高速ランニングフォームについてのエピソード(35)
短距離ランナーのスピード最大要因の
キック脚重心水平速度の違いを生み出すテクニック

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 このページの内容を理解していただくためには、エピソード(30)〜(34)(参照ページ [1] [2] [3] [4] [5])で説明してある知識が必要となります。
 前回まとめたエピソード(34)では、短距離ランナーの中間疾走のフォームにおいて、スピード能力3要素がどのように利用されているのかを、おおまかに考察しました。


図1 身体各部の重心水平速度とスピード能力3要素

 スピード能力3要素の中で、相対スウィング速度dS-dBは、短距離ランナーの初心者から上級者において、それほど大きな差異は見られません。スウィング脚は、スウィング脚の質量を受け持つだけなので、初心者でも上級者でも、同じように速く動かすことができるのです。しかし、このような質量の小ささが、全体の速度に寄与する効率を小さなものとしています。相対スウィング速度dS-dBはq=1/4という係数を掛けた値として見積もられることになるのです。
 これに対して、ヒップドライブ速度dT-dBが受け持っている質量は、両腕を含めた上半身となります。また、この速度を大きくするための動きは、スウィング脚のように目だったものではなく、「腰を入れる」と呼ばれる、わずかな動きに基づくものです。ただし、動きは小さなものですが、質量の分担分が大きいため、ヒップドライブ速度dT-dBはp=2/3という係数を掛けて見積もられます。
 3つ目のキック脚水平速度dKは、短距離ランナーの全体に影響するものです。見積もるときの係数は1なので、あえて記しません。
 これらのスピード能力3要素は、いずれも値を大きくしてゆくことによって、短距離ランナーのスピードを高めることができます。全体に対する、それぞれの寄与率は、おおよそ、ヒップドライブ速度p(dT-dk)は30パーセント、相対スウィング速度q(dS-dB)は10パーセント、キック脚重心水平速度dKは60パーセントとなります。
 それでは、どのようにすれば、これらのスピード能力3要素の値を大きくしてゆけるのかと考えるとき、もっとも分かりやすいのは相対スウィング速度でしょう。一般に、ピッチが速いと感じられるとき、スウィング脚の動きを速くしています。また、キック脚との出力のタイミングをあわせるためには、スウィング脚の重心が、キック脚を追い越すあたりで、もっとも速く動くようにすればよいのですが、実際には、このように細かなことを追求するより、ピッチを上げる動きのなかで、結果的に、そのようなタイミングでのスウィング脚の動きが速くなるように試みられているようです。
 ヒップドライブ速度については、これまで、このような要素があるという視点で論じられてこなかったかもしれません。しかし、さまざまなトレーニングが(実験的に)試みられる中で、体幹を鍛えることや、骨盤を動かすこと、あるいは、背筋や臀筋を使うということなどが、このヒップドライブ速度の向上に役立つだろうということが分かってきました。実際に、速く走れているスプリンターの多くは、大きなヒップドライブ速度を生み出しているのです。
 もっとも分かりにくいのが、キック脚重心水平速度です。短距離ランナーのスピード最大要因と考えられる、このキック脚重心水平速度を大きくするためには、身体各部のどこを強化して、どのように動かすことがよいのか、また、そのためのトレーニングとしてどのようなことを試みるべきなのか。これは重要な問題であるにもかかわらず、この問題を解くための手がかりがどこにあるのか分かりませんでした。
 このページでは、この問題について考えてゆきます。

 HR選手の右脚キックフォームと左脚キックフォーム

 エピソード(31) [2] で、スピード能力3要素寄与式 dG = p(dT-dK) + dK + q(dS-dB), P=2/3, q=1/4 という関係が成立することを明らかにしました。そして、エピソード(33) [4] において、これらの関係を直感的に見ることができる、スピード能力3要素寄与式の三角表示を表わし、エピソード(34) [5] で、4名の男子短距離ランナーのデータに基づいて、スピード能力3要素の中で、キック脚重心水平速度dKとヒップドライブ速度dT-dKが、全体のスピードdGと正の相関があることを明らかにしました。
 これらの解析で紹介したスピード能力3要素寄与式の三角表示のグラフは、ほんの一例だけでしたが、他にも数多くの短距離ランナーについて基礎的なデータを集め、それらのグラフを見ることができるようしてあります。それらの中で、女子短距離ランナーについてのスピード能力3要素寄与式の三角表示のグラフを見て、上記の問題についての「手がかり」を見つけることができたのです。
 女子短距離ランナーといっても、100mを11秒台で走る日本のトップクラスの2名(福島千里選手、土井杏南選手)のデータと、13秒台か14秒台の初心者2名(HR選手, AT選手)のデータを表示しただけのものでした。
 これらの4名のデータによるスピード能力3要素寄与式の三角表示のグラフでは分かりにくくなってしまいますので、「手がかり」となるHR選手だけのものを図2として示します。


図2 HR選手のスピード能力3要素寄与式の三角表示

 図2の◇凡例◇に示してあるように、塗りつぶされたプロットは右脚キックフォームのもので、中抜きのプロットは左脚キックフォームのものです。
 図2におけるHR選手の三角表示で、横軸としてのキック脚重心水平速度dKを意味する、三角形の縦の辺を見ると、中抜きプロットの左脚キックフォームの4つが、dK=4.3 [m/s] あたりのところに集まっています。これに対して、塗りつぶされたプロットの右脚キックフォームでは、dK=3.2 [m/s] からdK=4.5 [m/s] あたりに散らばっています。
 これらの8歩のキックフォームは、左右交互で連続したものを解析しました。
 このようなことから、HR選手は、キック脚重心水平速度dKに関して、右脚キックフォームと左脚キックフォームにおいて、何らかの「違い」を生み出しているはずです。その「違い」が外から観察できるフォームに基づくものであったら、これは「手がかり」となるはずです。
 図2のような、数値データだけの抽象的なグラフではなく、HR選手のランニングフォームそのものを観察することにしました。実際に観察したのは、解析プログラムによる、HR選手の、ひとつひとつの解析ステックピクチャー画像などでしたが、ここでは、分かりやすくするため、図3のようにまとめて表示します。
 @〜Gはキックフォームの順番です。奇数が左脚キックフォームで、偶数が右脚キックフォームです。図2で、4つの左脚キックフォームより、大きなキック脚重心水平速度dKをもっていた右脚キックフォームはGでした。


図3 HR選手のキックポイントフォーム(左)と10詳細フォーム前(右)

 @〜Gのそれぞれにおいて、左にあるのは、そのキックフォームにおけるキックポイントの詳細フォームです。このとき、dG最大速度が得られています。右にあるのは、その10詳細フォーム前のものです。10詳細フォームの時間は1/30秒です。
 おおよそ、接地してから、dG最大速度を生み出すまでの動きを表わしています。
 各重心は、T→(両腕と頭と胴体としての)上半身、B→キック棒(上半身とキック脚)、G→全体、S→スウィング脚、K→キック脚、となっています。
 これらの「@BDFG」と「ACE」に、何か違うところがあるでしょうか。
 実際の解析では、このような手順で、キック脚重心水平速度dKの違いを生み出すテクニックのための「手がかり」を見出してゆきました。
 このことを確認するため、他のデータについてもいろいろと調べました。
 この「手がかり」はすべての短距離ランナーに現れているわけではありませんでしたが、HR選手より、もっと確実に「違い」が現れているケースがありました。次に、そのようなケースについて説明します。

 Ymgt(山縣亮太)選手の右脚キックフォームと左脚キックフォーム

 図4はYmgt(山縣亮太)選手のスピード能力3要素寄与式の三角表示です。HR選手は8歩でしたが、こちらは4歩だけです。しかし、AとCの右脚キックフォームと、@とBの左脚キックフォームを比べると、キック脚重心水平速度dKの値が明らかに異なっています。つまり、右脚キックフォームに比べ、左脚キックフォームのほうが、より大きなキック脚重心水平速度dKを生み出しているのです。


図4  Ymgt(山縣亮太)選手のスピード能力3要素寄与式の三角表示


図5 Ymgt(山縣亮太)選手のキックポイントフォーム(左)と10詳細フォーム前(右)

 図5においてACと@Bに何か「違い」があるでしょうか。
 おそらくは、キック脚の動きについてです。
 このように考えて観察すれば、キック脚のかかとの動きが明らかに違うということが、ただちに分かります。AとCではキック脚のかかとがあまり浮こうとしていないのに対して、@とBではぴょんとばかりに弾けるように浮き上がっています。

 キック脚の足底角(K底角)

 上記の考察と観察に基づいて、キック脚重心水平速度を大きくするための「手がかり」は、キック脚の足底角にありそうだと考えられました。図6は、これまでの解析プログラムの表示画像に補助線を入れて、それから直接分度器で角度を求めたときのものです。
 いろいろと指標を考えて調べましたが、最終的には、dG最大速度が得られるキックポイントでのキック脚の足底角(K底角)を指標として採用することにしました。


図6 キック脚の足底角

 このことを確認するため、解析プログラムを改良して、キック脚の足底角(K底角)が求められるようにしました。そして、これまで調べた100以上のランニングフォームについて、K底角を求め、他のデータとの関係をグラフとして表示できるようにしました。
 次の図7と図8は、HR選手とYmgt(山縣亮太)選手についての、K底角とキック脚重心水平速度のグラフです。いずれも正の相関が認められます。横軸は同じですが、縦軸の目盛は違います。K底角とキック脚重心水平速度に正の相関があると認められるのは、このように、一人ずつの短距離ランナーにおいてのことです。


  図7 HR選手のK底角とキック脚重心水平速度     図8 Ymgt(山縣亮太)選手のK底角とキック脚重心水平速度

 スピード能力3要素から見たランニングフォームのメカニズム

 図9はキック脚に着目したランニングフォームのメカニズムのための模式図です。理論的な考察と説明のため、実際のランニングフォームを部分的に修正して構成しました。


図9 キック脚に着目したランニングフォームのメカニズム

 スピード能力3要素から見たランニングフォームのメカニズムについて、図9を利用して説明します。

 (1) 短距離ランナーがキック脚を地面に接地させます。接地時のキック脚はABCDEFです。このとき、ランナーの重心直下に、真下の方向へと力を加えます。
 また、キック脚の足首まわりに力をこめておき、ここを伝わる力が消えてしまわないようにしておきます。
 図9では、緑色のキック脚のかかと(D)が地面に接地していますが、かすかに地面に触れるような、足首にバネが効いている状態としておきます。

 (2) 地面に加えた力の効力が、キック脚を伝わって全身へと作用してゆきます。これと同時に、バネが効いた状態にしてある足首の動きとして、キック脚のかかとがDからLへと跳ね上がります。このときのキック脚はHIJLEFです。キック脚の足底角は∠MENです。
 キック脚の膝下部分のIJLEがBCDEとほぼ形を変えないという条件を考えておきます。
 このとき、かかとがDからLへと浮くことによって、膝の位置がBからIへと動くことになります。キック脚の重心K1がK2へと動き、これが、キック脚重心水平速度dKに対応してゆきます。
 このような変化におけるキック脚の足底角の角速度が大きいほど、キック脚重心水平速度dKが大きくなります。
 つまり、キック脚の足首まわりのバネが強く効いていて、かかとが浮き、すねが前方へと傾き、膝が前方へと突き出るような動きへとつながれば、そのときのランニング慣性スピードによって生み出される、ベースのdKに、あと少しばかり上乗せすることができるのです。

 (3) 点線で描いたGIはABと平行になっています。実際のキック脚の太ももはHIとなっています。このときの∠HIGの変化が、ヒップドライブ速度へと対応してゆきます。
 K2の位置は、キック脚の膝から下の変化だけではなく、このような、太ももの変化にも由来しています。
 ヒップドライブ速度dT-dKは、係数p=2/3を掛けて、全体の速度dGへと構成されるだけではなく、キック脚重心水平速度dKにも影響を及ぼしているのです。ただし、このような影響による寄与分はあまり大きなものではないようです。
 ヒップドライブの効果が作用して、全体の速度が最大値となるときは、キック脚の太ももが鉛直に立っていることが多いようです。キック脚の膝を支点として、その上の部分が前方へと振られるとき、膝の上に腰がくるあたりで、もっとも速く動くと考えられますから、このようになるのは力学的に意味のあることです。

 (4) 赤い点線で描いてあるスウィング脚の動きは、上記の動きとは独立に、全体の変化を補助的に助けることになります。もちろん、スウィング脚の動きは、相対スウィング速度dS-dBとして、係数q=1/4を掛けて、全体の速度dGへと構成されますが、これの寄与率はおよそ10パーセントほどです。スウィング脚は速く大きく動くので目だっていますが、直接的な役目は、思ったより少ないものでした。
 しかし、スウィング脚を意図的に速く強く動かそうとすることは、スウィング脚がつながっている腰が前方へと進むことをうながします。このことにより、ヒップドライブ速度へと影響します。
 もうひとつ、スウィング脚の役目として大切なことは、全体の速度における鉛直成分をコントロールするということです。スウィング脚を後方でやや跳ね上げておき、前方へと引きだすとき、ダウンスウィング気味にすることによって、キック脚によるいくらか上向きへの力を打ち消して、全体の速度ベクトルを水平に近づけることができます。

 まとめ

 ランニングフォームについて調べるとき、身体各部の主な重心がどのように変化して、それらの関係から、最終的に全体の重心速度が構成されるということを考えました。
 身体各部の水平速度の差を想定し、運動量保存の法則を利用することによって、スピード能力3要素によって、全体の重心速度が構成されるということを導きました。
 このときのスピード能力3要素である、ヒップドライブ速度dT-dK、キック脚重心水平速度dK、相対スウィング速度dS-dBには、それぞれ係数が掛って加えられることにより、全体の重心速度となります。
 このようなスピード能力3要素は、係数による重みづけが異なるものの、それぞれが大きな値となれば、必然的に、全体の重心速度を大きくすることができます。
 それでは、それらのスピード能力3要素を大きくするには、どのようにすればよいかということが、次の問題となります。
 相対スウィング速度については、ピッチを上げるという意識のもとにスウィング脚を速く前方へと引きだすことによって、これを大きくできるようです。
 ヒップドライブ速度については、「腰を入れる」と表現されてきた動作を意識してゆくことにより、これを大きくできるようです。
 キック脚重心水平速度については、キック脚の足首まわりを固定しつつ、そのバネを利用して、キック脚の膝を前方へと進ませることにより、これを大きくできるということが分かりました。
 これらのことにより、ランニングフォームのメカニズムを、スピード能力3要素をつかって理解することができました。
 (Written by KULOTSUKI Kinohito, April 12, 2013)

 参照ページ

[1] エピソード(30) 相対スウィング能力やヒップドライブ能力などのスピード能力3要素
[2] エピソード(31) スピード能力3要素のランニングスピードに対する寄与率の式
[3] エピソード(32) スピード能力3要素はスタートダッシュや中間疾走において どのように役だっているのか
[4] エピソード(33) 短距離ランナーがさらに目指すべきスピード能力向上のポイント
[5] エピソード(34) 短距離ランナーの速さの秘密をスピード能力3要素寄与式の三角表示から読みとる

 

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