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黒月樹人のタバスコキメラミーム17「難問の大河」
Tabasco Chimera Meam 17 of K.K. as “Great stream of difficult problem”
黒月樹人 (KINOHITO KULOTSUKI)

 「宇宙の計量」三部作 (@AB) を毎日一部ずつ書きあげて、黒月樹人のホームページへ組み込んだ。その前は、「アインシュタインの場の方程式」で、さらに一つ前は「シュヴァルツシルト計量」だった。これらのシリーズでは、トールステン・フリースバッハの「一般相対性理論」が基底となっている。ほとんど、この本に関する学習ノートのようなものだ。しかし、単に書き写したというものではなく、全体の論理構造を見やすくするために、整理したものであり、部分的には、詳細な計算を実行して、理解の鎖を途切れさせないように工夫した。

20年ほど前にも、アインシュタインの一般相対性理論に関する方程式の導き方を学んだ覚えがある。ロシア人の研究者の書物を読んで、テンソル解析の添え字について、一つずつ変化の過程をたどってゆき、最後に簡単な式へと収束するので、少し感動したような気がする。

今回の学習では、それより、はるかに広い知識をカバーして、一つ一つの項目に関して詳細な計算をたどり、それらを短い言葉での要素へと抽象化して置き換え、全体的な解析過程を、設計図か鳥瞰図のようなものへと描き出したはずである。それが「アインシュタインの場の方程式」というタイトルの、タバスコキメラミーム13である。それの前後で、「シュヴァルツシルト計量」と「ロバートソン-ウォーカー計量 (FLRW計量)」の導出過程を、詳しくたどった。これらのノートによって、一般相対性理論について、かなりの部分が理解できたと実感できる。しかも、これらを単に学ぶだけではなく、この理論に、新たな課題が存在するということも、はっきり意識して、それについてのコメントを書き込んでいる。

その課題とは、「ローレンツ変換」と「アインシュタインの場の方程式」を切り離すことができるか、ということである。このような視点から、数々の計量の式と意味を眺めてゆくと、「ロバートソン-ウォーカー計量」は少し異なる立場にあるものだということが分かる。これは「ローレンツ変換」から、最も遠いところに位置している。ほとんど切り離されているといってもよい。

「シュヴァルツシルト計量」の解析過程を学んだあと、ローレンツ変換の影響を帯びていない計量を求めようとしたのであるが、整合した解は得られなかった。そこで、アインシュタインの場の方程式を学習しなおしたところ、ロバートソン-ウォーカー計量の概要が目に入ってきて、これについて詳しく知ろうと考えた。とりあえず、導出過程を学んだ。ここでは、かなり抽象化が進んでおり、速度に関する時間の変化や、長さの収縮というような、このような細かい現象なぞ、どこにも現れる余地がない。

アインシュタインの特殊相対性理論は、やがて消えてゆくことだろうが、一般相対性理論には、そのような兆候は見えてこない。だが、そのことも、また、現在の視点の、モデルや仮定の問題ということであり、新たなモデルや仮定が見出されたら、それもまた変わるものなのかもしれない。

 一般相対性理論に関する、これらのシリーズの前のタバスコキメラミームでは、特殊相対性理論の問題について論じてきた。この特殊相対性理論の背骨であるローレンツ変換が、実は、あやしいものであるということが分かってきた。これは、ローレンツの局所時間と、その前駆仮説である、ポアンカレの局所時間を調べていって、これらの局所時間が正当なものであるという根拠は、どこにもないということが分かってきたからである。なぜなら、この時代の物理学者たちが問題とした、マイケルソンとモーリーの実験における、光行差というものが、実験モデルの単なる設定ミスから生まれたものであり、実験結果そのものが、そのような「差」を打ち消しているからだ。このような誤解が、どうして100年以上も生き延びてきたのか、不思議ですらある。

さらに、ローレンツ変換の導出過程を学んだところ、ダランベルシアンを不変とするように、時間変数と距離変数の変換式に組み込んだ未定係数を含む余剰項を、恒等的にゼロとする手法によって生み出されたということを理解した。このような余剰項は、ガリレイ変換でも現れる。ここからローレンツ変換が工夫されたらしいということが想像できる。

ところで、このような変換ではなく、地球の測地線のような2次曲線上での変換を考えると、ダランベルシアンでの処理で、余剰項は現れない。また、このような変換のベースである、地球の測地線を局所的に直線近似して表現したものが、ガリレイ変換であるという視点を見出す。厳密には地球の測地線に沿って観測されていた物理現象であったとしても、そのような厳密性を追求して得られる余剰項を議論できるほどの観測技術は発達していなかったから、抽象的なユークリッド空間の枠組みで説明されてきたのもしかたがないことだったろう。現実的には、これまでどおりの法則で考察しても問題は生じない。ただ、ガリレイ変換とローレンツ変換と、これらが対面している、マクスウェル理論との関係を考慮するときに、ガリレイ変換はローレンツ変換の近似だとみなすより、地球に由来する曲線座標での変換に対する、直線近似であるとみなすほうが、はるかに自然なことだと考えられるのである。

このような新しい変換が、ダランベルシアンを不変とすることと、ガリレイ変換を近似とすることの、ここのところの発想の時系列は、逆だったのか、同時だったのか、今ではあいまいになっているが、このような二つの発想を組み合わせることによって、ガリレイ変換とローレンツ変換の流れを打ち消して、ユークリッド空間とマクスウェルの電磁方程式との関係を、ここで生まれた新しい変換によって結びつけることができる。

このような解析過程を振り返って気がついたことであるが、本来マクスウェルの電磁方程式の世界へのパスポートを発行する、ダランベルシアンは2次式の関数であり、自然と2次曲線には好意的である。これに対して、ガリレイ変換は1次式であり、それが住むユークリッド幾何の世界も、座標軸は1次式の直線である。ダランベルシアンがガリレイ変換を嫌ったのも無理はない。このような状況であるにも関わらず、ローレンツがローレンツ変換を生み出すとき、距離変数の変換式についても、時間変数の変換式についても、ガリレイ変換に類似の1次式をベースにした。2次式に1次式を組み込んだので、余剰項が現れる。2次式と2次式では現れない。ここに無理が生じた。そして、収縮因子が現れ、距離の収縮と時間の遅延を仮定しなければならなくなる。ところが、新しい変換は、2次式をベースとしているので、このような仮定は、まったく必要がない。

この新しい変換の視点を受け入れるとすれば、ローレンツ変換は必要ない。ローレンツ変換の二本柱である、フィッツジェラルド-ローレンツ短縮とローレンツの局所時間という、不思議な二つの仮定を認める必要がなくなる。すると、自然な流れで、さらに不自然な仮定を認めなければならない、アインシュタインの特殊相対性理論は存在の基盤を失う。この理論によって生み出された、多くのパラドックスも、幻となって消えるだろう。

今はまだ、このような物語は、ほとんど展開していないけれど、これらの推定が間違っているとは思えない。間違っていたのは、過去のプロセスのほうであるということを、こうして説明できるようになったのだから。

これらのことから、次のような疑問も生じる。幾つかの計量の式において、時間tτで区別されている。はたして時間は、このような「絶対時間」と「局所時間」として、区別される必要があるのか。速度や重力に関して、時間の刻み方が変化すると信じられ、そのように「観測」されたと思われているのは、いったい何故なのか。簡単に述べよう。はたして「時間」は変化するのであろうか。「局所時間」は実在するのか。虚数の時間軸とは、いったい何を意味しているのか。このような、時間に関する疑問が、次々とわいてくる。これも難問かもしれない。これまでの難問と同じように、時の流れの中で、大河となって蛇行している。(2008.09.30)

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