高速ランニングフォームの研究で分かったこと
(7)スタートダッシュと中間疾走との加速メカニズムの違い

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito @ 9621 ANALYSIS)

「スポーツ解析」ブランチページへもどる

 はじめに

 このページのテーマは、短距離走において、スタートダッシュのときと、中間疾走とでは、より速度を大きくするという意味での、加速メカニズムが(幾らか、あるいは、微妙に)違うということです。いったい何が違うのかということは、はっきり分からなくても、何かが違うということは、100mのレースを見ていると分かります。スタートダッシュからの前半が得意な選手がいますが、後半の走り方が不得意で、ゴール前に抜かれてしまうというとき、おそらく、このランナーは、これらの加速メカニズムが違うということを、仮に知識として知っていたとしても、体で表現できていないのでしょう。
 「金メダリストは知っていた」[1] という本の中で、1991年に東京で行われた世界選手権100mレースで優勝したカール・ルイスのことが語られています。それによると、カール・ルイスはスピードもストライドも大きくなった40m〜50mのところで、そのまま逃げ切ってしまわずに、一度ストライドを小さくしてピッチを上げる走り方に変え、その後70m〜80mでトップスピードを出したという分析結果でした。その解釈として、50mの時点で、ピッチとストライドが巧みに調整され、ここで力を蓄えて、勝負どころの70m〜80mのところへと向かったのだとされています。
 ほんとうのところは、カール・ルイスに効いてみなければ分からないのかもしれませんが、私の解釈は違います。
 50m付近でスピードが少し低下したのは、エネルギーの節約のためではなく、前半と後半とでは、異なる走り方をしないと加速できないということを知っていて、意図的に走り方を変えたためではないでしょうか。ランニングフォームを後半型のものに変えたとしても、その瞬間から加速できるわけではなくて、その効果が生まれるためには、少し距離が必要になることでしょう。そして、70m〜80mの地点で、後半型のスピードアップがうまくいったことにより、カール・ルイスは他の選手に勝ったと考えられるのです。このように、前半と後半とで、それぞれのトップスピードへと至るためには、異なるメカニズムの走り方をする必要があるということを、それらのメカニズムについて詳しく理解していなかったとしても、おそらく、経験的に、また、感覚的に知っていたランナーが、速く走れるようになっていったのでしょう。
 それではいったい、スタートダッシュからの前半と、ある程度のスピードに達している中間疾走の後半とでは、どのように加速メカニズムが異なるのでしょうか。

 スタートダッシュにおける変化

 スタートダッシュについて調べるためのランニングフォームの画像としては、月刊陸上競技2009年11月号に掲載されていた、タイソン・ゲイ選手の連続写真があります。「高速ランニングフォームについてのエピソード(22) Start Dash (Gay) / タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュの技術を学ぼう」[2] に、それから構成したステックピクチャーのフォームや、キックフォームの特徴などをまとめています。さらに、「高速ランニングフォームについてのエピソード(37) タイソン・ゲイ選手に学ぶスタートダッシュのパワー加速技術」[3] では、ランニングフォームにおける、スピード能力3要素について、異なる視点から解析しています。
 図1はタイソン・ゲイ選手のスタートダッシュにおけるランニングフォームの変化をまとめたものです(エピソード(22) Start Dash (Gay) [2] の図より構成)。Gay(1)は、実際の1歩目ではなく、その前に何歩かがありますので、解析@歩目と呼ぶことにします。図1では、右脚キックと左脚キックに分けて調べています。


図1 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュにおけるランニングフォームの変化
(上段→右脚キック、下段→左脚キック)

 左のフォーム分類グラフでの変化から分かるように、ピストンキックや、それに近いデルタクランクキックから、少しずつガンマクランクキックやベータクランクキックとして、中間疾走で有利となるフォームへと変わってゆこうとしていることが分かります。
 図2は、タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュの解析@歩目からF歩目までの、いろいろな要素の変化をまとめたものです。実際のスタートダッシュでは、この解析@歩目の前に何歩かがあるようですが、連続写真としては紹介されていなかったので解析できていません。図1のGay(1)におけるGO前傾角は33度ですが、スタート1歩目からの解析ができているTS選手のデータ [4] と照らし合わせると、TS選手のスタート2歩目に相当します。タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュの解析@歩目は、実際のスタートとしての2歩目かもしれません。


図2 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのいろいろな要素の変化

 図2のいろいろな要素の変化をおおまかに眺めると、どうやら、タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュにおいては、3つの異なる区間がありそうです。
 解析@歩目の前に何歩かがあるのですが、それらを含めて、スターティングブロックから飛び出す1歩目から、この解析A歩目までが、1つめの区間です。これをスタートダッシュ1次加速区間と名づけておきましょう。ここのところでは、意図的にスウィング脚が強く振り出されています。
 解析B歩目とC歩目は、次の加速区間のためのつなぎの区間のようです。特別に何かを強く意図したという形跡が認められません。
 そして、解析D歩目からF歩目が再度の加速区間です。キック軸加速度比が大きくなって、ヒップスウィング速度と、相対スゥイング速度が増大しています。ここをスタートダッシュ2次加速区間とします。
 これらの区間を識別する理由は、相対スウィング速度 dS-dB と、キック軸加速度比 aGO/g の変化パターンに基づいています。  他の要素として、キック脚のかかとの浮く角度であるK底角が単調に減少していますが、これとは逆に、全重心速度 dG と、キック脚重心水平速度 dK と、ヒップドライブ速度 dT-dK が、単調に増加しています。この3つの要素のうちの後者の2つ、dKとdT-dK は、これらを合わせると、dGの90パーセントの寄与率となっていますから、dG の値を増加させるのは、当然のこととなります。
 上記の区間を分ける要素の一つとなった、相対スウィング速度 dS-dB の変化は、dG に対しての寄与率10パーセントにすぎませんが、図2のパターンにおいては、少し異質なものとなっています。つまり、スタートダッシュ1次加速区間と同2次加速区間においては、相対スウィング速度 dS-dB が大きな値となっており、つなぎ区間では小さな値となっているのです。
 キック軸加速度比 aGO/g の変化パターンについては、解析A歩目でやや大きな値となっており、解析@歩目からA歩目におけるdG の増加と結びついていそうです。また、スタートダッシュ2次加速区間のほうの、解析D歩目でのキック軸加速度比 aGO/g の値は、解析A歩目のものと同じくらいですが、これも、解析C歩目からD歩目におけるdG の増加と結びついていそうです。
 解析E歩目とF歩目でのキック軸加速度比 aGO/g の値は、飛び抜けて大きな値となっていますが、dGの値は増加していません。解析E歩目がどのような役目をしていたのかは、ひとつの謎となります。解析F歩目では、相対スウィング速度 dS-dB とヒップドライブ速度 dT-dK が増大しています。このときの大きなキック軸加速度比 aGO/g の値は、このような変化と連動していたものと考えられます。しかし、dG に対して60パーセントの寄与率をもつ dK の値が少し減少することとなり、結果的に dG の値を大きく増やすことができなかったようです。
 このような解析結果は、タイソン・ゲイ選手のものしか取り扱っていませんから、一般的なものだと考えることはできません。スタートダッシュの加速区間を1次と2次に分けて、その間に、つなぎの区間をはさんでいるというのは、ひょっとすると、タイソン・ゲイ選手個人だけに限られているという可能性もあります。おそらく、もう少し解析例を増やして観察すれば、このような現象が、多くの選手において起こっているかもしれないと分かるかもしれません。
 このように、スピード能力3要素などの、新たに分かってきた視点によって観察してみると、スタートダッシュにおける加速メカニズムというものも、けっして単純なものではないということが分かります。

 中間疾走におけるキック軸加速度比 aGO/g についての謎

 中間疾走における加速メカニズムとして、何年か前から、「高速ランニングフォームのメカニズム」というテーマで、幾つかのページ [5] [6] [7] を構成していましたが、これは不十分なものでした。これらのページで説明しているのは、キック軸GOが長くなるということと、重心の高さが一定だとする仮定のもとで、キック軸GOの変化が水平速度へと変換されるメカニズムということにすぎません。このようなメカニズムにおいては、キックフォームにおけるGO前傾角が90度に近いほど速度の変換率が良いということになります。このことが、重心直下を真下に踏みつけるというランニングフォームの優秀さを意味しているということでした。
 ところが、このようなメカニズムは、中間疾走における加速メカニズムというよりは、スタートダッシュにおける加速メカニズムを言いあらわしているものであるということが、2013年になって、ようやく分かりました。
 もっと本質的なところをとらえた、ほんとうの意味での、中間疾走における加速メカニズム [8] のことに気がついたのは、スプリントランニングフォームについての詳細重心解析の過程で、スピード能力3要素の分離ができるようになったということと、キック軸GOに沿ったキック軸加速度比 aGO/g の値を調べることができるようになったからだと思われます。
 スタートダッシュにおいては、ランニングスピードとキック軸加速度比 aGO/g が、ほぼ正の相関をもって、ともに大きな値を生み出していました。これに比べ、トップスピードに近づいている中間疾走においては、キック軸加速度比 aGO/g が、(スタートダッシュなどでの)最大出力の6割〜7割程度のところで、大きなランニングスピードが生まれているという、少し理解が難しい現象がありました。いったい、このような現象は何故起こっているのかということが、一つの謎でもあったのです。

 スピード能力3要素やキック軸加速度比の違い

 図3のランニングフォームにおけるキックポイント前後(1/60秒)の動きを図4として表わし、そのときの詳細重心解析グラフを図5としました。
 これらの解析図は「高速ランニングフォームについてのエピソード(38) スタートダッシュと中間疾走での加速メカニズム」[9] からの引用です。


図3 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュGay(7)と
山縣亮太選手の中間疾走Ymgt(3)のランニングフォーム


図4 Gay(7)とYmgt(3)のキックポイント前後(1/60秒)の動き


図5  Gay(7)とYmgt(3)の詳細重心解析グラフ

 図5において、aGO/g のMax値を見ると、Gay(7)では8.8 [倍] であるのに対して、Ymgt(3)では6.2 [倍] と小さくなっています。これは、キック軸GOに沿って生み出した力が、これらの値に比例して小さくなっているということです。
 しかし、それにもかかわらず、ランナーのスピードとしてのdGは、Ymgt(3)で11.5 [m/s]、Gay(7)で11.1 [m/s] と、中間疾走の山縣亮太選手の方が大きなものとなっています。これが、大きな謎だったのです。
 一般に物理学においては、大きな力を生み出して加速したほうが、より大きな速度となるはずでした、このような「原則」に反するのは、いったい何故なのでしょうか。
 それを説明する理由は「これらのメカニズムが同じものではない」ということでした。つまり、スタートダッシュと中間疾走とでは、キック軸GOに沿った加速度aGOが、異なるメカニズムによって、異なる生み出し方をされて、異なる使い方をされていたのです。このあと、このことについて、具体的な例によって詳しく説明します。

 キック脚の変化

 図6はGay(7)のキック脚の変化を調べたものです。


図6 Gay(7)のキック脚の変化

 タイソン・ゲイ選手のGay(7)のフォームでは、図5のdGOが大きく変化しています。つまり、G1O1に対してG2O2が長くなっています。
 また、図5において、dS-dBとdT-dBも、山縣亮太選手のYmgt(3)のフォームに比べて大きな値となっています。
 dS-dBはスウィング脚の動きです。次の図7のものと比べ、ゲイ選手の@接地では、スウィング脚の全体がキック脚の太ももの後方に位置しており、Aキックポイントでの位置まで、力強く動かされていることが分かります。
 dT-dBはヒップドライブ速度ですが、おもに、キック脚の太ももの姿勢角の変化によって、この速度の大きさを推定することができます。確かに、@接地からAキックポイントまで、大きく変化しています。
 タイソン・ゲイ選手のGay(7)のフォームにおける、これらの変化は、次の(G1)〜(G4)によって生み出されていると考えられます。

 (G1) K膝角が139度から141度へと大きくなることによるWAが長くなる
 (G2) K底角が11度から17度へと大きくなり△WKAが前方へと傾く
 (G3) 背中からヒップ側を経由してキック脚太ももへの角度が変化している(ヒップドライブ)
 (G4) スウィング脚の前方への動き

 図3でのタイソン・ゲイ選手のランニングフォームを見ると、ランナーの意識として、キック脚の膝の角度をしっかりと伸ばしきろうとしていることがうかがえます。これは、上記の観察(G1)が強く意識されていることを示しています。 (G1)の、腰Wと足首Aの距離を長くするということは、キック軸GOの長さを伸ばすことの、主要な原因となります
 (G2)は、GO軸を前方へ傾けることに役だっています。
 重心を前方へと移動させるメカニズムとしては、(G3) ヒップドライブ の効果が、かなり大きく影響しています。
 これらの変化を、(G4)スウィング脚の重心の変化が補助しています。

 図7はYmgt(3)のキック脚の変化を調べたものです。


図7 Ymgt(3)の接地とキックポイントのフォームの変化

 図5でのスピード能力3要素(dT-dK, dK, dS-dB)のキックポイントにおける値を、Gay(7)のものと比べると、山縣亮太選手のYmgt(3)のフォームでは、dKは大きく、dT-dKとdS-dBは比較的小さくなっています。また、キック軸のdGOも小さめです
 図7でキック軸GOは、@接地からAキックポイントにかけて、前方へと傾き、長くなっていますが、そのためのメカニズムが、タイソン・ゲイ選手のものとは、幾つかの点で異なっているようです。
 上記の(G1)〜(G4)と対応づけて観察してゆきます。

 (Y1) K膝角は144度から138度へと小さくなっています。これではWAを長くすることはできません。WAは幾らか短くなっていますから、GOを伸ばすためには逆効果となります。
 (Y2) K底角が14度から35度へと、非常に大きくなっています。これは、△WKAを前方へと傾けるというより、△KHO(膝下三角形)を大きく前方へと傾けることとなっています。しかし、このような変化は、GOを長くする理由として考えることはできません。GOを長くしているのは、大きくなったK底角が、足首の△AHOの姿勢を変えることによって、地面に対する足首Aの位置を高くしていることによります。いわば、「背伸び」しているときの状態なのですが、膝で脚が曲がっているので、上には伸びずに、膝が前方へと出ることになっているのです。
 (Y3) 背中からヒップを経由してキック脚太ももへの角度は、やはり変化しており、ヒップドライブが行われているようです。しかし、タイソン・ゲイ選手に比べて、やや弱くなっています。
 (Y4) スウィング脚の前方への動きは、タイソン・ゲイ選手のものほど力がこもったものとはなっていません。

 これらの(Y1)〜(Y4)を、タイソン・ゲイ選手の(G1)〜(G4)と比較してみると、山縣亮太選手の中間疾走においては、(Y1)の、WAが逆に短くなっているという点と、(Y2)の、K底角の変化が大きいということが、きわだった特徴となっています。
 図5の解析で、山縣亮太選手の中間疾走におけるスピード能力3要素(dT-dK, dK, dS-dB)の中では、dKが飛び抜けて大きいことが、全体のスピードを高いレベルのものとしていることが分かります。dKの大きな値は、(Y2)の、キック脚の足底角(K底角)が大きく変化していることによって生み出されていると理解することができます。このことにより、キック脚の膝を前方へと突き出すという効果と、GOの長さを大きくする効果が生じています
 スタートダッシュにおけるタイソン・ゲイ選手のフォームにおいては、キック脚のうち、足首より上のところで変化が生み出されていたのに対し、中間疾走における山縣亮太選手のフォームにおいては、キック脚の足首より下の部分の変化が中心となっていたのです。これらの効果を生み出す筋肉や腱の組織は、足首を境にして分かれているわけではありませんが、変化の主要な場所が異なるので、それに応じて違ってきます。おおまかに表現すると、タイソン・ゲイ選手は脚のバネで、山縣亮太選手は足首のバネで、それぞれの区間におけるランニングスピードを加速していたのです。
 一般に、スタートダッシュのときには、まだスピードが大きくなっておらず、それを大きくするために、大きな力を必要としています。ですから、大きな力を生み出す、脚の太ももなどの筋肉に頼るわけです。これに対して、かなり大きなスピードとなっている中間疾走においては、パワー(=力×スピード)成分の、力のほうではなく、スピードのほうを期待できる、足首のバネにたよるわけです。これは、ボールを投げるとき、最後は指のスナップを利用して、スピードを大きくするのとよく似ています。

 膝下三角形のメカニズム(ヒールドライブ)

 図8はキック脚における膝下三角形のメカニズムを理解するために構成したものです。ここでは、キック脚の重心Kと区別するため、膝点をNで表わしています。膝下三角形は△NHOとなります。


図8 膝下三角形のメカニズム

 K底角が∠H1OLから∠H2OLへと変化するとき、膝下三角形N1 H1Oは、膝下三角形N2 H2Oへと前方へと傾きます。このような動きによって、キック脚の膝点N1がN2へと前進します。このようなメカニズムをヒールドライブと呼ぶことにしました。
 このような変化と同時に、キック脚の膝より上の部分が、ヒップドライブとスウィング脚重心の動きとによって、この膝の上につながって、乗りながら、前進します。これらの結果として、全重心Gが前方へと動くわけですが、このような動きが、より速くなったとすれば、スピードの加速ができるということになります。
 ビデオ画像の撮影間隔が細かな時間ではないため、うまく観測できていないと考えられますが、実際のランナーの動きにおいては、接地時のかかとH1は、このままH2へと向かうのではなく、一度地面に近づくか接してから、H2へと跳ね上がっています。このような動きは、Aキックポイントへと向かう時間においての、強い足首バネとして現れるはずです。

 ランナーの感覚

 図9はランナーの重心を中心とした動きを描いたものです。
 各重心の変化は、あまり違うようには見えません。あえて違いを述べれば、Ymgt(3)のスウィング脚重心(S)のほうが、よりダウンスウィングとなっています。
 上半身の前傾角度の違い以外で、大きく異なっているのは、キック脚の足の動きでしょう。Ymgt(3)では、キック脚の足首のバネが効いて、かかとが跳ね上がっています。ランナーの重心からの視点で表現すると、キック脚のスパイク面あたりを、手首のスナップと同じように、振りはらっているということになります。足首のスナップ動作と表現してもよいかもしれません。


図9 ランナーの重心を中心とした動き

 くの字型に曲げた(弓型)キック脚を、強く振りおろして地面を真下に押したとき、少し体が軽くなる瞬間に、加速の決め手として、キック脚の足首でスナップをかけるというのが、どうやら、中間疾走における加速メカニズムのようです。
 上記の解析で分かったように、山縣亮太選手は、この足首のスナップで、キック軸加速度比aGO/g の値として Max=6.2 を生み出しています。タイソン・ゲイ選手のMax=8.8 は、太ももなどの、もつと大きな筋肉によるものです。足首のバネというのは、ふくらはぎやアキレス腱によって生み出されます。この部分だけで キック軸加速度比aGO/g の値として Max=6.2 を生み出すというのは、やはり、すごいことなのかもしれません。

 タイソン・ゲイのスタートダッシュにおけるK底角とaGO/g の変化

 タイソン・ゲイのスタートダッシュにおけるK底角とaGO/g の変化を見るために、図2を、次の図10として再録します。
 赤い星印でプロットしている、キック脚の足底角(K底角)が、@から7に向かって小さくなってゆこうとしています。これは、スタートダッシュにおける体の前傾姿勢のことを考えると、もっともなことです。スターティングブロックを押すときを除いて、しばらくの歩数においては、キック脚のかかとを地面につけて走ろうとはしていません。
 オレンジ色の四角でプロットしている、キック軸加速度比aGO/g の値は、Aで少し大きくなっていますが、原則としては、@からFに向かって大きくなっています。
 これらの、キック脚の足底角(K底角)とキック軸加速度比aGO/g の値が逆の関係になっていることの理由は、次のようなことだと考えられます。


図10 K底角とaGO/g の変化

 キックのパワーの源として、大きな太ももの筋肉に頼ることができるというのは、キック足のかかとを地面につけておくことができる状態のときであり、キック足のかかとを浮かせたままにしておかなければならないときは、足首まわりのバネの強さが上限あたりとなって、太ももなどの大きな筋肉も、その出力を足首のバネに合わせざるをえないということになるのです。  スタートダッシュの前半では、体を前傾させて、ピストンキックのフォームとなっているため、どうしてもかかとを浮かせた姿勢で地面を押すことになります。かかとを地面に付ける瞬間があったとしても、そのフォームのときに、そのキックフォームにおける加速の瞬間が生じているのではなく、やはり、かかとを少し浮かせたときに、加速のための力の出力ピークが合っているのだと考えられます。このため、aGO/g の値は、足首のバネに応じて、小さめとならざるをえません。
 スタートダッシュの中盤で少しずつ変化させてゆき、後半になると、上体はやはり前傾させているかもしれまんが、キックフォームとしてはガンマクランクキックやベータクランクキックとなってきて、キック足のかかとを地面につけて出力のピークを生み出すことができるようになります。このようなときには、EやFのように、aGO/g の値を大きくすることができるのです。
 AとDのaGO/g の値はMax=6.5 前後であり、山縣亮太選手の中間疾走のときのMax=6.2 とよく似ています。AとDにおける、そのひとつ前からのdGの増大率が、他に比べて大きなものとなっています。このAとDのフォームがどのようなものなのかということを詳しく調べる必要がありそうです。

 タイソン・ゲイのスタートダッシュにおけるAとDのフォーム

 図11はタイソン・ゲイのスタートダッシュのキックポイントフォームと、そのデータを表示したものです。


図11 タイソン・ゲイのスタートダッシュのキックポイントフォーム

 図11のAとDを他のものと見比べてみましたが、これらのAとDがセットとなって、他のフォームと区別できるというものではなく、Aの加速メカニズムとDの加速メカニズムは、どうやら異なるもののようです。
 Dのフォームにおいては、K底角が39度となっており、このことにより、キック脚の膝下三角形が前方へと傾き、キック脚の膝が前の方へと進んでいます。キック脚の膝から上の部分も、キック脚の膝に乗って、前方へと進んでいます。これらのことから、このDのフォームにおいては、山縣亮太選手の中間疾走で見たメカニズムと同じものが作用しているようです。このときのdG値は11 [m/s] くらいになっており、このまま、中間疾走へと続けてもよいようにも思えますが、タイソン・ゲイ選手は、キック軸加速度比の大きなEとFを生み出しています。しかし、これらのEとFのフォームにおいて、dG値は、ほとんど増加していません。EとFは、いったい何のために行われたのでしようか。Dでのランニングフォームがデルタクランクキックであるのに対して、中間疾走で一般的となる、ガンマクランクキックやベータクランクキックへと変わっていったという意味はあるかもしれません。しかし、大きなaGO/g を生み出しているということは、ここで、かなり大きな出力パワーのためのエネルギーを使っているはずですが、全体のスピードであるdGの値が、ほとんど変化していないのです。ひょっとするとタイソン・ゲイ選手は、このような、全体のスピードへの効果ということを知らずに、感覚的に、より大きなパワー出力が、より大きなスピードを生み出すと判断して、EやFのキックフォームを生み出しているのかもしれません。
 Aのフォームは、キック脚の膝の角度も大きめで、少し腰高となっており、@とBをつなぐフォームとはなっていません。K底角が52度となっていますが、これによって、膝下三角形が大きく前傾したという様子もありません。このときのK底角が大きいのは、スタートダッシュのフォームの特徴としての、体の全体の軸が前傾していることに由来しているようです。
 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームを、途中の解析@歩目からF歩目について詳しく観察していますが、これらの加速メカニズムにおいても、多様なものが組み合わさっているようです。フォームの違いによって加速メカニズムが異なるということが分かってきたことにより、このようなスタートダッシュにおいても、さらなる工夫が可能だと考えられます。

 まとめ

 このページは、かなり長いものとなりました。
 これまで、部分的に解析していたページから、それらの要点となるところを抜き出して考察してゆくことにより、それらの知識を組み合わせることによって、これまで分からなかったことが次々と分かりだしたことと、ページを分けて、あらためて説明しようとすると、基礎的な知識の部分を、何度も重複しなければならないため、長いとは感じながらも、これを書き続けることとしたわけです。
 ここで説明したことを、かんたんにまとめておきます。

 短距離ランニングフォームと、それらの奥にある、力学的な仕組み(メカニズム)との関係は、これまで、あまりはっきりとしたものとして理解されていませんでした。
 短距離ランニングフォームを、スタートダッシュと中間疾走とに、おおまかに分けて、タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームと、山縣亮太選手の(ほぼトップスピード状態の)中間疾走のフォームとを取りあげて調べました。
 タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームでは、おおよそ、キック軸GOの伸展動作を水平速度へと変換するメカニズムが中心となっていました。
 これに対して、山縣亮太選手の中間疾走のフォームでは、キック脚の足首のスナップ動作により、キック脚の膝下三角形を前方へと傾け、キック脚の膝を前方へと突き出し、その膝の上に、膝上部分を進めてゆくという、ヒールドライブのメカニズムが主要なものとなっていました。
 両者において、ヒップドライブ能力と、相対スウィング動作の能力は、適度に利用されて、全体の速度を高めることに利用されていました。
 さらには、タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュのフォームを、より詳しく調べなおしたところ、この中に、ヒ―ルドライブを利用したものも含まれていました。また、大きなキック軸加速度比aGO/g を生み出しているフォームでは、このような努力にもかかわらず、全体の速度であるdGは、ほとんど加速されていませんでした。
 このような加速メカニズムの違いを生み出している、さらに本質的な要因は、加速のための力を生み出す筋肉群を、太ももや臀筋などに求めることができるか、それより小さな力しか全体として出せない、足首まわりのバネに関連づけられる筋肉群(ふくらはぎの筋肉群とアキレス腱)を使うこととなるのかということにあるようです。
 このような運動における加速という問題では、加速のための力という観点ではなく、そのときのスピードという条件も強く関係してきますので、力とスピードの積であるパワーを考えるほうが分かりやすくなります。
 スピードがゼロの静止状態から走り始めるスタートダッシュにおいては、パワーの要素のうち、力のほうがメインとなります。体幹に近いところにある太ももや臀筋を利用するのは、より大きな力を生み出せるからです。
 これに対して、ある程度スピードを得て走っている中間疾走では、スピードをもって動いていることにより、自分の体を軽いと感じることができます。このため、力よりもスピードに重点をおいたパワー出力を利用することとなります。キック脚の足首のバネというのは、このような条件によく合っています。

 まとめも長くなってしまいました。
 このページの考察と説明は、ここで終わります。
 (Written by KULOTSUKI Kinohito, May 13, 2013)

 参照資料

[1] 「金メダリストは知っていた」水城昭彦(著)、小林寛道(監修)、技術評論社(刊) 2007
[2] 高速ランニングフォームについてのエピソード(22) Start Dash (Gay) / タイソン・ゲイ選手のスタートダッシュの技術を学ぼう
[3] 高速ランニングフォームについてのエピソード(37) タイソン・ゲイ選手に学ぶスタートダッシュのパワー加速技術
[4] 短距離ランニングフォーム解析 (24) TS選手のスタートダッシュの詳細重心解析
[5] 高速ランニングフォームのメカニズム
[6] 高速ランニングフォームのメカニズム(加筆・推敲)
[7] 「高速ランニングフォームのメカニズム」後書き
[8] より詳しい 高速ランニングフォームのメカニズム
[9] 高速ランニングフォームについてのエピソード(38) スタートダッシュと中間疾走での加速メカニズム

 

「スポーツ解析」ブランチページへもどる