高速ランニングフォームのエピソード (72)
ジャスティン・ガトリン選手のスタートを誰でも真似られるわけではない

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 ジャスティン・ガトリン選手のスタート

 多くのランナーは、スターティングブロックから跳び出す「0歩」はもちろんのこととして、スタートラインを越える「1歩」から何歩かは、キック脚の膝を伸ばすこと(膝の角度を大きくすること)によって、地面を後方へと押そうとしています。スプリントランニングフォーム分類による、ピストンキックやデルタクランクキックとなるわけです。
 これに対して、ジャスティン・ガトリン選手は、スタートラインを越える1歩目から、キック脚の膝を曲げたままで、地面を後方へと弾いています。おそらく、中間疾走のランニングフォームで使われている、ガンマクランクキックか、ガンマデルタクランクキックとなっていると考えらますが、具体的に観測していないので、ここのところは、まだ確かなことではありません。
 ガトリン選手のスタートとよく似たものとして、アサファ・パウエル選手のスタートが取りあげられることがあります。それらをまとめて、すり足スタートと呼ばれているようです。パウエル選手のスタート0歩から1歩のスロービデオを見ると、実際に、キック脚の足先が地面を少しこすっています。キック後の足先を後方の上部へ巻き上げることなく、ただちに前方へと引き出そうとしているわけです。
 日本選手の中では山縣亮太選手が同じようなスタートをやっているということを知りました。2014年の日本選手権のテレビ放映で、本スタート前の、個人的な「試しスタート」をやっていた山縣選手がクローズアップされました。これを見ると、確かに山縣選手は、明らかにピストンキックで走りだそうとはしていません。キック脚の膝は適度に曲げられたまま、スタートでのキックを終えて、ただちに前方へと引きだされています。
 ジャスティン・ガトリン選手とアサファ・パウエル選手と山縣亮太選手がやっているスタート法をすり足スタートと呼ぶと、本質的なことを取り違えてしまうことになります。おそらく、キック足のつま先を地面すれすれに運ぼうとはしていないし、そのように意識して走ろうとしても、速く移動することはできないからです。本質的なことは、足先にあるのではなく、どちらかというと、キック脚の膝のほうにあるのです。
 このようなことから、ジャスティン・ガトリン選手とアサファ・パウエル選手と山縣亮太選手がやっているスタート法をふくめ、スタートの走り方を区別する呼び名を考えることにしました。

 ピストンダッシュやガンマダッシュ

 従来のスタートダッシュではピストンキックが主力となりますので、こちらをピストンダッシュと呼ぶことにすれば、ガトリン選手らのスタートダッシュでは(おそらく中腰)ガンマクランクキックを目指しており、こちらに近いメカニズムが使われようとしているので、(中腰)ガンマダッシュと呼ぶのがよいように思われます。
 このような発想で、スタートダッシュの何歩か(およそ8〜10歩くらい)において、もっともひんぱんに現れるランニングフォーム分類名の先頭フレ―ズをとって、それに「ダッシュ」をつけて区別しようと考えました。ただし、0歩目のフォームはたいていピストンキックなので、これは評価の対象から外します。
 もっともひんぱんに現れるランニングフォーム分類名がデルタクランクキックならデルタダッシュで、ガンマデルタクランクキックならガンマデルタダッシュとなります。
 ピストンダッシュから順に並べると、デルタダッシュガンマデルタダッシュガンマダッシュとなってゆきます。
 おそらく、ベータダッシュやアルファダッシュは存在しないと思われます。
 中腰ガンマクランクキックより、さらに重心が低い、イプシロンクランクキックというフォームが現れるケースもありましたが、このフォームが主流となるほど数多く現れることはなさそうです。


図1 XTTY選手のスタートダッシュ

 図1はXTTY選手のスタートダッシュですが、(a) XTTY15と(b) XTTY17とでは、主流となるフォームが異なります。(a) XTTY15の1〜10歩でのフォームは、P, δ, δ, gd, γ, P, P, gd, P, βとなっていますから、4歩現れているPが主流で、ピストンダッシュとなります。(b) XTTY17では、δ, (不明), P, (不明), δ, γ, δ, δ, δ, γとなっていますから、デルタダッシュです。
 次の図2はTK選手の100m(TK8) のスタートダッシュです。1〜10歩でのフォームは、δ, δ, γ, δ, δ, δ, (不明), gd, δ, P となっていますから、デルタダッシュです。


図2 TK選手(TK8)のスタートダッシュ

 もうすこし定量的に決めるには、1歩目から10歩目までのランニングフォームに、アルファ(1), ベータ(2), ガンマ(3), ガンマデルタ(3.3), デルタ(4), ピストン(5)の(数量化法としての)値をあたえて、それらの平均値を求めるという方法を考えることができます。
 次の表1は、XTTY15, XTTY17, TK8のスタートダッシュ(1〜10歩)のフォームを数量化して平均値を求めたものです。このような平均値を見ると、XTTY15(3.96)からXTTY17(3.88)と、XTTY選手は、いずれもデルタダッシュですが、ガンマデルタダッシュのほうへといくらか向かっています。
 TK選手はTK8(3.92)となっており、XTTY17とXTTY15の中間にあるデルタダッシュとなります。

表1 XTTY選手とTK選手のダッシュフォームを数量化しての平均値




図3 R10選手とMRT選手のスタートダッシュ

表2 R10選手とMRT選手のダッシュフォームを数量化しての平均値



 図3はR10選手とMRT選手のスタートダッシュで、表2はR10選手とMRT選手のダッシュフォームを数量化しての平均値です。
 R10選手の平均値は3.55です。主流となっているフォームはガンマデルタクランクキックです。平均値もδ(4)よりgd(3.3)に近く、こちらの値からも、R10選手はガンマデルタダッシュと言えます。
 MRT選手の平均値は3.69で、主流となっているのはデルタクランクキックです。ガンマデルタダッシュに近いデルタダッシュと見なすことができます。
 ほとんどの選手はデルタダッシュなのだろうと予想していましたが、R10さんのスタートダッシュがガンマデルタダッシュだというのは、このように定義してみなければ分からないことでした。
 正式に解析したものはありませんが、ジャスティン・ガトリン選手やアサファ・パウエル選手や山縣亮太選手のスタートダッシュが、ガンマダッシュか、それに近いものだという可能性が生まれてきました。

 ガンマダッシュの利点

 ジャスティン・ガトリン選手らの(おそらく)ガンマダッシュの利点は2つあります。

 一つ目は、ベースとなっているガンマクランクキックにおいて、ピストンキックやデルタクランクキックに比べ、より小さなキック軸速度dGOで、同じくらいの全速度dGを生み出すことができるということです。ガンマクランクキックでは、スピード変換比dG/dGOが大きいのです。
 これは「両刃の刃(やいば)」となります。つまり、ガンマクランクキックでは、ピストンキックやデルタクランクキックのような、大きなキック軸速度dGOを生み出すことができないのです。
 ガンマクランクキックでは、軽くキックすることができるわけですが、力のこもった重いキックとはならないわけです。
 しかし、最終的な判断基準は全速度dGによります。
 ガトリン選手らは、(おそらく)ガンマダッシュのほうが、ピストンダッシュより速く走れるようになったということなのです。

 二つ目の利点として、スタートダッシュの後に変化することとなる、高速ランニングフォームとしての、中間疾走のフォームへの、つながりぐあいがスムーズにゆくということがあります。
 ピストンダッシュから、デルタクランクキックの中間疾走へと変化するランナーもスムーズですが、これではトップスピードのレベルが低くなってしまいます。
 ピストンダッシュやデルタダッシュから、ガンマクランクキックを中心とする中間疾走へと変化しようとすると、途中に、スピードがやや低下する、「つなぎ」の数歩が入ってしまうものなのです。

 ガンマダッシュを真似ようとしても真似られない

 利点の多いガンマダッシュをマスターすれば、多くのランナーがやっているピストンダッシュやデルタダッシュに先んじることができるのではないか。
 誰でも、このように考えたくなるものです。
 私も、じつは、そのように考えて、せめて「形」だけでも、ガンマダッシュをやってみようとしました。全速力での成果はでないかもしれませんが、中腰ガンマクランクキックのフォームを中心としたスタートダッシュを、フォームとして固めておこうと考えたのです。
 何度もランニングフォームを撮影してもらって解析したので、自分がどのようなフォームで走っているのかをフィードバックすることができ、中間疾走でのランニングフォームをかなりコントロールすることができるようになりました。ガンマクランクキックとベータランクキックの中間あたりを狙うことも、かなりやれるようになって、自分としては、かなり速く走れるようにもなってきました。
 そこで、スタートでのガンマクランクキックは、こんな感じだろうとイメージして、クラウチングスタートで走ったものをビデオ撮影してもらい、それを解析しました。
 その解析結果を見て、私はがくぜんとしました。
 0歩目はピストンキックです。これは変えようがありません。
 1歩目から私は、キック脚の膝を曲げたままで地面を弾くようにしたつもりでしたが、1) δ、2) δ、3) gd、4) δとなってしまい、まさに、デルタダッシュなのでした。しかも、中腰フォームは何処にもなく、腰高フォームだらけです。
 私がイメージしていた、中腰ガンマクランクキックには、まったくほど遠いものでした。
 中間疾走においては、アルファクランクキックからピストンキックまで、自由自在にランニングフォームを生み出せるようになっている私が、スタートダッシユにおいては、腰高デルタクランクキックでしか走れないのです。

 ウェイトトレーニングをまったくやっていなかった

 中間疾走では自在に動きをコントロールできるのに、スタートダッシュでは、自分の思い描くフォームで走れない。これはなぜなのでしようか。

 ヒントは棒高跳にありました。昨年私は、マスターズの試合で何度か棒高跳に出場したのでしたが、まったく記録が出ません。なぜかということは、すぐに分かりました。棒高跳の選手として、こなさなければならない、鉄棒種目の、ぶらさがった状態からの逆上がりが、今はまったく出来ないのです。これでは、棒高跳の握りの位置を上回る記録を出すことは無理です。これだけで、記録は1mほど低下してしまいます。体重が増えたことと、上半身の筋力が低下していたのです。
 自分自身が、自分のイメージどおりに動けないのは、若いころだったら、運動神経(運動システム)が未熟だと考えたことでしょう。でも、今の私は、運動神経のほうではなく、明らかに、筋力が見合っていないと考えられます。

 スタートダッシュにおいて、私が自分をうまくコントロールできないのは、中腰フォームで自在に走ることができるような筋力がないからなのだと考えられます。
 つまり、キック脚の膝をもっと深く曲げて、キック力を生み出すことができなくなっているのです。

 昨年私は、陸上競技場でのランニングトレーニングとは別に、ある体育館に付属しているトーニングルームで、レッグプレスを中心としたウェイトトレーニングをしていました。200kgの負荷で、片脚のレッグプレスを40回で何セットか繰り返すというものでした。これのついでに腹筋補強なども行っていました。
 ところが、今年になってから私は、色々な理由から、このようなレッグプレス系の補強を、まったく行っていませんでした。
 現在の私は、キック脚の膝を、かなり曲げた状態で力を出すのは苦手となっていて、中間疾走においても、膝をいくぶん伸ばした状態での、腰高フォームでスピードを高めようとしてしまいます。
 スタートダッシュで身体重心を低めにして走るとき、膝をある程度曲げてキックすることができれば、中腰ガンマクランクキックで走ることができるのでしょうが、それは苦手な状態となっていて、もうすこし膝を伸ばしてキックしてしまうため、デルタクランクキックとなってしまうのです。
 腰高だったら、ガンマクランクキックやベータクランクキックで走ることができても、中腰だと、デルタクランクキックにしかならないのです。
 XTTY選手やTK選手も、最近のレースにおけるスタートダッシュのフォームを調べて見ると、腰高のピストンキックやデルタクランクキックが多くなっています。
 中間疾走については、かなりうまくガンマクランクキックで走れるようになってきたものの、スタートダッシュに関しては、うまくスピードアップできません。
 XTTY選手とTK選手と私は、おそらく、同じ「病(やまい)」に陥っているようです。高速ランニングフォームとしての、ガンマクランクキックでのトップスピードを追い求めるあまり、そのようなフォームに適した筋力バランスとなってしまい、もっと身体重心を下げて、キック脚の膝を曲げた状態で大きな力を生み出すことが苦手となってしまったわけです。

 ガンマダッシュのためのトレーニングと現実的な妥協案

 キック脚の膝の角度が比較的大きな状態で力を生み出す能力だけでなく、もうすこし膝の角度を小さくして力を生み出せるようにする必要があるのです。

 マック式短距離トレーニングの中にあった、ウェイトトレーニング種目の中で、バーベルをかついでのスクワットが、「ハーフスクワット」ではなく、「クォータースクワット」だったということに気づき、もっぱら、「クォータースクワット」系を中心としてトレーニングしてきたのでしたが、これではいけなかったということになります。
 「フルスクワット」をする必要はないでしようが、中腰ダッシュのためには、「ハーフスクワット」系のトレーニングも取り入れる必要があるようです。

 陸上競技場で行うことのできる種目としては、立三段跳や立五段跳などの、低い姿勢からのダッシュに近いジャンプ、(荷重つき)ランジウォーク、腰にウェイトをつけての中腰カーブダッシュ、ハーフスクワットジャンプ、(ハーフスクワットから前方へ跳ぶ)カンガルージャンプ、などがあります。
 片脚で真上に跳び上がるボルゾフジャンプや、前後に跳ぶゴリラジャンプなどは、狭い場所でも可能なものです。
 階段や上り坂でのダッシュや跳躍運動なども効果があります。

 以前は、このようなトレーニングをせっせとやっていたものです。どのような意味があるか、はっきりとは分からなかったのですが、今から思うと、脚筋力の生み出したかを偏らせないために必要だったようです。少なくとも、スタートダッシュの、さいしょの4歩のためには必要不可欠だったわけです。

 体力的な条件が満たされていない状態でガンマダッシュを行おうとしても、キック脚の使い方がうまく出来ないので、デルタダッシュになってしまうか、形だけガンマダッシュとしても、おそらく、かなり遅いダッシュとなってしまうことでしょう。
 脚筋力を鍛え直してガンマダッシュで速く走れることを目指すということも試みつつ、現実的には、最初の2歩〜4歩を、大きなキック力を生み出しやすい、ピストンキックやデルタクランクキックとし、そのあと、中間疾走のフォームに近い、前傾姿勢をたもちながら、重心直下を踏みしめてゆくランニングを目指すのがよいと考えられます。実は、R10さんを指導したときの方針が、そのようなものでした。

 「スタートラインを越えて1歩目からガンマダッシュ」というのは、それなりの強化がうまく進んでいるランナーにのみ可能なことなのでしょう。
 それにつづくものとしては、「スタートから4歩目までは脚力を使って走り、5歩目からは、もっと足首のバネを使った重心直下のキックを目指す」というのがよいと思われます。
 つまり、「スタートから4歩目まではデルタダッシュで、5歩目からはガンマデルタダッシュやガンマダッシュを目指してゆく」という方法のほうが、うまくゆくのではないでしょうか。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, Jun. 14, 2014)

 

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