高速ランニングフォームについてのエピソード(38)
スタートダッシュと中間疾走での加速メカニズム

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのランニングフォーム [1] の中から、解析7歩目 Gay(7) を、山縣亮太選手の中間疾走のランニングフォーム [2] の中から、解析3歩目 Ymgt(3) を、それぞれ取りあげ、スタートダッシュと中間疾走での加速メカニズムについて考察します。


図1 スタートダッシュと中間疾走のランニングフォーム

 キックポイント前後1/60秒間の動き

 図2 は Ymgt(3) と Gay(7) のキックポイント前後 1/60 秒間の動きを描いたものです。キックポイントというのは、そのキックフォームにおいて、全重心水平速度 dG が最大速度となる瞬間です。
 図中の T から K は各重心を意味しています。T (上半身), B (キック棒), G (全重心), S (スウィング脚), K (キック脚)です。キック棒とは、上半身とキック脚をまとめて、棒のように見立てたものです。全身からスウィング脚を取り除いたものです。O はキック足のスパイク面の拇指球位置です。地面における支点と考えています。


図2 Ymgt(3) と Gay(7) のキックポイント前後 1/60 秒間の動き

 次の図3 は、上記図2 に示した Ymgt(3) と Gay(7) の詳細重心総合解析です。各重心の水平速度(重心記号Sなどの前に d をつけて示しています)や、重心 G と支点 O を結んだ GO軸の長さの変化 dGO、さらには、その変化を生み出す加速度 aGOを重力加速度 g で割った、キック軸加速度比 aGO/g などを示しています。dS から dGOまでの速度値は、キックポイント(赤い縦点線位置)での値です。aGO/g は緑色のキャップ形実線のピーク値です。
 表1 はこれらの値をまとめたものです。Ymgt(3) と Gay(7) の値を比較して、大きいほうを赤色の文字で表わしました。


図3  Ymgt(3) と Gay(7) の詳細重心総合解析

表1  Ymgt(3) と Gay(7) の詳細重心総合解析データ比較



 表1 のデータを比較して考えてゆきます。山縣亮太選手の身長は 1m75 で、タイソン・ゲイ選手の身長は 1m80 だそうです。図2 は、これらの値に従って表わしましたし、図3 と表1 の値は、これらの身長に基づいて計算しました。
 全重心水平速度 dG がランニングスピードに相当します。山縣亮太選手は 11.5 [m/s] で、タイソン・ゲイ選手は 11.1 [m/s] です。かなり近い値です。
 スピード能力3要素の、dK, dT-dK, dS-dB を見比べると、山縣亮太選手は dK=7.0 [m/s] で、タイソン・ゲイ選手は dT-dK=5.34 [m/s] と dS-dB=5.59 [m/s] で、それぞれ優れた能力を示しています。
 しかし、これらのスピード能力3要素は、全体の速度 dG の成分として加えるとき、係数を掛けて見積もる必要があります。dK の係数は 1 ですが、dT-dK の係数は p=2/3 で dS-dB の係数は q=1/4 となります。これらを考慮して、スピード能力3要素の値を評価すると、次のようになります。
 山縣亮太選手
   dG = p(dT-dK) + dK + q(dS-dB)
     = (2/3)×4.99 + 7.0 + (1/4)×4.37
     = 3.33 + 7.0 + 1.09
     = 11.42
 タイソン・ゲイ選手
   dG = p(dT-dK) + dK + q(dS-dB)
     = (2/3)×5.34 + 6.0 + (1/4)×5.59
     = 3.56 + 6.0 + 1.40
     = 10.96
 いずれも(シミュレーションによる)観測値の dG の値をよく説明できています。
 山縣亮太選手はキック脚重心水平速度 dK で大きな値を生み出し、ヒップドライブ能力で上積みをして、腰部の上に乗っている上半身の水平速度 dT を大きな値として、これらを基礎として、最終的に大きなランニングスピード dG を生み出していると考えることができます。
 これに対してタイソン・ゲイ選手は、キック脚の全体のバネと、スウィング脚の力強い動きを利用して、GO軸の方向でのパワーを生み出すことに集中し、大きなヒップドライブ速度と相対スウィング速度を生み出しました。しかし、このような動きにより、キック脚重心水平速度 dK についても最大レベルの値を生み出すことはできなかったようです。
 このようなスピード能力3要素値の傾向は、山縣亮太選手とタイソン・ゲイ選手の能力の違いということではなく、スタートダッシュと中間疾走での、生み出しやすさの違いを反映していると考えるべきでしょう。

 キック脚重心水平速度 dK の違いを生み出す技術とは?

 スタートダッシュと中間疾走のランニングフォームの違いとして、スタートダッシュでは前傾姿勢を保って走り、中間疾走では比較的上半身を起こして走るということがあげられます。
 スタートダッシュではピストンキックやデルタクランクキックのフォームが数多く見られ、中間疾走で速く走れているランナーでは、ガンマクランクキックやベータクランクキックとなっています。中間疾走においてピストンキックやデルタクランクキックとなっているランナーは、やがて、ガンマクランクキックでのランナーに追い越されてゆくということが、よく見られます。
 このような、キック脚の姿勢は、ランナーのスピードに関して、どのような違いを生み出しているのでしようか。
 図4 は、そのことを説明するためのものです [3]。左はガンマクランクキックで、右はピストンキックに、それぞれ対応しています。力学的にはキックポイントにおける GO前傾角が違うということになります。
 この図4 では、GO軸の長さの変化( DB や EA )が、水平速度へ転化されるときの効率について比較しています。
 GO軸が GC から GB へと変化するときは、DB の伸びに対して、水平距離は CB となります。これに対して、GO軸が GB から GA へと変化するとき、EA の伸びに対して、水平距離は BA となりますが、CB と BA を比べると、BA は小さくなります。つまり、GO前傾角が大きくなってしまうと、GO軸の伸びが水平距離へと変換される効率が低下するのです。
 GO軸の長さの変化( DB や EA )に着目するとき、GO前傾角の小さなガンマクランクキックのほうが、GO前傾角の大きなピストンキックより、水平距離へと変換する効率が高くなるのです。


図4 GO前傾角が異なるときの GO軸変化 ( dGO) の 水平速度への変換

 スタートダッシュにおいてタイソン・ゲイ選手は、GO軸でのキックのパワーを大きくしてゆくことにより、スピードを上げようとしています。より大きな力を生み出して加速してゆくというのは、急激にスピードを高めたいときには、物理学的にも理にかなった方法です。
 スタートダッシュでは、できるだけ前傾を保ち、後方へとキックするのがよいと考えられてきたかもしれません。しかし、図4 についての、上記の考察から、できるだけ GO前傾角を 90 度へと向かわせていったほうが、GO軸の伸びを水平速度へと変換する効率がよいわけです。
 タイソン・ゲイ選手も、スタートダッシュの初めのころはピストンキックとなっていますが、次の図5 で示したように、解析 7 歩目の Gay(7) では、ベータクランクキックに近いガンマクランクキックとなっています。


図5  Ymgt(3) と Gay(7) のフォーム分類

 図5 の左は、山縣亮太選手の中間疾走 Ymgt(3) のフォームがデルタクランクキックに近いガンマクランクキックであることを示しています。
 Gay(7) と Ymgt(3) では、GO軸の伸びについての水平速度への変換率は、Gay(7) のほうが優れているのです。
 ところが、全体のスピードとしては、Ymgt(3) のほうが大きくなっています。図4 と図5 にかかわる考察により、山縣亮太選手の大きなスピードは、GO軸の伸びについての水平速度への変換にたよっているわけではないということになります。図3 と表1 の分析により、山縣亮太選手の大きなスピードは、 Ymgt(3) において dK=7.0 [m/s] という値を生み出していることと、そのベース速度の上に、ヒップドライブ能力で上半身を前方へと動かしていることが組み合わさって生じていることが分かりました。このような、キック脚重心水平速度 dK の違いを生み出す技術とは、どのようなものなのでしょうか。
 次の図6 は Ymgt(3) と Gay(7) のキック脚の違いを示すため、図2 でのキック脚を濃い線で描いたものです。


図6  Ymgt(3) と Gay(7) のキック脚の違い

 山縣亮太選手のキック脚(青色)と、タイソン・ゲイ選手のキック脚(赤色)を見比べて、大きく違うところは、膝から下の部分です。かかとがよく浮いており、すねが前傾しているので、山縣亮太選手のキック脚(青色)では、膝の位置が、より前方へと進んでいます。これに加えて、太ももの姿勢角も、タイソン・ゲイ選手のものより大きくなっており、腰の位置を、より前方へと進めています。この太ももの姿勢角がより大きいということは、膝から下の動きとも合わせて、キック脚重心(K) を、より前方へと引きだすことへとつながっています。
 このようなキック脚の動きから、山縣亮太選手はキック脚重心水平速度 dK が大きくなるようなフォームで走っているということが分かります。それでは、このように優れた技術が、スタートダッシュにおけるタイソン・ゲイ選手のフォームにおいては、なぜ利用されていないのでしょうか。
 これはおそらく、そのときのスピードと、キック脚で生み出している力の大きさが、スタートダッシュと中間疾走とでは異なっているからだと考えられます。
 たとえば、陸上競技の種目で考えると、砲丸投げの技術で、このような、スピードと力の組み合わせが異なるということが見られます。砲丸を静止状態から動かしてゆこうとするときは、より大きな力を生み出すことのできる、下半身や胴体をおもに使います。やがて、砲丸がスピードをもつにつれて、より小さな力しか出せない腕が、最後には、指のスナップまでが使われて、スピードの上乗せがおこなわれます。
 スタートダッシュにおけるタイソン・ゲイ選手のフォームと、中間疾走における山縣亮太選手のフォームにおいても、同じように、スピードと力の組み合わせが作用して、そのときのスピードに見合った力の生み出し方が用いられているのです。
 静止状態からスピードを大きくしてゆくスタートダッシュにおいては、スウィング脚の動きも強く意識した、全身の力を集めて、キック脚全体のピストン運動により、GO軸の長さを伸ばすという技術が利用されています。
 これに対して、あるていど大きなスピードとなっている中間疾走では、キック脚全体でのバネに比べると、やや弱いものである、足首まわりのバネがたくみに使われ、キック脚の膝下部分のクランク運動によって、膝が前方へと押しだされるという技術が利用されます。これは、キック脚の膝下部分を、大工道具のくぎ抜き(パール)と見なし、くぎを抜く部分をつかんで、柄のほうを前方へと振りまわしているようなものです。ランナーの立場で考えると、膝から下がなくて、かわりに、義足をつけて走るときの様子に似ています。くぎ抜き(パール)状の義足で、少しバネが効くというものをイメージするとよいかもしれません。
 図3 に描いてある aGO/g を見ると、タイソン・ゲイ選手では 8.8 で、山縣亮太選手では 6.2 です。これは、タイソン・ゲイ選手の値に比べ、およそ 70 % の値です。この aGO/g の力を山縣亮太選手は、キック脚全体で生み出そうとしたのではなく、足首あたりの、かかとの動きによって生み出したのでしょう。すなわち、中間疾走での山縣亮太選手は、あるていど小さな力ではあるものの、キック脚の膝が、より大きく動くようなメカニズムで使うことで、スピードをさらに高める加速を生み出したと言えます。
 スタートダッシュにおけるタイソン・ゲイ選手の加速技術を、かんたんに、パワーキック加速と呼び、中間疾走における山縣亮太選手の加速技術をバールキック加速と呼びたいと思います。

 ランナーとしての感覚は?

 タイソン・ゲイ選手のパワーキック加速の感覚は、おそらく、空中からの意図的なキック動作によって体験することができると思われます。スタートダッシュにおいて、キック脚のスパイク面が地面に着いてから力を加えるのではなく、キック脚がまだ空中にあるときから、地面を蹴る方向へと強く動かすことにより、キック脚が地面に衝突することになります。そのように意図としたときのランニングフォームを撮影して解析すると、GO軸での aGO/g が大きな値として観測されるのです。
 山縣亮太選手のバールキック加速の感覚については、まだ詳しく確認できていません。山縣亮太選手の解析画像についての解説文には、「接地を真下に置くことで後半のスピードが原則することなく 100m を走りきれた」とあります。「脚を自然に振り出したところまで重心をもっていくこと」「脚は前ではなく真下に振り下ろすこと」などの、山縣亮太選手自身のコメントもあります。
 図6 のように、キック脚の膝下部分が、まるで後方へと地面を押しているかのように見えますが、このような意識で後方へと押そうとすると、ガンマクランクキックにおさまらず、ピストンキックに近いデルタランクキックとなってしまいます。
 おそらく、キック脚の膝下部分が地面を後方へと押しているように見えるのは、動作の結果としてのものであり、ランナーの感覚としては、地面を真下へと押しているものの、このような反応が終わったときには、あたかも、後方へと押しているかのような姿勢になっていると思われます。
 もうひとつ、山縣亮太選手のバールキック加速の感覚については、重要なポイントがあります。山縣亮太選手自身のコメントの中に、「スピードが大きく出ていた分、ラストで身体が浮いた感じで、とても走りにくかった」というものがありました。バールキック加速の効果を生み出すには、適度な重心の高さをコントロールする必要があるようです。重心が高すぎると、うまく加速できないだろうということは、このような動きについてのメカニズムを考えると分かってきます。
 山縣亮太選手のランニングフォームを検討すると、スウィング脚の取り扱い方にまだ改善の余地があると思われます。図3 での dS-dB のピーク位置が後半にずれていることや、図6 でのキックポイント前のフォームで、タイソン・ゲイ選手のように、うまく後ろに残せていないこと、身体の浮きを抑えるための、ダウンスウィングぎみの動きが弱いものとなっていることなどです。
 スピード能力3要素としての、スウィング脚の、相対スウィング速度 dS-dB は、係数 q=1/4 を掛けて見積もらなければならないので、スウィング脚をもっと速く動かそうとしても、あまり効果は期待できません。しかし、キック脚との力の協調や、ヒップドライブ能力への補助、身体の浮きを抑えるダウンスウィングの効果など、いろいろな役目をもっているのです。
 (Written by KULOTSUKI Kinohito, April 20, 2013)

 参照資料

[1] タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォーム /月刊陸上競技 2009 年 11 月号に掲載されていた連続写真より解析
[2] 山縣亮太選手の中間疾走のランニングフォーム /月刊陸上競技 2013 年 1 月号に掲載された連続写真より解析
[3] 高速ランニングフォームについてのエピソード(12) GO前傾角の統計調査
ランナーの身体重心直下でキックすることの効果を検証する

「ランナーの身体重心直下でキックすることが効果的な理由」の図1


 

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