短距離ランニングフォーム解析 (30)
2013年日本選手権100m山縣亮太選手の速さの秘密(B)スタートダッシュ後半

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito)@ 9621 ANALYSIS

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 はじめに

 スターティングブロックを押して跳び出す1歩目から7歩目までのスローモーションは放映されませんでした。解析できる8歩目から17歩目までを、「スタートダッシュ後半」と名づけます。18歩目は17歩目と何が違うかというと、現在の山縣選手が出しうる、ほぼトップスピードとなっているということです。17歩目までは、そのトップスピードに達するための区間だと考えることができます。
 ビデオ画像から求めたステックピクチャーによるランニングフォームを描くのが、これまでの手順でしたが、それらは、ビデオ画像を抽象化しただけのもので、それらを眺めても、詳しいことは分かりません。
 ここでは、キックポイントの瞬間を中心として、身体重心を固定したときの、1/30秒間の詳細フォームを描くことにします。
 そして、ステックピクチャーから求めた、キックポイントにおけるフォームの分類、スピード能力3要素の値、キック軸加速度比について考察してゆきます。

 ランナー感覚の動き

 「ランナー感覚の動き」と名づけた解析画像は、キックフォームにおける全重心水平速度dGが最も大きくなる、キックポイントの瞬間を中心として、1/300秒間の変化を示す、詳細フォームを、前後5つずつ描写したものです。そのキックフォームにおける、主要な動きを表現しています。
 ここでは、山縣選手のフォームとしてYgの記号を使いました。
 観測された画像は、向かって左から右へと走っていますが、解析プログラム(runa.exe)の都合で、右から左へと走る画像について座標を読みとることにしていますので、左右を反転した画像を中間的に設けています。このため、解析結果における、左右の色の取り決めが逆になっています。つまり、このYgデータでは、右脚と右腕を青色で、左脚と左腕を赤色で表示することになっています。2012年のYmg(もしくはYmgt)データとは逆になっていますので、注意してください。
 次の図中に記してある、キックフォームの分類記号で、α としてあるのはアルファクランクキックを意味しています。β 、γ 、δ も同様です。Pはピストンキックを意味しています。
 胴体近くの重心では、黄緑色のものが、両腕を含めた上半身です。全重心は黒で、これを中心としてあるので、すぐに分かると思います。右脚キックと左脚キックとでは色が違っていますが、黒の全重心の少し上にあるのが、キック棒(上半身とキック脚)の重心です。これらの、3つの重心は、あまり変化していません。大きく変化しているのは、両腕や両脚の重心です。これらのなかでも、キック脚とスウィング脚の重心の変化が、見所のひとつです。キック脚の重心の変化の向きがどのようになっているのかというところを見てください。デルタクランクキックでは、ほぼ水平で、後方へと動かされていますが、ベータクランクキックやアルファクランクキックでは、すこし後方へと傾いた杭を打ち込むような感じとなっています。また、それらとあわせて、スウィング脚の重心の変化を見ると、いずれもダウンスウィングを心がけているということが分かります。


図1 Yg08〜Yg17におけるランナー感覚の動き(赤→左、青→右)

 もうひとつの見所は、キック脚のパターンです。太もも部分の小さな動きと、膝から下の、下肢部分の、太く見える大きな動き、そして、足首のバネを表現した、踵が浮いて足底の角度が大きくなるところ、これらのパターンが、スプリントランナーの特性を忠実に表現しています。

 スピード能力3要素とキック軸加速度比の値

 感覚的な違いだけではなく、観測して得られたスピード能力要素の値がどのようになっているのかということを知るのが重要です。
 次の表1に、スタートダッシュ後半(Yg08〜Yg17)のスピード能力3要素(dK, dT-dK, dS-dB)とキック軸加速度比(aGO/g)の値をまとめました。赤字としたのは、(基準は任意なものですが)とくにすぐれた値のところです。ヒップドライブ速度 dT-dK の( )内の数字は、係数 p=2/3 を掛けた値です。同様に、相対スウィング速度 dS-dB の( )内の数字は、係数 q=1/4 を掛けた値です。これらの重心速度と、それらが受け持つ質量との関係から、次の恒等式が成立します。
   dG=p(dT-dK)+dK+q(dS-dB)

表1 山縣亮太選手のスタートダッシュ後半(Yg08〜Yg17)のスピード能力3要素とキック軸加速度比の値



 これらのデータをタイソン・ゲイ選手のスタートダッシュ後半(おそらくGay1はスターティングブロックから数えて4歩目くらい)と見比べると興味深いかもしれません。

表2 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュ後半(Gay1〜Gay7)のスピード能力3要素とキック軸加速度比の値



 これらの比較をとおして、今回の山縣選手のスタートダッシュ後半の、スピード能力3要素における特徴をまとめると、次のようになります。

 (1)キック脚重心水平速度dKの値が非常に大きい
 (2)ヒップドライブ速度は、ゲイ選手と同じくらい
 (3)相対スウィング速度として、大きな値が生み出されている

 2012年の山縣選手のランニングフォームの解析から、山縣選手が7 [m/s] 台の、大きなキック脚重心水平速度dKを生み出していました。しかし、これは、トップスピードでの4歩について調べたものでした。上記の解析では、そこへと至る、スタートダッシュ後半においても、大きなキック脚重心水平速度dKが生み出されているということが明らかになりました。
 これに対して、相対スウィング速度の値は、もっと小さなものでした。2012年までの解析データでの最大値は、Gay7のdS-dB=5.6 [m/s] だったのです。山縣選手は、意図的に相対スウィング速度を引き上げようとしているように見受けられます。また、2012年の解析では、相対スウィング速度のピークが、キックポイントから遅れていることが多かったのですが、今回の解析では、うまく合っているようです。相対スウィング速度は係数q=1/4を掛けて見積もらなければならないので、全重心の水平速度dGへの上積み分は、0.5 [m/s] くらいかもしませんが、限界を極めようとしている、このようなレベルの選手にとっては、このような値でも意味をもちます。さらに、スウィング速度を大きくするという試みで、他の要素である、ヒップスウィング速度dT-dKや、キック脚重心水平速度dKが、より大きい値へと変化する可能性もあります。スプリントランニングを3つのスピード要素に分解して調べているのは、研究の都合であって、ランナーとしては、キック動作は「ひとつの動き」なのですから。
 キック軸加速度比aGO/gの値が、ゲイ選手の値ほど大きくありませんが、これは、キック軸加速度比aGO/gの生み出し方が異なるためだと考えられます。ゲイ選手は、キック脚の膝の変化やスウィング脚の積極的な動きなどを中心としていますが、山縣選手の、大きなキック脚重心水平速度dKを生み出す動きでは、キック脚の足首の変化による、ヒールドライブ効果を中心としていました。ただし、はたして、山縣選手のスタートダッシュでも、そのようになっているかは、まだ詳しく解析していません。
 もうひとつ、今回の解析で驚かされたことがあります。これまで、アルファクランクキックの解析例で、あまり大きな速度dGを観測できていなかったので、この、アルファクランクキックは、いわば、失敗か慣性キックとして、加速フォームとしては意味のないものだと考えてきました。しかし、山縣選手は、アルファクランクキックにおいて、ベータクランクキックやガンマクランクキックと同じように、大きな速度dGを生み出しているのです。10年ほども前のことですが、当時の(BASICによるプログラムによる)解析で、モーリス・グリーン選手がアルファクランクキックを生み出していることを調べていたのでしたが、それ以来、この、アルファクランクキックを、実際に効果的なものとして生み出すことができる選手を確認したのは、山縣選手だけだったのです。また、ベータクランクキックについても、山縣選手は大きな速度を生み出しています。おそらく、山縣選手によって、ガンマクランクキックとベータクランクキックとアルファクランクキックの意味づけが変えられることになることでしょう。
 まだ、47歩のうちの、10歩を解析しただけです。
 次の解析へと進みたいと思います。
 (Written by KULOTSUKI Kinohito, June 15, 2013)

 

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