高速ランニングフォームのエピソード (74)
山縣亮太選手は なぜスタートで先行できるのか

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 山縣亮太選手の、スタートラインから10歩目あたりの、ほぼ真横から撮影してあるビデオ画像があります。

 山縣亮太 男子100m予選1組目 織田記念陸上2013 

 山縣亮太選手は、他のランナーを押さえ先頭で走っています。
 このとき、山縣亮太選手のフォームはデルタクランクキックがほとんどで、スピード変換比b/a(=dG/dGO)の値は、あまり大きなものではありません。
 山縣選手は比較的ゆるく跳び出しているように見え、ランニングフォームのスピード変換比の有意性もあまり認められないのにですが、なぜか、他選手より先行して走っています。
 このことについて詳しく調べることにしました。

 YSD(0)のRUN解析とALL解析

 2013年織田記念陸上男子100m予選1組目の山縣亮太選手のスタートダッシュ(YSDと記号化)を調べるため、山縣亮太選手の隣のレーンで走っているランナーのスタートダッシュ(XSDと記号化)と比較します。
 この解析では、右に向かって走っている画像を、解析ソフトの都合で左右反転したものへと変換しましたので、赤色が左腕と左脚、青色が右腕と右脚となります。
 図1は、山縣選手のスターティングブロックから跳び出す0歩YSD(0)についての、RUN解析(上)とALL解析(下)です。


図1 YSD(0)のRUN解析(上)とALL解析(下)

 RUN解析(上)では、1秒間に30コマのビデオ画像についてのステックピチャーを並べてあります。このときの5から8の4つのフォームの情報に基づいて、それらの間の動きを1/10の時間に細分して再構成した、30の詳細フォーム(d1〜d30)について解析します。
 ALL解析(下)は、(全スピードdGが最大値をとる)キックポイント前後の様子を調べたものです。この図ではd12がキックポイントのフォームとなります。総合水平速度グラフにより、キックポイントでの速度値(dGはdを略してGと示してあります)は、dG(G)=3.1 [m/s], dK(RL)=1.1 [m/s], dT-dK(T-K)=1.97 [m/s], dS-dB(S-B)=2.91 [m/s] となります。キック軸速度はdGO=2.59 [m/s] です。キック軸加速度比aGO/gはMax=4.0 [倍/体重] となっています。
 ALL解析(下)の有効キック区間の代表フォームの様子や、これらの値から、キック脚の膝を伸ばしきろうとせず、膝を曲げたままのキックで跳び出そうとしていることがうかがえます。

 Y選手とX選手の0歩目の比較

 図2は、隣のレーンで走るX選手のスタートダッシュ(XSDと記号化)について調べた、XSD(0)のRUN解析(上)とALL解析(下)を、比較のため、YSD(0)のRUN解析を添えて示したものです。



図2 XSD(0)のRUN解析(上)とALL解析(下)

 ALL解析の総合水平速度グラフにおけるキックポイントでの速度値などは、次のようになっています。
 dG(G)=2.7 [m/s], dK(RL)=0.8 [m/s], dT-dK(T-K)=1.62 [m/s], dS-dB(S-B)=3.25 [m/s] 、キック軸速度はdGO=2.86 [m/s] で、キック軸加速度比aGO/gはMax=4.4 [倍/体重] となっています。
 表1は「YSDとXSDのスタート0歩目の比較」です。
 dGとdKとdT-dKにおいてYSDのほうが上回っています。XSDではdS-dBとdGOとaGO/g (Max) が大きな値となっています。

表1 YSDとXSDのスタート0歩目の比較



 X選手は、従来から優れたスタート法だと考えられてきた、キック脚の膝を伸ばす(膝の角度を大きくする)動きで、身体の軸を一直線に伸ばすイメージで動いています。このとき、スウィング脚も速く動かされることとなり、キック軸加速度比aGO/gも大きな値となって、キック軸速度dGOも大きくなっています。それなのに、全スピードdGの値が0.4 [m/s] 小さくなっているのです。
 二人とも、6〜9のフォームについて解析していますが、詳細フォームにおけるキックポイントの位置は、Y選手がd12で、X選手はd16です。わずか4/300秒の違いです。
 RUNにおける10のフォームを見比べると、X選手は空中に浮かんでいますが、Y選手のほうでは、次の接地のための動きが始まっています。
 距離差を見積もります。
 Y選手とX選手とも頭番号6〜9で解析しており、キックポイントの位置はd12(Y)とd16(X)です。この時間差については、ほぼ同じと見なして、dG値の違いに基づいて計算します。二人とも頭上番号7でキックポイントとなったと見なして、それぞれのdG値で、頭上番号10のところまで、どれだけの距離を進むかを求めます。時間は同じ3/30 [秒] です。
 Y選手は 3.1 [m/s]×3/30 [秒]=0.31 [m] です。X選手は 2.7 [m/s]×3/30 [秒]=0.27 [m] です。このとき、距離差は0.31-0.27=0.04 [m] です。およそ4センチメートルです。

 Y選手とX選手の1歩目の比較



図4 YSD(1)とXSD(1)のALL解析

表2 YSDとXSDのスタート1歩目の比較



 スタート1歩目の比較から、Y選手は、dGOとaGO/gの値の低さにより分かるように、かなり弱いキックとなっているものの、dKの値で抜きんでているため、全スピードdGでX選手より上回っています。ここのところで、大きなキックベース速度(dK)を生み出す走り方をきわめているY選手の、ランニング技術の差があらわれています。フォーム分類としては同じピストンキックですが、その内容は、微妙に違っているわけです。
 距離差を見積もります。
 Y選手は0歩目でdG=3.1から1歩目でdG=5.1となっています。X選手は0歩目でdG=2.7から1歩目でdG=4.3となっています。それぞれの平均値で、スタート1歩目の6コマ(6/30 [秒])を進んだとみなすと、Y選手は4.1 [m/s]×6/30 [秒]=0.82 [m] の距離を移動しており、X選手は3.5 [m/s]×6/30 [秒]=0.70 [m] の距離を移動したことになります。その差は0.82-0.70=0.12 [m] です。およそ12センチメートルです。 

 Y選手とX選手の2歩目の比較


図5 YSD(2)とXSD(2)のRUN解析

 この2歩目の比較から、X選手のRUN解析の図として、2種類のものを持ち出すことになります。添え字の6を後ろにつけた、XSD(2)6はYSD(2)と同じビデオコマ番号のものを並べたものです。
 しかし、YSD(2)の頭上番号6でY選手は空中に浮かんでいますが、XSD(2)6の頭上番号6でX選手はまだ地面から離陸していません。
 YSD(2)の頭上番号6と同じステージでキックフォームの流れを終了させるためには、もう1コマ加えてXSD(2)7とする必要があります。
 次のALL解析では、YSD(6)と比較するため、XSD(2)7を使っています。
 このため、キックポイントの値として、Y選手はd16となっていますが、X選手のd14はd24と読み替える必要があります。



図6 YSD(2)とXSD(2)のALL解析

表3 YSDとXSDのスタート2歩目の比較



 YSDとXSDの2歩目のデータは、おおよそのところ、よく似ています。
 しかし、キックポイントの詳細フォームとして、d16(Y)とd24(X)となっており、8/300 [秒] の時間差があります。二人のdGの値の平均値をとって、dG=6.1 [m/s] と、この時間差を掛けると、6.1 [m/s]×8/300 [秒]=0.16 [m] の距離となります。

 Y選手とX選手の3歩目の比較


図7 YSD(3)とXSD(3)のRUN解析



図8 YSD(3)とXSD(3)のALL解析

表4 YSDとXSDのスタート3歩目の比較



 Y選手のキックポイントはd21ですが、X選手は1コマ多いXSD(3)7で解析していますので、d16ではなく、d26となります。ここでのキックポイントの時間差は5/300 [秒]です。dGの平均値6.3 [m/s] を使って、6.3 [m/s]×5/300 [秒]=0.11 [m] の距離となります。

 Y選手とX選手の4歩目の比較


図9 YSD(4)とXSD(4)のRUN解析



図10 YSD(4)とXSD(4)のALL解析

表5 YSDとXSDのスタート4歩目の比較



 Y選手のキックポイントはd16ですが、X選手は1コマ多いXSD(4)7で解析していますので、d21ではなく、d31となります。ここでのキックポイントの時間差は15/300 [秒]です。dGの平均値8.1 [m/s] を使って、8.1 [m/s]×15/300 [秒]=0.41 [m] の距離となります。

  Y選手がリードした距離

 これまでの0歩から4歩目までにおいて、Y選手がリードした距離は、次の表6のようになります。

表6 Y選手がリードした距離



 この表6の解析では、解析歩の0と1においては、Y選手のdG値がX選手のdGより上回っていることを利用して求めていますが、解析歩の2と3と4では、dG値に目立った差がないので、キックポイントでの時間差を利用して求めています。
 0歩と1歩のところで、Y選手は全スピードdG値でX選手より上回っていますが、これによる距離差は0.16 [m] であり、まだ目立ったものではありません。
 ところが、4歩目が終わったところでは、0.84 [m] の距離となって、明らかに抜きん出ている状態となっています。
 このようになった理由は、Y選手の全スピードdGがとくべつX選手より優れていたということではなく、空中での無駄な動きによる時間を節約して、より大きなピッチで走ったからだと考えられます。
 逆に考えると、X選手がY選手に遅れをとったのは、同じスピードを生み出すために、より多くの時間を使ったので、それに要する、空中での時間のロスが多すぎたということになります。

 スピード変換比の比較

 表7として、「スピード変換比(b/a=dG/dGO)の比較」をまとめました。

表7 スピード変換比(b/a=dG/dGO)の比較



 Y選手のスピード変換比(b/a=dG/dGO)において、ピストンキックではあるものの、3.2や3.1という、比較的大きな値が生み出されています。これはWOL/KOLの影響だと見なせます。WOL/KOL=1のとき、キック脚の膝の角度が変化しない状態の、膝で曲がったままの状態でキック動作が進みます。真正クランクキックと呼びます。キック軸速度dGOの値が小さいということは、軽くキックしているということですが、それでも、ある程度大きな全スピードdGが生み出せるということになります。
 これに対して、X選手のスピード変換比(b/a=dG/dGO)は全体的に小さく、メカニズが異なる0歩を除いて、WOL/KOLが1を大きく上回る値となっています。これは、キック脚の膝下部分がうまく動いていなくて、膝上部分の太ももが中心となって動いているということを意味しています。メトロノームキックと呼んでいます。
 X選手のキック軸速度dGOは比較的大きく、力強くキックしていることがうかがえますが、その努力がうまく生かされていないということになります。

 まとめ

 X選手とY選手のスタートシステムを区別するため、X選手のものを(通常の)ピストンダッシュ、Y選手のものについては(ハイピッチの)クランクダッシュと呼ぶことにしたいと思います。
 X選手のピストンダッシュと、Y選手のクランクダッシュとでは、「フォーム分類グラフ」における、左下原点からの距離は、あまり違っておらず、ガンマクランクキックなどでみられる、キック軸速度dGOと全速度dGの変換比b/a(=dG/dGO)がとくに大きくなるという現象による違いは、これらの、初期5歩においては認められませんでした。
 しかし、Y選手は、ピストンキックでありながらも、WOL/KOL=1に近い真正クランクキックにより、より軽いキックでも全スピードを大きくしています。ここにも、Y選手のランニング技術の優れた一面が現れています。
 これまで、スタートダッシュの理想形としては、身体の軸をしっかりと伸ばしたピストンキックで、できるだけ身体を前傾させておくものがよいと考えられてきました。前傾姿勢は甘いものの、X選手の動きが、これに沿ったものとなっています。
 ところが、Y(山縣亮太)選手が試みているような、幾分膝を曲げたクランクキックで地面をとらえ、空中にあまり浮かずに、できるだけ早く次のキックを始めるというシステムのほうが、キック軸速度dGOが小さくても先行して走ることができるのです。
 つまり、Y選手のスタートダッシュの走り方では、空中での動きの無駄が節約されることにより、ハイピッチとなって、距離における先行状態を生み出すことができるのです。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, Jun. 25, 2014)

 参照資料

 Y選手の5歩目以降のRUN解析とALL解析を加えておきます。画像の関係で、X選手はY選手に隠れてしまい、このあたりのフォームについては解析できませんでした。


図11 YSD(5)のRUN解析(上)とALL解析(下)

(YSD(6)は観測できず)


図12 YSD(7)のRUN解析(上)とALL解析(下)


図13 YSD(8)のRUN解析(上)とALL解析(下)


図14 YSD(9)のRUN解析(上)とALL解析(下)


図15 YSD(10)のRUN解析(上)とALL解析(下)

 

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