走幅跳の踏切における「かかし抗力」と「スプリング抗力」

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito)

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ここにはIKD選手とNKN選手とMAY選手の、「踏切分解フォームの比較」と「離陸解析」を載せてあります。これらの資料の説明をしながら、走幅跳における踏切技術について、まとめてみようと思います。

図1から図3までが「踏切分解フォームの比較」です。IKD選手の5回目(IKD_5)のフォームと、NKN選手の4回目のフォーム(NKN_4)と、MAY選手の2回目のフォーム(MAY_2)について、踏切に移行する空中フォームから、踏切の離陸の瞬間までを、詳細フォームでの5間隔で描いてあります。ただし、各選手の出場した試合は、まったく異なっています。



図4から図6が、それぞれの跳躍に関する「離陸解析」です。


上記のフォームについて、速度を求めるわけですが、キック脚の足部拇指球が地面にくっついているときには、ここを基準にして、身体重心の座標値の変化を調べることにより、この選手の、地面に対する速度を推定することができるとしています。

このようにして、身体重心の水平速度(VX)と鉛直速度(VZ)が決められます。これらは、フォーム図のキック脚の色に合わせた色でプロットしてあります。

このときの水平速度については、キック脚の膝のところに区切り点を想定して、拇指球から膝点を調べたときの水平速度 VX(kn) と、膝点から身体重心を調べたときの水平速度 VX(th) に分けて考えます。VX(kn) はオリーブ色で、VX(th)は緑色です。このような分割をおこなって、それぞれのフォームを調べてゆくと、違いがはっきりと現れるのです。

もうひとつ調べてあるのが、身体重心を基準としたときの、スウィング脚の重心の水平速度です。これは、表現の都合で、グラフの下端を0と してあります。身体重心の速度より、相対的に速い動きをしているわけです。このグラフのパターンから、スウィング脚の利用の仕方が分かります。これは、 キック脚が紺色のときには水色で、赤色のときには桃色でプロットしてあります。この速度は、地面に対する絶対速度としてとらえると、あまり特徴がつかめま せん。

これ以外の、腕や胴体の速度などについて調べたこともありましたが、あまり重要な意味があるものとして認められなかったので、これらの値だけを表示してあります。

これらのグラフで、離陸寸前のところでの、身体重心の水平速度(VX)と鉛直速度(VZ)のパターンの変化を見ると、「かかし抗力」が利用されている区間と、「スプリング抗力」が利用されている区間を調べることができます。水平速度(VX)が減っているとき、鉛直速度(VZ)が増えているときは、「かかし抗力」が作用していると考えられます。IKD選手の踏切で、このときの変化が現れています。これにたいして、水平速度(VX)と鉛直速度(VZ)がともに増えているときは、「スプリング抗力」が作用していると考えられます。NKN選手とMAY選手の踏切では、このような変化が目立っています。

こ のときのフォームだけのことではありませんが、IKD選手は、できるだけ速い助走速度を生みだしておき、踏切一歩前から踏切へと移行する空中で、全身を後 傾させ、この姿勢を保って踏切に入り、自然と生まれる「かかし抗力」の効果で鉛直速度を生み出し、その流れに乗って、踏切の最後に、わずかばかり「スプリ ング抗力」を作用させて、離陸しようとしているように見受けられます。

NKN 選手も、2回目の跳躍では、これによく似た状況のようです。ところが、大ファールだった、この4回目の動きでは、移行期での後傾姿勢はとっていますが、 「かかし抗力」を生み出すあたりの姿勢で、あまり時間をとらずに、まるで、ランニングを続けているような、すばやい動きで、ポンとばかりに、踏切板の上で 伸び上がったのです。踏切での動きの印象が、まったく違いました。このような動きでは、「かかし抗力」が作用する余地が無く、ほとんど「スプリング抗力」 だけになってしまうのでしょう。

MAY選手は、踏切一歩前からの空中の移行期で、キック脚を前方に突き出しますが、上体はあまり後傾させていません。詳細フォーム35あたりで接地していそうです。こちらも、「かかし抗力」のための時間は少なくなり、すぐに「スプリング抗力」へと移ってしまうはずです。

もちろん、MAY選手もNKN選手も、「かかし抗力」や「スプリング抗力」のことは知らないでしょうが、経験的に、何かコツのようなものをつかんでいるはずです。

ま だ詳しく調べなおしていませんが、男子でもペドロソ選手が、よく似たコツを知っているようで、それがうまく決まったときには大記録がでるということを確信 していて、跳躍ごとに、その動きを狙っていた節があります。何年か前、まだ、あまり発達していない解析プログラムを使って、いろいろと調べていたのです。

助 走速度を調べてみると、MAY選手もペドロソ選手も、とびぬけて速いわけではないのです。しかし、二人は優れた記録を生み出します。だから、そこには、何 か秘密のようなものがあるはずでした。その秘密のことが分かったと思えたのが、ようやく、今年の2月だったのです。そのことを私は、「エドモントン世界陸 上女子走幅跳決勝の 各選手の跳躍における 助走と踏切の3Dモデル解析(1)」(陸上競技の技術_33)にあらわしました。しかし、この解析結果には自 身をもっていたものの、あまりに難しいし、学会などからも遠いところにいますので、これを公表できないでいます。

エ ドモントン世界陸上に出場されたIKD選手のフォームも調べましたが、MAY選手らに比べ、それほど目立った長所は見られませんでした。しかし、それから 何年か経って、ランニングスピードも向上し、跳躍技術も進歩したと伝えられ、実際に昨年は日本記録も生み出されて、夢の7mにも、あと少しということでし た。

今年も、シーズンの滑り出しは順調で、6m70台の記録を続けておられ、海外遠征でも、それなりの成果を生み出されてきました。そして、迎えた日本選手権で、もう少し記録が伸びてゆけば、何も問題がないということだったのでしょう。

しかし、この日本選手権の跳躍では、技術が不確かで、本人がねらっている動きをしたと思っても、実際の記録はよくなくて、6mの前半の記録になってしまいました。かろうじて、5回目に6m59を出しましたが、それではと、ねらった6回目の記録も低調だったようです。

このようなことと、よく似た状況があることに、私は思い当たりました。七種競技のOZK選手は、なかなか走幅跳の踏切がうまくならなくて、はがゆく感じていたのですが、同僚のYKT選手は、いろいろな種目が上手で、走幅跳の踏切も見事なものでした。

ところが、YKT選手は高校生のころに出した5m90が何年たっても更新できず、昨年は、5m70台の記録をだしたり、5mの前半の記録しかでなかったりと、大荒れでした。OZK選手のほうは、踏切がうまくないのですが、助走速度がどんどん高まってきました。低い跳躍で、着地も背中から落ちるありさまなのですが、昨年は5m77まで記録を伸ばしました。こうして、YKT選手が伸びないでいるうちに、OZK選手は追いついてきたのです。

さ て、IKD選手の状況とよく似ているのはYKT選手のほうです。OZK選手の踏切を調べるついでに、同じ大学のYKT選手も画像を収録しておき、これらの フォームを調べたことがあるのです。YKT選手は「かかし抗力」を利用して鉛直速度を生み出す技術を効果的に組み込んでいました。一方、OZK選手のほう は、そのような技術ができなくて、結果的には、あまり「かかし抗力」を利用することができず、低い跳躍で砂場に胴体着陸していたのでした。

し かし、このあと、エドモントン世界陸上の女子走幅跳の選手のフォームを調べてみると、YKT選手の技術のほうに記録を伸ばすコツがあるのではなくて、どち らかというと、OZK選手の技術を改良してゆくほうに記録を伸ばすコツがあるということが分かったのです。これまでの走幅跳の、良いとされていた技術を追 求してゆくと、かえって、記録が伸びなくなるというわけなのです。

IKD選手の状況も、このようなことだったのかもしれません。一昨年の踏切技術と助走スピードが、ある状態であったとします。具体的なことはあまり分からないので、これを踏切技術2005と助走スピード2005と呼ぶことにしておきましょう。そして、昨年の助走スピード2006は、助走スピード2005より大きくなりました。しかし、昨年の踏切技術2006は、踏切技術2005と あまり変わらないものだったとします。すると、このような状況は、上記の例でのOZK選手のパターンになります。助走スピードが向上しただけなので、「か かし抗力」を生み出す技術が追いつきません。そこで、少し低空飛行にはなりますが、水平速度があまり減らずに、かえって高まることにもなるので、結果的に 記録が伸びます。

ところが、この状態ではよくないと、従来の走幅跳技術の流れでは考えてしまいます。そこで、今年の踏切技術2007は、昨年の踏切技術2006より優れたものになったとします。助走速度2007は助走速度2006と同じレベルだとします。すると、よくなった踏切技術2007のため「かかし抗力」がうまく使えるようになって、高度の大きな跳躍らしい跳躍になります。これなら記録は、さらに出るはずだと考えることでしょう。

しかし、「かかし抗力」は水平速度にブレーキをかけて、そのときの力で鉛直速度を生み出すものです。せっかく大きくなった水平速度が、離陸時には以前より小さくなってしまうのです。このような「かかし抗力」をどのくらい作用させるかということは、かなり難しいものです。

こうして、IKD選手は、優れた踏切技術2007を使って、2回目(6m37)と4回目(6m21)と6回目(おそらく6mの前半)の踏切を試みようとして、結果的に、このような記録に終わったのではないでしょうか。

IKD選手の踏切分解フォームについて、離陸寸前のものを眺めてみると、NKN選手の4回目のものや、MAY選手のものにくらべ、ここで大きな力が生み出されようとしている、といった様子が見えていません。

キック脚の伸びぐあいや、スウィング脚の動きが、何か中途半端な感じに見えています。「スプリング抗力」の利用を心がけているとは見えないわけです。明らかに「かかし抗力」の効果を主にして利用しようとしています。

おそらく、踏切全体の中で、力を集中させるポイントが、NKN選手やMAY選手よりも、助走路側にあるはずです。

こ のようにすると、大きな力を生み出すということを、もう少し長く続けるということが難しくなります。大きな「かかし抗力」を生み出して、ほんの少し時間が あいたあとで、再度、大きな「スプリング抗力」を出すというのは、人間には難しいことのようです。ひょっとすると、走高跳びや棒高跳では、二つの出力ピー クをうみだせているかもしれませんが、走幅跳では難しそうです。

IKD選手の力の集中するところは、踏切板の真上ではありません。ところが、NKN選手やMAY選手は、できるだけ踏切板の真上に近いところで、一つのピークをもつ、大きな力を生み出そうと心がけているようです。

こうして、比較的シンプルな技術ということになりますが、こうすれば、「かかし抗力」の余地がなくなるものの、大きな力を「スプリング抗力」のほうに向けることができるのです。

仮 に「かかし抗力」も利用するとしても、これと「スプリング抗力」を分けてしまうと、どちらかが弱くなってしまいがちです。ですから、「かかし抗力」の作用 する区間と「スプリング抗力」を作用させる区間とを、ひとまとめにして、そこへ力を集中するほうがよいと思われます。NKN選手やMAY選手の状況は、 ひょっとしたら、このようになっているのかもしれません。ただ、観測の時間間隔が広いので、このような現象がはっきり調べられないということも考えられる わけです。

NKN 選手やMAY選手に聞いたわけではないのですが、このような「スプリング抗力」を主体とした踏切のイメージは、どちらかというと、従来の走幅跳の踏切のよ うな、走高跳の踏切にちかいものではなくて、ランニングのキックの動きのほうに似ているようです。踏切板を踏んで、上前方に、走り上がるようなイメージで はないでしょうか。「真上」に上がろうとするではなくて、「上前方」へと向かうのではないかと思われますが、実際の選手に試してもらって、感じて、表現し てもらわないと、ほんとうのことは分からないのかもしれません。

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