高速ランニングフォームについてのエピソード(7) キックの効率
ピストンキックへと向かうほどキックの効率が悪くなる

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 ここでは「高速ランニングフォーム」を「サバンナキック」と呼ぶことにします。キック中で全重心の水平速度が最大値をとるキックポイントにおける、キック脚の太ももと脛の姿勢角(下方端から後方への水平線からの立位角)による分類で、「サバンナキック」は、おおよそ「ベータクランクキック」と「ガンマクランクキック」です。ひょっとすると、モーリス・グリーン選手は「アルファ・クランクキック」でうまく走っていたのかもしれませんが、グリーン選手のビデオ画像がほとんど残っていないことや、他にうまく「アルファ・クランクキック」で走っているランナーが出現していないことから、この「アルファ・クランクキック」については考慮しないことにします。
 このページで論じてゆくことは「キックの効率」ということです。タイトルにすでに結論のようなものを記しています。これはどうやら、ほぼ例外のない事実のようです。この「キックの効率」というものを、どのように評価するかということは、もう少しあとで詳しく説明します。

 シミュレーションロボットにおける重み分布

 まず説明しておくべきことは、私の解析システムにおける技法の紹介です。ランニングフォーム解析ソフトruna.exe において、ランナーのさまざまなフォームにおいて、いくつかの部分の重心を求めて表示していますが、そのもととなる、コンピュータの中にだけ存在するシミュレーションロボットの、どこにどれだけの重みをつけてあるのかということを示します。次の図1です。等しい重さの36個の重りを、図1に示した位置においてあります。


図1 シミュレーションロボットにおける重み分布

 このようなシミューションロボットを想定しておくと、いろいろなフォームにおける、腕や脚や胴体など、ある種のまとまった部分の重心を求めることができます。そして、最終的には全身の重心を求めます。
 これだけではありません。このようなモデルにより、「慣性モーメント」という物理量を求めることができるのです。慣性モーメントは回転運動のときに問題となります。

 運動量と角運動量と慣性モーメント


図2 運動量と角運動量と慣性モーメントのためのモデル

 図2に運動量と角運動量と慣性モーメントのためのモデルを(a)〜(c)の3つ想定します。
 (a) 空中 にあるとき、質量Mのランナーが速度Vで進んでいるとします。議論をかんたんにするため空気抵抗による減速などは無視しておきます。前方の脚(キック脚とします)を後方へと振り戻し、後方の脚(スウィング脚とします)を前方へと引き出そうとしています。これらの動きは、空中にいるとき、全重心を回転の中心として、ほぼ同じ大きさの角運動量をもって、反対の向きに動いているはずです。そうでなければ、全体が回転していることになりますが、通常のスプリントランニングでは、このような回転はなされていません。このことから、ランナーが空中にいるときは、質量Mと速度Vを掛けたMVという量の、通常の運動量をもっています。
 このあとランナーは(b)の状態へと移り、キック足で地面に接地します。すると、ランナーは、スパイク面を地面にはりつけてしまったので、空中にいたときのように、ほぼ地面と平行に動くことができません。ランナーは地面に固定された足を中心として、全体が棒のようになって、回転運動を行うことになります。このとき、両腕やスウィング脚は、あるていど自由に動くことができるので、単なる棒ではなく、すこし複雑な部品をくっつけた棒ということになります。しかし、両腕は互いに前後に振りますから、全体として、胴体への影響はほとんどありません。無視できないのはスウィング脚ですが、これも、調べてみると、全体の水平速度への寄与は、平均すると30パーセントくらいです。ここでは、議論をかんたんにするため、これらの効果については無視しておき、必要となれば、あとから考えることにしましょう。
 (c)の離陸までのところでは、少し複雑な変化を起こしながらも、回転運動を続けるわけです。そして、(c)で離陸したあとは、ふたたび、回転しないで空中を飛びますから、ふたたびMVの運動量となります。
 (b)から(c)までの回転運動においては、とくべつな変化が起こらないかぎり、角運動量というものが保存されます。
 このような回転運動にかかわる角運動量に関係するのが、慣性モーメントという量です。慣性モーメントという量は、回転のしにくさを表わす量です。質量に比例し、回転の半径rの2乗に比例します。(b)と(c)の動きより、回転の中心は、キック足の親指の付け根あたり(拇指球)のところとなります。
 ランニングフォーム解析ソフトruna.exe では、この「慣性モーメント」の値を計算して求めることができるようにしました。あとで、その結果を表示して説明します。

 ピストンキック

 具体的なランニングフォームを分析することにより、上記の物理量がどのように問題となるかを説明します。まずは、ピストンキックのフォームについて調べます。


図3 ピストンキックの解析

 図3の(f) 総合水平速度グラフでは、わずかな指標しかプロットしていません。黒いプロットの全重心と、エンジのプロットのキック脚重心の、それぞれの水平速度の2つ。そして、上のほうにある、中に点がある緑のプロットがGK比です。中のあいた黒い丸のプロットが、ここではALLと示されていますが、全身の慣性モーメントです。慣性モーメントは、全身以外に、上半身など、いろいろな部分について求められるようにしていますが、ここでの議論に関しては、全身の慣性モーメントの大きさと、その変化のパターンが問題となります。
 いろいろな比について調べることができますが、ここではGK比だけを取り上げました。GK比というのは、全重心(G)の水平速度をdG、キック脚重心(K)の水平速度をdKとしたときの、dG/dKです。キック脚重心の水平な動きに対して、全体の重心の水平な動きが何倍になっているかということです。
 (f) 総合水平速度グラフの赤い縦の点線のところに全重心の水平速度のピークがありますから、ここに対応する詳細フォームが、キックポイントのフォームです。赤いキック脚重心の水平速度パターンと似た形に、黒い全重心の水平速度もキック後半のところでピークをつくっています。これがまったく同じ比率で比例していたとすると、GK比は同じ値となって、GK比のプロットは水平になるはずです。ところが、GK比は右に向かって(キックの終了へ向かって)下がっています。実は、このようなピストンキックのフォームでは、ほぼ例外なく、このようにGK比が減少しているのです。
 これは何故なのでしょうか。その理由は、(f) 総合水平速度グラフにプロットした、ランナーの全身についての慣性モーメントの増加ということで説明できます。
 図2に戻って、(b)の接地のとき、空中でもっていた運動量MVが、(b)の状態における慣性モーメントに応じて、角運動量へと読みかえられます。このときの、角運動量とは、慣性モーメントに角速度を掛けたものです。逆にたどれば、空中でもっていた運動量が、その値のまま、角運動量と名前を変えます。そして、(b)のフォームによって決まる慣性モーメントで割ったときの値として、(b)のときの角速度が決まります。
 さて、とくべつな出来事がなくて、外部との運動量の出し入れがないとすると、全体の角運動量が保存されています。
 ところが、(b)の状態から(c)の状態へと変化するにつれて、フォームが変わってゆきます。このことにより、それらのフォームについての慣性モーメントの値が変わります。その値の変化が、グラフの真ん中が空いた黒い丸のプロットです。
 全体の角運動量が変わらず、慣性モーメントが大きくなれば、角速度は減少します。角速度は小さくなって、見かけ上の動きが遅くなります。しかし、絶対的な速度というのは、角速度と半径を掛けたものとなります。たとえ角速度が小さくなっても、全体の重心までの半径が大きくなれば、全体の重心速度は減らないということになるかもしれません。

 サバンナキック

 次に、サバンナキックについて解析します。サバンナキックと名づけたものはこれまで「高速ランニングフォーム」と呼んでいたものです。キック脚の姿勢角による分類では、ベータクランクキックとガンマクランクキックです。
 次の例は、げんみつに言うと、中腰ガンマクランクキックのフォームです。図3のピストンキックのランナーと同じ身長として解析しています。次の解析図の(f) 総合水平速度グラフでは、赤い縦の点線が、有効キック区間の中央付近にあります。ほんとうの有効キック区間は、その点線までなので、右半分は離陸を始めている状態です。灰色の縦線を描くべきものです。


図4 サバンナキックの解析

 図4のGK比の値は1.89となっています。これはとても大きな値です。図3のピストンキックでは1.61でした。しかも、ピストンキックでは減少していたのに対して、図4のサバンナキックでは、ほぼ一定の値で推移しています。ここのところが本質的なところです。サバンナキックが効果的なものであるということを示しています。
 図3のピストンキックでは、赤いキック脚重心の水平速度を5.7 [m/s] まで高めて、全重心の水平速度は9.1 [m/s] でした。ところが、図4のサバンナキックでは、赤いキック脚重心の水平速度が高々5.1 [m/s] であり、とくべつに高めようとしていないのにもかかわらず、全重心の水平速度が9.7 [m/s] となっています。これらの違いを指標として求めてあるのが、GK比の1.61と1.89なのです。
 このような現象は、キック足や体全体の固めかたなどの要素にもよると考えられますが、おもに慣性モーメントの違いによって起こると考えられます。図3のピストンキックでは、慣性モーメントがどんどん大きくなってゆき、1.10でキックポイントとなっています。ところが、図4のサバンナキックでは、キックポイントのときの慣性モーメントは0.91です。0.91は1.10の83パーセントという小ささです。このときのシミュレーションロボットに個体差はありません。同じ身長で、同じ体型で、同じ体重です。違うのはフォームと動き方だけなのです。
 このとき、空中における運動量MVから、いちど角運動量へと変換されたあと、短い時間でキックを終了することにより、角速度をほとんど減少させず、回転の接線方向をほぼ水平方向に保ったままで、空中へと再び飛び出そうとしているのです。
 このサバンナキックを生み出したランナーの、このときのフォームには、まだまだよいところがあります。スウィング脚の使い方も非常によく、平均的なレベルをうわまわっていますから、スウィング脚による加速効果が期待されます。腕の振り方も理想的で、運動量を水平速度に変化するときのロスが少なくなっています。これらのことは、同じような解析グラフを別の指標で描くことによって、定量的に評価することができますが、ここでははんざつになるので略します。

 FK選手の腰高デルタクランクキックと腰高ガンマクランクキック

 これまでの2つのフォームは典型的なピストンキックと、理想的なサバンナキックによるものでした。これらのサンプルは、実は、過去と未来についてのものです。現在活躍しているランナーのフォームは、もっと複雑なことになっています。次に、FK選手の同じレースにおける左脚キックのフォームを2つ解析したものを示します。


図5  FK選手の腰高デルタクランクキックの解析

 キック脚の水平速度は6.2 [m/s] もの値を生み出しています。しかし、全重心の最大速度は 9.2 [m/s] にとどまっています。GK比の減少傾向が大きく、キック効率の悪いフォームとなっています。


図6 FK選手の腰高ガンマクランクキックの解析

 このフォームでもキック脚の水平速度は6.0 [m/s]となっており、高い値です。全重心の水平速度は9.7 [m/s] となっています。GK比の減少傾向がゆるくなっています。このときの慣性モーメントは、ほとんど同じ値です。全体的にまとまっているように見えますが、GK比が1.62という値となっていて、とくべつ効率のよいフォームというわけではありません。
 他にも何歩か調べました。FK選手は、とぎどき効率のよいフォームを生み出すこともあるのですが、もっとも多く出現するフォームはデルタクランクキックで、このときの効率はよくありません。そして、いろいろなフォームが出現するということは、理想としているフォームがよく分かっておらず、それを目指そうとしていないことを暗示しています。

 まとめ

 ランニングフォーム解析ソフトruna.exe において、重心を求めるアルゴリズムをさらに発展させ、慣性モーメントが求められるようにしました。しかし、この慣性モーメントの違いが、ランニングスピードにおける本質的な違いをもたらすものではないようです
 ここで論じようとしてた「キックの効率 / ピストンキックへと向かうほどキックの効率が悪くなる」ということの確かな理由は「エピソード (9) クランクキックの効率 / クランクキックの全重心前傾角の違いによる
水平速度への変換効率」
で説明しています。  (Written by KLOTSUKI Kinohito, Nov 30, 2012)

 

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