高速ランニングフォームについてのエピソード(24) 肉離れ
高速ランニングフォームは
ハムストリングスの肉離れと無縁なのだろうか

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 ハムストリングなのかハムストリングスなのか

 ハムストリング(hamstring)というのは太ももの裏側にある筋肉群を総称する言葉らしい。解剖学の図解のようなものを見ると、「大腿二頭筋」と「半腱様筋」と「半膜様筋」という名の3つの筋肉が並んでいる。そこで、これらの筋肉が複数であるということを意識して、複数形の「ス(s)」がついたようだ。
 日本語の翻訳としてはハムストリング(hamstring)で良いらしい。しかし、上記の複数形だという理由が広がって、どうやら、ハストリングス(hamstrings)のほうが優勢なのだとか。
 英語のスペリングを眺めてみると、これは、hamとstringによって構成されていること分かる。hamとは日本語の「ハム」そのもので、肉を薫製したものである。スライスして食べることが多い。stringとは「糸」のことである。ウェブで調べて分かったことだが、豚肉などのハムを造るときに、この、太ももの内側の筋肉を「糸」として使い、薫製するための肉をつるしたというのだそうだ。
 このあと私は、優勢なほうの「ハムストリングス」を使うことにする。


図1 ハムストリングスの筋肉群

 ハムストリングスの肉離れの原因は

 「ランニング障害解決事典」[1] によれば、次のようなことらしい。
 太ももは、表側の大腿四頭筋と裏側のハムストリングスが対抗している。通常は同時に収縮しないようにしている。しかし、緊張した短距離走において、このバランスが狂って同時に収縮してしまい、筋力の弱いハムストリングスのほうで筋断裂が起こる。

 ハムストリングスの肉離れの症状による分類

 「スポーツ外傷・障害とリハビリテーション」[2] では、次の3つに分けられている。
 軽度 → 筋線維が過度に引き伸ばされ、逆に、反射的に筋収縮を起こす。
      このとき筋線維は断裂していない。
 中度 → 筋線維の部分的な断裂が生じる。このとき筋力の低下をともなう。
 重度 → @ 筋肉それ自体の断裂。A 筋腱移行部での分裂。
      B 腱の骨からの裂離。
 いろいろあるものだ。軽度や中度は体験したことがありそうだが、重度になったことはないと思う。しかし、しばしば耳にする「アキレス腱断裂」というのは、重度のBに相当するのかもしれない。

 ハムストリングスの肉離れの治療と治癒のプロセス

 [1] には「治療」が、[2] には「治癒」がまとめられている。このあとの説明の都合上「治癒」のほうから引用する。
 治癒 → (1) 血腫(けっしゅ)の形成、 (2) 血腫の吸収、
       (3) 線維芽(せんいが)細胞の再生、 (4) 瘢痕(はんこん)組織の形成
 治療
 A 応急処置 → 筋肉をゆるめた状態でよく冷やす。
 B その後2〜3日 → ストレッチングもマッサージもやってはらない。
 C 痛みが引いてきたら → 温めてストレッチング(このような、早期からのストレッチング)
            → 回復をスムーズにするため、
             筋肉内に形成される瘢痕(はんこん)組織を縦方向にそろえておく。
 D ストレッチングでも痛みがなくなってきたら → 軽く走る練習へ

 リハビリテーションや予防

 [1] [2] とも、次の2要素について述べている。
 @ 筋力を高める。
 A 筋肉の柔軟性を高める。

 私のハムストリングス肉離れ体験

 30歳に満たないころのこと。十種競技の最初の種目である100mのためのウォーミングアップをサブグラウンドでやっていた。小雨だったので雨具を着こんでいた。スターティングブロックをもっていって、クラウチングスタートで、スタートダッシュを何度か試みた。いつになく十分すぎるくらいだった。このころ私は、垂直跳の記録を60cmから70cmへと向上させ、バネの仕上がりはベストコンディションだった。
 本番の100mのスタートをしてすぐに、「やった」と感じた。左脚のハムストリングスの肉離れだった。しかし、痛みは感じたものの、そのまま走りきることができた。なんと、自己ベストだった。いつもは12秒8くらいのタイムだったのに、このときは12秒0なのだ。スタートで肉離れしたというのに。
 次の走幅跳では踏切脚が左である。もちろん踏み切ることができそうにない。しかたがないので、三段跳の効き脚であった右脚で踏み切ることにした。自己ベストに近い記録だった。この日は、残りの種目(砲丸投、走高跳、400m)も、なんとか続けることができた。
 ところが、2日目の朝になると、さすがに左ハムストリングスの痛みはひどくなり、110mHなぞやれそうになかった。ここまでか、と思っていたのだが、たまたま来られていた、私が高校生のときの顧問の先生が様子を聞きにこられた。ハムストリングスの肉離れのことを述べたら、「テーピングをすれば走れるかもしれない」と言われ、先生持参のテープで左脚の裏側を固めてもらった。
 左脚はハードルのリード脚だった。なんとか右脚で踏み切ることもできたし、左脚で着地することもできた。テーピングで固定して痛みを感じなくなるというのは不思議だった。ただし、このテーピングのせいで、リード脚をまっすぐ伸ばすことができなかった。ハードルの上をすれすれに跳ぶことはできず、ずいぶん上を跳んだと思う。当時真似をしていたロッド・ミルバーン選手(米国)の技術が生きたようで、インターバルも高い重心のまま、まるで、深いプールの底にちょこんと爪先をつけるような感じで地面をキックした。
 なんとか全て3歩でゴールした。このときの記録が、なんと、ベスト記録の16秒0であった。その後、ハムストリングスの肉離れが治ってからも、何度か十種競技でハイハードルに出場したが、このときのタイムを上回ることができなかった。
 100mも110mHも、ハムストリングスの肉離れを起こしていながら、(結局のところ)生涯ベストだったのである。どうやら、脚のバネを生かした100mや110mHのようなランニングにおいては、ハムストリングスというものは、ほとんど活躍していないようだ。

 高速ランニングフォームとハムストリングスの肉離れの関係は

 十種競技に打ち込んでいたころから30年近く経っている今になって、私は高速ランニングフォームを調べるため、遅いながらも、そのランニングフォームをなぞろうとして走っている。他のランナーの動きを外から観察するだけでなく、ランナーとしての内的な感覚というものを知る必要があるからである。あるいは、自分自身の体を使って実験をするという目的もある。
 このような、高速ランニングフォーム(サバンナキック)のトレーニングを繰り返しているうちに、脚の筋肉における疲労がとれてきたとき、まっさきに軽く感じられる部分がハムストリングスであるということに気がついた。いつまでも疲労性の筋肉痛が残るのは大殿筋である。その次は太ももの表側で、かつて真剣に鍛えたふくらはぎも、最近では筋肉痛にならなくなってきた。
 これらの筋肉群のなかで、ハムストリングスが異常なほど軽くなってゆく。これはヤバイ、こんなにハムストリングスが弱くなってしまったら、スタートダッシュのときに肉離れを起こしてしまいそうだと不安がよぎる。
 研究のために走っているだけで、本格的な100mレースなどに参加していないので、幸いにもまだハムストリングスの肉離れは起していない。しかし、本格的に高速ランニングフォーム系のスプリントランニングをやっているランナーはどうだろうか。
 いろいろな選手のフォームを調べているところだが、私の解析によれば、高速ランニングフォームに近い動きをしている日本のトップランナーの多くが、ハムストリングスの肉離れに苦しめられているようだ。たとえば洛南高校の桐生祥秀選手、慶応大学の山縣亮太選手、古くは、リレーの決勝中に肉離れを起こしたままバトンをつなげたという末續慎吾選手などの例がある。
 高速ランニングフォーム(サバンナキック)では、ハムストリングスの出力に期待していない。トップスピードで走るときは、ハムストリングスは眠っていてほしいくらいだ。ところが、100mレースはトップスピードのランニングだけでは成立していない。静止状態からのスタートダッシュがある。このとき、誰でもピストンキックで加速しなければならない。太ももの表側と裏側の緊張を入れ替える時間がきょくたんに短くなってしまう。
 もうひとつ危険な要素がある。キック後の脚の膝下部分を後方へと巻き上げるクセをもったランナーがいる。スタートダッシュのとき、なぜ、このように危険な動作を組みこんでいるのだろうかと思ってしまう。
 まとめてみよう。
 高速ランニングフォーム(サバンナキック)では、トップスピードでさらに加速するというときでも、ハムストリングスに依存しない。すると、高速ランニングフォーム(サバンナキック)で走ることを得意とするランナーは、ハムストリングスに負荷をかけない分、ハムストリングスの筋力を弱めてしまう。ところが、トップスピードではどのようなフォームを得意としていようが、静止状態からのスタートダッシュでは、誰もがピストンキックである。ハムストリングスに力を込めることが起こる。足先を後方へと巻き上げるクセがあるときは、さらに危険な状態が生じる。いずれにせよ、脚筋力が絶好調なほど、たとえば、垂直跳が60cmから70cmへとレベルアップしたとき、ハムストリングスの肉離れの危険性が高まるのである。調子が高まってゆけばゆくほど、さらに、高速ランニングフォーム(サバンナキック)へと向かってゆけばゆくほど、しらずしらずのうちにハムストリングスの筋力を弱めてしまうことになり、ハストリングスの肉離れという「爆弾の火薬」を蓄えていることになるのである。
 よくよく注意してほしい。
 (Written by KULOTSUKI Kinohito, Jan 22, 2013)

 参照資料

[1] 「まんがでわかる ランニング障害解決事典」スポーツ整形外科医 小嵐正治(著)、(株)ランナーズ 2004
[2] 「スポーツ外傷・障害とリハビリテーション」兵庫大学助教授 魚住廣信(著)、山海堂1996

 

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