高速ランニングフォームについてのエピソード(37)
タイソン・ゲイ選手に学ぶスタートダッシュのパワー加速技術

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 エピソード(35)エピソード(36) では、HR選手と山縣亮太選手 [6] のランニングフォームを調べて、高速ランニングフォームにおけるキック脚のテクニックの力学的な意味を明らかにしました。このような高速ランニングフォームというのは、トップスピードに近い中間疾走として分類されるものの一種です。
 ところで、順番が逆になってしまっているかもしれませんが、静止状態からのスタートダッシュでは、どのようなランニングフォームのメカニズムとなっているのでしょうか。このことを調べるため、エピソード(22) でもとりあげた、タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュにおけるランニングフォームを、 スピード能力3要素 など[1] に着目して考察します。

 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォーム

 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームを図1として示します。これらの拡大画像は エピソード(22) [2] にあります。
 解析のために用いた画像は、月刊陸上競技2009年11月号に掲載されていた連続写真です。Gay(1)のフォームは、スタートから10mほどのものですから、5〜7歩目あたりのものと思われます。ここまでの歩数は確かではありません。


図1 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォーム

 スピード能力3要素寄与式の三角表示

 図2はスピード能力3要素の構成を示したものです。


図2 スピード能力3要素の構成

 スピード能力3要素とは、キック脚重心水平速度 dK と、ヒップドライブ速度 dT-dK と、相対スウィング速度 dS-dB の、3つの速度のことです。ヒップドライブ速度 dT-dK の dT は上半身重心の水平速度です。相対スウィング速度 dS-dB の dS はスウィング脚重心水平速度で、dB はキック棒(上半身とキック脚をあわせたもの)重心の水平速度です。図2の(a)と(b)は、ランナーの質量配分に応じた、運動量保存法則に基づいて描かれています。
 スピード能力3要素とランナーの全体スピード(全重心Gの水平速度 dG )とには、係数 p=2/3 と q=1/4 のもとで、次の関係式が成立しています。
   dG = p(dT-dK) + dK + q(dS-dB)  ……(スピード能力3要素寄与式)
 次の図3はタイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームについてのスピード能力3要素寄与式の三角表示です。
 横軸(0-dG)は、キック脚重心水平速度 dK と、全重心水平速度 dG を兼ねて表示します。三角形の左に立っている辺の横軸位置が dK の値で、右の頂点の横軸位置が dG の値となっています。
 縦は横軸(0-dG)の上下で2つの領域に分かれています。横軸(0-dG)の上に向かって、係数 p=2/3 を掛けたヒップドライブ速度 p(dT-dK) が示されています。横軸(0-dG)から下に向かって、係数 q=1/4 を掛けた相対スウィング速度 q(dS-dB) が示されています。
  @〜Fは図1のタイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームと対応しています。


図3 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームについての
スピード能力3要素寄与式の三角表示

 解析1歩目の@は、スターティングブロックから出るものを1歩目として数えると、おそらく、3歩目か5歩目あたりではないかと推定されます。キック脚重心水平速度 dK=4.7 [m/s] に比べ、ヒップドライブ速度 p(dT-dK)=1.53 → dT-dK=2.27 [m/s] は、まだ大きなものとなっていません。しかし、相対スウィング速度 q(dS-dB)=1.30 → dS-dB=5.20 [m/s] となっており、かなり大きな値です。
 ヒップドライブ速度は@からFへと向かって少しずつ大きくなっています。しかし、相対スウィング速度のほうは、このように単調な変化ではありません。全重心水平速度dGやスピード能力3要素だけでなく、キック脚の足底角(K底角)やGO軸(キック軸)加速度比( aGO/g )を加えて、このような変化の傾向を調べることにしました。
 GO軸加速度比とは、ランナーの全重心Gと、キック足の接地位置(スパイク面の拇指球位置)O を結ぶ GO軸の長さが変化すること(速度 dGO )を、加速度( aGO )として調べたものです。aGO/g の g は重力加速度です。


図4  GO軸(キック軸)

 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュの技術

 図5はタイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームについての各指標をプロットしたものです。このときの各指標とは、全重心水平速度 dG、キック足重心水平速度 dK、ヒップドライブ速度 dT-dK、相対スウィング速度 dS-dB、K底角、キック軸加速度比(GO軸加速度比、aGO/g )の6つです。


図5 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームについての各指標

 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームにおいては、解析1歩目の@からFに向かって、全重心水平速度 dG とキック脚重心水平速度 dK が、ともに大きくなっています。ただし、グラフでの単位が異なっているので、同じ増加率というわけではありませんが、相関を調べるとすると、強い正の相関があると見なせます。
 ヒップドライブ速度も、解析1歩目の@からFに向かって、ほぼ単調に増加しています。
 これに対して、相対スウィング速度の変化は単調なものではありません。スタートから何歩目かの、解析1歩目の@では dS-dB=5.20 [m/s] と大きな値ですが、Cでの dS-dB=3.63 [m/s] まで減少してから、ここを底として大きくなろうとしてゆき、Fで観測最大値の dS-dB=5.67 [m/s] となります。ランナーの意識としては、スタートの何歩目かまではスウィング脚を積極的に速く動かし、少し意識がべつのところへと向かったのち、再びスウィング脚を積極的に速く動かそうとしているわけです。
 キック脚の足底角(K底角)の変化は、エピソード(35)エピソード(36) での、HR選手と山縣亮太選手のランニングフォームを調べた、高速ランニングフォーの中間疾走での傾向とまったく逆で、キック足重心水平速度dKと、負の相関を示しています。
 このことと関係しているのが、キック軸加速度比(GO軸加速度比、aGO/g )の変化です。キック軸加速度比の値は、GO軸方向に加えた力が体重の何倍かということと対応しています。この値が大きいということは、大きな力を積極的に生み出してキックをしているということです。全重心 G と支点 O の変化としての加速です。
 キック脚の足底角(K底角)の変化とキック軸加速度比(GO軸加速度比、aGO/g )の変化を考慮すると、タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームにおいては、キック脚全体が生み出すパワーによって、GO軸での長さの変化を生み出すようにしているということが分かります。
 表現がむつかしくなったかもしれませんが、かんたんに言うと、おもいきりキック脚で地面を蹴っているということです。
 HR選手と山縣亮太選手のランニングフォームを調べた、高速ランニングフォーの中間疾走では、キック脚の足底角(K底角)の変化が、キック脚重心水平速度 dK を大きくするための要因となっていたのでしたが、タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームにおいては、このような動きは利用されていないのです。つまり、足首のバネではなく、(全身も協調させての)キック脚のバネに頼ろうとしているということなのです。
 ここではとりあげませんでしたが、解析画像からは、次のGとHのデータが得られています。Fを一つのピークとして、GやHでは、少し速度が落ちて、異なるメカニズムで走ることになる、中間疾走へ変化してゆくことになります。

 スタートダッシュと中間疾走におけるキック軸加速度比の効果

 図6は dG や dT-dK とキック軸加速度比 aGO/g の関係について調べたものです。(a)(b)ともに、(左)が dG とキック軸加速度比 aGO/g で、(右)は dT-dK とキック軸加速度比 aGO/g のグラフです。
 (a) タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュでは、dG や dT-dK とキック軸加速度比 aGO/g が、明らかに、正の相関をもっていることが分かります。
 これに対して、(b) Ost選手(大瀬戸一馬選手)[4] とErg選手(江里口去j選手)[5] の中間疾走では、dG や dT-dK とキック軸加速度比 aGO/g とは、まったくといってよいほど無関係なものとなっています。
 スタートダッシュにおいては、キック軸 GO の変化を生み出すバネを利用するため、地面を強くキックすることにより、ヒップドライブ速度 dT-dK を大きくすることができて、最終的に全体の速度 dG も大きくしてゆくことができますが、ある程度スピードが高まってきた中間疾走では、キック軸 GO の変化に基づいて、さらなるスピードアップを行うことは(少なくとも大瀬戸一馬選手と江里口去j選手においては)できないということです。


図6 dGやdT-dKとキック軸加速度比aGO/gの関係

 まとめ

 静止状態からのスタートダッシュでは、どのようなランニングフォームのメカニズムとなっているのかということを調べました。
 HR選手と山縣亮太選手のランニングフォームによって調べた中間疾走でのメカニズムでは、キック足の足首まわりのバネを利用し、ヒップドライブ能力を組みあわせ、かなりテクニカルなメカニズムとなっていましたが、タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュでは、シンプルな動きのもとで、キック脚全体が生み出すパワーに大きく依存して加速しているということが分かりました。
 全重心水平速度 dG やヒップドライブ速度 dT-dK とキック軸加速度比 aGO/g の関係について調べたところ、スタートダッシュでは正の相関が認められるものの、中間疾走では無関係なものとなっていました。
 スタートダッシュではパワー加速が、中間疾走ではテクニカル加速が中心的なメカニズムとなっているようです。
 (Written by KULOTSUKI Kinohito, April 16, 2013)

 参照資料

[1] スピード能力3要素などの知識についての参照ページ
◇ 各重心水平速度 全身(dG) 上半身(dT) キック棒(dB) スウィング脚(dS) キック脚(dK)
 → エピソード(31) の図1参照
◇ スピード能力3要素 ヒップドライブ速度(dT-dK) 相対スウィング速度(dS-dB) キック脚重心水平速度(dK)
 → エピソード(31) の図5参照
◇ スピード能力3要素寄与式 dG = p(dT-dK) + dK + q(dS-dB), P=2/3, q=1/4
 → エピソード(31) の後半部分参照
◇ スピード能力3要素寄与式の三角表示 → エピソード(33) の図3参照
[2] 高速ランニングフォームについてのエピソード(22) Start Dash (Gay) / タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュの技術を学ぼう
 解析のために用いた画像は、月刊陸上競技2009年11月号に掲載されていた連続写真です。記号のGay(1)からGay(3)は「連続写真@  加速局面(10m〜20m付近)」からのもので、Gay(4)からGay(7)は「連続写真A 加速〜中間局面(20m〜40m付近)」からのものです。Gay(1)のフォームは、スタートから10mほどのものですから、5〜7歩目あたりのものと思われます。ここまでの歩数は確かではありません。
[3] キック軸加速度比、GO軸加速度比
高速ランニングフォームについてのエピソード(18) キック軸加速度 / キック脚の伸張反射を調べるためのキック軸加速度
[4] 大瀬戸一馬選手 /月刊陸上競技2010年12月号と月刊陸上競技2013年3月号に掲載された連続写真より解析
[5] 江里口去j選手 / 月刊陸上競技2009年11月号と月刊陸上競技2012年1月号に掲載された連続写真より解析
[6] 山縣亮太選手 / 月刊陸上競技2013年1月号に掲載された連続写真より解析

 

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