ej01 走り幅跳びの踏切板で音を立ててはいけない

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito) 本名 田中 毅(TANAKA Takeshi)

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 はじめに

 スポーツの森へ行き、車を山のホテル側の崖っぷち駐車場にとめ、車の屋根に積んである800グラムのやりは持たず、やり投げ用のスパイクだけを簡単なバッグに押し込んで、立体交差のトンネルを抜け、子供の遊具がたくさんある丘を横目に見て、陸上競技場へ。
 三日前までは、とにかく何が何でも体を休めるという生活を続けたため、脚は見事にやせ細り、首筋には血管も浮き出て、ぽこりと鳩尾(みぞおち)から臍(へそ)の辺りまで膨らんでいるくせに、左右の腋(わき)の下あたりに浮かび上がっている肋骨(ろっこつ)のうすい皮の下には、筋肉らしきものがない。
 これでは栄養失調でガス室送りを待っている人間のようだ。なんとかしなくては。
 とりあえず、かんたんなウェイトトレーニングでも始めようと、近くの施設を探し、入会費を払って講習を受けるとき、器具の使い方を体験するという名目で、左右別の押し台があるレッグプレスマシーンの負荷を、するすると140kgへと高め、40回ほど、ハーフスクワットまでは無理なので、クォータースクワットのひざの角度で、反動ブレーキ反復を行った。
 両肩あたりの超回復を待たなければ自由に動かせない筋肉群は、二日前に、スポーツの森のグラウンドでやり投げをしたため。利き腕は右だが、トレーニングの過程では左でも投げる。二日前は、そのあとウェイトトーニングへ。この日のトレーニングでは、エネルギーをとことん搾り取ったので、かんたんな腹筋をやった後、台から起き上がれず、横に滑り落ちて、床で、まるで死体のように横たわる始末。
 この夜、突然、太腿の表と裏、それに加えて脹脛(ふくらはぎ)まで、同時に痙攣(けいれん)したのにはまいった。ベッドに座ってから立ち上がり、歩きまわったが、まだ続いている。このとき部屋の中にあったイカの燻製(裂きイカ)をつまんで食べる。次はコーヒー味にコーティングされたピーナッツ。気が付くと、痙攣の兆候はすっかり消えていた。
 ふと考えた。痙攣が起こっているのは、それらの筋肉を支配している神経ともども、全身の神経が交感神経緊張状態になっているから。食事をすると副交感神経緊張状態となる。神経はもともと一つだ。それらの脳の中でのスイッチが、単なる食事によって入れ替わった。次の日、業務スーパーへ行って、裂きイカの大袋を買った。
 昨日はウェイトトレーニングのみで、終わってから温泉の湯の中で、2時間ほど、ぷくぷくと浮かぶ。このためか、夜に裂きイカを食べなくてもよかった。
 スポーツの森のグラウンドでは、試合のような記録会のような大会が行われていた。入口のエントランスを抜けて、グラウンドの正面屋根の下にテーブルとマイクが置かれてあり、そこに知人の顔が見えた。
 「今日は審判長ですね」
と挨拶すると
 「やぁ、田中先生(だったのは35年も昔のことなのに)、ちょうどよかった、審判を手伝ってくださいよ」
 「またあぁ、かんべんしてよ。ちょっと棒高跳び見に行ってもいい?」
とかなんとか切り上げ、棒高跳びのピットに向かう途中のゴール前で、やはり知人。
 とりあえず挨拶すると、ここでも審判を手伝ってほしいと言われる。そのまま見ていると、5000mの周回観察をしている。周回遅れのランナーを確認する仕事だ。見ていると、選手の腰ゼッケンを読み間違えている。
 「歳ですね。何度も番号読み間違えていますよ。わかりました。手伝いましょう」
 それで私は何をすればよいかと聞くと、とりあえず、知人がやっているやつらしいが、11時半まで、次の仕事がないというので、それまで棒高跳びのピットへ。
 審判の人にあいさつして、とりあえず私も審判のはしくれということで、グラウンド内で見せてもらう。
 11時までに、知人がやって来て、走り幅跳びのピットに記録の掲示板の台車を用意したから、そちらへ回ってくれと言う。

 踏切については何も教えていなかった

 赤と白の旗を持ってファールの判定をする審判、スタンド式の記録計測窓を覗く審判、砂場での着地跡を見て踏切板の先端ラインに最も近いポイントに針金を指す審判、の三人はすでに決まっていた。もう一人記録員も。私はほんとうに、選手のゼッケン番号と記録を表示して、観客や本部の方へ向けてぐるりと回す係だった。
 やってみると、これはとてもいそがしく、選手の呼出コールは、選手に向かってなされるため、また、スタンド直下のピットなので、スタンドの応援の声が盛り上がって、何も聞こえなかったりする。仕方がないので、助走路に立っている次の選手のゼッケン番号を目視で読み取る。
 中学や高校(実は一般分類)の女子選手の試合から始まった。このあたりの時間帯で、トラックは100mのタイムレース。何組も何組もあって、走り幅跳びの女子選手も、およそ半数が100mへと出場していた。
 分割しての、このグループが終わったら、次は中学と一般(ほとんど高校生)の男子たち。
 彼らが助走練習をしている間は、記録を掲示する仕事もなく、私はほぼ自由な状態。
 そのとき、ある高校生が声をかけてきた。
 「以前ここで、1日だけ、走り幅跳びを教わりました」
 「ええっ? そんなことあったっけ?」
 記憶がよみがえって来た。彼はこの近くの中学校の生徒で三年生。私がかつて指導していた中学だったが、その当時の指導者とは、あまり親しくしていなかったので、おおっぴらに指導はしていなかった。ただ、彼はそのとき故障中で、砂場にいて、他の選手のトレーニングのための補助をしていたのだ。そこで私は彼と立ち話をしただけだ。
 「三段跳びの選手が下手で、何の技術も持っていないということを私が愚痴っていた」
 「そのとき砂場にいた生徒です」
 「そんなこともあったね。で、今は?」
 すでに彼は高校3年生になっていて、走り幅跳びが専門種目だという。100mの記録を聞くと
 「11秒の前半、2くらい(11秒2)」
 「だったら、7mくらい飛べるはずだ」
 「……(苦笑い)」
 「見とくよ。がんばって」
 プロローグはここまで。
 彼の記録は1回目6mと少し。何も失敗らしきことはしていない。助走は、かつての3年前、彼にではなく、別の中学の女子選手に教えたものによく似ている。砂場でのおしゃべりのときに、言葉だけで教えたのかもしれない。踏切板もうまく使えているし、跳躍の高さも悪くない。着地もうまく行えている。
 私の昔のことを思い出す。私は走り高跳び専門だったが、中学3年のスポーツテストで、靴での実測だったが、5m90を跳んでいる。スポーツテストでの走り幅跳びの満点の20点は5m00でよいのに、5m90である。100mは13秒0だった。
 彼は100mで11秒2くらいで走るのに、なぜ6mそこそこしか跳べないのか。
 2回目の記録は6m44であり、少し満足気味だった。
 このときの跳躍を見て、私は(6m44しか跳べないという)理由に気がついたが、記録の掲示で忙しかったし、選手である彼らは、ピットの向こう側の審判群の後ろを通って、助走路横の自分たちの陣地へと帰る。まあ、試合中にコーチなどがアドバイスするのはルール違反なので、次はどう跳ぶか、楽しみにして待った。6m44くらいを踏み台として、6m70くらいを跳べるのなら、うまくコントロールできる選手のはず。
 ところが3回目も6mと少しだった。
 やはり分かっていない。
 このグループの試合が終わったので、掲示板の数字をすべて白く変え、私は彼らの陣地へと向かった。
 「君らが何故記録をのばせないか、分かっているか?」
 「……」
 明確な答えはなかったと思うが、その目を見て、分からないと言おうとしていることは分かった。
 「君らは走り幅跳びの踏切技術を誤解している」
 「……」
 「踏切板もうまくあっているし、力強く踏み切れて、適度に高く跳べている。空中フォームも着地も決まっている。これのどこに問題があるのか。そう思っているかもしれない」
 「……」
 「ここ落とし穴がある。うまく決まっているのに、記録が伸びない。なぜか?」
 「……」
 彼らは、きょとんとして、ただ聞いている。
 「君らは踏切のとき、水平スピードにブレーキをかけている。横で見ていれば分かる。踏切板の上での動きで、君はその前半だけで踏切を終えている。踏切動作の1/2しかやっていない。(同校チームの他選手を見て)君は1/4だ。水平速度をもっていて、踏切のはじめにブレーキをかけて高く跳ぶというのでは、助走でつけた水平速度を失う下手なやり方だ(走り高跳びとしては正しい技術)」
 「……」
 「私は、学生のときの記録会で走り幅跳びにでて、どれだけ高く跳べるかやってみることにした。私は走り高跳びを専門としていて、脚力には自信があった。そしたら、まるで走り高跳びのように、2mくらいまで重心が上がって、ぽとりと砂場に落ちた。5m60くらいだった。いつもは6m20くらいは跳んでいたのに。他の学校の選手が笑って言った。田中は走り場跳びの砂場(ピット。昔はこんなしゃれた言い方はしなかったとおもう)で走り高跳びをやってやがら。とんだ笑い話だった。
 君らはそれと同じことをしている。ほんの少しだから、間違っているのが分からない。
 フランスのメイ選手やキューバの男子選手(名前は出てこなかったが、調べたところ、ペドロソ。イバン・ペドロソ)は、踏切板の中央で力のピークがくるようにとねらっている。そのあとも全身で伸び上がろうとしている。踏切動作はもっともっと長いものだ。時間的にはたいして違わないが、その短い時間の、ほんの一部しか君らは感じ取っていない。私は走り高跳びも、走り幅跳びも、棒高跳びもやって来たから、それらの時間がとても長いということが分かる。実際には短い時間に、いろいろなことができるということを知っている。君らは、その1/2や1/4ぐらいしか知らない。
 ほんとうの踏切動作の時間はもっと長い。それを感じ取れている選手の踏切は、もっとやわらかい。何も音はしないし、流れるように空中に跳び出してゆく。今回も中学生に一人いた。あとはみんな駄目。どこかで終わって跳び出している。瞬間的に止まって見える。それでは水平スピードを失って、記録がのびない。
 時間を長く感じ取れて、やわらかい踏切ができたら、100mを11秒の前半で走れるのなら、7mは跳べる。
 君らはまだ走り幅跳びの、奥深い世界の、入口にしかいない。もっともっとトレーニングすべきことがある。まあ、私は、今だけしか教えてあげられないが、ここで教えたことを意識してトレーニングすれば、きっと記録は伸びる。次の試合までわずかかもしれないが、意識してトレーニングして、分かったら、一瞬で変われる。
 まあ、がんばってトレーニングしな」

 そのとき言わなかったが、補足すると、高校生たちはみんな、踏切前に重心を少し沈めて踏切へ入るという動きができていない。スピードを落とさずにそれができるようになるというのは、かなりむつかしいことだが、今回、小学生で一人、このような動きをうまく意識していた選手がいた。やればできる、というか、意識してやればできる。あるいは、そうするのだと教えて、何度も選手がやろうとすればできる。これらのプロセスのどこかが欠落しているのだ。小学生(は教えないと無理かもしれないが)から一般選手まで、もっと運動力学や筋肉についての生理学を学ぶことで、自分の可能性が広がるということを切実に感じ取らなければだめだ。
 走り幅跳びの踏切前の動作は、1歩前だけでは何もできない(カール・ルイスをのぞけば)。3歩前からやろうとすると(やってみたことがあるが、強調しすぎると、見事に)水平スピードを失う(走り高跳びならこれでもよい)。最後の2歩をどのように運ぶかという技術は、とてもむつかしい。でも、チャレンジしがいがある。踏切2歩前ですうっと沈んでおく。1歩前では、踏切に向かって駆け上がるようなイメージをもつ。うまくこなせると、踏切がとても柔らかくなる。踏切板が階段の1段目のように感じられる。踏切板ではなく、軽い助走でよいから、実際に階段の1段を利用して、高く遠くへ跳んでみるとよい。その感覚を、全て平らな助走路と白い踏切板で演じる。
 もうひとつ、ほとんど誰も中間マークを置いていなかったと思うが、強い選手がよくやっているのは、踏切4歩前の中間マークである。1(イチ)ではマークを確認して進む。2(二―)は、ストライドをわずかに伸ばし、自然な動きでほんの少し高く跳ぶこととなり、3(サン)で少し沈み込みやすくしておく。ほとんど人には気づかれないぐらいの変化だ。慣れてゆくと、2(二―)の動きはほとんど意識しなくても、3(サン)だけで支持脚の膝の力を微妙に抜いて、スピードを落とさず、うまく沈みこむことができる。かつての教え子の七種選手が、いつのまにか、うまくできるようになっていた。
 4は踏切の一歩である。ここで決して突っ張ってはいけない。彼女は、まるでランニング動作を続けているかのように、踏切板のところで少し角度を変えるようにして、空中へと走る動作をつづけていった。走り幅跳びの踏切動作ではなく、ただのランニングフォームのように見えた。
 彼女のライバルの七種競技の選手は、こうではなく、古典的な踏切前半でやや突っ張るフォームだった。高校生のころから全国ナンバーワンだったが、走り幅跳びの記録は伸びていない。
 教え子の走り幅跳びの記録はわずかに劣っていたが、まるで(メキシコオリンピックで8m90を跳んだ)ビーモン選手のように、サンダーバード2号のスタイルで空中を飛んで、そのまま機体が胴体着陸するかのように、しりもち着地をしてしまうのだ。これで何10センチメートルも損してしまう。普通に着地さえすれば、6mは簡単に越えてしまう。
 ああ、そういえば、基礎中の基礎である着地の方法を、一度も教えていなかった。
 彼女が高校3年生のとき、突然七種競技に出るから教えてと言ってきたとき、私はグラウンドで出会って指導するだけのボランティアコーチだったので、指導する時間がなく、200mのための、当時分かったところまでの高速ランニングフォームと、800mのためのペース走だけにして、私が得意とする(滋賀県で優勝する生徒をたくさん生み出していた)フィールド種目の走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げについての指導は切り捨てた。やり投げは彼女にまかせっきりで、100mハードルは彼女が高校二年生の秋に2回ほど教えただけ。
 大学生になってからの試合を見て、100mハードルの技術がまだ未熟なことを指摘すると
 「田中さん、そんなこと一度も教えてくれなかったじゃないですか」
と言うので
 「初心者にそこまで高度なこと教えても、できないに決まってるやろ。あのときは、おまえができる範囲のことしか指導しなかったんや」
 このようなことなので、手紙で指導したスプリントランニングのフォーム以外は、ほとんど何も教えられなかった。
 だが、走り幅跳びに関して言えば、踏切前の動きと踏切はほぼ満点で、着地は零点。とくに、まるで空へと走り抜けてゆく踏切動作については、初めて見たような気がする。当時の日本の女子ナンバーワン走り幅跳び選手の踏切は、まったく古典的で、すごい日本記録が出たのは(ここの表現で名前が分かるだろうな)ただの偶然だったと言える。80点くらいかな。
 下のテーマを先取りしてしまうが、踏切の時間をすべて有効に使えば(使って動けば)、音はしないし、動きが止まったとは感じず、そのまま空へ、天女のように流れてゆく。(文学的すぎるか)

 走り幅跳びの踏切板で音を立ててはいけない

 私は、次のグループがやって来ていたので、記録掲示飯のほうへ戻った。次のグループというのは小学生の男子たちだった。たくさんたくさんいた。
 助走練習をさせているとき、その小学生たちを指導しているコーチが砂場をならす作業を自主的にやっておられた。見ているうちに、彼らは白い踏切板と緑の粘土板(今はゴムで代用している)の意味が分かっていないのではないかと気づき、そのコーチに話した。彼がそうかもしれないというので、助走練習をとめて、初走路で待つ彼らのところへゆき、縦に長く並んでいるので、何回かに分けて、私が移動し
 「白は踏んでもいいけど、緑を踏んだらあかんのやで、分かったか」
と繰り返してゆくと、スパイクの先が浮いていたらいいのかと、専門的なことを確認してきた。
 ほかに、踏切板の先端から記録を測るので、ぎりぎりまで踏んだ方がいいということも、小分けにして説明するはめになった。
 それで小学生たちは、白い踏切板に足を合わせるようにし始めたが、何か違う。
 彼らは踏切板で、バタンと音を立てているのだ。
 さっき説明した高校生たちより、さらにひどい。私はもう一度助走練習を止めて、走路で順番をまつ彼らのところに行き、自分の体で動きを見せながら
 「踏切板のところでバタンと音をさせたらおしまいじゃないぞ。こうして、体全体を使って伸びあがるんだ」
と、踏切について教えた。
 このあと私は、走り高跳びのピットで審判員が一人しかいない状況になったので、そちらに回ることになった。走り高跳びや棒高跳びの審判は私の専門だった。で、走り高跳びのピットにゆくと、ほんとうに二人だけだったので、私は呼出もかねた記録員をやることとなった。初めてのことである。
 いろいろ指導した小学生たちが、実際の試合でどのような跳躍をするかは、遠すぎてわからなかったが、とりあえず、大忙しの記録表示板の操作という激務からはのがれられた。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, May 12, 2019)

 

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