここで痛みが和らぐのを待とうとも考えたが、とりあえず車の運転は出来そうだし、市役所は近かったので、移動した。
 直射日光で暑かったので、車を降りて、市役所へ入り、横たわれる場所を探したが、適度なところが無かったので、市民なんとか課のある階までエレベーターで登り、窓際に置いてある、テーブルつきの椅子に座って、テーブルに上体をあずけて休んだ。
 午後1時から会談を始めたが、市民なんとか課の課長が
 「横断歩道のことなら」
と、横断歩道課(ほんとうはもっと一般的な、生活全般のいろいろなことを取り扱う課、これも違うが、ここになぜか、横断歩道が入っている)も呼ぼうと、席を立って、自分のデスクへ戻り、内線をかけていたが、課長と補佐はいないので、ナンバー3が来るという。
 市民なんとか課の課長と、横断歩道課のナンバー3を相手に横断歩道の横断旗についての、これまでの流れと、今後の取り組みの展望について説明した。
 会談は1時間ほどで終わったが、腹部の痛みが続いていたので、実家へ行くのはやめることにし、(水口にある)家に戻って、安静にして横になっていた。基礎体温は11時に36.6度だったが、少しずつ上がり、夜の7時には38.0度になった。
 そこから眠れて、23時00分には36.5度とおちついた。

 2019年6月24日(月) 横断歩道課

 ここまでの間、横断旗に関しては何も進展は無かった。
 胆のうガンのための痛みは、6月7日(金)〜6月9日(日)に(何度目かの)再発し、このときは車の運転が困難になるほどひどかった。
 外来のホームページの仕事に追われた。母と「空母いぶき」や「メンインブラツク」を見に行った。市役所の別の課へ行き、自殺対策計画【概要版】について議論した。自治振興会が主催して行う大規模避難訓練【水害対応】に参加した。ここまでが、前日の日曜日までの主な流れ。けっこういろいろあって忙しかった。
 6月24日(月)の午後1時40分、横断歩道課のナンバー3から電話がかかってきた。
 「横断歩道の旗については、上司とも相談しましたが、市としては出来ないということになりました。」
 電話で一方的に宣告してきたわけである。私は
 「これから行く。目の前できちんと話してもらう」
と、こちらも一方的に宣言して、車で市役所へ向かった。
 会談は別館の会議室で行った。横断歩道課の課長と補佐とナンバー3の他に、市民なんとか課の課長を呼ぶつもりだったらしいが、そのときは、仕事の関係で参加できないということだった。
 横断歩道課の3名に向かって、私は言った。
 「いつもこうだ。市役所というのは、仕事をしないのが仕事ですか」
 この発言には根拠がある。
 私は、この3月末まで区長だった。末期の胆のうガンだと宣告されたのが1月。このあといつまで生きられるか分からない。黒沢明監督の「生きる」で主演した、志村喬の市民課の課長と(立場は逆だが)同じだった。私は、残ってあった、区長としての疑問点などを解決するため、市役所へ乗り込み、複数の課で、それぞれ課長に問題点を指摘した。
 これが3月末までに、何の返事もなかった。4月は水口祭などもあり、いろいろと忙しかったし、今年だけの10連休もあって、けっきょく、これらの問題がどうなったのかを聞きに行ったのは5月16日(木)のこと。一つ目の課は、課長が移動していた。新しい課長に問いただしたが、引継ぎはなされていない。二つ目の課では、前年度の課長が、すこし肩書を換えて偉くなっていたが、何も進んでいなかった。
 これらの課では、3月末までに解決できなかった問題は、課長の手によって、もみ消されていたのだ。
 私はこのあと、市の行政を取り仕切る課へもゆき、これら3つの課を何度も訪れ、市の行政意識や存在意義まで問いただしながら、粘り強く議論した。
 横断旗の問題に戻そう。
 5月30日(木)に説明してから、私はじっと我慢して、彼らがどのようにこの問題に取り組んでゆくのかを待った。
 そして、上記の突然の電話である。「市としては出来ない」とは何事か。

 「仕事をしないのが仕事ですか」
のあと、私はすっかり関西人に戻っていたので
 「仕事しないで、税金から給料もらって、それですましてしまう。そういうの、世間で、税金泥棒って言うんや。ほんま、あんたらアホちゃうか」
とつけ加えていた。
 言うだけ言って、相手が何も反論してこないので、少し冷静なふりをして
 「なぜできないのか、その訳をきちんと説明してください」
 課長がきりだした。
 「まず、横断旗をそろえるための予算がありません」
 「予算って、横断旗なんか、インターネットでチェックしたら、1本180円で売ってました。それに、私が提案している方法なら、ひとつの横断歩道に2本しかいらない。市のすべての横断歩道でやれと言っていない。住民が利用して危険なところなんか、数えるほどしかない。お金が無いのなら、寄付してもらえばいい。問題を起こして市民への信頼を失って、給料を自主的に返納しているくらいだから、市長に頼めば、そんなわずかなお金、あっというまに集まる。市民に寄付をお願いしてもいい。こんなこと、問題でも何でもない。」
 補佐は、この会議中何も言わずにいたが、ナンバー3がこう反論してきた。
 「横断旗を設置して、もし台風などがやってきたとき、風で飛ばされ、人に危害を加える可能性があります。そのようなリスクを市として負うわけにはいきません」
 「アホなこと言うな。横断旗って、布とプラスチックの細い棒だぞ。そんなものが風で飛んできて当たったとして、どんな事故が起こるというのか」
 「横断旗を道路にばらまく、いたずらをされる可能性があります。このようなリスクも市として負うことはできません」
 「どこに、そんな事件があった?」
 「さあ、知りませんが」
 「勝手なこと、ぬかすな。たとえ、そんな奴がいたとしても、それはまったく別問題やろ。おまえは、ただ、いちゃもんつけているだけやないか。そんなもんは、できない理由にはならへん」(完全な関西弁ですが、分かりますか)
 このナンバー3は普通ではない。おそらく脅迫神経症か何かだ。
 そもそも、この課の課長からして、表情と態度から、はじめから不安だった。うつ病かもしれないと感じていた。
 やがて、いくつか発言して勢いづいたナンバー3が、こう言いだしてきた。
 「さきほど、何も仕事をしないからアホやと言われましたが、仕事はしています。だからこうして説明しているのです。アホと言ったことを撤回してください」
 こんなことを突いてくる。内心あきれたが
 「そうか。アホと言われる筋合いはないと。それは言い過ぎたかもしれん。あやまっておきましょう。すみませんでした」
 しかし、説明や議論が進んで、私はふと思いついた。
 「私ははじめ教師をしていましたから、公務員でした。でも、7年で辞めてから、社会に出て、いろいろな仕事をして生きてきました。こうして今、公務員のみなさんと、いろいろ関わるようになり、大きな違和感を覚えてます」
 「……」
 「民間の世界では、たとえ何か仕事をしたとしても、それが何の成果も出なかったら、それは仕事をしたと認められないのです。あんたらは、そうじゃない。最初から、これは出来ませんと言ってくる。できないこととできることを見きわめて、できないと判断したことはしない。これは民間ではありえないことだ」
 「……」
 「民間では、仕事は最後までするのがあたりまえのことです。たとえ利益が上がらなくて大損しても、客が依頼した仕事を、できません、なぞといって投げ出したら、すくにクビ。それでは働いてゆけない。生きてゆけない。だから最後までする。もし、その依頼が困難なことで、実現できそうもないというときには、その理由をきちんとまとめて、実現のための道筋を探そうとする。あくまで依頼された仕事はやりとげるようにしてゆく」
 「……」
 「あなたがたは、依頼された仕事ができないという理由を、なんだかんだと探してきて、できる仕事もできなくしてしまう。それでクビにならない。
 私は、この仕事はできると思っています。あなたがただけでできるとまでは思っていません。
 最初、警察の交通課へ行って相談しました。そのとき、警察だけではできないと言われ、市や住民が取り組む必要があると確認して、いくつかの課をまわり、市民の自治振興会にも話して、この横断旗の問題を進めています。
 電話で、市としてはできない、と聞かされ、何言ってんだ、と思いました」
 「……」
 「できないと考えたのは、あなたたちの課でのことでしょう。なのに、市としてはできません、と勝手に言っている。あなたたちの課では(すべてを抱え込んで)できません、と言うべきなのに、いつから、市を代表するようになったのですか。
 ほんとうに市として何もできないかどうかは、市長に会って聞いてみる必要があります」
 このあと、私は、市長との個人的な関係を打ち明けました。現市長とは、彼が市長になる前に一度話したことがあるだけですが、市長の父親と私とは強いつながりがあります。市長の父親の名誉にかかわることなので、ここでは、このとき話したことを割愛しますが、この話をしたら、ナンバー3が
 「それなら、そっちのルートを使ったほうがいいじゃありませんか」
 皮肉ではなく、本気でそう言ってきた。
 「そんなことをしたら、あなたがたが働いている意味がなくなります。この市のナンバー3と話したとき、トップダウンでは、この市の行政は進められません。下にある担当課から上にあげていってください、と言われ、こうして進めているのです」
 はじめ敵対的だったが、やがて、相手から感謝されるようになってきた。
 とにかく、この課に丸投げできないということが分かったので、会談を2時間で切りあげ、16時からは、別の課へ行った。

 同日 市民なんとか課

 市民なんとか課の課長と会い、信楽の国道307号についての横断旗の問題を進めるため、課長の提案で、信楽の市民センターのセンター長と課長相手に話しにゆくこととなった。

 同日 建設うんぬん課

 さらに、区長時代に問題点を指摘していたものの、3月末までに何も返答がなく、5月16日に至っても何もすすんでいなかった、建設うんぬん課へ回った。
 カーブミラーの保守ができていない、その理由の一つが、ミラーを新しいものに取り換えるには何万円もかかるということ、二つ目が、プラスチックのミラーの曇りを磨こうとしたことがあるが、傷をつけてしまい、かえって見にくくしてしまったなどの、内輪事情を聴くこととなり
 「プラスチックの面をピカピカに磨く技術はあります」
と言って、かつて働いていた、グラスファイバー(プラスチックの一種)で浴槽をつくる会社の名前と場所を伝えていた。家に戻れば電番号も分かると言ったが、これだけ分かれば調べられるというので、まかせた。
 建設うんぬん課のナンバー2である課長が電話して、私がいろいろ習った、社長の奥さんから、具体的な技術を教わることができたらしい。
 それから何日も経っている。
 実際にやってみたのか、聞きに行ったのだ。
 ナンバー1の管理課長は、報告書としてまとめてから、と考えていたらしいが、ぐずぐずして、書き上げていないという。
 課長が説明し、私の近所の、ここと、こことの、ミラーを磨いたというので
 「そんなことなら、電話でいいから、私に知らせてくださいよ」
と言う。
 さっそく車で見に行った。ピカピカになっている。
 市役所に戻って
 「こんな成果が出たのだから、私にはいいから、私のことは書かなくていいから、さっさと報告書をまとめて、中部区長会に送り付けたほうがいい。遅れたけれど、仕事がきちんとこなせたということをアピールしたほうがいい」
と管理課長に言った。
 仕事をしないことが仕事だった課の一つが、仕事をすることが仕事の課に変わった。
 課長と管理課長は、私に何度も礼を言ったが、そんなことよりも、二人が生き生きしているところを見ることができて、私はとても気分がよかった。
 ねばりづよく取り組んで、情報を集め、何か解決する方法はないかと考え続けたら、何か答えが見つかるものなのだ。
 そんなことが、ほんとうに起こるということを、みんなで示すことができた。

 同日 子供いろいろ課

 ここのページの内容とは関係がないと思われますが、実際に、この日は、ここまで課をめぐりあるきました。
 ここの課長は、私が初めて教師をしたときの教え子で、会うといつでも
 「せんせー」
といって、笑顔で手を振ってくれる。
 「やめとけよ。課長なんだから。威厳がなくなるやろ」
 「かめへん、かめへん」
 ここでは、今日の一連の会議のことを、ざっくばらんに、かんたんに、おしゃべりした。
 議論ではない。彼女は聞いているだけだ。
 まだまだ、無駄話を続けたがったが、6時から会議があるというので、5分前に切り上げた。私もリラックスしたし、彼女も会議前に気分転換できたようだ。
 今日は、午後からいろいろあったけれど、このおしゃべりで、まとめて、いい日だったとしめくくれた。

 この日の夜、眠っているとき、足の脛が痙攣した。
 ああ、これは、市役所で歩き回ったからだ、と分かった。
 食べるものを用意していなかったので、治すために、部屋の中を歩くしかなかった。
 この痙攣が起こったので、この日の評価はプラスマイナス0(ゼロ)になった。

 エピローグ (2019年6月25日(火) 上記会議の次の日)

 上記の会議の中で、横断歩道課の課長が
 「横断歩道以外で歩行者が道路を渡ってはいけないと、道路交通法で決まっています」
と言ったが、私は
 「そんなはずはない。何キロも横断歩道がなくて、その道の一方に家があり、もう一方に畑や田んぼがあるとき、その人はどうするんだ」
と言ったのだが、返答しなかった。
 このときの課長は、道路交通法の歩行者についてのきまりを誤解しているということが分かっていたが、もう一度詳しく確認しようとして、その場では流しておいた。
 彼女(課長)の誤解は
 「近くに横断歩道がある場合は、歩行者は、その横断歩道を渡らなければならない」
の、前半部分(太字)を理解していなかったことにある。
 裁判の判例で「近く」とは「およそ30m」となったのだそうだ。これは、そのときの裁判官が、何の根拠もなく、えいやっ、と言い切ってしまった数字にすぎない。
 しかし、このことは、この課長だけでなく、ほとんどの市民が知らない。
 上記の会議の中で、課長は
 「わたしたちにできることは広報活動です」
と言っていたので
 「このことを市民に伝え、みんなが実行できるように広報してください」
 「広報ならすでにやっています」
 「どこで?」
 「お年寄りの啓発教室で」
 「私は区長だったから、出たけど、聞かなかった」
 「……」
 「お年寄りだけではすみません。市民全部です。子供から大人、そしてお年寄まで全部。実際にみんなが知って、実行するためにです。今はそうなっていない。多くの人が、横断歩道が近くにあっても、道路を横断しています。車も止めず、さっと跳び出してわたっている。危ない危ない。やがてどこかで人が死ぬ。そういう状態です」
 「……」
 「効果が出ていないことは、やっていないのと同じです。あなたがたが、やっている、言っているというのは、ただの自己満足にすぎません。このルールは、歩行者として、とても重要なものです。きちんとみんなに教えてください」
 この課題は、「やれません」とは言えない。しかも、かんたんに「やりました」とも言えない、とても重要で、大きなものです。
 これまでの生活なんじゃもんじゃ課(これも正しくない)から(横断歩道課改め)交通安全課を独立させて、トップからの3人は、そちらに移って、責任を果たせるかどうか、チャレンジしなおしたほうがいい。
 でなければ、いつまでたっても、仕事をしないことが仕事課のままである。
  (Written by KLOTSUKI Kinohito, July 4, 2019)

 

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