走高跳におけるかかし抗力のコツ

黒月樹人(Kinohito KULOTSUKI) @ 黒月解析研究所

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 走高跳においては、かかし抗力が大きな意味をもってくる。

 図1は、走高跳の踏切開始時のフォームである。へそのあたりにあるGが身体重心。記号を添えていないが、胸にある青い丸が、腕や頭も含めた上半身の重心位置。Gと踏切足の支点Kの、ほぼ中間にある、赤い丸は、踏切脚の重心位置。これに対して、スウィング脚の重心が、緑色の丸で示されている。ここでは、これらを総合した身体重心Gのみを考える。

 走高跳の踏切における身体を力学的なモデルとして見ると、細かな変化を無視したとき、上半身と踏切脚は、ブーメラン型の棒のように、固定されたものとして考えることができる。そこに、スウィング脚の、棒形の振り子がついているわけである。細かく見ると、腕を振り子のように見なすべきフォームも現れることがある。しかし、このように説明した場合分けも、いちばん基礎的な力学的なメカニズムを理解するときには、すべて忘れて、スウィング脚とキック脚と上半身が、このときのポーズで固定された、一つの複雑な棒のようなものと考える。そして、この棒についての運動量のことを考えてゆくと、さらに厳密な考察になるが、ここでは、もっとも初歩の視点で考える。つまり、身体重心に速度と力が作用したとき、それらの結果、速度や力がどのようになるか、である。

1で、オレンジ色のベクトルVoは、助走によって得られた、身体重心Gの速度である。このベクトルVoを、ベクトルに関する平行四辺形の原理で、直線GKに沿った成分Vaと、Voを対角線とする平行四辺形の、異なる長さの辺での成分Vbへと分解する。このとき、ベクトルFは、この「かかし」のような棒モデルとなったものの重心Gへと、地面から受け取る抗力である。私は、これをかかし抗力と名づけた。実は、厳密に言うと、身体重心Gには、このかかしモデルの質量mに応じた、重力mgが、鉛直下方に作用している。ここでgは重力加速度であり、鉛直下方への向きをもつベクトルである。図1では、これを無視している。重力mgの大きさはFの大きさの1割程度である。詳しくシミュレーションするときは、この重力も、スウィング脚の動きによる効果も考慮するが、ここでは、基本の力学を考えるので、いずれも無視する。

基本の力学は、ここまでくれば、あと少しで分かる。実際に、物理学の講義として、ここのところの状況を説明するには、力Fが作用する時間tを決めておく必要がある。この時間tのあいだ、Fが作用することにより、速度ベクトルVaを減速して、これの大きさを0へと消してしまう。Vaの大きさは、このように、Ftによって決まる。この関係の式には、質量mも含まれる。ここでは、式を書き下ろさずに、解釈だけを述べて行くことにしよう。

Fにより、Vaのみを消してしまうと、Vbが残る。この速度ベクトルVbは、水平なものではなく、鉛直成分ももっているから、これにより、身体重心Gは、上へと向かうことができるのである。

基本的な原理は、このように、シンプルなものである。しかし、実際の現象においては、これほど理想的なことにはなっていなくて、tに加えられる力Fは、もっと小さく、Vaの大きさも、それに応じて小さい。すると、Vbは、水平速度Voから、ほんの少し上に向いただけとなる。しかし、踏切における「かかし抗力」の効果が期待できる状況が続く限り、このような作用を、続くtの間も続けることができて、VbVoの役目へと入れ替え、次のFVaによって、新たなVbが決まる。これは、以前のものより、さらに上向きになっている。

かかし抗力の効果が期待できなくなる状況は、GKの線の方向と、ベクトルVbの方向とが直角になるときである。このあと、身体各部の伸びによって、身体重心に、地面からの抗力で加速するとき、これをスプリング抗力と呼んで、かかし抗力と区別している。

 さて、ようやく、力学的な基本を説明し終えた。これが講義のようなものであれば、ここからさらに、シミュレーションモデルを厳密に、そして、さらに複雑に変化させていったときの、数式やアルゴリズムのことへと進むことになるだろう。しかし、このページのテーマは「走高跳におけるかかし抗力のコツ」である。

 図1のフォームは、踏切へと入った瞬間であり、実際は、このようなポーズで、大きな力Fを生み出している選手は一人もいない。少しずつ力は加えられて、少しずつ重心Gの速度も、大きさや向きを変えているのであるが、かかし抗力の効果が最大になるのは、もっとあとのポーズのときである。

 図2 として、走高跳の踏切におけるポーズを描いた。このときのフォームは、高校3年生のときの醍醐直幸選手のものである。そのころ私は、ボランティアで、女子高校生にハードルを教えていた。彼女らの試合を見にいったとき、2m20近くを飛ぶ、醍醐選手のフォームをビデオカメラで記録して、後に、これを分析した。ここで利用した解析プログラムは、かなり初期のころのもので、力や速度を求めて描写できるようになっていない。実は、走高跳の踏切は、このような平面で考察しているだけでは不十分であり、立体的な座標空間を想定して、そこにおいて、速度や力のベクトルを描く必要がある。このようなプログラムは、少し難しいし、何よりも、シンクロさせてある、2方向から撮影した画像を利用しなければならないという難点があって、これを行うための機器を手配することが困難であった。

 厳密な解析ではないが、コツを説明するためには、図2で役立つだろう。

 図1では、説明のために、図2aのフォームを描いたが、実際に選手が力を込め始めて、地面からの抗力を受け始めるのは、bあたりからである。そして、cあたりで、かかし抗力のピークを迎え、かかし抗力の効果が期待できる状況が終わる。次のdでは、スウィング脚を引き上げている。ここで、スプリング抗力を利用している。efでは、あまり加速できていないが、離陸位置を高くするための、重力mgに対する、支持のための抗力程度は生み出せているだろう。

 走高跳の踏切におけるかかし抗力のコツは、cのポーズである。このとき、スウィング脚は、折りたたまれて、身体重心Gと支点Kがつくる直線の横を通ろうとしている。このとき、スウィング脚の重心をSとすると、GSの長さが、最も短くなり、スウィング脚の振り子が、身体重心を、Kのほうへと引っ張ることになる。この瞬間にあわせて、両肩と両腕も、GKの線を縮めようとしている。私は、これらの動作を感覚的に言い表すため、「踏切脚の膝に乗る」と表現している。このときのポーズは、棒高跳において、ポールが最も曲がっている瞬間に相当する。棒高跳選手の身体重心Gと、ボックスの底にある支点Kとの直線GKの距離が、最も短くなるときである。図2cも、これと同じ意味をもっている。それは、GKが、これ以上短くはならないという瞬間なのである。この瞬間において、かかし抗力の効果はピークを迎え、そして、その役目を終える。助走速度ベクトルを利用して、かかし抗力によって向きを変え、鉛直方向への速度を生み出すという効果は、ここで終わる。

 しかし、ハイジャンパーのなかには、このポーズのことが理解できていないため、できるだけ早く、上昇方向への力を生み出そうとして、cのポーズまでに、腕などをひきあげようとする者がいる。このことは、棒高跳で、ポールが曲がりきらないときに、腕を引くなり、体のスウィングを早めるなどして、身体重心が動く位置を、支点Kから離すことに対応する。ポールが曲がらないフォームのときでも、このような動きは、大きな損失を生じる。ポールの姿勢角が45度あたりを超えるまで、ポールにしっかりとぶら下がって、GKの距離を短く保っておかなければ、そのあとポールが立たなくなってしまう。走高跳でも、ほぼ同じ現象が起こっている。身体が垂直に立つぐらいの余地は常に残っているが、鉛直方向への速度が、うまく生み出せなくなるのだ。

 背面跳が現れる前の走高跳の世界で、世界記録を何度も生み出した、ソ連式ベリーロールのフォームは、このようなメカニズムを、巧みに利用していた。背面跳が現れて、より大きな助走速度を利用することができるようになり、ソ連式ベリーロールのフォームとは異なるものが支配的になった。実は、ソ連式ベリーロールの技術を組み込んだ、背面跳のフォームもあるし、スウィング脚やスウィング動作の腕を利用する、数々のバリエーションがある。私は、そのようなフォームを数多く試してきた。そして、結局、最も大切な技術は、図2cにおいて、しっかりと「踏切脚の膝に乗る」ということであることが分かった。このとき、このような動作によって、踏切脚の筋肉は、外力によって限界まで引かれ、それに対抗する力を出す。一般に、筋肉は、自らが収縮するときに出す力より、外力によって引かれるときに出す力のほうが、はるかに大きい。走高跳の踏切においては、この現象を利用して、助走速度ベクトルから、変換できる限りの、鉛直速度成分を生み出すことが、もっとも基本的なメカニズムなのである。

 このようなメカニズムが分かると、走高跳の記録を伸ばすためのコツは、まず、助走スピードをできるだけ大きくするということにある。いつしか、ジャンパーたちは、自分のフォームにおいて、ちょうど良い、ほどほどの速度を決めてしまい、記録への可能性への扉を閉ざしてしまう。キック脚の脚力がじゅうぶんではないとき、助走スピードに負けてしまって、低い高さの跳躍になることを恐れてしまうわけである。試合では、そのように失敗したくないものだ。しかし、トレーニングのときに、いつもと同じ助走スピードでだけ跳んでいては、自分自身のフォームにおけるダイナミックステレオタイプを固定しているだけになる。高さに対する可能性の扉は閉まったままだ。

 テレビで、国体女子走高跳の競技を見たが、ここに、大きな可能性をもった選手がいることを知った。それは、2位になった、確か、千葉県の選手だ。助走距離が飛びぬけて長く、スタート地点は、トラックの8レーンあたり。踏切前でのスピードは、短助走による走幅跳のレベルになっている。しかし、彼女は、踏切動作のところで、キック脚の膝にうまく乗れていない。その瞬間を待つのがおしいと思っており、できるだけ早く体を引き上げようとしている。それが逆効果になって、せっかくの助走スピードから、大きな鉛直成分を生み出せなくなっている。それでも1m80前後を跳んではいるのだが、あと、ほんの少し、フォームを直して、図2cのポーズまでは、踏切脚の膝へ乗るという感覚を覚えることにより、あっというまに、2mジャンパーへと変貌するだろう。この感覚を覚えるときの、身体におけるポイントは、折りたたんだスウィング脚と両腕をぶらさげた両肩を、踏切足の支点Kに向かって、GK棒の長さが最短となるように、引き下ろすことである。これらの動きを、そこで止める感覚でもよい。身体全体が、そのとき、完全な剛体として、かたまってしまうというイメージをもつとよいだろう。ただし、このとき、非常に大きな力が、踏切脚の膝などに作用するので、この感覚をマスターするためのトレーニングにおいては、少し遅めの助走スピードから始めるべきであろう。また、体重のコントロールも難題となる。可能性は大きく広がるが、乗り超えなければならない問題も、新たに現れてくる。故障せずに、うまくこなしてほしいものだ。

 ここに述べたコツは、2mジャンパーのためだけのものではない。1m40くらいの記録をもつ選手がマスターすれば、1m60くらいへと記録を伸ばすことができるだろう。走高跳において「踏切脚の膝に乗る」という感覚は、棒高跳において、ポールにしっかりぶら下がり、ボックスの支点に最も近いところで、身体重心を通過させるという感覚と通じている。棒高跳における両脚スウィングのフォームは、このことを踏まえている。かつてのソ連式ベリーロールも、このときのメカニズムをうまく利用していた。背面跳では、助走スピードが大きくなったので、スウィング脚の膝を伸ばして、おおきくスウィングさせることは難しくなったが、GK棒の長さを最短にしたとき、かかし抗力の効果が最大になって現れるという原則は、あいかわらず影響している。

(2009.10.04 Written by Kinohito KULOTSUKI [@] KULOTSUKI ANALYSIS INSTITUTION)

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