高速ランニングフォームについてのエピソード(32)
スピード能力3要素はスタートダッシュや中間疾走において
どのように役だっているのか

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 スピード能力3要素


図1 身体各部の重心水平速度とスピード能力3要素

 図1の(a)と(b)には、身体各部(上半身T, キック棒B, キック脚K, スウィング脚S)の重心水平速度(dT, dB, dK, dS)が、運動量保存則によって置き換えられ、最後に全重心(G)の水平速度(dG)となるところを示してあります。
 スピード能力3要素とは、これらの身体各部の重心水平速度(dT, dB, dK, dS)そのものではなく、それらの組み合わせによって、ランナーの感覚を中心とした「3つの動き」を取り出したものです。この「3つの動き」とは、ヒップドライブ速度dT-dK, 相対スウィング速度dS-dB, キック脚重心水平速度dKを意味します。
   スピード能力3要素(dT-dK, dS-dB, dK)と全重心(G)の水平速度(dG)には、次のスピード能力3要素寄与式が成立します。
  dG = p(dT-dK) + dK + q(dS-dB), P=2/3, q=1/4
 キック脚重心水平速度dKの係数が1であるのに対して、ヒップドライブ速度dT-dKでは2/3となり、相対スウィング速度dS-dBでは1/4となります。つまり、これらのスピード能力3要素の速度は、全体の速度dGに対して、同じように作用しているのではなく、これらの係数に応じた重みづけのもとで作用しているのです。

 中間疾走のランニングフォーム


図2 中間疾走のランニングフォーム

 100mのスプリントランニングを、おおまかに、「スタートダッシュあたりの初期加速のフォーム」と、「それ以降の中間疾走」とに分けて、スピード能力3要素とdGとの関係などを調べます。
 図2は「それ以降の中間疾走」の幾つかのフォームです。Ymg1LやYmg2Rは山縣亮太選手のKry1RやKry2Rは桐生祥英選手のTs23 0はTS選手の中間疾走フォームです。

 スタートダッシュのランニングフォーム


図3 スタートダッシュのランニングフォーム

 スタートダッシュのランニングフォームとして取りあげたのは、TS選手とGay選手によるものです。TS選手のフォームではスターティングブロックを押して出るところから9歩までを解析しました。およそスタートから20mあたりまでのものです。これに対してGay選手のフォームは20mから40mあたりのものです。スタートダッシュの中盤から中間疾走への移行部分となります。

 スタートダッシュや中間疾走におけるスピード能力3要素

 スタートダッシュや中間疾走において、スピード能力3要素がどのような役目をしているかを、多くのランナーのデータを調べることによって考えてゆきます。


図4 キック脚重心水平速度(dK)と全重心水平速度(dG)

 図4は「キック脚重心水平速度(dK)と全重心水平速度(dG)」について(a)スタートダッシュと(b)中間疾走に分けて調べたものです。
 いずれも、グラフの対角線に沿って分布しています。このことから、キック脚重心水平速度(dK)と全重心水平速度(dG)には「強い正の相関」があることが分かります。
 (b)中間疾走の右に、これらのグラフにプロットしたデータの凡例を示してあります。Lは左脚キックフォーム、Rは右脚キックフォームです。TSがついている、TSON、TS23、TS211、TS(SD)は、いずれもTS選手 [1] のデータです。他の記号は次のような意味です。Kryu →桐生祥英選手 [4] 、Ymgt →山縣亮太選手 [3] 、Doi →土井杏南選手、Ost →大瀬戸一馬選手 [5] 、Erg → 江里口匡史選手 [6] 、FK → 福島千里選手 [7] 。


図5 ヒップドライブ速度(dT-dK)と全重心水平速度(dG)

 図5は「ヒップドライブ速度(dT-dK)と全重心水平速度(dG)」について(a)スタートダッシュと(b)中間疾走に分けて調べたものです。
 少し広がっていますが、左下から右上に向かって分布しています。(b)中間疾走のものに比べ(a)スタートダッシュのほうが、正の相関はやや強そうです。
 これらの関係グラフにより、ヒップドライブ速度(dT-dK)を大きくすることにより、全重心水平速度(dG)を大きくすることができると考えられます。


図6 相対スウィング速度(dS-dB) と全重心水平速度(dG)

 図6は「相対スウィング速度(dS-dB) と全重心水平速度(dG)」について(a)スタートダッシュと(b)中間疾走に分けて調べたものです。
 この関係については、(a)スタートダッシュと(b)中間疾走において異なる結果となっています。(a)スタートダッシュにおいては、相対スウィング速度(dS-dB) と全重心水平速度(dG)は正の相関があると考えられます。しかし、(b)中間疾走においては、全体として、そのような正の相関があるとは認められません。
 これらの関係グラフにより、(a)スタートダッシュにおいては、相対スウィング速度(dS-dB)を大きくしてゆくことと、全重心水平速度(dG)を大きくすることとが結びついているようですが、スピードが大きくなってきた(b)中間疾走においては、相対スウィング速度(dS-dB)を大きくすることによるスピードアップの効果は、あまり強くないようです。おそらくこれは、スウィング脚というものが、全体のほぼ1/4という質量しかないということと、腰からぶら下がって振り子のように動くという自由さのため、スピードの上限値に近づきやすいということが関係していると思われます。
 それでも、意図的にスウィング脚をスピードアップして動かすということと、キック脚による出力ピークとシンクロさせるということが、全体のスピードdGの向上に貢献するはずです。もちろん、そのときのdS-dBの値は1/4を掛けて見積もる必要があります。


図7 ヒップドライブ速度(dT-dK)と相対スウィング速度(dS-dB)

 図7は「ヒップドライブ速度(dT-dK)と相対スウィング速度(dS-dB)」について(a)スタートダッシュと(b)中間疾走に分けて調べたものです。
 この関係についても、(a)スタートダッシュと(b)中間疾走において異なる結果となっています。(a)スタートダッシュにおいては、ヒップドライブ速度(dT-dK)と相対スウィング速度(dS-dB)は、いくらか正の相関があるように見えます。しかし、(b)中間疾走においては、プロットが全体的に広がっていて、正や負の相関があるようには見えません。つまり、スピードが高まった(b)中間疾走において、ヒップドライブ速度(dT-dK)と相対スウィング速度(dS-dB)は、ほぼ無関係なものとして、それぞれ独立に作用していると考えられます。
 (a) スタートダッシュにおいては、図5と図6で見たように、ヒップドライブ速度(dT-dK)と相対スウィング速度(dS-dB)は、それぞれが全重心水平速度(dG)と正の相関をもって作用しているので、それぞれ独立にではあるものの、同じ目的に向かっているので、結果として、図7のような「正の相関」が生じているとも考えられます。

 考察

 スタートダッシュと中間疾走の全てにおいて、キック脚重心水平速度(dK)と全重心水平速度(dG)は強く結びついています。ただし、このことは、キック脚重心(K)と全重心(G)との関係が、図形として、ひとつのものとなっていることを意味しているだけなのかもしれません。
 キック脚重心水平速度(dK)だけを取りあげて考えるとしましょう。しかし、さて、いったい何をどのように意図して動かせば、このdKを大きくすることができるのかと問いなおしてみると、この答えを見出すのは、なかなか困難なことです。ひとつ言えるかもしれないことは、キック脚の足首で力を逃がしてしまわないということくらいでしょうか。でも、さほど積極的なことではなく、ロスを生み出さないという、やや消極的な取り組みとなります。
 ヒップドライブ速度(dT-dK)は、スタートダッシュと中間疾走の全てにおいて、全重心水平速度(dG)を大きくするための、重要なファクターとなります。実際、日本のトップスプリンターたちは、大きなヒップドライブ速度(dT-dK)を生み出す能力をもっています。
 相対スウィング速度(dS-dB)は、スタートダッシュにおいては、全重心水平速度(dG)を大きくするために役だっています。しかし、スピードが高まってゆくにつれて、これの重要性は低下してゆきます。このような結果は、ひょっとすると、中間疾走のデータを構成している日本のトップランナーたちが、相対スウィング速度(dS-dB)を可能なかぎり利用しようとしていないからかもしません。具体的なフォームを調べてみると、多くのランナーが、スウィング脚の動きのピークを、キック脚の出力ピークと合わせようとしていないことが明らかになっています。
 さらに、このような結果となる要因の一つに、スピード能力3要素寄与式における相対スウィング速度(dS-dB)の係数が1/4と小さいことが作用しているとも考えられます。
 これらの解析結果より、これまで、キック脚の動きに対して、スウィング脚を意図的に前方へと振り出すことが、ランニングスピードを高めるための技術であると主張されていたことが正しくなかったかもしれないということが分かります。ほんとうはどうだったのかというと、スウィング脚を意図的に前方へと振り出すことによって、部分的なスピードが大きくなったのは、相対スウィング速度ではなく、ヒップドライブ速度のほうだったのかもしれません。図5で見たように、中間疾走においても、ヒップドライブ速度dT-dBは全体の速度dGを大きくすることと正の相関があります。図6では、相対スウィング速度が全体の速度dGとはほぼ無関係にちらばっています。
 おそらく、スウィング脚の主要な役割は、全体の速度dGを直接に大きくすることにあるのではなく、全体の速度dGを大きくする他の要素がうまく作用するための、力の方向づけのためにあるのではないかと思われます。

 まとめ

 100mが9秒台のGay選手の能力に近づくのは難しいことかもしれませんが、スタートダッシュの後半に、キック脚重心水平速度としてdK=6 [m/s] ほどの値を生み出しています。また、中間疾走では、山縣選手が dK=7.5 [m/s] の値を出しています。
 ヒップドライブ速度では、中間疾走において、山縣選手や大瀬戸選手が dT-dK=5.0 [m/s] あたりの動きをしています。
 相対スウィング速度(dS-dB)では、中間疾走において、江里口匡史選手が dS-dB=5.3 [m/s] の値を生み出しています。
 これらの各最大値 dK=7.5, dT-dK=5.0, dS-dB=5.3 をスピード能力3要素寄与式
  dG = p(dT-dK) + dK + q(dS-dB), P=2/3, q=1/4
に代入してみましょう。

   dG = (2/3)×5.0 + 7.5 + (1/4)×5.3
    = 3.33 + 7.5 + 1.33
    = 12.16 [m/s]

   このようなトップスピードを生み出せるなら、おそらく100mで9秒台は可能なはずです。しかし、現在の日本のトップスプリンターは、スピード能力3要素のいずれかにおいて、潜在的な可能性を残したままで走っているということになります。また、データのプロットのばらつきの様子から分かるように、一人の選手としても、そのフォームは、もっとも効率の良いものへと集中していません。比較的よくまとまっているのは山縣選手ですが、相対スウィング速度(dS-dB)に対する能力が弱いようです。
 TS選手のデータとGay選手のデータによれば、スタートダッシュにおいてはスピード能力3要素が全て、全重心水平速度dGに役だっていると考えられます。スタートダッシュのはじめのあたりであらわれるピストンキックのフォームをたどりつつ、Gay選手は40mあたりで、中間疾走で効率の良いランニングフォームとなる、ガンマクランクキックを生み出しています。
 このあとの中間疾走で、このガンマクランクキックを安定して生み出しているのは、山縣亮太選手と土井杏南選手ぐらいです。
 力学的な効率の良いフォームを安定して生み出し、その上で、全体としてのスピードを構成するスピード能力3要素を評価し、可能なものを高めてゆくことで、より速く走る能力を得ることができることでしょう。
 (Written by KULOTSUKI Kinohito, March 21, 2013)

 参照資料

[1] TS選手 / 名称不明 / 2012年1月〜2月におけるランニング画像より解析
[2] 土井杏南選手 / 月刊陸上競技2011年10月号、同2012年7月号に掲載された連続写真より解析
[3] 山縣亮太選手 / 月刊陸上競技2013年1月号に掲載された連続写真より解析
[4] 桐生祥英選手 / 月刊陸上競技2012年11月号に掲載された連続写真より解析
[5] 大瀬戸一馬選手 /月刊陸上競技2010年12月号と月刊陸上競技2013年3月号に掲載された連続写真より解析
[6] 江里口匡史選手 / 月刊陸上競技2009年11月号と月刊陸上競技2012年1月号に掲載された連続写真より解析
[7] 福島千里選手 / 月刊陸上競技2008年6月号に掲載された連続写真より解析

 

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